第四章:欲しいものは間に合わせ
歩いていく先にコンビニエンスストアが見えてきた。
あそこで、ロープを買おう。
「いらっしゃいませ」
思わずびくりと足を止めると、相手も笑顔のまま目だけが怪訝な表情になる。
「いかがされましたか?」
八重歯がちょっと小さいから、別人だ。
よく見ると、そこまで極端な茶髪でもないし。
ほっとして少年は首を横に振る。
「大丈夫です」
この店員さん、昨日、あの人が連れてきた、鑑別所で一緒だったという男にそっくりだ。
髪は根元から赤茶色に染めていたが、平べったい顔に切り裂いたように細く吊り上った目と紫じみた小さな薄い唇をしていた。
背丈は俺と大差ないし、薄べったい貧弱な体つきで、時たまボソボソと低い声で話す以外はむしろ無口で、常に含み笑いしたような顔つきでいる。
にも関わらず、接していて寒気のするようなものがあった。
――チビちゃん一人消したって、俺らが吊るされることはないんだよ。
川に突き落とされた俺を見下ろしても、あの男は変わらず薄笑いした顔つきでボソボソと語った。
――それが、この国の法律なんだ。
もがきながら流されていく俺を見ながら、あの男はどうということもない様子でタバコに火を点けて煙を吐き出していた。
世の中には、平熱で冷静に狂っている人間も存在する。
おでんと揚げ物の混ざったコンビニエンスストア特有のどこか甘い匂いの漂う中、元通り棚に商品を補充し始めた店員から極力遠ざかるようにして、店の奥に進んだ。
どこのコンビニも窓際に雑誌を置いて、奥は全体に飲み物用の冷蔵棚になっている。
ロープは、たぶん、工具の棚だな。
ハサミのぶら下がっているコーナーに目星を付けて行ってみる。
あれ?
少年は中腰で足元の陳列棚を覗いた体勢のまま、たじろぐ。
ロープや紐に分類されるものというと、引越しの荷物まとめ用のビニールテープか、紙で出来た「紐」というより「糸」みたいな細いのしかないな。
「すいません」
「はい?」
どうやら陳列を終えレジに向かおうとしていたらしい店員が振り向く。
この人、苦手なんだけど、平日の昼だから、一人しかバイトいないのかな。
「あの、ロープってどこにありますか?」
極力無邪気に見えるように笑顔を作って、ハキハキした声を出す。
「ロープ、ですか?」
そんな初めて聞いた外国語みたいな顔しないでよ。
「ほら、綱引きで使う、みたいな」
斜め下に引っ張る動作をしてから、少年は急に左目に鈍い痛みが復すのを感じた。
これじゃ綱引きじゃなくて、井戸汲みだ。
「やっぱりいいです、すいません」
少年は店員の目から隠れるように商品棚の前に屈み込む。
あの店員さんからすれば、「目に青タン作ったガキが変なことを聞く」と思ってるんだろうな。
コンビニで売ってるのは、家の中で安全に使うシチュエーションしか想定していないものなんだから。
首吊りに使うようなロープだの、肉切り包丁みたいなカッターだの、禍々しい用途に適したものは行き当たりばったりで簡単に手に入るものじゃないんだろう。
仕方ないから、このビニールテープで代用しよう。
重ねて巻けば、切れることもないだろう。
ついでにハサミも買っていこう。
他には何がいるかな?
すぐ近くに文具類が並んでいた。
そうだ。
母さんたちへの書き置きのために、ノートとペンを買おう。
大きいノートは持ってくのにがさばるから、このA6の手帳サイズでいいや。
どうせ、この全部も書かないだろうし。
ビニールテープとハサミで手が塞がってしまっているので、買い物籠を使うことにした。
全部入れてしまうと、籠の中は妙にガラ空きの印象になった。
もう、買うものはないだろうか。
少年は籠を片手に下げたまま、店内をぶらつく。
死ぬにはもうこれで十分のはずだと思いつつ、まだどこかに見落としが残っている気がした。
隣は菓子のコーナーだ。
そういえば、昨日の夜から何も食べていなかった。
そう思い当たると、店に漂っていた甘い匂いが鼻孔を衝く。
さほど腹は減っていないけど、最後だから、何か好きなものを食べよう。
残金にはまだ余裕があるし。
買いたいというより、むしろ買わなくてはいけない気持ちで少年は菓子の並ぶ一角に足を踏み込んだ。
どれにしよう?
敢えて一つ選ぼうとすると難しい。
二つ以上買っても良いわけだが、そうすると、もっと選定が難しくなる気がした。
ポテトチップスにしようかな?
袋のサイズからして、荷物がちょっとがさばる気がする。
それにスナック系は食べた後に指先が脂っぽくなるから、それでビニールテープが扱いづらくなると困る。
首を吊る用意を目の前にしてから食べるのは、絞首刑前の死刑囚みたいで気持ち悪いし。
飴はどうだろう?
これも一袋全部舐めきるには時間がかかるし、一度にそれをやると口の中が痛くなる気がする。
何よりも全部食べ終わる前に飽きて嫌になりそうだ。
板チョコレートの列が目に留まる。
そうだ、板チョコなら手も汚さずに食べられるし、一枚食べ切るのに時間もそこまで懸からない。
今まで母さんや兄ちゃんと分けるだけで、一枚全部を自分で食べたことがなかった。
太るし、虫歯になるからと、母さんはいつも多くて二列分しか食べさせてくれなかった。
どうせ最後なのだから、板チョコ一枚、全部食べ切ってから死のう。
死ねば、もう太る心配も虫歯の痛みもない。
焦げ茶色の包装紙に金色のロゴが入ったミルクチョコレートが加わると、籠の中が急に華やいだ気がした。
これで十分だ。
レジに行こうと向き直ると、そこに立っていた店員の視線にぶつかった。
この人、ずっと俺のこと、見てたみたいだ。
「お会計ですか?」
相手は不安げだった表情からふっと取り繕うように業務的な笑いを浮かべた。
「はい」
釣り込まれてこちらも自ずと笑顔を作るのを感じる。
そうすると、また左目の痣が痛んだ。
「学校でいじめられて万引きを命じられている中学生」とでもこの店員さんは思ったのかもしれない。
俺の顔見りゃ、誰でもそう思うだろうな。
大丈夫だよ、ここでは普通に商品を買っていくだけだから。
外は寒いから、ついでにこのあったかいお茶も買っていこう。
レジのすぐ脇の棚から緑茶のペットボトルを一本取り出して、籠と一緒にレジ台に置く。
「お願いします」
「温かいものは別になさいますか?」
バーコードリーダーを手にした店員が表情と同じ業務的な口調で尋ねる。
「はい」
そうだ、チョコレートは溶けやすいんだった。
会計を終えると、財布の残金にはまだお札があった。
もう一度、電車に乗って帰れなくはない額だ。
「ありがとうございました」
自動ドアの外に出て冷たい空気に晒される瞬間、背後から声が飛んだ。
最後まで普通に接してくれて、ありがとう。
振り返って中にいる店員と目を合わせる気にはならなかったが、そう伝えたかった。
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