第2話 逃げ惑う森の中で


「もう目を開けても大丈夫だよ。」


走り出して少し経った頃、声がそう告げた。

目を開けると、辺りは一面木に囲まれていた。


どうやら僕らは、街の外に広がる森を走っているらしい。

後ろを振り返るとさっきまで僕がいた正門が少し遠くに見えた。


「危なかったね…。間に合って良かったよ…。」


すごく心配したんだから!と少し怒りながら彼女が言う。

顔は前を向いていてよく見えない。

彼女と僕、お互いに走りながら、彼女の後ろ姿だけが僕の目に映った。


その艶やかな長い黒髪に、より紅く染まった夕日が反射して綺麗になびく。


(僕はこの人を知っている?)


何となくそんな感じがした。

何処かで彼女と会って話している。

けど、思い出せない。

思い出そうとすると霞がかかったように頭の中がモヤっと何かに覆われる。


……そういえば、爆発前のことも。

いや、それより前のことも思い出せない。

あれ…、ちょっと待って、僕は…誰だ…?



「ちょっと道から外れるからね。」


そう告げて彼女は道の無い獣道へと入っていく。

手を繋がれてるので僕もそのまま後を追った。

どうやら、今までは目を閉じていた僕が躓かないように道がある所を走ってくれていたらしい。

本来は、こちらの方が街から離れるのには近道なんだと思う。

前すら見えない草木の覆った道を彼女は自分の庭のように迷いなく走っていた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



頭を打ったせいなのか、どうやら僕は記憶を失っているらしい。

不思議と焦りは感じないが、それでも僕が誰なのか、どうして逃げなきゃいけなくなったのかを知りたい。


おそらく彼女は僕を知っている。


「あの…、」


「ごめん、アル。 ちょっと急いでる。 後でいい?」


…余裕がないみたいだ。

周りを警戒しながら、この道が安全かどうか確かめている。

ただ、今のやり取りだけでも、1つ分かった。

僕は「アル」と呼ばれているらしい。


ここから先は後から聞くことにした。




それからは会話も無いまま森を走った。


時折、警戒するように周りを見渡しながら慎重に、それでもなるべく速く進んでいく。

気付けば、もう振り返っても街は見えなくなっていた。


視界を遮る茂みや、時折体に刺さる枝がとてつもなく邪魔で進みづらい。

気を抜くと、木の根っこに躓いて転びそうになる。

それでも街からかなりの距離を走った。

お互いに息があがり、これ以上走り続けるのは限界になった頃、


「少し、休憩しようか。」


彼女がそう言った。

そのまま近くの木へと座り込む。

深く肩で息をしていて、疲れているのが伝わる。


そういう僕も限界だ。

足はガクガクで、今止まってしまったらもう立てないような気がした。


(でも、もう…無理。)


近くの木へと倒れ込む。


「はぁ、はぁ、はぁ。」


彼女と同じく肩で息をする。 つばを飲み込むとだいぶ楽になった。

さっきまで感じていた恐怖は既に無くなっていて、いつのまにか身体の震えも治まっていた。



「さっきはごめんね。 何か聞きたいことあった?」


木の根に座りながら、彼女が笑顔で語りかけてきた。

休みはじめてから少ししか経っていないのに…もう息切れすらしていない。

凄いタフだ。あんなに走って動いたのに…。

一体、どんな体力をしてるんだろう…。


「ええ!? てか、頭!! 血!血が出てる!!!」


僕の頭から流れる血を見て、表情が笑顔から驚きへと変わる。

そのまま凄い勢いで顔が近づいてくる。

彼女は肩に掛けていた鞄から、消毒液とガーゼを取り出して液をガーゼにかけた。



(気づかなかった…。)


どうやら、吹き飛ばされた時の傷がまた開いたらしい。頭に手をやると、まだ新しい血が僕の手を赤く染めていた。


「頭の怪我は怖いんだよ? しっかり消毒しないと!」


彼女が顔を頭の傷に近づけて怪我の程度を確認しながら消毒をはじめる。


(ち、近いな…。)


顔を上げればお互い肌が触れ合うそんな位置にいる。消毒液から漂うアルコールの匂いに混ざって、彼女から何か甘い良い匂いが漂ってきた。


何んだかよく分からない緊張が僕を襲う。ドクドクと僕の心臓が激しく脈を打った。


「よし、これで大丈夫!」


そう言って、彼女は最後に傷を少しつついてどこかで聞いたことがあるような呪(まじな)いを唱えた。


「痛いのは消えたでしょ?」


「えっと…うん。 ありがとう。」


顔を上げる。

すぐそばに彼女の顔があった。

視線が絡まる。


思えばこの時、僕は初めて彼女の顔をちゃんと見た気がする。

素直に綺麗だなと思った。

真っ更な乳白色の肌に整った顔立ちに、ふたつの大きな紫水色の瞳がまっすぐに僕を見つめていた。


そのまま、時間が止まったように彼女を見つめる。


「アル?? どうしたの? 何か私の顔についてる?」


「え!? いや、何も!」


急いで、視線を彼女から外した。


(やばい、やばい。みとれてしまっていた。)


外に聞こえてしまうのでは?と思うくらい更に心臓の鼓動が早く大きくなる。


そういえば、この人と手を繋いでたんだよな…。

あぁ、ダメだ!ダメだ!

このままじゃ緊張して話しすら出来ない!


1度大きく深呼吸して、心を落ち着かせる。


そんな僕を、彼女は不思議そうに首を傾げながら見ていた。


何か上手い具合に僕の事、彼女が誰なのかを聞こうと思ったが、緊張のせいで僕にも大分余裕が無い。

考えていたはずの言葉は消え去り、思いついたままの言葉がそのまま口に出てしまう。



「あの、君は誰? 僕を知ってるんですか?」



…空気が凍った。そんな気がした。



彼女は微笑んだまま固まっている。


沈黙。

その数秒の沈黙が僕にはやけに長く感じた。


「えっ? ごめん。よく分からなかった。もう一回言ってもらっていい?」


固まった笑顔のまま彼女が尋ねる。


「いや、えっと…君は誰なのかなー?って思って…。」


何か不味いことを聞いた?そんな感じがしてきた。

彼女の表情は笑顔のままだが、もう目が笑っていない。


「嘘でしょ…そんな、まさか…アル?本当に分からないの?」


悪い冗談はやめてよ!と彼女の目が訴えてる。

頷く。残念だけど本当に覚えてない。


「……………。」


笑顔が消え、今度は戸惑いと焦燥が表情に現れた。


…以外に事は深刻らしい。


「アル…あなたは、」


更に少しの沈黙の後、彼女が口を開いた。その声はどういうわけか少し震えて上擦っていた。


刹那、ダンッ!ダンッ!ダンッ!と短い銃声。

言葉の先は、背後から聞こえてきた銃声にかき消される。


「もう!? 早すぎる!!」


どうやら、すぐそこまで追っ手が迫って来ているらしい。


だいぶ街から離れていると思っていたが、やつらも必死に僕らを追いかけていたみたいだ。1人も逃がさない。そんな執念すら感じる。


「ごめん!話は後から!! 逃げるよ!」


再び腕を掴まれ、立ち上がる。


その瞬間だった。


ポーンっと、ひとつの丸い物体が、空から降ってきた。

黒いパイナップルの様なその物体は何度かバウンドして、ちょうど僕の前で止まる。


僕はコレを知っている。

さっき飛んできた視界や聴覚を奪ったやつとは違う。

これは明らかに命を奪う。


あっ、死んだ…。これは、もう無理だ。

目を閉じる。


「アル!!!!!」

声と共に突き飛ばされた。

強い衝撃でそのまま横へと吹き飛ばされた。


爆発。


凄まじい音と共に、また吹き飛ばされる。

細かい小さな金属片が身体に切り傷を刻んだ。


「うっ…!」


ドンと背中から地面に着地。その衝撃に一瞬息が止まる。


「痛ぁ……。」


ものすごい衝撃と爆風で、もといた位置からは大分遠い位置まで飛ばされた。


それでも、すぐに起き上がる。

大丈夫。傷は全部浅い。 腕も足もちゃんとある。

僕は生きている。


突き飛ばされたおかげで直撃は避けられたみたいだった。

また、彼女に命を救われた。


(そういえば、彼女は?)


飛ばされた方を見る。近くに彼女の姿は無かった。


「…!?」


ハッとなって周囲を見渡す。僕が突き飛ばされた後、すぐに爆発した。なら彼女は爆発に巻き込まれてる可能性が高い。


「そんなっ…。」


嫌な予感が頭をよぎった。爆発した付近には彼女の姿は無い。

急いで辺りを探し回る。



「アル…?」


右の茂みの奥。彼女の声がした。


(良かった…無事だったんだ。)


ホッと胸を撫でおろす。

どうやら、上手く爆発を避けられたらしい。

お礼を言わないと。2度も命を救ってもらった。


声のした茂みへと駆け寄る。





彼女は真っ赤に染まった地面の上で倒れいた。

全身傷だらけの状態で、特にお腹の辺りは鮮血で真っ赤に染めあげられていた。




「へへ…ごめん。しくじっちゃった。」


彼女が弱々しく笑った。



声がでない。 頭が真っ白になっていく。


僕のせいだ。


僕のせいで彼女が…。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


頭の中で単語が永遠に繰り返される。

立ち止まったまま、目の前が真っ白になっていく。


「…ル、アル…、アル!…アルバート!!」


ビクッとなって現実に戻された。


「しっかりして。 私は大丈夫だから。」


大丈夫って…。今もまだ彼女の腹部から大量の血が流れ出ている。

そうだ、止血。止血しないと!

確か、彼女の鞄にガーゼがあったはずだ。

どこだ?鞄!? 鞄!!


近くの草むらの上、鞄らしきものが火を上げて燃えていた。

中に入っていた消毒液が引火したのだろう。

周りにはアルコール臭が漂っている。

再びの絶望。ついでどうしようもない無力感が襲いかかってくる。


あぁ…くそ。 僕は何も出来ない。

全部、僕のせいなのに。


「ごめん…僕のせいで…君が…」


しゃくりあげて何度も言葉途切れる。

どうしようもない僕は泣くことしかできなかった。

泣く資格すら無いのは分かってる。それでも涙は止まらない。僕さえいなければ彼女は怪我せずにいれた。街から無事に逃げられた。それなのに…。


「ううん。アルのせいじゃないよ。 私が勝手に怪我しただけ。」


気にすることなんてない。そう言って微笑んだ。

その笑顔も先程とは違って弱々しい。

苦しそうに無理に作った笑顔。

痛みで彼女の表情が歪む。


はぁーっと彼女が一度大きく息を吐いた。


「ごめんね、アル。私は先に行けそうにないや。 そこの茂み分かる? そこを、まっすぐ進めば小さな小屋があるから…そこに行けば、きっと誰かが助けてくれるはず。」


何か決心したように、諭すように話した。

さぁ、行って。そっちの茂みだよ。指を指して方向を示す。


僕は思いっきり首を横にふった。

嫌だ。 行きたくない。置いてなんて行けない。

そんな僕を見て彼女は困った様な泣きそうな、嬉しそうなそんな複雑な表情を浮かべる。


「アル…。お願いだから言う事を聞いて。ここはもう、危ないんだよ?」


何度も、何度も彼女に促されるが、その度に首を大きく横にふる。


「もう…しょうがないなぁ。昔から泣き虫のくせに頑固なんだから。」


知らない。僕は覚えてない。

僕は君を助けたい。ただそれだけだ。


「じゃあ、こうしよう。アル、貴方が助けを呼んできて。それまで待ってるから。」


どっちにしろ私は動けないからとおどける。

なるべく早くお願いねとも。


そうか、その手があった。

頷く。でも、あまり時間はない。急がなければ。

涙を拭って、立ち上がる。


「アル、少しの間だけ手握って?」


不安そうに、でもどこか甘えるように彼女がそう呟いた。

両手を伸ばして彼女の手を包み込む。

握った手は、冷たく震えていた。

彼女は包み込んでいた僕の手に自分の手を絡ませて何かを小さく唱えた。

チリっと頭の中で何かが熱く燃えはじめる。


「すぐに戻ってくるから!!ちゃんと戻ってくるから!」


「うん。待ってるね。」


そう言って、もう一度彼女は微笑んだ。

駆け出す。後ろは振り返らない。

なるべく速く、急いで戻って来ないと。

無我夢中で走った。

ただ前に、前にと進んでいく。


なぜか、その最中も頭の中で何かが燃えているような違和感が続いていた。


小屋へはすぐに着いた気がする。

いや、実際はかなりの距離を走ったのだが、その距離さえも一瞬のように感じた。

そのくらい僕は急いでいた。


小屋の前に人影を見つける。

僕は相手が誰なのか、敵なのか味方なのかも確認せずに全速力で近づいてしがみついた。


「助けて!! お願い!!助けてください!!」


叫ぶ。ありったけの声で。残された力で。

繰り返し、繰り返し叫ぶ。

何かを言われてるが、頭の中に入って来ない。

とにかく必死だった。


「落ち着けって言ってんの!!分かる!?」


相手に思いっきり引き剥がされて、そのまま地面へと倒れる。

それでも繰り返し助けを求めた。


「助けるって…誰を??家族は? あんたの家族は何処にいるの?」


首を横にふる。分からない。


「顔を上げな。俯いてちゃ何も分からない。顔を上げて私を見な。」


彼女を見る。顔を上げた先、彼女の瑠璃色の瞳に僕が映った。


「あんた……もしかして、アルバート?」


そう呟いた彼女はたぶん驚いた表情をしていた。その彼女から微かなアルコールと甘い匂いがする。

その瞬間、頭の中が一気に燃え上がった。

消えていく。何もかもが、燃えていく。


「あ…、あぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」


熱い。頭の中が熱い。

頭を抱えて悶える。


「おい!しっかりしな!大丈夫!?」


両肩を掴まれ、揺さぶられる。

瑠璃色の瞳が僕を見つめていた。


視線が繋がる。


どこか懐かしい感じのする瞳だ。

いつも僕を見守ってくれていた優しい瞳にそっくりだった。

あぁ…そうか、


「……かあさん?」


彼女の目が驚愕で見開くのが分かった。

意識が暗転する。

僕は目の前が真っ暗になった。

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