優「伏線回収してんじゃねーよ……」
随分と深刻そうな表情を浮かべている勇と共に家を出た俺。
まずどちらの実家に向かおうかという話になり、この場合どういう順番で訪問するのかを考えてみる事にした。第一に、どちらかの家に優先すべき事情があるのかどうか、という点だが、それに関して特筆すべき事は何もなさそうだった。こちらの家を先に訪問しないと後々困る、だとかそういった事情はないようで。ならば、第二の選出方法として距離。これが決め手となって勇の実家から訪問する事となった。
俺達の自宅から住宅街を越えて商店街へ。週末という事もあって賑わう通りを抜けて歩き連ねた先で行き当たるのは先ほどとは別の住宅街。しかし、こちらの方が何というのか、富裕層と表現できる人達が密集した地域。そう言える気がした。
そんな道中もずっと言葉を噤んで歩く勇。
何だか、実家を訪問するという事を勘定に入れても不自然なくらいに顔が青冷めているような気もする。
「何だ、お前さん……体調でも悪いのか?」
俺が事もなさげにそう問いかけると、勇は体をびくんと反応させて「な、なんですか!」と裏返った声で言った。
そんな勇を見つめる俺の視線は呆れ、嘆息して語る。
「いや、あまりにも顔が真っ青なもんだから、どうしたのかなと思ってな……体調不良とかじゃねーんならいいけど、そんなに緊張してんのか?」
俺はそう言いつつ、今回の件が「緊張するに値しない些末事」などとは微塵も思っていない。何を隠そう、俺だって浅い眠りから冷めて今もずっとそわそわしている。だけど、勇の緊張は何というのだろう。乗り物に寄って吐く直前のような様相で歩いているものだから、「緊張だけがもたらしているのか?」と疑ってしまう。
……まぁ、体の事じゃねーんならいいか。
そう納得し、歩き連ねること十数分。到着したのは一件の立派な平屋建ての日本家屋。二階がない分、という事なのか途轍もない敷地を有した建物。俺は内心で「門から家までにこれだけの距離がある家って、地味に非合理的じゃないのか?」とか富裕層に対するささやかな妬みで揶揄してしまう。
「さて、どうする?」
立派な門を前にして、俺は「勝手知ったる他人の家」という言葉があまりにも皮肉に響く勇に問いかける。すると、俺の言葉に反応して我に返ったかのような勇は首を横にぶんぶんと振って、「どうしましょうか?」と問い返してきた。
門にはインターホンが設置されており、俺はそれを押すのが手っ取り早いだろうかと思い、そうしようとしたのだが――。
突如、門があちら側から開かれたのだった。
「おねーちゃん、優さん、いらっしゃい」
門を開き、あっけらかんと登場して挨拶したのは他でもない愛衣ちゃんである。
俺は一瞬、どうして愛衣ちゃんはここにいるのか。これも彼女が持つスキルが成せる技なのかと考えたりもしたが、よく考えたら勇の妹が「勇の実家にいる」など当たり前の事ではないか。
「さぁさぁ、上がって。お父さんに話をするんでしょ? そういう場になるようにはセッティングしてあげるから」
そう、何故か嬉しそうに語る愛衣ちゃんは俺達を屋内へと通した。
勇の実家は以前に引っ越しの時、一度だけ訪れた事があるものの、やはり立派な家だと思う。襖だらけで、廊下は迷路のように入り組んでいる。勇が前に話していたのを思い出したが、この家は代々料理人の家計である勇の親父さんが受け継いだものらしい。だから、こういった年季の入った日本家屋なのかと思う反面、勇も愛衣ちゃんも料理ってタイプではないような気がする。
由緒正しい料理人の家系も、あの親父さんで潰えたな。
そんな風に失礼な事を考えていた俺と勇は、その親父さんの書斎の前で待たされて、愛衣ちゃんは先んじてその内部へと入っていく。俺達が来た事、そして「話がしたいというこちらの意思」を伝えるのだろう。
ちなみに、俺が書斎だと判断できるのは以前にも引っ越すと言いだした俺を親父さんが呼びつけたのがこの部屋だったからだ。
ちょっとの間をおいて、すぐに部屋から出てきた愛衣ちゃんは「お父さん、話を聞くから通せって言ってくれてる」と言い、彼女はそそくさと俺達と擦れ違ってどこかへ行ってしまった。私室にでも帰るのだろう。
そんな愛衣ちゃんの背中を見送り、「一緒にいてくれたら心強かったかも知れない」と思いつつ、これは俺達の問題なのだと意識を切り替える。
そして、俺と勇は「失礼します」と声を揃えて、妙に他人行儀な感じを携えて書斎へと入っていく。
畳を敷き詰められたその部屋の内部、一人分の作業スペースを確保する小さな机が中央に置かれ、それを挟んで俺と勇は用意されていた座布団の上に正座で座る。部屋の内装が掛け軸や木彫りの置物など、ちょっと失礼な事を言えば「ベタ」で噴き出しそうにすらなるがそんな空間において、一部であるかのようだと表現できそうな厳格な表情を湛えた勇の親父さんはただ、座ってこちらを見ていた。
まるでそのまま眼光で相手を貫かんとするような威圧的な視線。
白髪混じりの髪をオールバックにし、和服に身を包んだ渋さに富んだ勇の親父さんはこんな状況でそんな感想を抱くなと叱られそうだが、ちょっと俺の好みだった。
しかし、そんな感覚に浸っている余裕はない。
否が応でも――構えてしまう。
勇の親父さんはその鋭い眼光で俺と、そして見知らぬ存在である『勇』を見比べる。親父さんの視点からすれば、俺が男を連れて帰ってきたように思えるのかだろうか。突如出て行った自分の娘の帰宅に連れ添う男を見つめ、もしかしたら「君にお義父さんと呼ばれる筋合いはない!」を繰り出す準備をしているのかも知れない。
しかし俺ってば以前に会った時も思ったけど、この親父さんの事……得意じゃないんだよなぁ。やっぱり怖いというか。
第一声をどうしたものか……そんな思考が纏まっていなかったため、上手く切り出せない。
そんな俺達と親父さんの牽制し合うような視線の交わし合い。
しかし――それも束の間。
先に開口したのは、勇の親父さんの方だった。
「んもうぉ! 優ちゃんってば、心配したんだぞぉ! 出ていくって言うから何度も『駄目、駄目』ってお父さん言ったのに、聞いてくれなくて最終的にはキツい事言われて……お父さん、体重が十キロも減っちゃったよぉおお!」
机の向こう側から身を乗り出して親父さんは甘ったるい口調を、不適合もいい所な渋くお腹に響く低音ボイスで泣きそうな表情を浮かべて語った。
……あー、出た出た。
俺が以前、来た時もこんな感じだったなぁー。
そう、勇の親父さんは俺にとって恐怖の対象である。彼には失礼だが、自分の親から生まれて育てられた事を幸福に思っているくらいだ。
「そうなんだよなぁ。この渋くて素敵な見た目に反して、キャラ崩壊レベルで娘大好き親父なんだよなぁ」
俺が引き攣った表情に伴う呆れたトーンで語ってしまうように、黙っている時とそうでない時の印象が百八十度違う人物なのである。
「愛衣はお父さんにはそっけないしぃ、優だけがこの家で癒しだったっていうのに出ていっちゃってぇ。あー、もうお父さん寂しいぃぃい! 今日は戻ってくるって事を言いに来たんだろ? な、そうなんだろう?」
泣きっ面になったり、希望に満ちた表情になったり顔面の感情表現が随分と豊かな人だった。
勇はそんな父親に対して慣れているために表情をぴくりともさせず、しかし立場上は語るべき言葉も持たないため沈黙を貫いている。とはいえ、親父さんに対して表情を引き攣らせる俺を横目で見つめて、少し笑っているけれど。
とはいえ、この件は俺が語りださなければ始まらない事。
「お、お義父さん!」
俺はちょっと躊躇いつつも、親父さんに対してそう呼びかけた。
しかし、俺の言葉選びが良くなかったのか、親父さんは瞬時に表情を顰めて、
「優にお義父さんと呼ばれる筋合いはないっ!」
と、激昂するように言った。
「伏線回収してんじゃねーよ」
まさか本当に言ってくるとは思わなかった。
しかも、俺に対してかよ。
何だかペースが崩されるなぁ、と思うが俺としては語りづらい部分もある。それは、勇が親父さんにきちんと自分の本当の子供として認知してもらえるか、とか。自分の子が性同一性障害だという事に信用を得られるか、とか。
そういう事ではなくて。
正味、この親父さん自身の精神が耐えうるのかってのが、若干怖かったりするんだよなぁ。
だからって、遠慮はしてられないか。
「いえ、何度でも言わせてもらいましょう、お義父さん。筋合いならあるんですよ。それを説明し、理解してもらうために私達……いえ、俺達はここに来たんです。あなたを本当に『お父さん』と呼ぶべき人はここにいます。あなたの息子さんが――ここに、いるのですから」
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