本来過ごす時間は

 ……恐らく彼が躓いたであろう直径4〜5cmほどの地面に埋め込まれた小さな鉄柱を睨みながら、わざとらしくそれを避けて歩き、父に抱えるだけ抱えてきた薪を渡した。そして今度は焼却炉付近にたまった鉄屑やすすを熊手のような道具でかき集め、袋に詰めてはダストシュートへ小走りで向かい、捨てる。

 そんな単調な毎日だったが、気が付けばお腹が空き、昼前になっている。キトリは汗を拭いて手を洗い、部屋に戻る。それから少しした丁度良い頃に母が帰ってくるのだ。

 ガコン。ガシャン。ガチャ。目が痛くなるくらいの赤い光が部屋に差し込む。キトリはというと、今日はドア先からは死角となるトイレのドア裏に隠れてその様子を見ていた。母が手際よく開けた鍵と似た作りの内側のそれらを閉め、大きなカンテラに火を灯した。


『ただいま、……キトリ?』

 毎回毎回隠れ場所の違うキトリをいつも探し当てられない母は、キトリを見つけようと、きょろきょろと見回す。そんな母を見てキトリはわざと音を出したりして見つけさせるのがいつものパターンだった。

 母は見つけたキトリに対して小さくため息を付きながらも笑顔になる。それからテーブルに布袋を置き、新たに満たされた使い古した大きな牛乳ビンや、細長くて大きいパンを取り出していった。

 ……思い出したように母は、きっ、とキトリを見た。その視線はさっきの笑顔とは全く別物の『戒め』の視線だったが、ほんの数瞬の間にいつもの母の顔に戻った。

「おかえり、お母さん」

 大丈夫、言いつけは守っている。そう思われたんだと思ってキトリはホッとした。

 大きな牛乳ビンを抱え、氷の入った大きな収納箱へと向かう。チャ、チャ、チャ、とガラスとひだりてがリズム良くぶつかり合う音がした。


 母が帰ってきてからは、キトリは文字通り何もしない。少しだけパンをかじる程度で昼食を終え、廃材置き場に戻って昼寝をしたり、一通り文字は読めるがそれでも意味など解るはずも無い本をパラパラと開いたり、ただ木枠から漏れる光の軌道の変化をじっと見つめているだけで1日が過ぎる事もあった。

父は昼ご飯を食べに戻らないことがほとんどで、母が軽く用意したものを届ければ製鉄場からは日が暮れるまで戻ってくる事は無かったため、拍車をかけて時間を持て余す事が多かった。

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