第5話
夢も見ずにぐっすり眠ったせいか、翌朝の気分は久しぶりに爽快だった。
「30日か。大掃除でもするか」
午前中、普段掃除できない高い場所の窓や家の外壁を掃除した。昼食を終えると妻は「昨日買い忘れたものがあるから、ちょっと出掛けてくるわ」と言い、娘を連れて買い物へ出掛けた。
一人残った俺は手持ち無沙汰になり、仕方なく車でも洗おうと立ち上がった時、玄関のチャイムが鳴った。
「はい」
「お届け物です」
扉を開けると、小さな包みを持った宅配業者が立っていた。差し出された伝票にサインをして、それを受け取る。
「お歳暮にしちゃ小さいな」
差出人を見ると、水で滲んだのか文字が全く読めなくなっていた。訝しがりながらも包みを開け、中身を見た瞬間それが手元から滑り落ちた。
「なんで……これが……」
送られてきたのは、会社の机で使っていたカレンダーだった。
急いで庭に出て、届けられた包みごと火を点けてカレンダーを焼く。これは仕事納めの日に、部下に頼んで捨ててもらったはずなのに、何故ここに届けられたのか。
「なんなんだ、一体……」
9日前にカレンダーの丸印に気付き、それからおかしなことが起こっているような気がする。
職場のこのカレンダーにも赤い丸印が付けられ、次に忘年会の帰り道に足を滑らせ、そしてカレンダーにバツ印が付けられていた。昨日は女の声で変な電話がかかり、そして今日、捨てたはずのカレンダーが届けられた。これらの出来事に共通していること、それは――。
「亜希子……」
考えれば考えるほど、全ては亜希子との約束の日付、大晦日に繋がっているように思えてくる。
「まさか本当に……亜希子が……」
そんなはずはない。有り得ないと思いながらも「俺を……呼んでいるのか?」と、消えかけた火を見つめて呟いていた。
その夜も食欲が無く、夕飯が喉を通らない。
「まだ具合悪いの?」
「……ああ」
食べるのを止め、酒だけを飲む。ところでと、妻がカレンダーを見ながら聞いてきた。
「明日の丸印、何の予定か思い出したの?」
一瞬飛び上がりそうになったが、平静を装って答える。
「いや、分からない」
「どこかの女の子とデートの約束でもしてるんじゃないの?」
からかうような妻の声を聞いた時、我を忘れた。
「うるさい!」
気が付けば、妻の頬を平手打ちしていた。
「なっ、何よ! 何なのよ!」
「黙れ!」
大声で叫び、再びその腕を振り上げた。その時「私……知ってるのよ」と、その腕を見ながら冷ややかに妻が言った。
冷水を浴びせられたように血の気がサッと引く。
「なっ、何のことだ」
やり場のなくなった腕をゆっくりと下ろす。
「別に。明日が楽しみね」
冷たく言い放ち、娘の部屋へ入っていく。その背中が見えなくなっても、俺は動けなかった。
妻は、一体何を知っているというのか。まさか亜希子とのことを気付いていたのだろうか。しかし、たとえそうだとしても、今年一杯で離婚する約束は、俺と亜希子しか知らないことだ。カレンダーの印がそうだと知っている訳がない。そもそも、カレンダーの印がそうだとは限らない。カレンダー、大晦日、明日――亜希子。俺はがっくりと膝から崩れ落ちた。
眠れないまま夜が開け、31日を迎えた。
妻と顔を合わせたくないし、食欲もない。布団から出る気にもならず、ベッドに横になったままぼんやりとテレビを見る。司会のお笑いタレントが、やたらと「今年最後の――」と言っている。今年最後、今日が最後、今年一杯……繰り返し呟いていたら、昨夜眠れなかったせいか睡魔が襲ってくる。うつらうつらしていたら、夢を見た。
夢の中で、妻がカレンダーに赤い丸印をつけていた。
そのまま深い眠りに落ち、起きる間際にまた夢を見た。
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