第3話 少年
小屋の中は、意外にも、爽やかな風で潤っていた。埃っぽさは感じるか、決して不快ではない。寒さは感じなかった。ただ、彼女を取り巻く暗闇だけが、小屋の中を静かに隠している。静寂の中で、彼女は明かりを灯そうと動き出す。
「灯りが欲しい?」
後ろから甲高い声が聞こえて、少女はひっと声を上げた。そのまま、慌てて後ろを振り向く。
入り口のドアから、小さな人影がこちらを見つめていた。ただし逆光になっていて、その表情は伺えない。
「灯りが欲しいの?」
人影はもう一度言うと、戸をぱたんと閉めた。暗闇に戻ってしまった室内を見ながら、少女は囁く。
「……うん。暗いと、何も見えないもの」
「ふぅん、分かった。ちょっと待っててね」
素直に応じて、その気配が遠のいた。と同時にゆっくりと、ただし確実に、部屋の内部が炎で照らされていく。そして──息を飲んだ。
狭い小屋だというのに、天井から床まで、全て様々な人形で埋め尽くされていたのだ。ビスクドール、硝子人形、ブリキの人形、ありとあらゆる人形と名の付く全てが、この小屋の中で静かに眠っていた。時たま揺れる炎の灯りに、どことなく生きているような印象さえ受ける。
いや、と彼女は呟いた。生きている人形はいる。自分の目の前に。
少女の背丈より少々低い少年が、静かな青い瞳で、こちらを見つめ返している。白く透き通った肌と整った顔立ちは、そのまま人形を連想させた。生気を感じさせない。単に、無表情なだけなのかもしれないが。
神秘的な印象が漂う人形は、長く美しい睫を翳らせる。
「何かに追いかけられていたんだね……服がボロボロだよ」
「………」
嫌な事を思い出して、俯く。そして、足に広がっていた赤を思い出した。男たちは、どこに姿を消したのだろう。
こちらの心を読むように、少年は薄暗がりの中で、そっと笑いかけてきた。
「心配しないでもいいよ。ここは安全だ、誰も追いかけて来やしない……貴方が望む限り、ね」
その笑顔は、ひどく彼女を安心させた。同時に、不安にもさせた。自分でも気付かないまま、その言葉を口にする。
「君は……君は一体、誰なの? ここは、何処?」
「面白いね。ここに行き着いた人たちは、みんなそんなことを言うんだ」
彼は相変わらず笑って、ゆっくりと奥に進んだ。慌てて、その後を追いかける。やがて、さらに埃をかぶった部屋へと通される。そこにも、無数の人形が所狭しと鎮座していた。
ここには窓がついていて、外が見える。こびり付いた埃を拭って外を見ると、真っ白な銀世界が広がっていた。
そんな自分を眺めながら、彼は言う。
「僕は、Father Time……『時の翁』。時間軸を支配し、どこにでもいて、どこにもいない存在。世間一般では、翁なんて言われてるけどね。失礼なもんだよ、こんなに若いのにさ」
すらすらと、まるで冗談でも言うみたいに、彼──翁は言った。
時の翁。お年寄りが、片手に砂時計を持って立っている、時の神である。村の学校ではそんな風に習っていたのだが、あまりにもイメージと違いすぎて、彼女は戸惑うしかなかった。
しかし当の翁は、そんな彼女を楽しげに見つめ返すのみである。
「驚いた? こんな子供が、歴史から未来までの全てを、この手に握っているなんて。馬鹿馬鹿しいと思ったでしょ。ううん、いいんだ。そう思っていても、仕方ないしね」
次の瞬間、その笑みは静かに解け消えた。先ほどの無表情な仮面が、じわじわと彼の顔に覆われていく。
「でも、この光景は現実なんだ──雪も、人形も、君が潰した人形たちも」
「じゃあ、やっぱりあの人形は──」
「君が、望んだことなんだ」
こちらの声を遮って、彼は断言する。決して荒らげてはいないものの、その響きは、氷よりも冷たい心持ちがした。
「君が望んだことなんだよ。現実から逃げたいと思う全ての意志が、彼らを人形にさせ──そして、結果的に殺した。僕は、その手助けをしたに過ぎない」
透き通ったビスクドールを思い出す。血にまみれ、亀裂部分からはみ出していた臓物の束。それが、あの男たちの変わり果てた姿だったというのか?
段々と、言いようもない嘔吐感に襲われ、少女は顔をしかめた。
しかしそんな中でも、翁の顔が崩れる気配は無い──もう、微笑むこともないかもしれない。彼はただ、寂しげな目だけを人形たちに向けていた。窓からの光で、人形たちの姿はおぼろげだが、認識はできる。その中で一つだけ手に取り、翁はこちらを向いてきた。
「そんな絶望感、逃避感から、この次元の狭間に迷い込んできた者たちを、僕は導いて行く必要がある。ちょうど、今の君のようにね──フーニルキア」
自分の名前を呼ばれて、少女はぴくりと身体を震わせた。絶望感。逃避間。自分がずっと味わい続けてきた、苦い感覚だった。
運命は、味方してはくれない。
運命には、決して逆らえない。
逆らうために、罪を背負う力など無い。
自分は、無力でしかない。
絶望するしかない。
「さあ。君には、選択権がある。この小屋で人形になって、永遠の安らぎにつくか──それとも、もう一度時間を戻して、追いかけられるか。二つに一つだ」
審判の声が聞こえる。
決められなかった。決めることはできなかった。
だから、彼女は駆け出した。部屋の外へと。悲鳴を上げながら。
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