第4話 少女の願いは

外へと飛び出た瞬間、ベヒモスはすぐに私の存在を捉えた。


ベヒモスと私、二つの視線が空中で重なる。


その瞬間、その山の様な巨体が振り向いたかと思うと、一瞬で私の方へと距離を詰めてきた。

ベヒモスが一気に私の目の前に迫る。


「やばいっ!!」


慌てて、近くの茂みに飛び込んだ。

寸での所でベヒモスの死角に入ることが出来た。


「グルゥゥッ」


茂みの外、ベヒモスの鼻息がすぐそこで聞こえる。口から洩れる血なまぐさい息が私の鼻腔を刺激した。

私の心臓は今にも張り裂けそうなくらい高鳴っている。


(早く、どこか行け! 早く!!!)


生きてる心地が全くしない。自然と呼吸を止める。


ベヒモスは何度か唸るように周りを威嚇したかと思うと、その大木の様な前脚と鋭い爪で地面を引っ掻いた。


(近いぃぃぃっ!!!)


顔が引き攣る。

私が隠れているすぐそばの地面が抉られた。

あともう少し横だったら……。

考えるだけで卒倒しそうだ。

それでも、なんとかバレずに済んだらしい。

少しずつ足音が離れていく。


(もしかして…あまり頭は良くない?)


死角に入ると追撃はそこまでしつこくない。

見えなくなると追ってこないって事は、充分逃げられる可能性がある。

ただ、恐ろしいのはその圧倒的なスピードと

一瞬で私達から命を奪える破壊力だ。

今のアルを連れて逃げてるところを見つかったら、間違いなく殺される。


(どっちにしろ、武器が必要だよね…。)


逃げるにしても、戦うにしても素手では心許ない。

さっき落としてしまった銃を拾わなければ。


茂みの奥から顔だけ出してさっき落とした銃の位置を確認する。

茂みの向こう、少し開けた空間の草むらに私が落としたリボルバーが落ちていた。


ここから約15m。


ベヒモスが今いる位置からは少し遠い。

充分だ。 ダッシュで拾って隠れられる。


(5、4、3、2…)


ベヒモスの姿を確認しながら、心の中で飛びだすタイミングを測る。


(今っ!!!)


茂みから飛び出して、銃へ一直線に走り出した。


視界の端で、ベヒモスが私を見つけたのが分かった。威嚇しながら私の方へと向かってくる。


(大丈夫。あそこからじゃ間に合わない!)


地面に落ちていた銃を掴んだ。後は、茂みに隠れるだけだ。

そのままの勢いで一番近い茂みへと駆け込む。


刹那、大きな影が私を飛び越えた。

ドスンという音と共に大地が揺れた。


(う…嘘でしょ…。)


巨大な影が唸り、私を睨みつける。

私の前に奴(ベヒモス)がいた。

耐えようのない圧倒的な恐怖が目の前に具現化して存在している。

信じられないことに、奴は一瞬であの距離を飛び越え、私の前へと周りこんだ。


巨大な姿に退路が塞がれる。


その姿からは、巨体から溢れ出る圧迫感の他に、私の身体を硬直させるような重圧(プレッシャー)が感じられた。


死の重圧。


このままだと、私は確実に死ぬ。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!!」


叫び、発砲した。

耳の感覚は恐怖で麻痺していて音は聞こえなかった。


銃口から真っ直ぐに放たれた弾丸はベヒモスへと向かい、


そして、弾かれた。


2発、3発、4発、5発

反動で腕が跳ね上がり、痺れてくるが関係ない。

ハンマーを起こして、引き金を引く。


45口径から放たれた銃弾は全て命中し、ベヒモスもその度に煩わしそうに目を細め首を振った。


だが、ただそれだけだった。


奴は無傷だった。


引き金が引けなくなる。

カチ、カチと無慈悲な音だけが響いた。

弾切れだ。


銃が手から離れ、再び地面へと落ちていく。

同時に私も膝から崩れ落ちた。

比べようの無い力の差を確信し、己の無力さに苛まれる。

どうしようもない絶望感が心の奥底から全身に広がった。


(ごめん。 アル、私じゃ無理だった。)


情けない。何が、倒すだ。

私じゃ傷一つ付けられないじゃないか。

さっきまで私を奮い立たせていた闘争心は消え失せ、私はもう戦うことすら出来なくなっていた。


俯いていた地面が暗くなる。

顔を上げると、獣王(ベヒモス)は大きく口を開け私を喰おうとしていた。

口から放たれる息が、流れでる涎が顔に、服にかかる。


(あぁ…私、食べられるのか。)


今度こそ死を覚悟した。

1日2回も死を覚悟する事になるなんて…。

もう怖くはない。

既に感情は麻痺していて、恐怖すら感じない。

ただ、ゆっくりと時間が流れていく。

私を切り裂こうとするベヒモスの牙がすぐそこまで迫ってくるのが見えた。





「炎よ。汝の持ちうる力を開放し、紅蓮の矢となり敵を射て。」



不意に、凛とした声が森の中に響いた。


同時に茂みの奥から巨大な炎の矢が出現し、目の前にいたベヒモスの顔へと突き刺さる。

刺さった炎の矢はベヒモスの顔から一気に全身に広がり体全体を赤く覆い尽くした。


「ガァァァァァァアアアッ!!!」


巨体が炎に包まれ、ベヒモスがもがき苦しむ。


次いでドンッという鈍い発砲音。


ベヒモスの双眸が大きく見開き、その眉間

には大きな風穴が生まれる。

べキッという骨の砕ける音がして、ベヒモスの後頭部から勢いよくその中身が飛び散った。

もがき苦しんでいたベヒモスの動きが止まる。そして、そのまま地面へと崩れ落ちた。


私はその一瞬の出来事をただ惚けて見ていた。死を覚悟した瞬間からまだ時間はたっていない。そのまばたき程の時間で、ベヒモスの方が絶命している。


ただ、ただその事実が信じられずにいた。


(私…助かったの?)


実感が湧かない。手を見ると細かく震えていた。そのまま胸に手を当てる。

確かな鼓動が脈打つのが伝わってきた。

ふっーと息をつく。

あぁ…私生きてる。


「マヤちゃん!!!アルバート!!無事!?」


大きな声を出しながら、私の方へと駆け寄ってくる2人の人影あった。


(あぁ…そうか、私達を助けてくれたのは…。)


そのことが分かった瞬間、塞き止めていたものが一気に溢れ出した。

人影の方へと駆け出す。


「リズさぁぁぁあんんん!!、お父さぁぁぁあんんん!!! ごめんなさいいいいいいいい!!!!」


思いっきり泣いた。我慢なんてできるはずがない。

泣きじゃくる私を父さんが抱きとめる。


「アルが…アルが!!! ひっく、わ、私のせいで!!!!!」


アルがいる方向を指さしてなんとか伝えようとするが言葉にならない。

リズさんの顔色が変わり、急いで茂みの方へと走り出す。


父さんは黙って私を抱き上げて、頭を撫でた。いつもとは違う。優しい、擽るような手つきで。


「アルバートは?大丈夫か?」


父さんがリズさんに尋ねる。


「えぇ、大丈夫。回復薬(ポーション)で充分治るわ。」


リズさんが微笑んだ。

手持ちの回復薬(ポーション)で治療されたアルは苦痛の表情から安らぎの表情へと変わっていた。


「そうか…。良かったぁ…。」


父さんが大きく息をついたのが分かった。

私も安心した。アルは治る。

誰も死なない。

その事が今の私にはとてつもなく嬉しかった。


森から家までの帰り道。

父さんとリズさんはそれぞれ私とアルをおぶって帰った。

正直、帰り道の事はあまり覚えていない。

それまでの疲労が一気に私を襲い、私は家に着くまでそのまま父さんの背中で眠りに落ちた。


その後の事は、あまり思い出したくない。

簡単に言えば……もう、めちゃくちゃに怒られた。父さんに。そして、リズさんにも。

リズさんは怒ると相当怖い。

それはもう口に出すのも恐ろしいくらいに。

最後には、何故か父さんも顔を引き攣らせていた。


私は、今後リズさんを怒らせるようないたずらは絶対にしないと心に決めた。





そういえば、リズさんがベヒモスを倒す時に使ったあの不思議な力は、「魔術」の1つらしい。

あれが使えれば、アルも守れる。

あれから私はリズさんにお願いして魔術について少しずつ学ぶ事にした。


「いい?マヤちゃん。まずは基本が大切よ。」


という自論があるようで、その学びの殆どは座学で教わった。

曰く、

・「魔術」は「魔法」ではないこと。

・何かしらの贄が必要になること。(殆どの場合は魔術鉱石。)

・使うには決められた《ギミック》を行わないといけない事。

などなど毎回気が遠くなるほど、長ーい授業が行われた。だけど、そのどれもが私には魅力的で楽しかった。


「一応、止めを刺したの父さんなんだけど…。」


父さんは授業が終わる度に、リズさん愚痴っている。勿論、感謝はしているが、今の私の関心は銃よりも魔術だった。

事実、あの時父さんが使った馬鹿でかい猟銃では、撃った私の方が反動で吹き飛ぶ。


こんな私でも、身体を張って誰かを守れるような力が欲しいんだ。


それからは何事も無く時は過ぎて行った。

いつも通り穏やかな変わりない日々が続く。


いや、あの1件以来、1つだけ変わった事がある。



それはアルへの気持ちだ。


何というか…あれ以来、アルがかっこよく見えて仕方がない。

アルの一つ一つの行動がキラキラ輝いて見えた。

名前を呼ばれただけでドキドキする。

この気持ちが何と言われているのかくらい私も知っている。





私はアルが大好きになっていた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「忘れちゃってるんだもんなぁ…。」


暗い残された森の中、あれから幾分か成長した少女、マヤ・バーネットは独り言ちた。

爆風と金属片によってできたお腹の傷からはまだ血が流れ出ている。


「痛てて…。はぁーっ、参ったなぁ…。」


身体を少し動かさそうとしただけで、堪えきれない痛みが身体を襲った。

これじゃ、移動するどころか寝返りさえうつことができない。


動くのを諦めて、ふぅ…と息を吐く。

目を閉じると、アルと過ごした日々がつい最近のように浮かび上がってきた。あれから約8年間、ずっーと一緒だった。


特に、あのベヒモスの一件からは私はアルにベッタリで、片時もそばを離れなかった。

そのお陰で、ずいぶん仲も親密になってきていたし、遠まわしに気持ちも伝えたりしたのだが…。


(忘れてるんだもんなぁ……。)


正直、ショックだった。

当然だ。あんなに大好きな相手に、「誰ですか?」なんて聞かれて平気な訳がない。


一瞬で頭が真っ白になった。


爆発と銃撃が入り交じる混乱の中、どうにかアルを見つけられた時は、「神様!ありがとう!!!!」と普段は全く信じてない都合の良い神にさえ感謝したが、今のこの状況を考えると中指を突き立て、文句の一言でも言ってやりたい。


まぁ、それでも…


忘れていた方が幸せかも知れない。むしろ、アルにとっては幸運だった。


……今はそう思う。


だから、アルから完全に私の存在が消える様にした。

《対象から目的の記憶を焼き消す魔術》

アルに頼んで手を握って貰ったときに、本来は自分に使う予定だった魔術をアルに使った。


ポケットに入っていたラピスの宝石は消失している。 術は上手くかかっているはずだ。

今頃、アルは私について全て忘れているだろう。


(でも…やっぱ、辛いなぁ…。)


術をかけといて何だが、その事実が胸を締め付ける。急に心細くなった。

今まで、何とか強がりで保っていた心が、いとも容易く崩れ落ちそうになる。


『すぐに戻ってくるから!!ちゃんと戻ってくるから!』


アルが最後に残していった言葉を思い出す。

きっと、アルは今頃全部忘れている。

恐らく助けは来ない。


分かっている。


私はただ、このまま1人動けないで死が来るのを待つだけだ。


知っている。


それでも…。

それでも、少しでも期待してしまう自分が嫌だった。

諦めた筈なのに…。

覚悟もしたはずなのに…。

視界が滲む。目から大粒の雫が頬へと流れた。


「嫌だ…。死にたくないよぉ…。」


情けない声がでる。もう既に、下腹部から下の感覚が無い。確実に死に近づいていた。



ひとしきり泣いたあと、涙も止まりボッーと空を見上げていた。

いつの間にか、辺りは真っ暗になっている。

木々の隙間から見える空は皮肉なくらい綺麗な満天の星空で輝いていた。


(あの星の名前何だったかな…。)


赤く輝く、他の星よりも一回り大きな星。

その星を中心に頭の中で星と星を繋ぎ、空想の星座を作る。

その最中に茂みの向こうから足音が聞こえた。ついでパパパパパッと繋がった銃撃音。


終わりが近づいてきている。


(アルは無事に辿りつけたかな?)


予定では明日行くはずだった小屋には、きっと1人くらいは助けてくれる人がいるはずだ。

小屋にさえ着けば安全は保証されるはずだ。


(お願い、都合の良い神様。どうか、アルが無事でありますように。)


祈りを満天の星空へと捧げる。きっとこの最後の願いくらいは叶えてくれるはずだ。


ガサガサと落ち葉を踏む音が地面を通して聞こえる。

さっきよりも確実に足音は近づいてきていた。


見つかるのはもう時間の問題か…。


(やっぱり、最後くらい気持ち伝えとけば良かったなぁ…。)


もう叶わない願いに、少しだけ後悔する。

はぁっ…とため息。 月明かりが私を照らす。空を見上げると相変わらずの満天の星。

うん、悪くない。


死に場所としては勿体無いくらい。


「バイバイ、アル。元気で。」


そう呟いて、目を閉じた。

だいぶ体力を消耗していたみたいだ。

私の意識はあっさりと落ちて、目の前はすぐに暗くなった。

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