第3話 Memories of childhood

私がまだ小さい頃、私に母と弟ができた。

そいつらはいきなりやって来て、父さんと2人きりだった私達の家に上がりこんだ。


「どういうこと? 私聞いてないよ。」


そいつらを連れてきた張本人に問いただす。

口調は静かだが、その言葉には確かな怒りが込められていた。


「どういうことって…頼まれたんだ。古い友人にね。」


父さんは私の放っている怒りのオーラに、たじたじになりながらも答えた。


その言葉に私は驚く。


意外…。父さんに友達がいたなんて。

父さんが誰かと仲良くしている所なんて想像もつかない。


「なんだ、その目は!父さんだって友だちの1人や2人はいるぞ!」


1人や2人って…。私は呆れた目で父さんを見た。

1人1人自分の友だちの名前を確認するように言い始めたが右手だけで充分事足りていた。


「じゃあ、再婚ってことじゃないんだ?」


「あぁ、違うよ。だから、何も心配しなくていいよ。」


別に心配なんてしてない。

ただ、今までわりと気に入っていた生活を崩されるのが嫌なだけだ。


プイっと横を向く。自然と頬が膨らんだ。

父さんが黙って私の頭を撫でる。

少し乱暴なその手つきで私の髪の毛はすぐにクシャクシャになった。





それから父さんと私。そして、新しい2人を加えた暮らしが始まった。


女の人の名前はリズさんと言うらしい。

彼女のホワホワとした優しいオーラは警戒していた私をいとも容易く包み込んだ。

優しく、暖かい、彼女は春みたいな人だった。


私が、つまみ食いやいたずらをしても「あらあら、まぁ…。」という感じで笑って許してくれる。


私はすぐに彼女が好きになった。


リズさんなら新しいお母さんになってくれてもいいなーとも思ったりもした。

彼女は普段、家事をしながら、父さんの仕事を手伝っている。

彼女は魔術を扱う魔術師(アルケミスト)だった。




もう一人の同居人。男の子はアルバートと言うらしい。アルは人見知りで泣き虫。

嫌な事や怖いことがあるとすぐ泣いた。


正直に言おう。

私はこの子が嫌いだった。


男の癖に臆病ですぐ泣くし、そのくせ意地っ張りで頑固者だった。


何度も、何度も喧嘩しては一方的に泣かした。

その度に父さんはうんと私を強く叱って、リズさんは泣いているアルを優しく撫でていた。


そう、とにかくずるいんだ。アルは。


でも、その後で必ずリズさんは私も撫でてくれた。

父さんとは違う手つきで。

優しく、擽るように。私はそれが大好きだった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



ある日、私はアルを度胸試しに誘った。


父さんの仕事場から45口径のリボルバーを1丁黙って持ち出して、アルと一緒に街から少し離れた森へと向かう。


狙いは、角うさぎ(ジャッカロープ)。


こいつの角は街の子供達の憧れの的だった。

子供のお小遣いにしては高く売れるし、なにしろ、それを自分達で取ったとなると子供達の中では英雄扱い間違いなしだ。


そう、私達は今から英雄になりに行くんだ。


角うさぎ(ジャッカロープ)は大人しくて、弱い。私達でも充分に狩れるはず。

それに、銃もある。

余裕だ。何も恐れることなんてない。

ずんずんと森の中を進む。


「ねぇ…やめようよ…危ないって。」


アルが私の袖を引っ張ってくるが無視する。

またいつもの臆病風だ。

それに、森には毎日のように遊びに来ているし、ここはもう私の庭みたいなものだった。


「早く来ないと、置いていくよ。」


こう言うと、ビクッとなって私の後にぴったりとくっついて来る。


こういう所は可愛いと思うんだけどなぁ。


「また、お母さん達に怒られるよ…。」


アルの嘆きは虚しく宙に消える。


「そんなのいつもの事じゃん。アルの臆病者。」


「だって、森は危険だってお母さんが…」


両目いっぱいに涙を溜めて私を見る。

あぁ、もう勘弁してほしい。


「分かった。1回だけだから。失敗したら帰るから。ね?それでいいでしょ?」


何か考えるように動きが止まって数十秒後、アルは渋々頷いた。どうやら説得はできたみたいだ。


「はぁ…。もうすぐで着くから。お願いだから泣かないで。」


「な、泣いてないもん!!」


嘘つき。両目いっぱいに溜まってるじゃんか。

急いで私に背を向けて、右手の袖で涙を拭いている。こういう所が意地っ張りだ。


「ちゃんと着いてきてよ。」


そう言って、少し早足で歩いた。

後ろから一生懸命着いて来ようとするアルの足音を確認しながら先を急いだ。


ひとしきり進むと少し開けた森の広場に着いた。

偶然にも綺麗に配置された木の並びのお陰で、天井は吹き抜けになっていて薄暗い森の中に明るい太陽の陽射しが入っている。



凄く幻想的で綺麗な空間。

ここは私のお気に入りで、何度も通っている場所だった。



角うさぎ(ジャッカロープ)はこの近くに住んでいる。

周りの地面や木の根っこには、至るところに大きな穴がいくつも空いていて、その周囲には意図的に集められた小さな木の実が転がっていた。


奴ら(ジャッカロープ)の巣穴だ。


周囲を索敵する。巣穴の周り、近くの木の下を中心に音をたてないように探した。


(……外れかぁ。)


一匹も見当たらない。

奴らは臆病で、日中は滅多に人前に姿を見せない。

だから、価値も高いんだけど…。


「ねぇ、もう帰ろうよ!もうすぐお昼ご飯だよ。遅れると怒られちゃうよ!」


アルが喚く。


「もうちょっとだけ。 絶対どっかにいるはずだから。」


もう一度、今度は目だけじゃなく五感を研ぎ澄まして探す。

ここまで来たんだ。黙って銃も持ち出した。 手ぶらじゃ帰れない。


「ねぇ…もういないよ、きっと。逃げちゃったんだ。」


「しっ!!静かに。 今、あそこ動いた。」


奥側の茂み。確かに音がした。


「行くよ!アル!!」


走り出す。アルも文句を言いながら後ろからちゃんと着いてくる。

その角の重さのせいなのか角うさぎ(ジャッカロープ)はそんなに速くない。 私達でも充分に追いつける。

茂みを掻き分けて、私達は森の深くへと進んで行った。


「いた!!見つけた!!」


太い枝の様な角、小さな灰色の体。間違いない。角うさぎ(ジャッカロープ)だ。

角うさぎ(ジャッカロープ)はその小さな体を駆使して、狭い道や木々の間をいとも簡単に走り抜けていく。

なんとか視認はできるが、生い茂る草木が私達の行く手を阻んで、なかなか距離が縮まらない。


長い追いかけっこが続く。


森の奥へ奥へと結構な距離を走った。

次第に息が上がってくる。私はまだ行けるが、そろそろアルが限界だ。


(……このままじゃ、埒が明かない。)


ベルトに挟んでいたリボルバーを取り出す。その動作にアルがギョッとした顔をした。


「ええ!?銃持ってきたの!? ダメだよ!危ないよ!」


あぁ、もう!うるさい!!!そんなの分かってる。分かっててやってるんだ!


(チャンスは1度だけ。)


約束通り、失敗したら終わり。というか、外したら見失う。あいつ(ジャッカロープ)はまだ奥の手を隠し持っている。

左手を添えて両手で構える。狙いを定めてハンマーを起こした。


(やっぱり走りながらだとぶれるな…。)


上手く狙いが定まらない。

照星(フロントサイト)の先が細かく震える。

タダでさえ移動しながらの射撃なのに、対象(角うさぎ)が交互左右に動くため余計に撃ちにくい。

次の行動を予測してそこを撃たないと…。


引き金に指が触れる。


「当たれ!!」


私は、半ば願いをこめて引き金を弾いた。



ーーーーーーーーダンッ!!!




反動で両手が跳ね上がる。

鼓膜が割れそうな馬鹿でかい音ともに放たれた銃弾は、角うさぎ(ジャッカロープ)の角を掠めてすぐ横の木に穴を開けた。


一瞬、角うさぎ(ジャッカロープ)の動きが止まる。

そして、次の瞬間、角うさぎ(ジャッカロープ)が跳ねた。

いや、飛んだと言うべきか。

驚異の跳躍力で、視界の外へと消えていった。本当に生命の危険を感じた時だけ行う角うさぎ(ジャッカロープ)の対処行動だ。


(あと少しだったのに……。)


逃げられた。私は英雄になり損ねた。


息をついて大の字に地面へと寝そべる。


結局は手ぶらで帰ることになりそう。

たぶん、かなり叱られる…。

あぁ…せめて、角さえ手に入れば耐えられなのになぁ…。


どうやら今度は家の中で度胸試しになりそうだ。


(眠たい…。疲れたなぁ。)


地面に横になると、一気にこれまでの疲労が襲いかかってきた。


(……少し休んでからでもいいよね?)


チラッとアルの方を見る。

アルもまた私を見ていた。

その目は、いっぱいに見開かれ、涙が溢れ出している。


「えぇ…何?そんなに悔しかったの?」


アルが首を横にふる。

目の前を指さして、口をパクパクさせて何かを訴えている。


(なに?もう…。)


立ち上がって指されていた方向を見る。


眠気は一気にどこかへ飛んでいった。


木の影の向こう、木や、茂みじゃ隠しきれない程の巨体が私たちの方へと近づいて来ていた。

2本の大きな角、大木のような脚。

そして、蛇の様な瞳孔の細い眼が私達を捉える。そいつは、口を大きく開けて、その凶悪な牙を覗かせた。


「ガァァァァオオオオオ!!!!」


巨体が吠える。空気がビリビリと振動する。

その咆哮は周囲の大木や地面を大きく揺らした。



「ベヒモス」


この森の生態系で頂点に立つ獣王。

森に入ることが度胸試しと言われる本当の理由で、その存在すら怪しいといわれていた獣。


当然だ。 こんなもの、見れて生きて帰れるはずが無い。


状況が一気に変化した。

耐えきれない恐怖が一瞬で身体を駆け巡る。

立ち上がれない。 足に力が入らない。

身体が震える。

目を逸らしちゃダメだ。音をたてちゃダメだ。

睨まれている今この瞬間が、音の無い静寂の時間が永遠の様にも感じられた。


(あっ……。)


震えていた手からリボルバーが滑り落ちる。


ドサッと草の上で音をたてた。

それを合図に止まっていた時間が動きはじめた。


「グガァァァァァァァァァア!!!」


大木のような前脚が私に振り下ろされる。

その酷く尖った爪が目の前まで迫ってくるのが分かった。


変わりようのない死の運命が私を襲う。


「お姉ちゃん!!!!!」


突き飛ばされる。予想していたよりも軽い力で。そして、目の前にアルが飛び込んできた。

振り下ろされたベヒモスの爪がアルの背中を掠めたのが分かった。

背中から大量の血が噴き出す。

そのまま抱き合った姿勢のまま二人とも地面に放り投げられた。


私はすぐに起き上がった。

身体のあっちこっちが痛むが今はそんなこと大した問題じゃない。


「アル!?アル!! 大丈夫!!?」


倒れているアルの背中からはドクドクと血が流れ出ている。

アルの傷は、爪が掠めただけの筈なのに相当深かった。


(馬鹿!!何で…。臆病なのにこんな時だけ!)


言葉にならない。

気づけば私の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。

死が迫った恐怖が、助かった安堵が、私を庇ったせいで傷ついたアルの事が私に涙をこぼさせた。


本当は知っていた。


臆病なのは私の方だ。

アルが来てからずっと怯えていた。

私だけ捨てられて1人になるんじゃないかって。

父さんと仲良くするアルを見て、リズさんに甘えるアルを見て、本当は私は要らないんじゃないかって、ずっと怯えていた。

小さな嫉妬心でアルを虐めて、両親の気を引くためにいたずらも沢山した。

最低だ…、私は。


《アルはお前より小さいんだから、守ってあげろよ。》


父さんの言葉を思い出す。 守るどころか、命の危険まで晒してる。


「ごめん…。ごめんね、アル。 私のせいで…こんな…。」


涙が止まらない。頬から流れる雫がアルの肌を伝う。


「お姉ちゃん…逃げて…。」


囁くような声が聞こえた。


「アル!?アル!! 意識あるの!? ねぇ!」


返事はない。ただ浅い呼吸が繰り返されている。


(……守らなきゃ。)


今度は私が、アルを。

アルはまだ生きている。 なら助けないと!

小さな希望が私に大きな闘争心を抱かせた。


幸いな事につき飛ばされた場所は茂みの奥でベヒモスの死角だった。今はまだ追ってこない。 ただ、今の状況じゃ見つかるのは時間の問題だった。


家に帰るには、どうしてもベヒモスがいる道を通らなければならない。

怪我をしているアルを連れてじゃ、どう考えても逃げきれない。


残された答えは1つだった。


《ベヒモスを倒す。》


それだけが二人とも助かる唯一の道。

……やる。やってやる!

それでアルが助かるのなら。

今の私は何だって出来る気がした。


「アル、少しだけ待ってて。 お姉ちゃん、アイツを倒してくる。」


耳元でそう呟いて、立ち上がる。

大丈夫。もう震えてない。


私は巨大な獣の王に挑むため茂みを飛び出した。

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