【4】ナルシスト夫婦の適材適所

勇「あんな奴らとは、何ですか!」

 私達にとって今まで起こらなかった現象だったからでしょうか。


 その事実に気付くと、「そういった偶然が今日まで一度もなかったのか」と改めて驚かされました。私達の勤め先、その業種の差がもたらしている事だとは思いますが、今日でおおよそ優と暮らし始めて二ヶ月になるにも関わらず、一度も――そう、たった一度も休みが重なった事がなかったのです。


 まぁ、優は基本的に土日が休みの会社員で、逆に私が週末にこそ人手が欲しいサービス業ですからね。当然といえば、当然なのですが。


 ですので、私が土日を休む可能性は万に一つあったとしても、優の方が平日に休み。それも会社自体が、となるとなかなか起こり得る事ではないと思いますね。何でも、オフィス内の機械系統の入れ替え作業を行うための休みらしいのです。優が機械に無理強いしたためにそういった休みが訪れたのだとすればあまり喜ばしい事ではないのですが……。


 しかし、まぁ何にせよ、珍しい事ですよね。


 ……などという、一種のふしぎ発見で「優の方が」この事実を片付けなかった事が今日という日を奇しくも、「休みが重なった以上に特別な一日へと変える現象」即ち「不和」を招く事になってしまったのです。


「――はぁ? 折角、休みが重なったってのにお前さん、また例の友達と約束を取り付けてるってのか?」


 優は口へと運びかけていたトーストを手に持ったまま、しかめっ面で私に問います。


 ちなみに時刻は八時三十分。休日であろうとも優の早起きは変わりません。


 朝からそわそわとしていて様子がおかしいかな、とは思っていたのですが。何やら、イントネーションからも察するにあまり期限がよくないご様子。私が「彼ら」と遊びに出る事に何らかの問題があるかのようですね。


 いえ――、あるのでしたね。


 思考が心の奥底に沈めておいた一つの疑惑。そう、「優は私の趣味を快く思っていない」という推測の派生で考えてしまうのです。彼女はきっと、そんな趣味を同じくする彼らと遊びに行こうとする私に、不満を持っていると。


 ならば、と思います。


「おや? 何か問題でもあるのですか、優?」


 私は主観としてはどこか挑発的に聞こえるイントネーションでそう問いかけました。……まぁ正確には、問いかけてしまったのですが。


 とはいえ、客観的にも同じ響きを持っていたらしく、優の表情をムッとした不機嫌そうなものに染め上げる事は容易だったようです。


 私はそれでいいと思っていた部分もありましたけど。


 好きなものは好きだと言えるように――嫌なものは嫌だと言って欲しい。


 正直、優に面と向かって「それ」を口にされるのは怖い事です。自分から誘発するような事ではないですし、そう望む心なんて微塵も存在出来ないはずなのです。しかし、人間心理としてこれほど分かりやすいものもないだろうと思う原動力が、私の言葉に挑発的な響きを加えたのです。


 それはきっと「優がそんな風に思っている」と悩む事から解放されたくて、いっそ破滅の道へと踏み出したくなる、願望。優に理解されていない、という事を知っている現状、その我慢の瓦解、でしょうか?


 そんな私の矛盾した胸中を他所に、トーストを乱暴に皿へと戻して優は語り始めます。


「いや、友人と遊ぶのを否定する気はねーけどさ。俺としては折角、お前さんと休みが重なったってこのタイミングでわざわざその選択をする必要はないんじゃねーの、って思うんだけど」


 優の言葉は最後の方には呟きと表現できるくらいに弱々しくなっていました。


「……? では他にどのような選択肢があるというのですか?」

「思考停止して聞き返すなよ。ちょっとは考えろっての」


 優は咎めるような視線と共にそう言うと、口をへの字に曲げてしまいました。

 私は何となく気まずさを感じて、朝食の盛り付けられた皿に視線を逃がして思考します。


 選択肢、ですか。


 私、もしかして優と何らかの約束をしていて、それを忘れているとか。いや、そんな事はあり得ないでしょう。もし忘れているならば、優は自分の意思をズバズバと主張してくるはずですから、「お前さん、約束はどうした?」とか言ってくるはずです。


 しかし――そういった優の性格で言えば、「察する」という事を強いるような真似をするでしょうか? 言いたい事ははっきり言うタイプな彼女ですから。


 では、一体何を伝えようとしているのか?


「うーん、やっぱり思いつかないんですけど」


 優は望みはきちんと言うでしょうし、それ以外の事象が絡んでいるとしたら申し訳ないですが「分からない」か「忘れた」のどちらかになってしまいますね。


 一方、そんな私の返答を反芻するように「思いつかない、か」と言って再びトーストを手に取る優。


 何でしょう、やっぱり今日の優はえらくご機嫌斜め。


 それも何だか、いじけているようにも思えるのですがどうしたというのでしょう?


 ひょっとして……あの日、でしょうか。だとしたら、男性でありながら奇しくも経験のある私としては理解出来ない事情ではないですけれど――しかし、嫁の周期を知っている私の推測的に今日は違う気がしますね。


「何か遠回しに伝えたい事があるのなら、はっきり言って下さいよ」

「お前さん言ってる事、滅茶苦茶だな」


 優の表情が一瞬、呆れに染められましたが、すぐに今日のニュートラルとも言える表情の不機嫌そうなものへと変わってしまいました。


 うーん……しかし。


 彼女の胸中に一体、どんな不満や欲求が渦巻いているのかは定かではありませんが、得体の知れない由縁によって引き起こされた不機嫌をばらまかれると何だか、こちらにもそれが伝染してしまいそうですね。


 不当に、非を指摘されているような感覚。


 そんな優の理由も分からない機嫌の悪さが影響してか、さっきからずっと私の胸中にある彼女の本心に対する矛盾した思考。知りたくないような、しかしいっそ知ってしまいたいような。そんな混沌とした胸中に引火したのか、伝染した不機嫌が燃え盛って、妙に苛立ち始めている自分を発見した私。


「何だか今日の優ってば、優らしくないですね」


 苛立った感情の産物だったのか、黙々と朝食に視線を落としつつ、声を低くして言った私の何気ない一言。


 自分でもう一度さっきのセリフを言ってみろと言われれば、もうすでに記憶から忘却されていて再生は不可能なくらい、ぽろっと何気なく。そう、何気なく出た一言だったのです。


 しかし、

 しかし――、


「俺らしいって――何だよ?」


 震えた声。その声質に、只ならぬものを感じて私の体感する時間は停止したような感覚がします。心臓を何者かに掌握されたような感覚。そう、凍てついた手で触れられたような心地悪さのように伴う、それは悪寒。


 予感の先達、私はゆっくりと顔を上げて優の方へと視線を配ります。


 優は視線を落として硬直していました。そして不意だったのでしょう、ゆっくりと手に握っていたフォークを落とすと、テーブルに触れた金属音が部屋に響き渡り……暫し、私達を取り囲む空気は張りつめた、もしくは痺れたような質感を有し始めました。


 そんな幾許かの時を経て、開口したのは優でした。


「今の俺なんて、らしさの欠片もなかった男らしく振舞った日々の延長みたいなもんだろ。それが俺のらしさだってんなら、今の俺は偽りかよ?」


 強い感情を押し殺しているような声。私は瞬間に「しまった」という圧倒的後悔が体中を駆け巡り、それは血管に氷水でも流し込まれたように冷たく、凍える心地の悪い感覚で。身が縮こまるような圧倒的後悔の上に立って、もう何も言えませんでした。


 それでも、言えないなりに何か言わなければと思い、私は言葉を探します。


「口が過ぎた事は謝ります。確かに私達にとってのらしさというのはこれから見つけていくべきものですから、固定概念を押し付けたのは私の過ちです。でも、私には分かりません。言われなければ、優が何を伝えようとしているのか。私にどんな『選択肢』を見つけろと言っているのか、分からないではないですか?」


 私の言葉に優は小さな声で何かを言った気がしました。


 返答、だとは思いますが、私は「え?」と聞き返しました。すると、暫しの間をも経て、優は頭を両手でくしゃくしゃとしだすと、突然「あー、もう!」と何かが吹っ切れたような言葉を発しもう一度、私が選ぶべきだと語る『選択肢』を口にします。


「だから。折角、休みが重なったんだし、たまには俺と一緒に居るって選択肢にはなんねーのかよって言ってんだよ! いつも家で会うから、そんな必要はないってか? 友達と一緒にいる方が楽しいってか? そういう事なのか?」


 咎めるように、問い詰めるように優は少し早口気味に語りました。


 そういえば、前にも私は予感した事があるのです。私が休日に友人と遊ぶ、と告げた時に力無くまるで「がっかりだ」とでも言わんばかりの態度を示したのでした。あの時も私は「優は本音をはっきりと言うタイプだから」と気にしませんでした。


 なら、今回だって。

 そう思って、私は言葉にしようとして自分を制します。


 何を言っているのですか。優らしさなどまだ存在しないと、ついさっき語ったばかりではないですか。男性のように振舞って、はっきりと言う習性がものになったのだとして。偏見的ではありますが、女性的な部分の奥ゆかしさとして「本音が言いづらい、察してほしい心」が芽生えたのだとしたら?


 私は引っ掛かりを感じていながら、どうして気付けなかったのでしょうか。


 ――優はもう正真正銘の、女性ではないですか。


「お前さんはもしかするとそういう事、はっきりと言ってくれればいいじゃないかって思ってるかも知れない。でも、他ならない俺だからこそ、お前さんが念願叶ってできた友達と一緒に居る事を妥協して、優先させようと思ってきた。なのに、こんな結果になっちまうんならいっその事、



 ――あんな奴らとお前さんを、引き合わせるんじゃなかった。



 そう、思っちまうよな」


 優の吐き捨てるような言葉に、またもや過敏に反応する私。


 しかし、さきほどまでとはまったく別ベクトルの、心臓が急速に脈打つ感覚。理性が本能にバリバリと食い散らかされて、顔が火照っていきます。


 優の後悔も彼女の胸中に照らし合わせてみれば正当なものでしょう。そういった意味では私が友達を作る、というのも我慢すべきとは流石に思いませんが、しかしタイミングなど選びようはあったのかも知れません。


 でも、そういった些末な事象に思考を裂く余裕は今、持ち合わせてないのですよね。


 何せ聞き捨てならない事を、言われてしまいましたから。


 やはり優は――そう思っているのですか。


 私は両手で強くテーブルを叩き付け、そして不服を申し立てます。



「あんな奴らとは――あんな奴らとは、何ですか!」

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