第7話 ぼくに願いを潰されて、後悔しながら死ね

 ミノルの人生は、ほかの人に比べるととてつもなくつまらない。

 学校ではスクールカーストのなかでミノルはうまく立ち回って、下の人間には嫌われず、上の人間には好まれるように生きてきた。

 友だちは多い。けどその友だちとも中学校を卒業したらそれっきりが多かったから、高校を卒業したも、きっとそれっきりなのだ。

 ミノルにとって親友と呼べる人間なんていない。

 絆とか情とか、ミノルはあまり好きじゃなかった。

 そもそも、ミノルがここに来たのは、ゲームが欲しいと書き込んだからだ。

 ミノルは将来のこともよくわからないし、まだあまり考えたこともなかった。


 ***


 そういえば、告白の返事してなかった。とミノルはふと思い出した。

 うまく立ち回らないとややこしいことになるんだろうなあ、とミノルは思う。

 スクールカーストの上位に君臨するひとりが確かその子のこと好きだったし。

 ゲームに参加して死ぬのなら、そんなことを考えなくていいのだけど、ミノルは生き残るつもりだった。

 だから生き残ったあとのことも考える。

 ミノルは周囲を見渡した。

 大勢いたこの部屋にももう三人しかいない。

 しかもAチームはひとり脱出したことで自分ひとりだ。

 結局、自分が思いついた策を誰かで試すことなく、ぶっつけ本番でやらなければならない。

 少し不安はあるが、それでも自分の策に自信を持っていた。

 ミノルは歩き出す。

 見送ってくれる人は誰もいない。

 ひとりでステージへと上がっていく。

 それから五分、Bチームのふたりはどちらも上がってこなかった。

 ミノルに少し苛立ちが募る。

 早くしろよ、と思いながらも言わない。

 ただ表情には出ている気がした。

 ちらちらとBチームの少年が――ヒガシがミノルのほうを見ては視線を逸らすというのを繰り返していた。

 いったい、なんなんだ。

 イライラが募り、怒鳴ってやりたくなる。

 そんなときだった、

「アモロ! アモロ、質問がある!」

 ヒガシが大声を張り上げてアモロを呼ぶ。

 アモロが反応するわけない。

 今までアモロは参加者がステージに登るまで現れなかったから、ただそれだけでミノルはそう思っていた。

 けれど予想に反して、

「どのようなご質問でしょうか?」

 アモロは現れた。

 ステージ上にではなく、ヒガシの目の前に。

 目の前に現れたことに驚いたヒガシは一歩後退り、言った。

「もし、このゲームに参加しなかったらどうなる?」

「前にも言ったと思いますが、参加しなかったチームは全員が……」

「違うっ! Aチーム側はひとりしかいないだろ。もしこのゲームにぼくたちが、Bチーム側が参加したら、Bチーム側はひとり余るじゃないか。そのひとりはどうなるんだ? 不戦勝にでもなるのか?」

 ちょっと待てよ、とミノルは思う。それだったら卑怯すぎる。

 さっき、ヒガシが参加しなかったらどうなると言ったときでさえ、ミノルは気が気じゃなかった。

 参加しなかったチーム側は殺される。

 じゃあ参加したチーム側は? 願いが叶うのか? 死なないのか?

 そういえばなにも聞かされてないことを思い出したのだ。

「いいえ。むしろ不戦敗になりますよ。みすみす願いを叶えるチャンスを逃す人を、わざわざ生かしておく意味もありませんからね」

「じゃ、じゃあ、残ったほうはなにも叶えられずに死ぬんだな?」

「ええ、そのとおりです」

「ははっ」

 ヒガシは笑った。卑下た笑いだった。

 ヒガシはマアヤのほうを向いて言う。

 マアヤは得体が知れない。

 ゲームが始まってから今まで微動だにしない。

 ミノルは黙ってヒガシの行動を見守る。

「おい、あんた」

 ヒガシはマアヤに話しかける。

 反応はない。

 それでも、ヒガシには関係ない。

「次は僕が行く! 僕が行って、お前の願いを潰してやるぅ! ヒャハハ、どうする? お前がひざまづいて私に行かせてくださいっていうなら、考えてもいいけどぉ?」

 反応はない。徹底的な無視。

 徐々にヒガシは腹が立ってきた。

「はん。ならいい。僕に願いを潰されて、後悔しながら死ね」

 ヒガシはマアヤにそう告げて、ステージへと向かう。

 ミノルはヒガシの正確な年齢なんて知らないが、同世代、もしくはひとつ年下か年上というところだろう。

 それでも、最低だなと思った。もっともそれを面白がっている自分自身もいるのだが。

 ヒガシがクズなのは見てわかった。でもシンジなんかよりも人間味があっていい。とミノルは素直にそう感じていた。

 ステージにヒガシが登るとアモロも移動する。瞬間移動。ワープ。

 やっぱり現実味を帯びてない。ここはまるでゲームの中みたいだ。

 やっていることもサイコロを振るだけというシンプルなゲームなのだけど。

 本当に現実世界なのか、仮想世界じゃないのか。いつのまにかバーチャルリアリティが実装されていて、自分たちはその被験者にされたんじゃないのか。だから願いを叶えるだの死ぬだのは実は深層心理的な実験で、ゲームに勝とうが負けようが、現実世界のベッドの上で、よく病院の患者とかが着てそうな緑のローブみたいな、名前は知らないけどそういうものを着たまま目覚めるんじゃないか。

 リョウジがこれをドッキリと表現したけれど、ミノルにも似たような感覚があった。でもそれも違うんだろうな、と同時に感じていた。

 いやむしろ、ゲームばっかりやってきた――とはいえ浅く広く、飽きっぽいから色んなゲームをやっては売って、やりこみにはほど遠いのだけど――、そんな自分だから、これが現実なら面白いなんてことも、感じていた。

 でも、なんとなくだけど、それも認めたくない。こんな理不尽が現実だなんて。

 さっきから思考が定まらない。

 色んなことを考えてしまう。

 それでもひとつだけわかることがある。

 これからどう生きていくなんてわからないけど、それでも必死に生きることに執着していた。

 うまく立ち回って生きていくだけの人生が面白いかどうかなんかわからない。もしかしたら何かのきっかけでその人生がどん底に落ちたり、もしくは好転したり、プラスにしろマイナスにしろ、転がっていく。

 まるでサイコロみたいだな、とアモロの手のひらに乗ったサイコロを見ながら思う。

「ミノル様、ヒガシ様、どちらから始め――」

 ますか? と言い切る前にヒガシがサイコロを奪う。

 最後まで話を聞いてから動くものだと思っていたミノルは少し驚くものの、確かに先手を取るなら話なんて聞いてる場合じゃないよなあ、と納得してしまう。

 ミノルは立ち回るのがうまい反面、最後まで話を聞いて、どう行動するか考えてしまうことが多い。

 話を聞かずにサイコロを奪ったヒガシは、ミノルからの罵倒がないことに少し呆気に取られていた。

 どいつもこいつも姑息なことをしたら、卑怯だと喚くくせに。

 まあいい、たまたまだ、とミノルの思考が読めないヒガシはそう思い込んで、サイコロを箱の中に投げ込む。

 いい目を出してプレッシャーを与えてやる、そう思ったからこそヒガシは先攻を奪い取った。

 いい目を出すというが、ヒガシはただ転がしただけだ。

 そこにテクニックもなにも存在しない。

 例えばサイコロを四角形から菱形にして、『1』の目が下の面のどれかになるようにして、コマのように回せば、回転が止まったとき、『6』を含んだどれかになる確率が高かったりとそういうようなテクニックがあるといえばある。テツが使ったのもテクニックといえる。

 しかしヒガシはいい目を出してやると意気込んで転がしただけ。

 だから結局は運否天賦。

 ゆえに

「和は2です」

 最悪の目をたたき出すこともある。『1』と『1』。真っ赤なふたつの目がヒガシを見つめていた。

「ああ、ああああああああああああっ!」

 悔しげにヒガシは叫んだ。今まで勝ちたいという素振りを見せなかったのに、なにを今更とミノルは思ったが、それは違った。

 ヒガシは自分の人生を、まるでサイコロにも再現されたようで悔しかったのだ。


  ***


 ヒガシは中学1年生の夏から、引きこもりになった。

 中学校に入学した春、なにがきっかけかわからないがヒガシは壮絶ないじめにあった。

 小学校はとてつもなく楽しくていじめと無縁の生活だったから、なんでこんなことにという戸惑いと、人間が怖いという恐怖が芽生えた。

 すぐに親に相談したけれど、いじめた人間も、学校すらもいじめはなかったと言い張る。いじめた人間はそれをいじめと認識していないし、学校は体面を気にした、ただそれだけのことかもしれないが、ヒガシにはそれが裏切りに見えて、不信に変わった。

 誰も信じられない。親ももしかしたらいつか自分を裏切るかもしれない。引きこもりを許容してくれた親に対してさえ、ヒガシはそんな思いを抱き続けてきた。

 誰か信じれる人はいないのか、そんな思いでヒガシはネトゲーを始めた。

 ネトゲーだから顔は見えない。けれど、だからこそ気軽に付き合える関係が生まれて、何度もミッションをこなしていくうちに絆が生まれた。すばらしい世界だと思った。

 ヒガシはその世界にのめりこんでいく。

 それから4年、ともに冒険をしていた仲間たちとヒガシは出会いと別れを繰り返していた。

 就職、進学、結婚、様々な理由で、仲間たちはネトゲーを卒業していく。その理由がチャットの話題にあがるたびにヒガシは悔しく思う。

 自分にはもうその可能性はない、と。

 それが羨ましい気持ちからだと気づいてはいるがヒガシはそれを押し殺す。

 自分にはこのネットの絆が、薄っぺらい絆があれば大丈夫だ。

 そう思い込んでヒガシはネトゲーにのめり込む。

 自分は変われない。努力なんて無駄だ。

 ヒガシはそう思うようになってしまっていた。

 変わりたいと思っているくせに、ヒガシは変わろうとしてなかった。


  ***


 お前の人生は最悪だ。

 サイコロにすら、そう言われたような気がして、ヒガシは悔しくて、叫んだのだ。

 じゃあ、僕はなにをすれば変われたんだ?

 そんなこと、学校じゃ教えてくれなかった。それどころか学校は、僕を見放した。

 まるで僕になにも望むな、と言わんばかりに!

 ヒガシは言い訳をする。

 ヒガシはただ行動すればよかった。足掻けばよかった。それすらしなかったから、ヒガシは変われないのだ。

 アスナロが同級生たちを虐殺したのは、言わば変化だ。そうやって自分を苦しめた要因を排除して変わろうとした証拠だ。

 コノカが最期の最後に自分の足で立ち上がったのも、死ぬとしても、今のままではだめだ、変わろうと思ったからこそだ。

 なのに、ヒガシはなにもしなかった。死ぬ、とわかってヒガシがしたことと言えば、いやがらせだ。

 最後のひとりは願いを叶えられず死ぬ。それを知ったから、マアヤの邪魔をしてやろうと考えた。

 最後の最後にマアヤがなにかしてくれるかもしれないと信じて、自分が最後のひとりになるという方法もあったにも関わらず、ヒガシは最後の最後に、誰も信じずに、誰もが自分をいじめた人間と同じだと思い込んだ。

 それはネトゲーで生まれた絆が、やはりうすっぺらいもので、ヒガシの根本を変えることができなかったと証明しているようなものだった。

 思えば、ヒガシは怖いからという理由でオフ会に参加したことがなかった。参加していれば、あるいは何か変わったのかもしれなかったのに。

 ヒガシは変わることを拒んだ。

 だから、サイコロが示した目は自業自得。自分が招いた結果なのかもしれない。

 ひとしきり叫んだヒガシを尻目に、ミノルはアモロからサイコロを受け取る。

 引き分けか、勝ちしかない勝負はなんて気楽だ。

 ミノルには幾分余裕が出てきた。

 これは願いが叶いそうだな、なんてことを思って、ミノルはサイコロを振るう。

 二個のサイコロが示した数字は『3』と『5』。

「和は8です。よってシンジ様の勝利となります」

 アモロの声が響き、ヒガシはがっくりと膝をつく。悔しかろうがなにかを変えようと努力してこなかったヒガシに誰も同情しなかった。

 もっとも、この場にいるミノルやマアヤにアモロは同情するようなタイプではない。かと言って他に誰かがいたとしてもヒガシにだけは同情はしないだろう。

 膝をついたヒガシはそのまま土下座をするようにぐったりと倒れた。

「さて、それではミノル様、あなたの願いはなんですか?」

 ヒガシを見向きもせず、アモロはミノルだけを凝視する。

 仮面の下を見せてくれ、なんて願ったら叶うのだろうか。悪戯心が突然芽生えた。

 死ぬ前の願いがそれなんてバカすぎる、でもちょっと面白いかも。

 なんて考えるのは、今から願う自分の策に穴があるんじゃなかろうか、と思ってしまうからだ。自信があったのは確かだが、いつものことを思うと不安にもなるのだ。

 ミノルは学校の上位グループが下位グループをからかうとき、どんなことをするべきかと尋ねられることがある。そこで突っぱねれば、上位グループになにをされるかわからない。だから思いつきで、面白そうなことを提案する。

 それこそ、アモロの仮面を下を見せてくれ、というような、一個人だけが嫌がりそうな提案を。

 そして上位グループの人間はそれを実行する。思いつきだから、できるかできないかはわからない。試したことがないから。

 で大抵、できずに失敗する。でも上位グループはそれで周囲が面白がっていることを認識すると満足する。人気者を維持できたような気分になるから。お咎めなし。成功すれば、それはそれで、周囲が面白がるから、満足する。

 失敗したのは思いつきだからで、具体的な方法とかを提示もしなければ、実際にやったこともないからで、どこかに穴があるのだ。

 でも実際はそれでいい。思いつきってのは結構大事で、でも穴があるから、何度も思考錯誤してその穴を埋めていく。ミノルが考えたカンニング方法も始めのうちは何人かにわざと教えて、どんな穴があるかを確認して、それを埋めていくのだ。

 そうしていくうちに完璧に近いものができあがる。

 そうやってミノルは思いつきを上質な策へと変えていく。

 けど、今回は少し不安があった。

 唆したシンジが負けた。だから、穴を確認していないのだ。

 でも今回はそれでもやるしかない。

「おれを生き返らせてくれ」

 ミノルは言った。

 死んでも生き返れば、おれはゲームから解放され、外に出られるのだ。

「かしこまりました」

 その了承の返事を聞いて、ミノルは笑みがこぼれる。

 これで、これでようやく解放される。

 それは安堵だった。

 アモロの手から白い煙が出る。

 そしてその白い煙がアモロの手の中で拳銃に変わった。

 どうしてだ、とミノルは疑問に思う。

 アモロが銃口をミノルに向けた。

「ちょっと待てよ、おれの願いは生き返らせてくれ、だよ。意味わかってるよな?」

「ええ、存じ上げております。ですからミノル様には一度死んでもらいます」

 ミノルは唖然としてしまう。アモロに言われて、わかってしまったのだ。

 穴が。ぽっかりと自分の策に空いた落とし穴が。

 ミノルはゲームに参加した全員が支払う代償としての死を回避するために、この願いを言ったつもりだった。

 しかしアモロはそうは解釈しなかった。

「違う。そういう意味じゃないっ! おれは……おれは……」

「残念ながら願いの訂正はできません」

 アモロは引き鉄を引いた。

 ミノルの額へと弾丸はのめり込み、ミノルはそのまま後ろに倒れた。

 アモロは無言で拳銃をミノルに投げる。拳銃は白い煙になって、ミノルを包んだ。

 そして倒れたはずのミノルを起き上がらせ、真っ直ぐ立たせた。

 ミノルを貫いた弾丸はまるでビデオテープで再生された映像を巻き戻したかのように、ミノルの額から抜け、ミノルの額がもとに戻っていく。

 しかし完璧に戻ったわけじゃない。ミノルに生き返ったことを痛感させるためか、弾丸が貫いた場所には丸い、弾丸と同じ大きさの傷跡があった。

「おれ……は、おれは……」

 なにが起こったのかわからなかった。でも数分、いや数十秒前に感じた弾丸の痛みは覚えていた。

 どうなった? 確認してはいけないような、気がする。

 それでもミノルは恐る恐る、額を触り、そして丸い傷跡に触れた。

「おれは、生き返った……」

 恐怖だった。死ぬという感覚を味わって、恐怖しかなかった。

「さて、あなたの願いは叶えました」

 だからこの世に用はないでしょう、と言わんばかりにアモロはミノルに告げる。

「い、いやだ。おれは、おれはまだ……」

 もうあの恐怖を味わいたくなかった。死にたくなかった。

 あんななにもないところへ行きたくなかった。

「いやだ、いやだあああああああああああ」

 叫ぶだけ叫んで、ミノルは前のめりに倒れた。目には涙があった。

「さて、残るはあなただけですね、マアヤ様。ヒガシ様に質問されたときに予告してた通り、あなたには死んでいただきます」

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