第6話 愛玩以外の用途



 ぼんやりと人魚の瓶を見つめた。

 月光が差す窓辺に置かれた瓶の中、体長30センチほどの人魚は膝を抱えて海草にくるまって眠っている。

 自由に泳ぎ回るには元の瓶は狭く、膝を抱えていても少し窮屈そうに見えた。



――人魚の肉は不老不死の……


 不老不死。

 不死。


 ならば、ガンも治るだろうか?


――ソレはね、絶対にアンタに必要になるものなんだ。ありがたく受けとっときな。


 ……治るのだろうか。

 治るのなら、どれだけふっかけられてもかまわない。


 人魚の肉って、どうやって食べるんだろう?

 焼き魚? 煮魚? それとも刺身とか?

 食べ方を間違ったら、効果がなかったりするのだろうか?


 冷蔵庫の中に置きっぱなしになっていた缶チューハイを開け、スマホのブラウザを起動し「人魚の肉 食べる」で検索をかける。

 何万件もヒットし手当たり次第に開いていく。当たり前だが、有象無象の作り話しか出てこなくて苛立ちばかりが成長していく。


“人魚の肉に即効性はなく、たいていの人間は耐えられずに死ぬ”


 その文章を見た時、胸の奥底からの深い溜息が出た。ブラウザを閉じ、スマホをベッドに放り、缶チューハイに口をつけて煽ったが、一粒落ちてきただけだった。

 アルミ缶は簡単に潰せすぎて、苛立ちを紛らわせてもくれない。

 投げ捨てた缶は部屋中に溢れている洗濯物とゴミに紛れた。


 およそ、一月――夏姫が飯を作ってくれなくなったぶんを、コンビニの廃棄弁当で済ませるようになったほかは、いままでと同じように生活してきたつもりだった。掃除も洗濯もゴミ出しも、共同でそれなりにやってきたつもりだった。

 なのに、なぜだろう。

 部屋は散らかり放題、洗濯物もゴミも溜まる。



 再び、スマホを拾い上げる。

 相変わらず、電話には全く出ない。

 LINEを起動し、夏姫宛のメッセージを開く。


23:07『今日家に行って、話聞いたから』


 一時間以上前に送ったメッセージに、まだ既読がついていない。


『ちゃんと話せよ』


 苛立ち紛れに打ち込んだメッセージを送ることなく消して、息を吐く。


『なんでなにも言わずに出てくんだよ!』


 何度も何度も似たような言葉を入れては消して、結局なにも送らないまま、もう一度ブラウザに戻って「不老不死 人魚」で検索をかける。

 いくらネットの海を探しても、目につくのは無機質で無意味な文章の羅列ばかり。


“不死とは生ける地獄だ。死ぬことがなくとも痛みや苦しみは消えることはないのだから――”


「………………」


 検索ワードを「ガン」に変え、様々な闘病記を読み漁る。

 生々しい痛みとの戦い、抗ガン剤の副作用……時折満ちあふれる小さな希望、それよりもっと多いのは看病する側の疲弊と絶望。



 部屋の中と同じように散らかった頭の中で、これと同じことなんてできないと思う。思うけれど、じゃあ夏姫の父や母が言ったとおりに忘れてしまおう、忘れてしまいたいとは、思えなかった。夏姫は今も、病気と闘っているかもしれないのに。


(……量は、どのくらい要るんだろう?)


 ふらりと人魚のいる瓶に近づいてみる。

 人魚は小さいうえに、腕も足もひょろりとほそっこい。こいつに肉なんていえるものがどのくらいついているのかわからない。


(こんなに小さな稚魚でも、大丈夫か?)


 眺めた人魚の寝顔はやはり夏姫によく似ていて、ギリギリギリと胃が雑巾絞りされてるみたいだった。


 ふ、と。

 瓶の下に敷きっぱなしの《人魚の飼い方》の冊子が目につく。


 表紙の赤い文字の注意書きが、目に留まる。


《!注意! 本商品は愛玩用です。それ以外の用途には使用しないでください。》



「………っ。……どうすれば、いいんだよっ……!?」


 喉が灼けるように痛んで、声が震えていた。



 薄闇に、押し殺しきれないすすり泣きが静かに溶けて消える。


 ぺたり、と額になにかが張り付く感触がした。

 ぼんやりと顔を上げると、頬にぺたぺたと水掻きがついた小さな手のひらが何度も触れる。口をパクパクさせながら頬を撫でては大げさに腕を振って離すのを繰り返す。それは幼い子供に母親がいたいのいたいのとんでいけ~とやっている動きによく似ていた。


「……バカだなぁ……食べようかなって、考えてるのに……」


 つん、と人魚の頭に触れると、ほんのりと温かい。

 苦笑いを浮かべると、さっきまで泣き出しそうだった顔に、にへらっと笑みを浮かべ、嬉しそうに窮屈な瓶の中を泳ぎ回った。



――あなたの愛情で育ちます。

――瓶の中は人魚の世界ですので、成長に伴ってより広い世界を用意してあげましょう。



「今日の仕事帰りにもっと大きな水槽、買ってこようか?」


 口をついた言葉に、泳ぎ回っていた人魚は瓶の縁からぷかりと頭を出してふるふると首を振った。口元は笑みをつくっているけれど、眉は下がっている。


「どうして――?」


 首を捻った時だった。



 ぴこん♪



 くるりと首を回してみた室内は薄明るく、外ではスズメが鳴いて夜が明けていることを告げている。

 緑の光が点滅しているスマホは、LINEの通知音だったことを訴えている。


 手に取ると、そこに表示されていたのは「夏姫」の名前。それから、


『ごめん』06:18


 という短いメッセージだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る