第4話 ぼくが自己犠牲をしなくてどうする

「恋は盲目っていうじゃない。あの人はきっとケントさんを助けるのに夢中だったんだよ。夢中だとほかのことに頭が回らなくなるじゃない。だからアタシたちのことにまで気が回らなかったんだよ」

 エツハがそう言ってミノルを宥めようとする。

「だったら次、お前が参加者になって、おれらを救ってくれよ」

 ミノルはそんなもので納得なんてしない。

 そんなことをいうならと、エツハにそうしろと打診する。

「アタシは……あの人みたいに高尚な人間じゃないよ。アタシはみんなを助けるよりも、自分の願いを叶えたい」

「死ぬのに? おれには理解できない。だっておれまだ高二だぜ。まだ死にたくない。おれは願いを叶えて死ぬだなんてお断りだ」

「アタシだって、キミと同じような年齢だよ。でもアタシはなんにしたって死ぬと思うから、だから願いを叶えたい」

 それは生きることへと諦めだろうか。それとも願うことへと執着だろうか。

 どちらにせよ、ミノルとエツハの考えは寄り添うことはないように思えた。

「あっそ」

 そう判断したミノルは投げやりに返事をして、無理やりに話を変える。

「で、結局、次は誰が行くんだよ」

 切り替えが無理やりに見えはするものの、すでにBチームでは参加者が壇上にあがっている。

 リョウジとは違い、もう一方のチームを焦らせるように怒鳴りはしないが、参加者が決まっているという時点ですでにもう一方にプレッシャーがのしかかる。

 残っているのはミノルにエツハ、シンジとアスナロ。

 リョウジが死に、ケントが離脱した今、Aチームは四人とも成人ではなかった。

 最年長はエツハの19歳。けれどおとなしい性格ゆえか、率先して話すようなタイプではなかった。

 仕方なく、というか自然と、いや、自分が生き残りたいからこそ、ミノルがAチームを仕切っていたが、シンジもアスナロも何も文句は言ってこなかった。

 というより、ミノルから見れば、ふたりは異質。エツハも同じように考えているのかもしれない。だからこそミノルとの会話には参加するものの、ふたりと話そうとはしていない。

 なにが異質かって気持ち悪いのだ。

 アスナロは終始、何もかもが気に食わないというような目で、にらみを利かせている。

 誰に、とか関係なく、どこにでも。

 それがある種の殺意のようなものに感じられて、ミノルは近づかずにいた。

 シンジはリョウジが第2回戦に参加する前につぶやいていたような、気持ち悪い呟きが多い。

 具体的にはこうだ。

「ククク……面白くなってきたな」「兄さん……ボクはどうなるんだろう」「大丈夫だ、オレ様が守ってやる」

 三人いるようにも感じられるが、これら全てがシンジの口からつぶやかれていた。

 断続的にならまだしも、連続的に。

 まるでひとりで会話しているかのように。

 それが気持ち悪くてならない。

 ミノルの同級生にも、いわゆる「厨二病」と呼ばれる人たちはいたが、こうまで酷くはなかった。

 まあ、そんなわけでミノルはふたりに近づかなかったわけだが、それでも一応、Aチームを仕切っているミノルとしては、チームであるふたりも別の意味で(それこそ次に自分が参加者にならないために)気遣う必要があった。

 これなら、学校で嫌いなやつを自然と省くチーム作りのほうがよっぽど健全だ、などと思いながら。

 とはいえ、その気遣いも無用だったといえる。

 なにせ、シンジもアスナロもその問いかけを無視した。いや、無視したという表現は少し違うのかもしれない。

 ふたりが反応する前に、

「次はアタシがいくよ」

 そう言ってエツハがステージへと歩き出す。

 ミノルは舌打ち。全員を救わないと断言したエツハでは自分は救われそうにない。

 ミノルはさっさとケントのようにこのゲームから解放されたいのだった。

 こうなればBチームのやつに頼りにするしかない、とミノルは壇上にいるクンジを見据えた。


***


「ぼくが行こう」

 クンジは第2回戦が終わって早々そう言った。

「どうして?」

「ぼくが自己犠牲をしなくてどうする」

 クンジが参加者になろうと決意したのには理由がある。

 第2回戦のカンナを見たからだ。

 カンナは自らの命を代償に、ひとりの男を救った。

 そして男は救われた。もっともそれが嘘で男が殺されていたのだとすると報われないが、それまでも疑うと救いがなくなってしまう。

「ぼくは、ぼくは警察なんだぞ。ぼくがみんなを守ってみせる、救ってみせる」

 みんなを守ろうと決めてクンジは警察になった。

 だったら自分の命を捨ててでも、みんなを救わなければならない。

 命を捨ててでもという考えは軍人かもしれない、とクンジは思った後、血は争えないと笑った。

 曽祖父は戦争で活躍し、祖父と父は軍人なのだ。その血を自分が受け継いでいないわけないと。

 それでもクンジが軍人ではなく警察を選んだのは、攻めるのではなく守りたいと思ったからにすぎない。

 女々しいやつめ、と祖父には笑われたが、父は理解してくれた。それだけでも自分は恵まれていると思わなければならない。

 もっとも守りたいと言っておきながら、なにが守れたのかと言われれば言葉に詰まる自分がいることも忘れてはならない。

 あのことを忘れてはならない。

 自分が叶えたい願いはない、とは言わない。 

 クンジだって自分の願いを書いたクチだ。

 それでもカンナの自己犠牲を、献身的な愛を見てしまった以上、クンジは退けない。退いてはならない。

 そこでひいては名折れだ。身分も何もかも貶めてしまう。

 いや、誇りなんてどうでもいいのかもしれない。

 クンジは命を賭して守ることで、罪滅ぼしがしたかったのだ。


 ***


 クンジが警察官になったのは、守るためだ。

 守る、と単に言っても、守る、にはたくさんの種類がある。

 世界を守るというのはさすがに大げさで、そんなことを考えるのはマンガのキャラクターか中学二年生しかいない。

 日本を守るのなら、軍人になればいいだけだし、スーパー戦隊や仮面ライダーみたいなヒーローがいるのなら彼らに頼めばいい。

 ひとりを守るというのであれば警察官という職業を無駄遣いしているようにも思える。

 地域を守るというぐらいがちょうどいい。

 とはいえクンジはひとりを守るために警察官になった。それこそ職業の無駄遣いと言われても仕方ない。

 もっとも職業上、ひとりを守るために自由に動くことはできない。

 それでもクンジはひとりを守るために警察官になった。

 そのひとりというのはクンジの妹だった。

 クンジの妹をクンジは身内びいき甚だしいが、絶世の美女だと思っている。

 他人から見れば、そこそこ美人という程度だが、クンジは妹を溺愛していた。

 そこそこ美人の妹は案外無防備な一面が多いせいか意外とモテた。

 いつか悪い男にほいほいついて行くんじゃないか、そんな思いがクンジにはずっとあって、だからこそ警察に入って妹をいつでも守れるようにしようと考えた。

 とはいえ、警察も多忙だ。

 妹に付きっきりというわけにもいかない。

 警察に入ったのは間違いだったかもしれない。クンジは仕事をしながらも、そんなことを思ってしまった。

 それこそボディーガードになったほうが妹を守れる時間が多い気がした。

 しかしながら妹は自分が危険な目に遭うと思ってなどいないからクンジがボディーガードになったところで、クンジを雇うはずがなかった。

 どうすべきか、と考えながらもクンジは警察官を辞めなかった。

 変なところで真面目なクンジは辞めることがなんだか自分が警察官になった動機を裏切るような気がしてならなかったからだ。

 だからクンジはずるずると、それでも真面目に警察で働き続けた。

 そんなある日のことだ、妹が突然いなくなった。駆け落ちらしい。駆け落ちを決意したのは妹ではなく相手の男。妹はそれを断りきれずにずるずるとひきずられるように男と一緒に逃げたのだ。

 クンジはひどく落ち込んだ。なんのために自分は警察になったのか。

 けれど同僚たちは全力でクンジの妹を捜索してくれた。なのにクンジの妹は見つからない。

 武人のように威厳に溢れていた家族にも焦燥の色が浮かび、まるで別人のようになってしまった。

「お前が……守るんじゃなかったのか」

 警察官になるときにクンジは妹を守るためだと兄に話していた。

 なのに妹はいなくなった。

 イヤミのように兄に言われてクンジはなにも言えなかった。

 妹を守れなかったのだから。

 その後、捜査は打ち切りになった。

 それから五年、クンジは妹がまだ生きていると信じていた。警察を辞めようとも思ったが、警察と身分は何かと役立つだろと同僚に言われて、クンジは今でも警察官だった。


  ***


 そんなクンジがカンナの自己犠牲を見て、次は自分の番だと決めたのは、妹を守れなかった自分は誰かを守らなければ警察である意味がないと強く感じたからだ。

 だからクンジはステージにあがる。

 ここにいる参加者をこのゲームから守るために。

 そして対峙したのは、一瞬、妹とだぶって見えたエツハだった。

 少しだけ動揺する。

 妹を守れなかった代わりに、全員を守ろうと決めたのに。

 クンジと対戦する妹に似たエツハは助けられない……かもしれない。

 対戦相手を含んだ全員を脱出させてくれと願えばなんとかなるかもしれない。

 でも、それが無理かもしれないと思ってしまうクンジもいる。

 願いを叶える前後で、対戦相手は死んでいる。

 全員を生きた状態で脱出させてくれ、そう願うならいけるかもしれない。

 あれこれとクンジが考えるなか、

「それでは三回戦を始めましょう」

 アモロが出現する。

「ではエツハ様、クンジ様、どちらから先に始めますか?」

 アモロは相変らず抑揚のない声だ。

 笑い顔がかたどられた仮面が気に食わない。

 クンジとアモロはこの空間に来てから、一番多く対立してきた。

 なのに、それすらアモロは気にしてないようだった。

「あなたからやってもらっていいですか……?」

 アモロの問いかけにエツハはクンジに先に投げるように促した。

 自分から投げると言い出すのかと思っていたクンジはわずかに面食らってしまう。

 その後、エツハが促すからにはなにかあるのかと勘ぐってしまうものの、すぐにそんなことはないと思いなおす。いや、開き直った。

 仮になにかがあるのだとしても、クンジはそれがなにかわかりもしないし、クンジからしてみれば先攻だろうと後攻だろうとあまり違いはないように思えた。

「わかった。ぼくからやろう」

 宣言と同時にアモロが近づき、クンジへとサイコロを渡す。

 手のひらにサイコロを受け取ったクンジはそのまま右手をひらき、手のひらにのったふたつのサイコロを見る。

 想いの力。カンナはそう言っていた。

 そしてそれを信じていた。

 信じていたからこそ、カンナは12という和を出した。

 クンジはそう信じたい。

 そしてゆっくりと右手を閉じていく。

 閉じきった後、クンジはゆっくりと念じた。

 みんなを守ってみせる。

 そしてサイコロは放たれた。

「和は5です」

 アモロの宣言。

 箱のなかで止まったサイコロは『4』と『1』。

 出目としては下の中とでもいうべきか、あまり良くはない数字。

「くっ……」

 少し分が悪く感じてクンジは呻く。

 いくら守ると決めても、勝てなければ守れないのだ。

 目の前の少女が――エツハがカンナの自己犠牲に感動してくれていれば、どちらが勝っても全員を守れたかもしれない。

 けれどエツハがそうするとは限らない。

 だから、クンジは勝たなければならなかった。

 なのに、勝つのには難しい目だった。

「ではエツハ様、どうぞ」

 箱の中のサイコロをアモロはエツハに渡す。

 エツハは受け取った後、深呼吸して、静かにサイコロを転がした。

 エツハは両手を合わせて祈っていた。

 無意識にクンジも目を瞑り、祈っていた。『5』以下になれ、と必死に祈り続けた。

 サイコロが止まる。

「和は5でございます」

 目を開いて、箱の中を覗く。『3』と『2』だった。

「引き分けだとどうなるんですか?」

「確かにそれについてはご説明していませんでした」

「どっちも願いが叶わないと言うんじゃないだろうな……」

「そんなことは言いませんよ。もっともどっちも願いが叶う、なんてことも言いません」

「じゃあ、どうなるの?」

「どうもこうもやり直ししていただくだけです。やはり勝敗はつけていただかないと」

 そう言ってアモロはクンジへとサイコロを渡す。

 ひと安心したクンジは再度、サイコロを投げる。

 一個のサイコロが先に止まる。『5』。

「和は10でございます」

 さらに、もうひとつのサイコロも『5』を示した。

 その出目にクンジは安堵する。これなら全員を守れるはずだ。

 でも油断はしてはいけない。あのサラリーマンもそれで負けたのだ。

 前回の戦いを思い出して、意識を切り替える。

「次は、アタシ……ですね」

 クンジの出目が大きかったことでエツハは緊張する。

「アタシは、勝たなきゃ……勝って、お父さんに会うんだ」

 それでも、エツハは自分の願いを口にして、アモロからサイコロをふたつ受け取った。

 その願いを聞いてクンジはエツハがやはり、全員を守ろうとしていないことを知る。

 ショックなどない。なんとなく予想はしていた。

 だとしたら、絶対にこの勝負は勝たなければならない。

 クンジはエツハの手から解き放たれたサイコロの行方を黙って見つめる。

 出た目は『6』と――

「和は9でございます」

 『3』だった。

「よって、勝者はクンジ様です」

「よしっ!」

 クンジは思わずガッツポーズをする。これで全員が守れる。

 対してエツハはその場に崩れ落ちた。

「アタシの……負け……でも、これで良かったんだ」

「ああ、その通りだ。安心しろ……全員生きて、ここを脱出できる」

「……アタシはもういいです。これで良かったんです。このまま死なせてください。これ以上、生きてたら、アタシ、アタシ、おかしくなる。アタシの願いはきっと、叶わないほうが良かったんです。これは神様が……んだ。アタシが……人……になるのを」

「なにを言ってるんだ? どういうことだ?」

「……」

 けれどエツハの返事はなかった。すでにエツハは息絶えていた。リョウジがうるさいという理由でアモロによって殺されたことをクンジは知っていた。

 だからクンジはアモロを睨みつける。

「どうして、彼女を殺した?」

「参加者は死ぬ、と前もって言っていたはずですが……」

「このタイミングじゃなくても、良かった。せめて、彼女が最後の最後でなぜそんなことを言ったのか、わかってからでも良かったはずだ!」

 なぜ、彼女が死なせてくれ、と言ったのかクンジにはわからなかった。

 エツハも含めて、クンジは守ろうとしていたのに。

「だったら、エツハ様が生き返ることを願えばいいじゃないですか? それとも、彼女がなにを考えていたのか知りたいと願いがいいじゃないですか? あなたにはまさに今、その権利があります。願いを叶える権利が……!! さあ、あなたの願いはなんですか?」

 悪魔のささやきだった。

 本当に全員を守りたいのなら、そんなことに耳を貸さずに、自分が最初から思っていたことを願えばいい。

「惑わされるなっ!」

 テツの声が飛ぶが、クンジには届いていなかった。

 悪魔のささやきほど甘い声はない。それに勝る声はない。

 そもそも、クンジがこの空間のなかで一番守りたかったのは、エツハだった。

 妹にどことなく似た、大丈夫ですかと心配してくれた少女。

 その少女がお父さんに会いたいと願い、そして負ければ、叶わないほうが良いと言い、死なせてくれと願った。

 エツハの願いには父に会いたい以上になにか別の意味が隠されているのかもしれない。

 クンジは少女の願いが知りたくなった。

 同時に全員を守るという意識が薄れていく。

 それにカンナが願う前のアモロとのやりとりを思い出した。

 ――例えばわたくしがここから脱出したいと申した場合、どうなるんですの?

 ――その場合、あなたはここから出ることができますが、当然、ゲームに参加した以上、死にますよ

 ――ゲームに参加した以上、死にますよ

 その言葉は自分だけじゃなくて、エツハにも当てはまるんじゃないだろうか。

 だとしたら全員を生きた状態で脱出させてくれと願っても、脱出したあとにエツハは自分とともに死ぬのかもしれない。生きた状態でとりあえずは脱出させたのだから、あとはルールに則って殺す可能性のほうが高い。

 アモロはその質問に答えてくれるだろうか。

 おそらく、はぐらかす。質問だからアモロに答える義務はない。

 いくらでも自分の裁量でイジワルしていいのだ。

 そもそも、全員を守ると言うのは妹を守れなかったという傷を舐める行為でしかなかった。

 自己犠牲によって自己満足を得るだけだ。

 妹を守れなかったという事実は消えない。

 守りたかったエツハにもこのまま死なせてほしいと拒絶された。

 どうすればいいのか、クンジに迷いが生じていた。

 ふと、エツハの顔を見ると、涙の跡が頬を伝っていた。

 それを見てクンジは吹っ切れた。

「彼女の願いを叶えてやってくれ」

 他人から見れば正気の沙汰ではないのかもしれない。

 解放されるとばかり思っていたBチームの人間からすれば冗談じゃないだろう。

 絶望の色に染まっていく。

 でも、クンジは後悔しない。

 全員を守ると決めたのも自己満足を得たいからだ。

 エツハの願いを叶えると決めたのも、自己満足を得たいからだ。

 結局、どっちも自己満足なら、大丈夫ですか、と心配してくれた少女の思いやりに応えたっていいじゃないか。

 クンジは開き直る。

「かしこまりました。それではエツハ様の願いを叶えましょう」

 そう言うと、サイコロを投げ入れるための箱が消え、その場所を白い煙が覆う。

 なにが起こるのかと、全員が見つめるなか、煙が下からじょじょに晴れ始める。

「人……?」

 スラックスを履いた足が見え、誰かがつぶやいた。

 そして全貌が露になったとき、

「おまえぇ!」

 クンジは現れた人間に掴みかかっていた。

 その人間は、クンジがずっと捜し求めていた男。当時よりも白髪としわが増えていたが間違いない。

 妹と駆け落ちした男だった。

 なんでこいつが、ここにいるのかなどと聞くよりも先に、頭に血が昇ったクンジは男を殴りつける。

「な、なんで……? というかなんだよ、ここ!」

 男は突然の事態に何も把握できていなかった。

「ここがどこだろうとお前には関係ないだろう……それよりも、妹は、妹はどこにいるっ!?」

「ひぃい……あんた、誰だよ……誰なんだよお」

 男は怯えて後ずさる。

「忸怩という苗字に覚えはあるか?」

 胸倉を掴み、男を立たせるとクンジは問う。

「忸怩……忸怩? ああ、思い、思い出した……あの世間知らずな女か……、あの女なら……」

「どこだ、早く答えろっ!」

「とっくに死んでるよっ……」

 クンジは無意識のうちに殴った。こんな男と駆け落ちして、妹が死んだ……頭に血が昇りながらも、クンジは動揺していた。おかしな昂揚感がある。

「ひひっ……あの女はいい女だった。いっぱい稼いでくれたからな」

 下卑な笑いにクンジは反吐が出た。もう一度掴みかかろうとしたところをアモロが止める。

「なにをするっ! 邪魔を、邪魔をするな!」

 アモロに敵わないのはわかっているが、だからどうしたというのだ。

 この男だけは、絶対に許せない。クンジはアモロを振りほどこうとする。

「落ち着いてください。エツハ様の願いはまだ叶っていませんよ」

 そう言われて、クンジは少しだけ頭を冷やす。

 そうだ、これはエツハの願いなのだ。

「エツハ様は、お父さんに会いたいとまずは願われました」

 ということは目の前にいるのがエツハのお父さんということになる。なんというめぐり合わせだ。

 自分を心配してくれた少女の父親が自分の妹をかどかわした男などとは。

「エツハ……? エツハがいるのか……?」

「ええ、そこで死んでいらっしゃるのがエツハ様です」

「死っ……死……な、どういうことだ……お前が……殺したのか?」

「ぼくじゃない」

「ハハ、なんだよ。あっけねぇなあ、エツハ。ま、顔なんて良く覚えてないけど」

「お前っ!」

 実の娘の死に、嘆きも哀しみもせず、驚いたあとは呆気なく笑い飛ばす。

 そんな男の態度を見て、クンジは再度掴みかかろうとするが、またもやアモロが邪魔をする。

「邪魔をするな、アモロ!」

「そうやって、殴りかかってエツハ様の願いを実行するのはいいですが……それじゃあ時間がかかりますよ」

「どういう……ことだ?」

「もし手っ取り早く願いを叶えて差し上げたいのでしたら、これをお使いになっては?」

 クンジの疑問を無視して言葉を続けるアモロがクンジに見せたのは拳銃だった。

「なに、を……?」


 ***


 エツハは母子家庭だった。より正確に言えば、母子家庭になった。というのが正しい。

 エツハが幼い頃、父親が突然出て行った。

 当時のエツハにはそれが離婚だとはわからなかったし、ましてやその理由が他の女を作っただなんて思いもしなかった。

「お父さんはもう戻ってこないのよ」

 母の言葉に、もう父親に会うことはないんだと幼いながら理解したエツハがいた。 

 その言葉とその言葉を告げたときに一瞬だけ見せた母の顔をエツハは今でも鮮明に覚えている。

 それからの母は専業主婦をやめ、仕事を始めた。エツハを養わないといけないからだ。

 それまでバイトすらしたことがなかった母の苦労は、エツハが成長してバイトを始めてようやく理解できた。バイトの初日が終わってエツハは母親にこう告げた。

「ありがとう」

 母親は嬉しさのあまり泣きそうになっていたのをエツハは覚えている。

 そんなある日、母親が倒れた。

 過労だった。無理をしすぎたのだ。エツハに負担をかけまいとして招いた結果だった。

 エツハは今まで以上にバイトを増やして、そしてエツハも倒れた。

 エツハも過労だった。

 どうして自分はこんなに苦労してるんだろう、と思った頃だった、エツハは自分の父親が、他に女を作って駆け落ちしたことを知る。母親と自分を捨てたことを知ってしまう。

 どうやって知ったのだったか、もはやそれがどうでもいいと思えるぐらいにエツハには憎悪が芽生えた。

 自分や母親がこんなにも苦労しているのは父親が捨てたせいだ。

 許せない許せない。

 わたしが、ううん、母さんが苦労しているのは、父さんのせいだ。

 エツハは自分のことはともかく母に苦労をかける父さんを恨んだ。

 しかもごくたまにだが、父親は母にお金を催促していた。しかも、エツハに見つからないようにこそこそと。

 母さんは優しいから、そこにつけ込んで……。

 だから、その催促の場面を見てしまったエツハの憎悪の炎は膨らんでいく一方だった。

 お父さん、わたしはお父さんに会いたいよ。

 会って、言ってやりたい。これ以上、母さんを苦しめるな、って。

 そして――わたしの、わたしの手で……。


 ***


 クンジに拳銃を押しつけたアモロは言う。

「まだ理解できませんか? エツハ様はこう願われていたのです。お父さんに会いたい。会って、殺してやりたい、とね」

「なっ……!」

 クンジは絶句してしまう。エツハはそんな凶悪な願いを叶えようとしていたのか……。

 だが、クンジは拳銃を構えた。

「おい、なんだよ、それ冗談だろ……」

 男は腰砕けになって、立ち上がることができなかった。

「おい、誰か、助けてくれよ」

 そう言って、男はステージの上から辺りを見渡す。

 けれど他の参加者は理解が追いつかず、まるで金縛りにあったかのように動けずにいた。もっとも無関心な人間もいたけれど。

「誰かっ、誰かっ……!」

 拳銃を構えたクンジは自嘲気味に笑う。

 まさか、彼女の願いと自分の願いが似たようなものだったとはな。

 撃つのに躊躇いはなかった。

 銃声が響く。

 一発、二発、三発。

 男の身体が痙攣する。

 クンジはそれでも撃つ手をやめない。

 四発、五発、六発。

 男は絶命する。

「これで、いい。これで……」

 クンジはエツハを眺める。妹に似た、エツハを。

 そしてクンジの意識は闇に消えた。

「アタシの願いはきっと、叶わないほうが良かったんです。これは神様が止めてくれたんだ。アタシが人殺しになるのを」

 間際、クンジはエツハの最期の言葉を鮮明に思い出した。

 だとしてもクンジには関係なかった。

 クンジがしたのは、ただの自己満足なのだから。

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