第2話 遭遇


 四年二組と書かれたプレートの部屋に入れば、ふと目に入った女の子と男の子、それと両親らしき四人が書かれた絵の下に書かれた名前。


万亀なきり君」

「なに?」

「これって、君のこと?」


 その絵を指させば、頷かれた。


「あんまり見ないでくれない? 下手なんだよ。絵」

「そんなこと、ないと思うけど」


 誰しも、昔の絵を見られたら恥ずかしくなるものだ。数珠丸は、その絵から目を離すと教室を見渡す。当時、彼がここにいたことは本当らしい。

 しかし、千鶴という少女は確か六年だったはずだ。突き落としたのが、この子だとは、少し考えにくい。もはや、見境なく当時学校にいた人を襲っているのだろうか。


「そうだ。万亀君、千鶴ちゃんって人知ってる? 六年生の――」

「階段から落ちた人でしょ?」

「知ってるの?」

「すごく話題になってたし、警察も来てたし、色々話題になったよ」


 突き落とされたのを恨んで、いじめていた人を階段に引きずり込もうとするとか、そういった噂ができていたり、とにかく千鶴が落ちてからというもの、しばらくはその話題で持ちきりだったそうだ。


「おじさん」

「ん? 何?」

「おじさんの用ってなんなの?」


 見上げる万亀に、数珠丸は息を詰まらせるが、ゆっくりと口を開いた。


「この空間に捕まってる人を助けに来たんだ」

「……どういうこと?」

「あ、えっと……この学校は、ほかの世界と切り離された状態で存在しているんだ。だから、この学校にいる魂は、あの世にいけずに囚われてる。そういう魂をあの世に送るために、僕たちはここに来たんだ」

「なんか、宗教の勧誘みたいだね」


 すごく胡散臭い。だが、信じないというわけではない。今の状況なら、それもおかしく感じなかった。


「そうは言われても……」


 事実なのだから、これ以上何も言えない。小夜や天魔の話をしたところで、もっと胡散臭くなるだけだ。


「別に信じてないわけじゃないよ。それで、どうやるの? お札でも貼るの?」

「え? あ、えっと……この空間を作ってる人がいるはずなんだ。その人を見つけて、切る。そうすれば、この空間は外と同じ世界に戻って、あとは今ははぐれてるけど、もう一人がやってくれる」

「……ふーん」


 あまりよくわかっていない様子の万亀は、絵の方を見ると、


「その人って、おじさんの大事な人?」


 そう聞いた。数珠丸も、釣られるように目をやれば、題材なのか、『みんなの家族』と書かれた紙が一番上に貼られている。


「そうだね。大事な人だよ」

「そうなんだ……」


 万亀の家族は、生きているのか、それとも死んでいるのか、それはわからない。魂になってしまえば、一番記憶の残っている姿になり、この子が何歳で死んだかは、本人しかわからない。

 もしかしたら、一番最後だったのかもしれない。


「万亀く――」


 声をかけようとしたその瞬間、また粘着質の足音が耳に入る。しかも今度は、ドアの破壊する音と共に。

 視界の隅で動く、長く黒い髪は濡れているのかうっすらと不気味に光りを放ち、大きく肥大化した手と髪の間に見える肌は赤黒く変色しているそれ。


「カ、エ……テ」


 かすれた声は、机や椅子が倒れる音に、かき消えた。



***



「……あのビビリの叫び声が聞こえた気がする」


 不機嫌そうにそう言い放った白い髪を持った少女は、ため息をつくと、また歩き始めた。

 学校に取り付くような霊は、原因は大抵決まっている。いじめだ。


「死んでから本気出すなら、その前に一発刺してやれないのかしら? そっちのほうが、呪うよりも百倍簡単だわ」


 呆れるような口調に、文句いうような人はここにはいない。きっと、今頃、ここの元凶にでも会って、悲鳴を上げて逃げている頃だろう。

 天魔が関わり、異径に変わってしまったものの容姿は、正常な人間であれば恐怖の対象になる。そうでなければ、人は欲にまみれてしまうだろう。


「だけど、まぁ、あいつはビビリ過ぎ」


 教室の中では、少女と少年が、机で何かを折っていた。どうやら、ものは同じらしいが、色が違う。少年からは緑色、少女は赤色。

 二人共、とても穏やかな表情で、笑い合っていた。



***



 数珠丸と万亀は、どうにか階段の裏に逃げ込み、難を逃れていた。


「こ、怖かったぁ……」

「おじさんの声の方がびっくりしたよ……」

「ご、ごめん」


 こういったことは、何度やっても慣れない。だが、あれを見て悲鳴一つあげないこの子も、なかなかの根性がある。小夜にも引けを取らないかもしれない。


「いや、単純におじさんの悲鳴やばかっただけだから」


 困ったように頬をかく数珠丸は、指してくる夕日に目を向ける。


「まぁ、ここ、夜にはならないから助かるよ。夜にあれ見たら、泣く」

「……おじさん、アレと戦うんじゃないの?」


 戦えるのか不安に思うのはしかたない。あの袋小路に近かった教室から、万亀も抱えて逃げ出せるくらいの能力があっても、見かけた瞬間に走って逃げるような人だ。

 万亀が疑う視線から、数珠丸は逃げるように目をそらすと、


「い、いきなりじゃなければ、がんばれるよ」


 そうとしか、返せなかった。

 顔を出して、先程の化け物がいないのを確認すると、廊下へ出る。


「大丈夫みたい」


 万亀も廊下に出てくると、壁に貼ってあったその新聞に目をやった。そこには、学校での傷害事件について、あまり不用意に騒がないようにという注意が書かれていた。


「さて、どうしようか……ここまで来たのはいいけど、この先はまた壁みたいだし」


 足の先になにか壁がある。これ以上、先にはいけないらしい。


「戻る?」

「それもそれで怖い気もするけど……それ以外ないか……」


 戻ろうと元来た階段へ足を向ければ、ふと目に入ったコルクボード。先程までは確かに何かが貼ってあったはずだ。

 しかし、きれいな三角形をした小さな紙が、画鋲で張り付けられているだけ。


「おじさん?」

「あぁ、今いくよ」


 先に行ってしまっている万亀を慌てて追いかけた。


「あ、千鶴ちゃん。いいところに」

「私たち、このあと用事あるんだ~掃除当番、変わってくれない?」

「ほら、千鶴ちゃん、いっつも放課後、折り紙してるじゃない? ゴミ作ってるんだし、一緒に捨てて効率もいいじゃん?」

「あれは、ゴミじゃ――」

「そうそう! だから、掃除も一緒にやっておいてよ」


 三階と四階の踊り場で、ドクロの髪飾りをつけた女の子たちに、囲まれてほうきを押し付けられている女の子がいた。

 数珠丸たちが、のぞき込むように見ていると、女の子たちは千鶴にほうきを投げつけると、そのままランドセルを背負って、降りてくる。

 実際にぶつかるわけではないが、数珠丸は反射的に避け、万亀はその三人が自分を通り過ぎているのをただじっと立って待った。


「……ゴミじゃないもん」


 呟くものの、千鶴の呟きを聞いてくれる人はいなかった。

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