懐中少女 -クロノガールズ-
EIKI`
序章
第1話
秋が去り、冬の訪れを待つ十一月の朝。
白みがかった空から降りてくる冷たい空気を掻き分けながら、上白沢駅の四番ホームへ銀色の列車が滑り込んでいく。錆び付いたボディを小刻みに震わせて、ホイールとレールの擦れ合う甲高い音を耳障りに奏でると、プラットフォームに身体を預けるように緩やかに速度を落とす。
弱々しく光るLEDの方向幕には終着駅の代わりに「臨時運行」と書かれた紙が貼り付けられ、その内側に乗客は見当たらない。
やがて列車は色褪せた停止線の上で、ゆっくりと止まった。
ため息のようなエアーピストンの音と共に、全ての車両の扉が一斉に開かれる。気圧が生む風で、ホームに積もった塵が舞う。
乗り込む人間も、降りる人間もいない。
否、七両目の扉からただ一人だけ、大きなボストンバッグを抱えた少女が降り立った。
つばの狭い灰色のキャスケット帽に、高い位置で結われたハーフアップの紅みがかった髪。細身の体にベージュ色の厚手のジャケットを羽織り、プリーツ付きのキュロットスカートの裾からは小さなレッグホルスターが覗いていた。
年齢は十代後半に見えるが、強い使命感を帯びたブラウンの瞳は凛として、やや大人びた輝きを放っている。
列車は扉を閉めると気だるそうに体を揺らしながら、再び
少女──
そこはまるで、嵐の過ぎたような有様だった。
一面に広がる、色の無いくすんだ空間。暗闇を映す割れたディスプレイ。無造作に転がる壊れた電子端末。歩くごとに枯れた観葉植物の落ち葉がパチパチと弾け、ガラスとプラスチックの破片が乾いた軋み音を立てて砕けていく。
無残に破壊された剥き出しの自動改札に、擦り切れたキャンペーンチラシが引っかかり、冷ややかな風に煽られてゆらゆらと揺れていた。
『ようこそ、電脳都市・東京へ』
彼女は改札を抜ける。その眼前の光景に、かつての栄華の面影は無い。
(話には聞いていたけれど……予想以上ね)
イコナは心の中で呟く。
軒を連ねる店々は死んだように沈黙している。
彼女は抱えたボストンバッグからタブレット型の端末を取り出し、目を近づけて虹彩認証すると、スクリーンを二度スライドした。
「神月イコナ、上白沢駅到着。任務を開始します」
端末の画面が明滅し、
彼女に課せられた使命は、物資の輸送手段を失ったこの東京でボストンバッグの中身──コードネームを聖櫃といった──を所定の位置に届けることだった。
聖櫃が一体何か、この任務がどういう意味を持つか、彼女には知らされていない。
しかし、この荷物が、荒廃した東京を救う上で最も重要となる鍵だということは公然の秘密だった。
研究者としては駆け出しの彼女に、このような重大な任務が与えられるのは極めて名誉なことである。
ふと、ピコンと短い電子音と共に、一件の通知が最前面に飛び出した。
差出人にはAと書かれている。知らない連絡先だが、彼女に連絡手段を持つということは研究所の人間だ。通知には一ページ目に目的地の地図、二ページ目に簡潔なメッセージが添付されていた。
『地図を送付する。注意点は二つ。一つは、指定された列車駅から目的地までは若干の距離がある。車両等の現地調達を努力し、長期の任務を覚悟せよ』
イコナは辺りを見渡すが、ロータリーに棄てられた車両はいずれも動きそうな気配がない。当時は最新鋭の自動操縦車も、動力が無ければただの置物である。
それも、想定の内だ。
彼女のバッグには事前に計算した、十分な量の
『もう一つは……武装勢力の存在。ひと時たりとも〈ドール〉を身から離すな──』
その時だった。
けたたましい銃撃音と共に、無数の光弾がイコナの眼前を掠める。そのうち一つが彼女のタブレット端末に命中し、火花を散らして弾き飛ばした。
イコナはとっさに身を翻し、目の前にあった車両の陰に隠れた。
ボンネットに光弾が命中し、焼けるようなエフェクトと共に発光する。
だが、傷は付いていない。AR(拡張現実)の攻撃だ。
現実と重なるように構築され、ARグラスと呼ばれる特殊なコンタクトレンズや眼鏡などを介して描かれる仮想空間。
かつての東京では全ての電子端末や設備機器、街路灯に至るまでがこの空間の一部に接続されていた。
もちろん、イコナの持っていたタブレット端末や、脇に抱える「聖櫃」も例外ではない。
AR兵器は、そういった電脳機器にだけ効く攻撃だ。
しかも、不正に出力を上げている。
人体には無害だが、身体のどこかに命中するだけで全身の
「全隊、前へ! タクシーの陰にいるぞ!」
少年の声だった。恐らく、彼女とあまり変わらない歳。
イコナはタクシーのサイドミラーをもぎ取って車の向こうを見る。藍色の制服に身を包む、四人の少年少女。手には光線銃のようなものを持っている。
イコナは小さくため息を付いて、バッグのサイドポケットのジッパーを開く。
「目的地まで、
彼女の声に呼応して、サイドポケットの中が青白く発光する。
極小のモータが回転する甲高い音と共に、林檎三つ分ほどの人型の端末がポケットから躍り出た。
西洋人形を思わせる煌びやかな金色の髪、燃えるように麗しい朱色のドレス。
フリルの袖から出でた淡い肌色の腕を優雅に広げてゆっくりと宙を舞い、後部のエアバーニアが着地点のアスファルトに積もった塵を飛ばす。
『起動完了。アクセスポイント検索。ステート・アイドル』
無機質な声でナナが告げる。
小さな機体に高い演算能力を持ち、ネットワークと連動して電脳都市の一端を支えた、少女向けの電子玩具。
こうして街が荒廃して全ての機能を失った今でも、その多機能さから携行端末に採択されている。
「ナナ。パルス・ライフル起動。後方の敵を殲滅」
『命令受諾』
ナナがバーニアをふかし、車の陰から躍り出た。
その手に、蛍光色に光る電子モザイクが集合し、複数の直方体が重なり合ったような風貌の【パルス・ライフル】が装備される。
「やばい、ドールだ!」
少年が声を上げる。キュイッと電子モータの回転音が空に響き、ライフルのパルス・レーザーが真っ直ぐ少年を射抜いた。
研究機材の強化ライフルの出力は、少年少女の稚拙な違法改造とはわけが違う。
彼はまるで身体全体が爆発したかのような閃光に包まれ、一瞬にしてショートした全身の
残った三人が光線銃を乱射するが、高速で低空を滑る
一発、もう一発と、ナナの確実な射撃が彼らを無効化する。
「一体、どこの学院から──」
最後の一人が無慈悲な射撃によって鎮められると、ナナはくるりと反転し、狩りを済ませた猛禽類のようにイコナの手元に戻ってくる。
「悪く思わないでね」
イコナはショートの衝撃で気を失った彼らを一瞥し、歩き去ろうとした。
「止まりなさい」
彼女の足元に、別の光弾が当たって弾ける。
振り向くイコナを、多数の人影が迎えた。
さっきの少年少女とは制服が違う。そして装備も。
遠距離射撃用の電子ライフル、防磁シールド、そして──
(どうなってるのよ、
イコナはひとりごちて、両手を上にあげた。
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