父と僕
『いい、キトリ。出かけてくるけど、誰にも姿を見せてはいけない。何があっても喋ってはいけない。大きな物音は立ててはいけない。絶対に外に出てはいけない。いいわね』
手短に朝食を済ませた母が、スカーフを羽織りながら小声で僕を言葉で刺した。毎日、一言一句違わぬキトリへの『令』が、今日も母の口から放たれる。ズッと背中が重たくなるのを感じていた。
僕は家の都合でとても育てる事が出来ない理由で年端も行かぬ頃に養子に出された、近隣の人たちに対してはそうなっているそうだ。苦渋の決断を装い、同情し優しく接してくれる周りの人々を騙すのは心苦しいと言っていたが、それらもまた全てこの左手の持つ運命のせいだった。この家に住んでいる事が絶対に他に知られぬよう生活することが僕の生きる、という事になった。
特別なことが無い限り閉め切られた戸や窓は無造作に目張りが施されていた。
「うん、大丈夫。いってらっしゃい」
そう小声で答えるのが精一杯だった。母は配給の牛乳を取りに朝から出かけるのだ。
きぃ、とドアが閉まり、ガチャ、ガシャン、ガゴン。と三重のロックが次々と掛けられていく音がする。製鉄場の一部を部屋としたため家のそれとはかけ離れた物騒なまでに厳重な玄関も、その改築そのものも、全てはキトリを守るための事だった。製鉄機械の騒音の中でも、何故かその音だけは毎回貫くようにキトリの耳にを刺激する。キトリはすっと心を静め、鉄板をノックするような甲高い母の足音を辿った。少しずつ遠ざかり、やがて聞こえなくなったのを確認して大きく安堵のため息をついた。
父が朝食を済ませ立ち上がる。キトリは慌てて自分と父の皿を流し台に運び、製鉄場へ向かう父の背中を追って走った。
重たいドアをぎぃぃ、と開け、既に火を熾し始めていた父の傍に駆け寄った。
キトリの父は鉄を加工してパイプやドアなどを作っている。母は製鉄場へ行く事も許さないとキトリに『令』を出してはいるが、父もそれを知っていながら、付いて来ては薪を足したり鉄屑をかき集めてダストシュートに投げ込む作業を手伝うキトリに対して何かを言う事は無かった。さもそこにいるが当然の如く、作業が一区切り付く度にキトリの姿を見るくらいだった。
――母がキトリを製鉄場に行かせないとする理由は、父の右腕の斬傷痕にある。
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