最終話 私はいったい、誰なんでしょうか?

「あなたには死んでいただきます」

 アモロの言葉にマアヤはようやく壁から背を離し、アモロと向き合った。

「お願いします、助けてください」


  ***


 カンナの願いによりゲームから脱出したケントは、見知った公園のベンチで目を覚ました。

 その公園は日が昇っているのに誰もいなかった。騒がない、大声を出さない、ペットを散歩させない、そんな注意書きが書かれた看板があったことを思い出した。

 ケントが幼少の頃にあった遊具も、近隣にできたマンションに住む小さい子のクレームでなくなった。それを知った時、ケントの胸にはぽっかりと穴が空いたような虚しさをあった。たくさん遊んで、たくさんケガをして、たくさん怒られた記憶があったから、それがなくなったかのような錯覚を感じたのだ。

 寝そべっている姿勢で目を覚ましたケントはそのベンチに腰をかけように姿勢を直す。

 そしてケントは思い出していた。

 カンナを助けたことを。

 そして警察に表彰されて、それがきっかけで、自称名探偵として中学、高校と名を馳せた。

 今でも自称名探偵だ。

 そしてケントは悔いていた。

 自称名探偵になるきっかけに関わった少女の名前を言われるまで忘れていたなんて。

 最悪だ。

 数多く人助けをしてきて、助けた人が多すぎてだから名前を覚えてないなんていうのは言い訳だ。

 一度助けた人でも人助けできるように、助けた人はいつでも助けれるように名前を覚えておくなんて、探偵として当たり前のひとつなんじゃないのか?

 自称は所詮、自称だと自嘲する。名探偵という気分を味わいたかっただけなのか、俺は。

 しばし考えてしまう。

 ――らしくないかもな。

 一度、深く考え込んで、失敗したことがある。

 いや、それでも今回ばかりは最悪だろ。

 答えを出せぬまま、ケントは立ち上がり、家へと向かう。

「ただいま」

 ポケットに入っていた鍵で玄関に入ると、声に反応した妹の栗栖(クリス)がリビングから慌てて玄関へと駆けてきた。

「ん、どうした?」

 そして、ケントの顔を見て、慌てた表情が一変、

「うわあああああああああん」

 突然泣き出した。

「おいおい、いい歳して泣くんじゃないって」

「だっで、兄貴。三日も行方不明だっだんだよ」

 涙声でクリスが言う。

「だ、誰が?」

「兄貴が!」

 今度はケントが驚く番だった。

「それ、本当かよ……三日……も、だと……」

「本当だよ!」

 そう言ってクリスはリビングに戻って、新聞を投げつける。日付には 6月12日とある。パソコンに書き込んだのが8日の23時頃だったからほぼ3日と言っていい。

「どご行ってたのさ! レボード書くって閉じこもったと思ってたのにっ!」

「やべっ……」

 レポートのことなんてすっかり忘れていた。でも今はそれどころじゃない。泣きに泣いているクリスがやつあたりのようにべしべしとケントを叩いている。

「とりあえず事情を説明するから、落ち着けってっ!」

 宥めながら、ケントは三日ぶりに自宅にあがる。本人にはまったくその実感が湧かないが。

 リビングに入り、いざ説明をしようと、手にしていた新聞をテーブルのうえに置く。

 その新聞の記事がふと目に入り、

「なあ、クリス。俺が行方不明になってからの新聞を持ってきてくれないか?」

「なんで……? 説明してくれるんじゃないの?」

「その説明に必要なんだ」

 真剣な表情で言うケントに、泣き止んだもののまだ瞳に涙を浮かべるクリスは前日と前々日の新聞を用意する。

「それじゃあ、俺が体験してきたことを話すよ」

 そう言ってケントはゆっくりと語りだした。


 ***


「――なーんて言うと思ったの? アモロファフォラージョ」

 マアヤは突然表情を変えて、くすりと笑う。しかも一度しか名乗らなかった名前を完璧に把握してアモロを呼んだ。

「まだ終わってないわよ」

「おっしゃっている意味が分かりかねますね。もう参加者はあなたしかいない」

「いいえ、まだあなたがいるじゃない」

「なにをおっしゃいますか。私は……」

「ただの進行役とでも言いたいの? 違うわね、あなたは全然わかってないわ。この部屋を、この勝負を作り出したのは私なの!」

「……」

 それを聞いたアモロは途端に無言になった。

「全ては復讐のため……私と勝負しなさい、アモロ!」

「それは、成立しません」

「と思う? そんなわけないじゃない。言ったでしょ、私が作り出したって。アモロ、あなたも所詮、コマにしか過ぎないのよ!」

 マアヤは言い放つ。

 とはいえ、マアヤの言い分も信憑性が高い。

 残りひとりになれば不戦敗。それはアモロが把握しているルールのひとつだ。

 それが実行されないということは、マアヤの対戦相手は残されているというわけだ。

 とはいえ、アモロは自分よりも先に、とあるひとりの青年の顔を思い浮かべていた。

 阿笠 賢人。

 彼がもし、まだ参加者としての資格を持っていたら、彼がマアヤに残された参加者ということになる。

 となれば、彼はあと10分でここに来なければ死んでしまう。

 この部屋から去ったケントの行動をアモロは把握することはできない。

 だとしても10分経ってわかることだ。


  ***


 ケントが時間をかけてゆっくりとクリスに自分が体験してきたゲームについて語り終えたときにはすでに時刻は夕方を回っていた。

 とはいえケントが実際に見たゲームは1回戦と2回戦しかなかったが。

「へえ、じゃあ兄貴はその昔助けた恩人のおかげで助かったんだ、ラッキーじゃん」

 確かにそうだが、それはそれが嫌で嫌で仕方ない。それが表情に出ていただろう、

「でも兄貴は嫌そうな顔してるね」

 見事に見抜かれた。

「だったら、ジショー探偵らしく、兄貴はそのゲームの謎を解明すればいいとあたしは思うよ」

「そんなことは言われんでもわかってる」

「で、切り取って並べた新聞記事には何の意味があるの? 全部死亡記事みたいだけど」

「ここで死んでる人は全員、ゲームの参加者だ」

 ケントはパソコンでなにかを探しながら言う。視線はパソコンの画面に釘付けだった。

「全員、行方不明になって亡くなってるね。亡くなった日は違うみたいだけど」

 クリスは記事を見て、そう言った。

「あ、でもこの人たちは違うの?」

 不要になってすみに置いておいた新聞の一角にある記事を目敏く見つけたクリスはケントに指摘する。

「これ、好田 翌檜? って人と同じ学校の生徒と先生だよね?」

 切り取った記事に描かれたアスナロの出身校を確認しながら、クリスが言う。

「たぶん、その子が願いを叶えた可能性が高い」

「なんでそんなことわかるの?」

「俺は掲示板に書き込んで消えたって言っただろ? そのときに絶対に殺すっていう書き込みがあったんだ」

「でも、今も兄貴さ、ネットでその掲示板探してたけど見当たらなかったよね?」

 他の記事を眺めながらクリスが言う。

「ああ、過去ログにも、クラウドにもないなんてそんなことが有り得ていいのか? まあ俺が見つけきれてないだけかもしれないが」

 見つからないことに嘆息するケント。

「とにかく、色々書き込んで情報を集めてみるか」

「なんか、地味~」

「探偵の仕事なんてそういうもんさ」

 俺は自称だけどな、とケントは皮肉る。

 それでも絶対にケントは謎を解明したい。

 じゃないと助けられた意味がない。

「そういえば兄貴。参加者は兄貴を含めて14人だったんだよね?」

「そうだがなにか?」

 言いながら、ケントは掲示板に『こんにゃく好きの夢叶え人を探しています』というスレッドを作った。

「この死亡記事さ、12人しかいないよ。そこに兄貴を加えると、13人。ひとり足りない」

「そんなバカなこと……」

 パソコンから一旦離れたケントは記事に書かれた名前を数える。

 1、2、3と。すると確かに12名しか名前が書かれていなかった。

 あとひとり……誰だったか……思い出せない。

 たぶん、あまり特徴がなかったに違いない。だから想い出せない。こういうところが自称だよなと思う。本物の探偵ならその場にいた人なんて思いだせることだろう。

 なにより、疑問なのはその残りひとりは生きて、こっちに帰ってきたのか? それとも、まだ戦っているのか? でもひとりでどうやって? 参加者なんて、もういないのに!


 ***


 10分経てばわかることだ、と一度は考えたアモロだったが、こう思い直す。

 もし自分が参加者だとしたら、時間切れは死を意味する。

 だから10分経てば、なんて安直な考えを実行してはならない。

 そもそもアモロ自身、このゲームを進行するようにとマスターに言われただけだ。

 マスター? マスターとはいったい誰のことだったか?

 思い出せない。

「さあ、アモロ。私と勝負しなさい」

「する、意味がありません」

「ひとついいことを教えてあげるわ。あなた、最初の戦いで鏡を出せと言われて拒んだわよね? でもそのぐらい、願いの許容範囲で出すことはできた。なのにそれをあなたは拒まざるをえなかった。そうでしょ?」

「なにをおっしゃているのですか」

 声は動揺してなかったが、アモロにとってそれは図星だった。

「あなたには鏡を出せない。それはなんでかわかる? その理由を知りたくない?」

「それは……」

 素直に知りたいと思った。ほぼ万能の力をこのゲームのためだけに与えられたアモロが唯一鏡を出せないのには理由があるに違いなかったからだ。

「もし、私と勝負してくれるなら、その理由を教えてあげるわ」

「わかりました」

「だったら、サイコロと箱を出して」

 アモロは言われた通りにサイコロと箱を出す。

「あなたが鏡を出せないその理由は、あなたに自分の素顔を見せないためよ」

「そんな……、そんな理由で?」

 到底納得できない理由だった。

「あなたが仮面を被っているのも、その素顔がわからないようにするためなの」

「それは違います。この仮面は私が醜い素顔を隠すためにするためにつけたのです」

「じゃあ、あなたはどんな醜い顔をしているか思いだせるの?」

「そ、それは……」

 アモロは言いよどむ。

「あなたは自分の素顔を見たことないのよ。そういう設定にしたから」

「そんなのは信じられません」

「それはあなたの勝ってだわ。嘘だと思うのなら、ちょうど勝負をするんだし、勝ったときにそれを願えばいいわ。勝負に勝ったほうに願いを叶える、そんな力を持っているんだし」

 唆すようにマアヤは言う。その手法はどこかアモロに似ていた。

「いいでしょう」

 マアヤの口車に乗ったアモロだったが、どことなく乗り気だった。

「私からでよろしいでしょうか?」

 サイコロをちょうど持っていたこともあり、アモロはそう言った。

「いいわよ」

 マアヤが同意し、アモロは箱の中にサイコロを投げ入れた。


  ***


 掲示板にスレッドを立てたケントは、ツイッターやフェイスブックで生存報告をする。

 行方不明になって理由は、「レポートが終わらなくて自暴自棄になって旅に出ていた」と書き込んだ。

 本当のことは言えるはずもなかった。

 翌日、大学に訪れたケントは教授にすまないと謝られた。

「キミを追い詰めたのは私だ」

 一瞬、教授があのゲームを作ったのかと疑ってしまったが、冷静に話を聞けば、確かにレポートの量が多すぎたということだった。

 それでケントがそれを理由に旅に出たことに教授は責任を感じていたらしい。

 むしろ、ケントが知らぬ間に、ケントのネット上の発信源と繋がっていたことに驚きだった。

 教授の悪口とか書けなくなったな、と思うもののケントはネット上に悪口を書いたことはなかった。

 それからケントはカンナの葬式に赴いた。

 大企業の令嬢というべきか、大勢の人が訪れていた。

 とはいえ、哀しむ社長を慰め、いい地位を得ようとする社員や取引先と思わしき会社員が社長を取り囲んでいて、カンナの死を悼んでいるというようにはケントは感じられなかった。

 場違いかもしれない。

 そう思って去ろうとした、そんなときだ、

「お待ちください」

 執事と思しき人に引き止められた。

「わたくしを覚えておいででしょうか」

 そう言われて思いだす。

 自称名探偵になったあの日、カンナを心配する父親のそばに仕えていた執事だった。

 さすがに歳を取ってあの時よりはしわが増えていたが、見覚えがある。

 ケントは頷くと、お久しぶりでございます、と執事は挨拶して、ケントに是非参列してほしいと告げた。

 もともと参列したかったケントに断る理由はなった。

 葬式が終わり、ケントは執事に呼び止められた。

「お嬢様はあなたをお慕いしておりました」

 そう告げられた。

「ええ、ですから俺はここにいるんだと思います」

 執事には意味がわからないだろう。

 でも説明する気もなかった。

 カンナが慕ってくれていなかったら、カンナはあのゲームには参加しなかった。

 そして死ぬことはなかった。

 代わりにケントが死んだだろう。

 けどカンナが慕ってくれていたから、カンナはあのゲームに参加した。

 そして死んだ。

 代わりにケントが生きている。

 カンナがケントを慕ってくれたのはケントがカンナを助けたから。

 だからカンナはケントに恩を返そうとした。

 俺は恩を返して欲しいなんて思って、助けたわけじゃない。

 無我夢中だった。あの時は、助けなきゃって思ったんだ。

 なのに今はなんなんだ?

 自称名探偵とか浮かれて生きて、結果このザマだ。

 だから、だからなんとしても、このゲームだけは解明してやる。

 ケントはそう決意する。

「もし、よろしければ、これをお持ち帰りください」

「これは……?」

「カンナ様の形見です。あなたに助けてもらったときに持っていたハンカチです」

「……でも」

 花柄のワンポイントが特徴のハンカチは明らかに女物で、だから拒んだというわけじゃない。

 そんなものもらっていいのかと躊躇いがあった。

「いいのです。あなたが持つべきでしょう」

「わかりました。ありがとうございます。大切にします」

「想いは時として強い力を発揮します。あなたの活躍をお祈りいたしますよ」

 執事はケントがゲームの謎を解明しようとしていることを知らない。だからその言葉は自称名探偵としての活躍を期待してのことだろう。

 それでもその言葉はケントの決意をさらに強いものとした。

 しかしその決意も虚しく、手がかりは見つからない。

 だが数日後、思わぬ事態が発生する。

 ケントのともに『こんにゃく好きの夢叶え人の代理人』を名乗る人からメールが届いたのだ。

 代理人というからには関係者だろう。

 ケントはその代理人と連絡を取り、翌日、話を聞くことにした。


 ***


 アモロが放ったサイコロが箱のなかで止まる。

 『5』と『1』。

「合計は6ね」

 いつもならアモロが言うセリフをマアヤが言った。主導権は確実にアモロではなくマアヤに奪われていた。

「アモロ、あなたはゲームが始まる前、ちなみに私はこんにゃくが好きだから、あのようなハンドルネームを使っているだけであって、他意はないみたいなことを言っていたじゃない?」

 アモロは答えない。マアヤはアモロが答えることを特に求めているわけではないから関係ない。

 独り言のように続ける。

「でも、あれって関係ないことじゃない?」

「……」

 相変らずアモロは無言のままだ。

「でもあなたはあの場であんなことを言ってしまった。ちなみに私もこんにゃくが好きなの。これってどういうことかわかる?」

 好きなものが同じ、というだけでマアヤがこんな話をするはずがない、というのだけはアモロにはわかった。

 でもだとしたら、どういうことなのだろうか。

「それは私があなただとでも言いたいのですか?」

 思わずアモロは聞いてしまう。

「そんなわけはないわ。私はここにいるもの……」

「じゃあ、私は?」

「自分が勝つことを祈りなさい。そうすればわかるわよ」

 マアヤは箱のなかのサイコロを取り、すぐさま投げる。

 転がり止まったサイコロの目は『4』と『5』。

「合計は9ね」

 アモロが『6』でマアヤが『9』。反転したような数字にはなにか意味があるのだろうか。

 アモロは出た目ですら疑ってしまう。

 こんなものは偶然だ。

「私の勝ちね」

 そう言ってマアヤは悪魔のように笑った。

「じゃあ、アモロ。私の願いを叶えなさい」

「……」

 アモロは答えない。しかしそれは拒否ではない。アモロに拒む権利はない。

 ゲームに勝った人の願いを叶える、それはアモロに組み込まれたプログラムのようなもので、命令違反は許されない。

「私の願いは、悪魔を殺すこと。皆殺しにすること!」

「……かしこまりました」

 と小さくつぶやく。

 白い煙がアモロの手のひらから出現し、天へと昇る。

 そして四方八方へと延びていく。

 そのひとつがアモロのもとへと戻っていき、アモロを包む。

「私はいったい、誰なんでしょうか?」

「あなたはただの悪魔よ。私が生み出した憎き悪魔」

 アモロが煙に吸い込まれ消えた。

「これで私の願いは叶った。悪魔なんていなくて正解なんだ」

 マアヤの宣言とともに部屋が砂時計のように崩れていく。

 ゲームの終わりだった。

 部屋が崩れ消えるよりも早く、マアヤは床に倒れて、死んだ。


  ***


 マアヤの家系、天谷一族は秘密裏に悪魔を操ってきた。いや操ってきたと思い込んでいただけで実は操られていた。

 と気づいたのはマアヤだけだったかもしれない。

 それに気づけたのは、父親が死に母親が死に、親族が死に絶えて、妹とふたりっきりになったからだった。

 それまで栄華を極めていたから、そんなことに目が向かなかった。

 黒魔術によって生んだ悪魔を使い、人の欲望を操り、肥大させ、そして繁栄してきた天谷一族はその代償と言わんばかりに、近代に入り、続々と命を落としてきた。

 栄華の終わりだった。

 マアヤの妹もすでに悪魔によって蝕まれ、死にそうだった。

 マアヤはこのまま妹を失ってしまうのか、ひとりぼっちになってしまうのか、という恐怖が募った。

 そしてようやく悪魔は自分たちが操っていたのではなく、悪魔が自分たちを操ってもてあそんでいたことに気づいた。

 そして生まれたのは、海よりも深い憎悪だった。

 悪魔を全員殺してやる。

 そう思ってマアヤが使ったのは悪魔だった。

 毒を以って毒を制す。

 無力な自分にはその手段しか思いつかなかった。

 なんでも願いを叶える悪魔。

 代償は自分の命。

 望むところだ、マアヤはその秘術に手を出した。

 でもその秘術には生贄が必要だった。

 苦悩するマアヤに妹は言った。

「いいよ」

 マアヤと同じくこんにゃくが大好きな妹が、生贄になることを自ら申し出た。

「ありがとう……ごめんね」

 マアヤは涙を零して言った。

 自分が行うのは愚かなことだろう。

 でもそれでも私は悪魔たちを許さない。

 家族を殺した、

 私に妹を犠牲にさせた、

 悪魔たちを。


 ***


「どこかにでかけるの?」

 それは代理人との待ち合わせ場所であるコーヒーショップに出かける間際、ケントはクリスに尋ねられた。

「ああ、ゲームの謎が解けるかもしれない」

 嬉々としてケントは答える。

「そっか。じゃ解明できたら聞かせてよ」

「ああ、当たり前だ」

「期待して待ってる」

 とはいえ、どことなくぎこちない。

 なにかを言いたいのに我慢しているそんな感じだ。

 ケントが靴を履き、玄関を出たところで、

「兄貴……そのさ、大丈夫だよね? 帰ってくるよね?」

 ぎこちなかった正体がわかった。

「らしくないな。そんなこと言うような柄じゃないだろ」

「うっさい。なんか不安なの!」

「大丈夫だって。俺はいつだって帰ってきただろ?」

「そうだけどなんか嫌な予感がするんだよ」

「大丈夫、大丈夫」

 そう言ってケントは家を出た。

 ケントたちの両親は仕事上、家にいないことが多い。

 ケントとクリスはふたりぼっちになることが多くて、ケントが行方不明になったとき、クリスは数日間をひとりで過ごした。

 そんなことは今までなかったから、もしケントがいなくなったらと不安でしょうがないのだ。

 その不安はずっとあった。

 この事件を解明すればと発破をかけたのはクリスだ。でも同時にこの事件を忘れて欲しいとも思っていた。

 頼むから、絶対に帰ってきてよ、兄貴。

 らしくないのはわかっていた。それでもクリスは心配してしまうのだ。

 そんなクリスを尻目にケントはコーヒーショップに向かった。

 ショップには人々が思い思いのことをして過ごしていた。読書にふける人、おしゃべりを楽しむ人、ノートパソコンを操作する人。

 共通点と言えば、誰もが他人を気にせず、自分の時間を満喫しているということだろう。

「お待ちしておりましたよ」

 辺りを見回すと黒ずくめの男が話しかけてくる。帽子とサングラスをかければ、コナンにでも出てきそうな男だ。

 アモロのように仮面をしてなかったことに安堵しつつもどことなく不気味で陰気な表情がケントを不安にする。

 ふとジャケットの上から胸を押さえる。

 ジャケットの内ポケットに入っているのは女物のハンカチ。それがあるということを感じると不思議と落ち着いた気持ちになれた。

 促されるまま、ケントは男が座っていたテーブル席に向かい合うように座った。

 ケントはこのとき、いやそれからも気づいていなかった。

 なぜ、目の前の男がケントをケントだと認識したのか。そしてなぜ、ケントが目の前の男を代理人だと認識したのか、ということに。

「さて、改めてではありますが、もう一度詳しくあなたが体験したことについて話していただけますかな?」

「その前に……俺はあんたのことをなんて呼べばいい?」

「名前、ですか」

 ……それは考えていませんでしたね、と男はケントに聞こえないようにつぶやき、

「ふむ……『代理人』ではダメでしょうか? 無礼ではありますが、名乗れない諸事情がありまして」

「……そういうことなら」

 ケントはなにも怪しまずに納得する。

 自称名探偵として悩みを解決するとき、名乗りたくないという人もいたりするからだ。

「では代理人さん、お話します。と言っても俺が全て把握しているわけじゃないんです。なにせ、俺は情けないことに昔、助けた女の子に助けられて途中で脱出したんですから」

 哀しそうにケントは言った。

「構いません。わかっていることだけお教えください」

 その言葉を皮切りにケントは自分が体験した出来事を代理人に語った。

「なるほど。確かに不可思議です。ですがそれは有り得ることなのですよ」

 全てを聞き終えたあと、代理人はそう言った。

「私は代理人ですから、あなたが巻き込まれたゲームがどうやって行われたのか、全てわかっているのです」

「本当、なのか?」

 代理人は「ええ」と爽やかに頷く。

「なら、教えてくれ。あのゲームはなんなんだ? 誰が、あんなゲームに巻き込んだんだ?」

「答えはふたつとも同じです。つまり、それら全ては悪魔の仕業なのです」

「……」

 ケントはわずかに押し黙り、

「頭、沸いてるのか?」

 そして思わず言ってしまった。

 失言ではあったが代理人は表情を崩さず、

「これは事実ですよ。この世には解明できないものがいくつもあって、その全てが悪魔の仕業なのです。隠蔽された魔術書なんてものは今でもごくありふれていますから」

「ふざけてんのか」

 到底、信じられない。ケントの体験を笑いに来たとしか思えなかった。

「いえいえ。では例えば、あなたが書き込んだスレッド。あれが跡形もなく痕跡を消している。それも証拠になりえるでしょう」

「なにを言い出すつもりだ……?」

 と言いながらもケントも素人ではない。自称名探偵なのだ、多少の知識はあり、言っていることも理解できた。ただ、その現象が悪魔の仕業であるということを理解したくなかったのだ。

「ネットに流出したデータが完全に消失するというのは不可能なのです。例えばブログやミクシィで犯罪暴露や不用意な発言をして、それが炎上すると消してしまう人がいるでしょう? でも大抵それはログを取っている人がいて、どこかでそれが閲覧できてしまう。それにバックアップを取る人は取るでしょうし、キャッシュだって残りますから。それが完全に痕跡を消している。実はあなたが探せなかったのは、そういうものからも痕跡が消えているからなのです」

「それでも消失するのが不可能なのは、現実的に不可能だからとかで……できない可能性は0じゃないような気がする。そこに説明できないような力が働いていて、それを悪魔の仕業にするのは無理があると思う」

「確かに。けれど、それはどんな物事にも通用する詭弁ではありませんか。もっとも、だとしたら私の言い分も戯言に過ぎなくなる」

「その通りだと思う」

 ケントは相槌を打つ。

「けれど、それが真実なのです。しかしケントさん、あなたはやはり信じれないようだ」

「まあ、な」

「ではどうしたら信じてもらえますか?」

「どうしたら……ってまずは悪魔の存在が立証されて、説明できないようなことが起これば……いやでも信じるしかない」

「前者は少し難しいかもしれませんね、どこにでもいるようなものですから」

「後者なら可能っていうのか?」

「昔、ノートに書き込んだら心臓麻痺で死ぬってマンガがありましたよね?」

「ああ、あったけど」

「そういうようなことが起こったらあなたはどう思います。健康体だった人間が突然、起こるはずもない病気で死ぬ、みたいなことが」

「それはでもマンガの話で、そんなことできるはずがない」

「と言うことはそういうようなことができたら、信じるってことですか?」

「まあ、それは信じざるをえないと思う。けど、そういう人が死ぬようなことで立証はやめてほしい」

「……もう遅いですよ」

「えっ……?」

 ケントは目を大きく開く。胸が急激に痛み出した。

「心臓麻痺が起これば信じるとおっしゃったので、僭越ながらそうさせていただきました。それにあなたは生かしておくわけにもいきません。我々の今後のためにも」

 ケントは代理人をにらみつける。

「くそったれええええええ!」

 苦しみを堪えて、ケントは飛びかかる。

 死ぬわけにはいかない。ここで死ぬわけには。

 しかし固定されたテーブルに阻まれて、代理人に手が届かない。テーブル上のコーヒーカップが床に落ちて割れ、中身が飛び散る。

 ケントの叫びと、カップの割れた音にコーヒーショップの全員が注目していた。

「お客様、大丈夫ですか?」

 店員が駆け寄ってくる。

「ええ、大丈夫ですよ」

 代理人が笑って、すでに苦しみが限界なのかぐったりとして動かないケントを担ぐ。

「ご迷惑をおかけしました」

 そう言って代理人は店員に一万円札を押しつける。

「これはご迷惑料です」

「お客様、困ります」

 戸惑った店員の声が響く中、代理人はケントととともに店を出て、人通りのない裏路地を歩く。

「困りますねぇ、ケントさん。あんなに注目されては」

 とっくに死んでいるケントに代理人がぼやく。

「私たち悪魔は人間界に紛れて生きているのですから、あまり派手な行動はしたくないのですよ」


  ***


「兄貴、大丈夫かな……」

 クリスはリビングで兄の帰りを待っていた。

 そんなときだ、ガコンと音がして、誰かが表札の下にあるポストの横を過ぎ去っていくのが見えた。

 誰だろう……、不思議に思ってクリスは外に出る。周囲を見渡すと誰もいない。

 でも誰かがいたはずだ。そう思って、ところどころをチェックするものの、怪しいところは特にない。

 一番怪しいと思いながらも、なにも入っていて欲しくないという思いから忌避していた、ポストを最後に覗き、

「うわぁ!」

 思わず驚いてしまう。

 そこには黒いノートがあった。

 なにかがあるとは思いながらも、そんなものが入っているとは予想だにしていなかったのだ。

「なにこれ……」

 クリスはそれを手に取る。

 ふとページをめくるとそこには文字が書かれていた。

『願いを叶えます。あなたの願いはなんですか? あなたの願いを書いてください』

 それを見て書きたいという衝動が襲ってくる。

 あたしの、願い?

 あたしの今の願いは……


  ***


「……うるせぇ」

 代理人の耳に声が響く。それはケントの声だった。

「なぜ、なぜ生きているんですか!?」

 殺したとばかり思っていたケントが生きていることに代理人は驚きを隠しきれない。

 思わず、放り投げてしまう。

「俺が知るか。けど、なぜだか胸があったかい」

 そう言ってケントは立ち上がりながら、苦しかった胸を触る。

 そして内ポケットに入れていたものの感触に気づく。

「はは……」

 乾いた笑い声がケントから零れた。

 また、助けられたのか? 情けねぇなあ、俺。

「そんな、なぜ、なぜですか……」

「ある人曰く、想いは強い力を発揮する……みたいだ」

「なるほど、そんな厄介なものをあなたは味方にしていたのですね」

 代理人はケントの言葉を否定しなかった。むしろ存在しているかのように肯定した。

「しかし、人間の作り出したそのような力など所詮一時的! もう、あなたを守れるものはありませんよ」

「くそったれ……」

 それでも二度も救われた命を失うわけにはいかないっ! 抵抗しようと決めた。絶対に諦めない。

 そう決意したときだった。

 代理人を白い煙が包む。ケントにはそれがなんだかわかった。自分があのゲームの会場で、包まれたものだからだ。

 しかしその白い煙の本質はケントのときと違う。

 白い煙が代理人を包むと代理人が苦しみはじめた。

「こ、これは……まさか……我々の存在を知る人間が、願った、というのですか……」

 代理人は苦しみながら大きく目を開く。

「おお、なんという、なんということでしょうか。まさか、自分の妹と命を犠牲にしてまで、我々を……殺そうなどとは……」

「なにが起こってるんだ……?」

 ケントの理解が追いつかない。

「人間の力がもはやこれほどまでとは思いませんでしたよ……」

 代理人が足から消えていく。

「しかしこれだけは覚えていてください。悪魔はどこにだっています。魔術書で呼べる悪魔だけが全てだと思わないことです。人間の心だって住んでいるのです……魔が差したとき、人間は悪魔を……」

 最後まで言い切れずに代理人は消えた。

「助かった……のか……?」

 よくわからないがケントは安堵して腰を抜かす。

 そのまま建物の壁に背を預けて、眠りに落ちた。


  ***


 家の中に戻ったクリスはペンを手に取った。

 あたしの今の願いは、

『兄貴がどこにいようとも無事に帰ってきますように』

 それを書けば、クリスがどうなるか、そのときのクリスは考えていなかった。

「やめろっ!」

 その願いを書こうとした瞬間、クリスは手を止めれられた。驚いて振り向くとそこには

「あ、兄貴……」

 ケントがいた。

「お前が課題とかやろうとしてたなら、すまない。でもなんか嫌な予感がしてな」

「ううん、ありがと。あたしもどうにかしてた……」

 そう言ってクリスはケントにそのノートを見せる。

「これは……あのゲームと似たようなもの、ってことでいいのか?」

「たぶん。あたしは兄貴が心配で、これに兄貴の無事を願おうとしてた……」

「それについては怒らないよ。悪かったな、心配ばっかりかける兄貴で……」

「ってか、兄貴。疲れてない?」

「ああ、一瞬であれ寝てしまったほど疲れていたのは確かだ。でも色々とわかったよ。到底信じられないけどな」

「そうなんだ。でも兄貴、まだ哀しそうな顔してる」

「ああ……俺にも色々あるんだよ」

「まあ、深くは聞かないでおこう、妹として」

「そうしてくれ。それよりもこのノート燃やすぞ」

「うん」

 庭に出るケントとクリス。

 ケントがライターでそのノートに火をつける。

 燃えたノートは煙となって天に昇っていく。

 それはゲームで死んでいった参加者たちへの弔いのようにも見えた。

 余談だが、天谷真綾の死体はまだ見つかっていない。

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マガサシ 大友 鎬 @sinogi_ohtomo

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