二者択一の無限部屋

三月一三

第1話 『進むか 留まるか』

 目を覚ますとそこは殺風景な四角の部屋だった。

「アレ?」

 寝ていたのはその部屋の中心だ。部屋には机も絨毯も椅子もベットも何もない。ただの真っ白な十二畳ほどの部屋に、鉄扉が一つだけついていた。

 俺は立ち上がり、なぜこんな状況になったのかを思い出そうとする。

 昨日はいつもよりやや遅く家に帰り、妻と子供と団らんをして飯を食って寝た筈だ。何か不思議な点があったとすれば、子供がテレビなんか見ずに、いつもより早く寝てくれたぐらい。しかもそんなこと週に一度くらいは有ったりもする。言うなれば何の変哲もない日常を送っていたらこの部屋で目を覚ましたという次第だ。

 酒も飲んでいない。

 もしかしたら夢かもしれない。

 なんて事も思ったが、どうも意識ははっきりしたままだし、頬の内側を軽く噛んでみるが痛みもある。

 夢ではない。


 とりあえず出なければ仕事が始まってしまう。

 まだパジャマのままだし、髭だって剃らなきゃいけない

 ここがどこなのか確かめるためにも扉から出なければいけない。

 扉の前に立つと、表札の様に扉の上にプレートが掛けられている。そこには

『進むか、留まるか』

 と横字で書かれている。

 俺は気にすることも無く、扉を押し込んだ。

 しかし、ドアを押しても全く開かない。

「引くのか……」

 ドアノブを引いて中に入るとそこはまた四角い殺風景な部屋である。

 さっきと違うのは、扉が二つある。右と左だ。

 さっきの部屋と同じく扉の上にはプレートが掛かっている。

 右には

『カミソリ』

左には

『歯ブラシ』

 とあった。

「カミソリってなんだよ」

 頭をボリボリ掻き毟りながら呟いた。

今が何時かどうかも分からない。ここが何処かもわからない。どういう状況かも。

「すいませーん!! なんの冗談か分かんないんですけど辞めてもらえません!?」

 ちょっと待っても何の返答も無い。

「おい!! 誰も居ないのか!!」

 怒りを混ぜた声で叫んでもやはり何もない。

 舌打ちをして俺は部屋の真ん中に座り考える。


 昔見たとある洋画を思い出す。トラップが散りばめられた四角形の部屋に閉じ込められ出られなくなると言う物語だ。部屋の面の中心に当たる部分に扉があり、数字が書いてある。その数字の暗号を解かないと、トラップがあるかどうか分からない。その中で脱出すると言う物だ。登場人物が部屋に仕掛けられたトラップによって次々と非業の死を遂げていく……。

 それを考えると、カミソリと書かれている部屋には何か異様な気配を感じる。カミソリで体を刻まれるとか、そう言うトラップがあるかもしれない。

 とりあえず俺は歯ブラシと書かれている部屋の扉を開けた。

 中に入ると、左右に扉のある殺風景な部屋がまた有った。

 しかし正面には洗面台が付いてあり、歯ブラシと歯磨き粉がコップに入っている。

 歯ブラシは袋に入っており、歯磨き粉も未開封のようだ。

 洗面台の上には鏡が埋め込まれており自分の顔が映し出されている。無精ひげが生え、髪はぼさぼさだ。

 口の中で舌を動かし歯の表面をなぞってみると、寝起き特有のねっとりとした粘膜のような物がこびりついている。

 未開封なら問題ないか。

 俺はその場で歯を磨きだした。

 磨きつつ、ふと思う。


 反対の部屋には髭を剃るカミソリが有ったんじゃないか?

 磨く手は止めずさっきの部屋に戻ろうとするが、不思議なことに扉は開かない。

 押しても引いても、強くドアノブを回して見てもびくともしない。

 これが寝起きで起こった現象だったならば、俺はもうちょっとパニックを起こしていたところだ。しかし歯を磨き、冷静さを取り戻しつつある脳みそはあまり動じていない。

 口の中をすすいでから思案する。

 一度入るとドアがロックされてしまう仕組みなのか。そして歯ブラシとカミソリの二択で歯ブラシを選んだものの反対側では髭を剃ることができたのかもしれない。これから出社することも考えると歯を磨くより先に髭を剃った方が良かったか。

 それよりも今何時なのかも分からない。まだ夜中かもしれないのだ。

 どうなっていたとしてもいまは進むしかない。後ろにはもう戻れないのだから。

 あらためて二つのドアを見てみると、右には『コーヒー』、左には『お茶』と書かれている。

 おそらく外には間違いなくコーヒーとお茶が用意されているだろう。だから選ぶのはどちらかしか選べない。しかしコーヒーとお茶と書かれていてもそれが何の種類か分からなければ、どうにも選ぶ参考要素が少ない。

 ただ俺は、朝はコーヒーと決めているのだ。これは主義とか嗜好の問題では無く、習慣として体に刻まれている。

 コーヒーと書かれている扉を開ける。一本足の丸いテーブルの上に湯気の立った陶器のマグカップ。横にはティースプーンとミルクが二つ置かれていた。

「ほう」

 と感嘆の声を漏らしてしまう。朝はミルク多めのシュガーレスと決めている。これを用意してくれた人は、分かってるな。

 一つ疑問が浮かび上がってくる。


 俺はマグカップを手に持った。取っ手はぎりぎり端っこを持ってないと火傷してしまいそうだ。

 ゆっくり口を近づけ一口。コーヒーの熱気と香りが漂ってくる。

 安定性を求めた大粒の豆が特徴の、酸味の効いた一品。世界的にはあまり人気が無いという話もあるが、事日本においては三大ブランドの一つと称して遜色ない。

 キリマンジャロ。

 人気になった理由として短編小説が原作の『キリマンジャロの雪』という映画が日本で流行ったということもあろう。これを書いたアーネスト・ヘミングウェイもキリマンジャロ愛していたと受け取れる。文学界の大御所の片鱗を理解した優越感が香りと酸味と柔らかい苦みとともに鼻腔を通り抜けていく。程よい苦痛と優越感が、コーヒーの本質だ。

「やっぱり」

 誰かが用意してくれたのだ。つまり、先ほど誰かがここに居たと言う事。淹れたてのコーヒーがその証拠だ。


 扉はまた左右についている。

「誰かいますか―?」

 問いかけるが返事は無い。

 もう一口、含んでから俺は思考の泥沼に足をとらわれて動けなくなってしまう。

 誰かが居たとして、『誰か』は間違いなく俺の嗜好を知っていてコーヒーにミルクを二つ置いていたはずである。つまり俺、もしくは俺の嗜好を知っている、例えば妻とかから聞いていたからコーヒーを用意できたという事じゃないのか?

 喫茶店などで頼むときは常にブラックだし、会社でもミルクは入れない。入れるのは朝のみだ。

 つまり分かっているからこそミルクが二つあるのであって、あてずっぽうにミルクが二つ置かれているという状況はまずありえない。

 もしかすると、俺がコーヒーを選ぶという事自体、この空間に閉じ込めた人間は既に知っていたとでも言うのだろうか。

 最初の部屋だって、何も分からない状況で歯ブラシとカミソリがあったら、カミソリに恐怖を覚えても仕方ない。

 そして歯ブラシを選んだあと、いつもの習慣で俺がコーヒーを飲む可能性はかなり高い。

 もし逆のお茶を選んでいたら、そこにお茶は置かれていたのだろうか。

 置かれていたとしたらお茶の種類は?

 俺が好きなお茶が置かれていただろうか。

 お茶にそれほど詳しくない。飲めればいいや程度にしかとらえていないし、ほうじ茶とウーロン茶の味の違いだって、正直分からない。だとすると、お茶はもともと置かれていないと考えても妥当だ。

 しかし、扉はもうロックされている。確かめるすべはない。

「いやあるか……」

 ここにも扉が二つあるのだ。片方の部屋に入らず、ただ中を確認して戻ればいい話じゃないか。

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