第2話 『親との思い出 家族との思い出』

 改めて扉を見てみると、片方は『和食』もう片方は『洋食』と書かれている。

 俺はどちらを選ぶだろう。朝はやっぱり和食が一番だ。御飯と味噌汁。漬物と焼き魚と欲を言えば山菜の天ぷらなんかを添えて出されたら、その日の仕事はオーバーワークしても耐え抜ける。

 だが、『誰か』はそれを予想しているかもしれない。もし片方にしか物が用意されてないとすれば、洋食の方だろう。

 俺は洋食の扉を開ける。

「ん?」

 洋食だ。

 スパゲティと、コッペパン。あとはスープだ。食器はマグカップとスプーンとフォークとバターナイフが見て取れる。

「てことは反対が?」

 戻り、和食の扉を開けようとするが、ドアノブが回らない。

 ロックされている。

「しまった!」


 おそらく、片方の扉を開けるともう片方はロックされてしまうのだろう。

 とそこまで考えてから、体中の血の気が引いていくような錯覚を覚える。

もう洋食の扉は閉まっている。ロックされていたら、ここに閉じ込められてしまう。

 俺は急いで反対側に走り扉を確認する。

「なんだ開いてるじゃん」

 俺は全身に安堵と倦怠感を覚える。

 つまり片方を開けた瞬間片方はロックされてしまう、とうことだろうか。

 この奇妙な部屋のルールはこうだ。最初の部屋以外の部屋には左右に扉が付いておりどちらかを選ぶとどちらかがロックされてしまう。部屋に入った瞬間扉自体がロックされる。部屋には扉に書いてある物が置いてある、または設置されており、その選択は俺にゆだねられている。

 俺は仕方なく洋食をむさぼりながら、どんどん次に進んでいくしかなかった。

 

 櫛、服、タバコ、ソファー、絨毯、靴、観賞用の熱帯魚。

 選択肢はほぼ無意味なものばかり、選ぶ価値すらなく適当に選択してしまう事すらあった。

 いくら進んだだろう。既に出社するという考えが無くなりかけていた頃である。

 次の部屋は『親との思い出』『家族との思い出』の二つだ。

 俺は迷うことなく家族との思い出を選んで進んだ。


 そこにはどこから集めたのか、どこかで撮ったことのあるような写真が床に散りばめられている。

 良く見ると手前から奥に向かう形で現在に近づいている。

 最初の一枚は大学の時、今の妻とちょっとした旅行に行ったところから始まっている。

 俺と妻が最初に出会ったのは友人のつてで、まだ高校生だった彼女とメールをしたことが始まりだった。

 高校生と付き合っていたなんて今考えると、ロリータコンプレックスの様にとられてしまうかもしれないが、俺達は二歳しか違わなかったから、気にしたことは無い。そんな俺達が最初にちょっとした旅行に行ったのが、奈良県の東大寺である。記憶に残っている物は少ないが、やはり奈良には神秘的なイメージが根強く残っている。

 当時の俺は彼女との将来を考えて付き合っていなかったためか、彼女の笑顔とは対照的に面倒くさそうな面持ちでピースしていた。

 俺は彼女と付き合う事を性欲のはけ口程度にしか思っていなかった。だが彼女は違ったらしい。高校を卒業すると、定職に就かずアルバイトと派遣でお金を貯めて、ことある毎に結婚資金だと見せびらかしてきた。今思うとそれが彼女の策略だったのかもしれない。実際俺は一人の人生を変えてしまったような錯覚すら覚え、大学を卒業し就職してから一年後彼女と結婚することとなる。


 俺は一枚の写真を手に取った。


 それは真っ白で無機質な壁と、無機質なベッドに彼女が座っていて、その横に俺が居る。二人の間には無機質な背景とは真逆の存在である、一つの命が零さないようしっかり握られていた。

 彼女は疲れているが笑顔で――。

――俺はと言うと、その何倍も笑顔で泣きじゃくった赤い目をしている。

 自分の弱さに馬鹿馬鹿しくて泣けてくるが、それでも幸せだったことに変わりは無い。

 それから十年もの月日が既に流れているのだ。

 見えない力に後押しをされ、必ずここを出てやると心に誓って立ち上がった。


 開ける。

 選ぶ。

 開ける。

 選ぶ。

 開ける。

 選ぶ。

 開ける。


 無情にもその一定の作業に大きな変化は訪れなかった。部屋の中に存在する物だけが変化する。しかし根本的に部屋から出られないと言う点は何も変化していない。

 もはや選ぶと言う行為そのものに意味は無くなっていた。有用な物が選択肢に入っていないのだから当然のことである。いつからか、部屋の中の物に一切触れなくなっていた。


 開ける。    開ける。    開ける。    開ける。    開ける。 

 開ける。    開ける。    開ける。    開ける。    開ける。

 開ける。    開ける。    開ける。    開ける。    開ける。

 開ける。    開ける。    開ける。    開ける。    開ける。

 開ける。    開ける。    開ける。    開ける。    開ける  

 開ける。    開ける。    開ける。    開ける。    開ける。

 開ける。

 開ける。

 開ける。

 開ける。


 俺のアルゴリズムは全て開けると言う一つの行為に組み替えられてしまっていた。ただただ開けて開けて開けて。思考など皆無である。開けると言う行為は俺の中でもはや無意識の物と成り代わっていた。

 もう何時間だろう。いくら選択肢があっても、時計と言う選択肢は未だ出てこない。ただ非常に喉が渇いている。そして腹も減っている。何度か仮眠を取った為、時間間隔は狂っているが、体感で二十時間は彷徨っている。

 俺はこの部屋が連綿する部屋の中で死んでしまうんじゃないか? 

 そんなこと何回も考えていた。

 唇がガサガサと乾燥する。口の中がべたついて吐き気がする。

 体中が痒い。

 足も痛い。いつだったか手に入れた靴はどこかの部屋で脱ぎ捨てた。

 こんな状況でも排泄欲は目一杯働くもので、何十個か前の部屋で用を足したりもした。紙が無いので、自分の服の一部を破り取って代用品にもした。

 風呂に入りたい。布団に入りたい。家に帰りたい。妻を抱きたい。子供を抱きしめたい。

 しかし選択肢は俺の欲を叶えてくれる優しい物などほとんど存在しない。

 開ける。

 家はどうなっているだろうか。娘はちゃんと学校に通えているだろうか。

 妻は警察に届けているだろうか。

 俺が居なくなったら、あいつらは生きて行けるのだろうか。

 ただでさえ今の暮らしで息が切れる生活。

 俺の稼ぎと妻のバイト代を合わせても、娘の誕生日にケーキを買ってやることが精一杯の暮らしである。

 稼ぎ頭の俺が居なくなったら、妻と娘は路頭に迷ってしまうのだろうか。それとも死んでしまう……。


 開ける。

 警察に届けを出しているならばこんなバカげた空間を警察は見つけてくれるのか?

 もしかしたら海外かもしれない。

 金がかかる。

 金。


 開ける。

 俺が死んだとしても、金があればあいつらは助かるかも。

 保険に入っているから大丈夫?

 いやどうなんだ?


 開ける。

 行方不明者には保険金が下りるのか? 

 クソ。契約内容を覚えてない。そもそも誘拐されて、幽閉されて、そんな状況を考えて保険なんか入らない。おそらく金は下りない。

 じゃあ俺が死ぬとヤバい。


 開ける。

 金。

 金。金。

 金。

 開ける。


「ん?」

 何の変化も無い部屋に今までとは違った変化がその部屋にはあった。

『一千万円』

『出口』

「出口?」

 ウソだろ。

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