第三章:異邦人
ドアの外に出ると、日差しは眩しいのにひやりと乾いた空気に肌が粟立った。
同時に時刻としては今もまだ朝で、ここも海沿いの町なのだと察せられる。
案外、近かったけど、その代わり、持ってきた金で切符代は十分、間に合うはずだ。
スマホで検索すれば、終点までの時間も料金もすぐ分かったけれど、電源をオンにした瞬間、母さんや兄ちゃん、そして、あの人たちとも繋がってしまうから使えない。
昨日、あの人たちに呼び出された時にはスマホを家の充電器に挿したまま出てきたから(ひっきりなしに掛かってくる上に、コール二回以内に取らないと会った時に『なめてるから出ねえんだろ』と蹴りを入れられるので取らずにいられなかったし、こちらから切ることは許されないので、バッテリーはすぐ『要充電』になった)、川に突き落とされても故障は免れた。
でも、もう電源を入れてあの人たちからの着信履歴を画面に見るのが怖い。
ホームの階段を上りきったところで、銀色に光るゴミ箱が目に入った。
コートのポケットの中でスマホを握り締める。
いっそ、捨てていこうか。
もう、これっきり使うこともないんだから。
掌に接した液晶の画面が汗でぬめる。
清掃員のおじさんがやって来て、ゴミ箱の中身を回収し始めた。
粛々とした面持ちと動作を眺めていると、「今は何も捨てるな」と無言で発しているように思えてくる。
清掃員が立ち上がって次の回収先に移動し始めるのと同時に、少年も歩き出す。
やっぱり、やめた。
これ、多分、ゴミの分別上、ここで捨てちゃいけないものだろうし。
それに、死んだ後でも、スマホから身元が分かって家に連絡が行った方がいいはずだ。
――お宅の息子さんが、山中で遺体で発見されました。
他の人から殺されるより、自分の好きで勝手に死んだ方が、母さんにとっても、まだ救われるだろうか。
もう毎日の食費も学費も俺の分は出て行かずに済むから、その分を兄ちゃんに回せば大学にも行けるだろうし、そう悪いことばかりでもない。
俺はもう、あの人たちの命令で一ヶ月も学校に行ってないから、生きてたって落ちこぼれ確定だし、英数なんて、今から学校に出ても、もう分からないだろうな。もともとどっちも得意じゃなかったけど。
直近の駅までの料金で買った切符を機械に差し込む。
表示された乗り越し料金は、思いの
取りあえずは、遠くまで来られたということなのだろう。
それとなく前後を見回して、見知った顔がないのにほっとする。
今まで来たこともなければ、電車に飛び乗るまで行こうとも思わなかった場所だから、あの人たちも見当がつかないはずだ。
そう思いつつ、改札を出た足をとにかく急がせる。
都会の駅ってどこも似たような作りだなあ。
改札を出た後も迷路みたいに続いていて、どこまでが駅でどこからが外なのかさっぱり分からない。
埃っぽくてセメント臭い匂いがして、皆が急ぎ足で歩いてる所も一緒。
俺、どこに行こうとしてんだろ?
人の多い方を選んで足を向かわせながら、少年はふと目線を少し上げる。
取りあえず、明るい方の出口から出て、人目に付かない場所を探そう。
今しがた出てきた改札の向こうから響いてきた発車のサイレンを背中に聞きながら、少年は陽の光の漏れている出口へと小走りに向かった。
街へは出たが、ここについては何も知らない。
駅前のロータリーに入れ替わり立ち代わり現れる路線バスやタクシーの排気を避けるようにして少年は迷い歩く。
眼前には駅前特有の繁華街が広がっていて、その奥に青々とした山、というより小高い丘が認められた。
あそこの山に行って、人目に付かない場所に入って、首を括ろう。
方向が決まると、歩調が自ずと速くなった。
周囲を車が通り抜ける音やクラクション、排ガス臭い空気が少年の中で一気に遠くなる。
陽も差さない薄暗い木立の中で、大きな木の枝に綱引きで使うようなロープを掛けてぶら下がっている自分の死体を思い浮かべた。
左目に黒い痣が出来たまま、固く眼を閉じて、蒼ざめて、誰の目にも触れずに冷たく硬直していくのだろうか。
忘れていた左目の痛みがじんわり蘇る。
いや、首吊りは穴という穴から中身が出て酷いことになるらしいから、実際は下も漏らすだろうし、顔も目玉が飛び出したりしてもっとグロい形相になるんだろうな。
後ろからやってきた自転車がベルを鳴らしながらすぐ脇を通り抜けて行く。
「グロ画像」「閲覧注意」という断り書きを付けられてネットに晒し上げられている自分の遺体写真がちらと頭を過ぎった。
追い越していった自転車と白髪頭に帽子を被ったお爺さんらしき乗り手の陰が視野の中で小さくなって、急に角を曲がって消えた。
別にいいや。
自分の死体なんて見る機会は永久にないし。
少しでも痛くない方法で死ねればそれでいい。
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