優「意味なき行動に――意味なんか、ないだろ」
勇に対して、「奇しくも君は僕の恋敵という事だ。見た目があの時の勇と同じだからって手加減はしないよ」と語って去っていった三浦。愛衣ちゃんと三浦という恋敵を互いに生み出した結果を思うと、俺達は顔を見合わせて同時に噴き出して、笑った。
三浦を見送って、玄関から再びダイニングへ。今度は勇と向かいあうように座り、会話中は緊張に縛られて口に運ぶ事も出来なかった珈琲を飲む俺。ぬるくなっており、ホット珈琲としての美味しさはなく無論、アイス珈琲としてもそれは同様である。こんな状態の珈琲を二つも飲まなければならないのはなかなかに苦痛である。それでも珈琲はホットに限ると決めている。こんな初夏でも、アイス珈琲に切り変えたりはしない。絶対に。
まぁ、それはさておき。
「それにしても、三浦に対して俺は確かに幾つものヒントっていうか。そう、『過去の勇らしさ』を露呈させていたとはいえ、あくまでそれは相似ってだけの感覚。でも、あいつの心が女性である俺の見た目を持ってしてでも反応した。恋心へと発展したというのならばそれって、凄い事だよな。もっとすんなり気付いてやれればよかったんだけどな」
俺はぬるく、不快感とすら呼べる珈琲を口に運ぶと半ば独り言のようにそう言った。
しかし、そこまで小さな声で語ったわけでもなかったからか、勇は俺の言葉を話題の取っ掛かりとするようにこちらを向く。
「まぁ、確かにそうですよね。でも、彼の告白に対して自分の秘密を告白する決断をした優もすごいと思いますけどね」
「そうかな。凄いっていうのとはちょっと違う気がする。当然の事というか、すべき事の第一歩というか。秀でた事ではなく、普通に至ったんだと思うけどな」
「だからこそ、私は凄いと思うんですよ」
勇はどこか含んだ物言いでそう語った。
そう、語ったような気がした。
……気のせいだろうか?
「まぁ、今日はこうして三浦に秘密を開示出来たように、いつかは両親に対しても告白しなければならない時が来る。何らかの必要性に応じて、家族に会わなきゃならない時には結局、バレるのだから。それなら、会わなきゃならないような問題を抱えた両親に告白まで受け止めさせないように、何でもない時に話さないとな」
俺が今日、僅かでも感じた自分の進歩を総評するように語ると、勇はふと神妙な面持ちになって「ですが、勇」と俺を呼び、続ける。
「そういう『いつかしなければならない』というのはいつ、行うべきなのでしょうね? ある日、劇的な何かによって言わざるを得ない、語らざるを得ない状況になる事を優は今、避けたいと言いました。ならば、自覚的に。そう――劇的なんて、能動性とは真逆の機会によって語るなら、その『いつか』をどうやって定めるのでしょう?」
優の懐疑的な表情に伴った問いかけ。
俺達は「義務を忘れている自分」を嫌うかのように必死に、「いつかしなければならない」を口にするけれど、その「いつか」というのは「未定」なんて生易しいものではなくて、もっと厳格で、現実的な。言ってしまえば、「未遂」へと行き着くのではないか?
ただ、行わないと決めてかかる「逃げ」から逃げるために「いつか」という都合のいい茫漠とした期限を設けて。そして、課題に向き合ったまま歩み寄らない。
気はあれど、つもりはないと言った感じで。
歩み寄らず、見つめていれば問題に取り組んでいると言っているような。
目を逸らさなければ、踵を返さなければ、逃げていないと言うような。
そんなんじゃ、きっと――駄目だろう。
「まぁ、例えばの話だけどさ。劇的だったり、能動性のない日程として例えば明日。明日、俺達が急遽として両親に自分達の秘密を開示する。それってさ、今日じゃなきゃ駄目だったか、って事にもなると思うんだよ。俺が言いたいのは、相手の迷惑にならないようにいつでもいいから、取り立てて何もない日常を意図して特別な日に変えようって言ってるんじゃなくて。何か、意味を持たせられるタイミングがあるんじゃないかって事だよ」
「意味、ですか」
「そう、意味なき行動に意味なんか、ないだろ」
勇の反芻するような言葉に対して、納得を促すように語る俺。
しかし、勇の中で合点のいかない部分があったのか、もしくは別の意味か「ねぇ、優」とまたも俺を呼びつつ、その言葉は連なる。
「意味というならば、両親に私達の障害と現象を告白する事に持たせられる意味なんてあるんでしょうか。仮に、持たせられる意味があるとしても、同様に語らない意味もあるのではないでしょうか? へこませるだけの真実ならば、傷付けるだけの言葉ならば口を噤む意味もあるのではないでしょうか?」
何か、含みを感じる勇の言葉。
「いや、それは俺達の弱さから出る言葉だろ」
俺は勇のその言葉の甘さ、磁力としての強力さに引き寄せられそうになりつつも――必死でそれを制した。その言葉を肯定すれば、俺達は秘密を守り続ける意味を抱けるものの俺は思う。
さっき、三浦と語った事とは何だったのか?
「逃げられるのなら、逃げてもいいと思うけど――逃げられないなら、逃げちゃ駄目だろ。へこませるだけの真実だとしても、傷付ける言葉だとしても――へこんででも受け入れてもらわなければならない真実であって、傷付けてでも受け止めさせなきゃならない言葉でもある。避けては通れない事がこの世の中にはあって、三浦が前向きであるための一つが、今日のあの告白だった。こんな因果だ。逃れられねーし、逃げちゃなんねーと思うぜ?」
自分に言い聞かせるための言葉。
踏み出した一歩が俺に与えた勇気のようなものは、同時にそれだけ重かった一歩を越える重圧がこの先、待っている事を予感させる。弱点を相手に開示する、という行動に等しいカミングアウトがこの先、避けては通れない道の真ん中で立ちはだかる。
甘い言葉には、甘えられない。
だから、辛くても、俺達は耐えなきゃならないだろう。
傷付けようが、傷付こうが――守る事を選んではならない。
そんな言葉が、俺の中で。例えば、勇の趣味である「アニメ」に対して、俺は少々度を越した嫌悪を抱いている事も押し殺して、彼の悲願達成を後押しした節もある。そんなものも意味があればぶつけるべきなのだろうか?
必要以上に傷付けない線引きとはどこか?
そして。そんな言葉が、勇の内心にどう響くのか。「逃げるな、甘えるな」なんて厳しい言葉で俺達が、どう変われるのか?
勇は俺の言葉に対して「そうですね」と同意の言葉を語ったものの、その表情はどこか暗く、晴れ晴れとしたものとは言い難い。
少しずつ、歯車がずれ欠けている。
隠した思い、過去、思想が見えない微細な棘を出して相手に触れて。それらは擦れ違って、擦り剥いて。繊細な傷を無数に刻み、傷まぬ外傷は痒みに似る。
それでも、気になると掻き毟っていればいつしか、大きな傷になる。
ちょっとした――不和で崩れる、関係みたいに。
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