第2話

北海道函館空港…滑走路の近くの海…

機内上空の窓に映る

夜の町のオレンジ色の明かりが彩る遠景のイルミネーションは、

都会の町とは違う慌ただしさではない、どこか落ち着きのある輝きだった…


同時に実感する七年間を過ごした場所に帰ってきたという、

安堵と懐かしさを函館の街が伝えてくれた…


飛行機から降りて、荷物置き場から、

大平の撮影機材入りのスポーツバッグと自分の持ってきたカートを引きながら

ゲートを抜ける中で…

白い恋人や北海道特産のラーメンなどが売られている店を見て…


ああ…俺は…旅人だけど、七年過ごした第二の故郷に帰ってきたんだ…

そんな気持ちが…胸の中から芽生えていた…


昌幸「そういやまだ来てないのか…荒山さん、雪道だから渋滞してるのかな?」


優吾「大丈夫だ、さっきメールがあったから、ほら、あそこにいる」


俺達が見た方向に雰囲気の重みがあるダンディな40代の男が

静かにしっかりと歩いてきた。


その人は今も昔も変わらない…

父親のように俺をしつけてくれた、育ての親のような人…

俺の居候先のおじさん…

親父の親友の荒山俊一郎あらやま しんいちろうさんだ…


俊一郎「やあ、優吾君。大きくなったな。

来年から君は会社員か、早いものだね。

顔から落ち着きも出てきて大人の男になってきたな」


優吾「おじさん…お久しぶりです。

こうして大人になれたのはおじさんのおかげです」


俊一郎さんはそれ以上言わずに、静かにほほ笑んだ。


俊一郎「そちらが大平君だね?初めまして

、話は聞いていると思うが、私が荒山俊一郎だ。

今日から9日間だが、私の家でゆっくりしていってくれ」


昌幸「こちらこそ、突然の申し出を快く引き受けてくださって感謝しています。

日本で有名なソムリエと言われた方に出会えて光栄です。

今度その素晴らしい自伝を聞かせてください」


俊一郎「ははっ、お世辞がうまいな。そう固くならなくてもいいよ。

私たちは短い間だが、これから家族と一緒に過ごす大切な客人なんだから

気軽に話してくれ。妻も君達のために腕をふるって料理を作っている。

待たせると悪いからね…話は車の中で続けよう」


俺たちは駐車場に停めてある大きな車に乗った。


大平が荒山のおじさんと色々と楽しそうに話しているのを横に、

俺は車の窓から流れる夜の函館の街の景色を見ていた。


昌幸「すっごい車ですね!

北海道の車ってやっぱり都会の車とは違うって感じですね」


俊一郎「こういう車に乗るのは初めてかい?ジムニーという名前の車でね。

冬にはこれで運転しないといけないのがうちの約束でね。

もう一台ジムニーとは別の車もあるんだが、

うちの酒蔵と同じようにガレージに眠っているんだ。

配達の時も使っているんだが、私より妻の方が運転が上手いんだ」


昌幸「あ、読みましたよ。

奥さんの小説!あのシリーズ好きな奴が同じ大学にもいるんっすよ!

…あっ、すいません。つい…」


俊一郎「いいんだよ、言葉遣いなんて気にしなくても、

ここに来た時の優吾君も最初は気を遣っていて、

あの時はちょっと寂しかったよ。中学の時だったね」


優吾「ええ、はい…

おじいさんやおばあさんが俺に色々言ってくれて治りましたね」


俊一郎「そうだったね、母や父には感謝しているよ」


俊一郎さんは少し寂しげにそう言った…

二人は俺が17歳を迎えた春に他界した…

俺は荒山さんの家族と共に泣いた…

親父の親友だった人たちと過ごした中で…

家族として認めてくれた他人のために涙した日から…

俺の家族以上に大切な家族だと理解できた日でもあった…


この繋がりをいつか失うのが、

自分を生んだ家族のつながり以上に怖かったんだ…


大平は俺たちの事情を知らないので少しだけ考え込んで、

話題を変えて楽しそうに俊一郎さんに話した。


話を聞く中で俺は荒山さんの実の娘のことが気になった…


優吾「そういえば彰美あけみちゃんは今年で高校二年生でしたね。

空手の全国大会に行けなくて残念でした」


俊一郎さんは大平の函館の話を切り上げて、

気にしなくてもいいんだよっと言って大平がその話題に興味を示した。


昌幸「え?娘さんいるんですか?あー、

きっと可愛い子なんだろうなー。楽しみだなー」


下心を感じる言葉だったので俊一郎さんが答える前に釘を刺した。


優吾「変なことするなよ…言っとくけど、

お前のお兄さんになる気はないからな」


俊一郎さんは苦笑いをしていた。


昌幸「大丈夫だよ、過保護な兄だなぁー。

ただどんな子か知りたいだけだってのにさ」


ムスッとした俺の代わりに、俊一郎さんが答える。


俊一郎「電車一本で30分くらいの所にある女子高校で勉強していてね。

家の近くの道場に通う空手の有段者なんだよ。

しっかりした子だけどおばあちゃんや優吾君に良く甘えていたっけな」


昌幸「へぇー、彼氏とかいるんですかね?」


優吾「大平…彰美にそんなこと言うと顔面に正拳貰うぞ。

デリケートな年頃なんだから冗談でもそんなこと言うなよ」


昌幸「大丈夫だよ、大切な友人の妹なんだから優しく接するよ、お兄ちゃん」


優吾「もし手を出したら旭岳の山に埋めるからな…」


旭岳とは標高2291メートルある北海道で一番高い山の事だ…

大雪山国立公園にあり、スキー場にもなっている。

ロープウェイからみた広い白銀の世界は人が小さく見えて綺麗な光景だった。

薫と高校仲間と滑った時もあったが、

あの時は綺麗に滑れて気分が良かった。

薫が一番上手で見ていて飽きなかった…


昌幸「おいおい、

そんな今時のサスペンスでもなさそうな展開を予告するなよ~。

冗談きついなー」


俊一郎さんは声こそ出していないが楽しそうな笑顔だった。

そんな話をしていた時に、ちょうど見知った道が景色に映り始めた。


俊一郎「私は二人の気持ちを第一に考えるから、

大切にしてくれると約束できるなら優しく接してもかまわないよ」


優吾「おじさん…ダメですよ。

こいつ自分の気持ち第一だから相手の事思ってるようで思ってませんよ」


昌幸「ひっでーなー。ん?

俊一郎さんの実家ってあの荒山酒屋って書いてあるお店ですか?」


俊一郎「ああ、酒屋と聞くと日本酒を扱っているイメージが強いイメージだけど、もちろんワインも扱っているよ。昌幸君は好きなワインはあるかい?」


昌幸「ロマネコンティってやつを一度飲んでみたいっす」


酒屋にいて俊一郎さんのワイン談義を聞かないことはなかったので代わりに言うことにした。


優吾「あのな…あれは希少で一本だけでも最低一千万はするんだぞ。

俊一郎さんが飲んだことあるの二回だけなんだからな」


俊一郎「代わりにボルドーワインが残っているんだが、かまわないかね?

一年熟成させたシャトー・トゥール・セランというワインなんだがね」


昌幸「おお、なんか凄そうなワインですね。楽しみっす」



函館空港から2時間車に揺られ、荒山家の酒屋に着いた。


駐車場で車を停めておじさんが大平にワインの話をしながら、

店の裏口にあるドアを開けた。



俊一郎「ただいま」


昌幸「おじゃましまーす」


声に気が付き、裏口の居間に続くドアを10代の女の子が開ける。

驚いた顔をし、笑顔になったのは彰美あけみちゃんだった。


大平が元気よく挨拶し、あっ、どうも…と控えめに言った後に俺に顔を向ける。


彰美「お兄ちゃん!…とお父さんおかえりなさい!

お父さん、お風呂沸かしておいたから風邪ひく前に入りなよ」


俊一郎「母さんはまだ店番だったな。今日は早めにお店を閉めようか。

昌幸君は二階の来客用の部屋まで案内するから荷物はそこに置きなさい。

荷物を置いたら風呂に入った後に居間でくつろいでくれ。

ああ、優吾君。君の部屋はそのままにしておいた」


彰美ちゃんが俺に近づく…


彰美「荷物持つの手伝うよ。やっぱりお兄ちゃん、かっこよくなったね」


優吾「ありがとう、彰美…荷物を置いたら香奈さんにも挨拶しないとね」


大平と二階に行き、それぞれの部屋に入る。


自分の部屋に着いた時に綺麗になっていて驚いた。


優吾「いつも綺麗にしてくれたんだね…ありがとう…」


彰美「大好きなお兄ちゃんだから、

部屋くらい綺麗にしなきゃ悪いしね。理由はそれだけじゃないけど…」


そういいながら荷物を置いた彰美ちゃんは照れ臭そうにしながら

俺のベッドに座る。

黒タイツ越しのショートパンツだったので目のやり場に困った。


親父の親友の娘で妹として一緒に育ってきたとはいえ…

かつてはおじさんの家に預けられていた身とはいえ、

一人の女性だという甘い誘惑と困惑と

男として警戒くらいはして欲しいという心配の感情が混ざった…


彰美は気のせいかそんな俺を見て嬉しそうな女の顔をしていた…

それでも…

俺にとっては家族としての存在が大きかったので気にしないことにした…


ドアをノックして女性の声が聞こえる…

ドアを開けたら、嬉しそうな顔をした40代の女性がいた。

俊一郎さんの奥さんの香奈さんだった…


香奈「久しぶりね、優吾君!帰って来てくれておばさん嬉しいわ」


優吾「お久しぶりです香奈さん…元気そうで安心しました」


彰美「母さんー、もう夕食出来たの?」


香奈「ええ、でも優吾君のお風呂が先でしたね。

旅の疲れもあるでしょうから気にせずゆっくりと浸かってくださいね」


優吾「わかりました、九時になったら居間に来ます」


着替えを出すので彰美ちゃんを部屋から出して、

大平が上がった後に風呂に入った。

あいつは地下で俊一郎おじさんのワインコレクションとお酒を見に行った。

明日の手伝いの事も兼ねて説明しているんだろう…

俺は中学の時から手伝っているので、

大平が説明を受けながらワインを味わっているうちにゆっくりと湯船に浸かった。


北海道の冬に入る風呂は凍えた体を温めるには充分すぎるほど快適だった。

思考を停止し、風呂の熱を心地よく感じていると、

浴室のドアから声が聞こえた。


彰美「優吾おにいちゃん。頼んでいたバスタオルここに置いておくね」


優吾「すまない…タオルありがとう。

食事の用意が出来ているんだったね…そろそろ上がるよ…」


浴室のドア越しに彰美ちゃんのシュルエットが映る。


彰美「大丈夫だよ、

お母さんは準備が終わってソファーでテレビ見ながら

ノートパソコンで原稿作業してるし、

お父さんは大平って人とワイン蔵にいるからさ。二人とも長くなりそうだよ」


優吾「はは、あの二人がそうなるとこっちが声をかけない限り長くなりそうだもんな…

それなら彰美も部屋でゆっくりしていればいいんじゃないかな?

風呂から上がったら俺が二人に声をかけるからさ」


彰美「えっ?わ、私が後で二人に声かけるから気にしなくていいよ。

そんなことよりもさ」


優吾「………」


彰美「お風呂…一緒に入る?」


その言葉を聞き終える前に、浴室のドアから…布の擦り切れる音がした…

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