勇「変わったのは私達だけではなかった」

「――で結局、その三浦さんの告白にきちんとした返事もしないままに怒鳴り散らして帰って来てしまったというのですか?」


 帰宅した優の不機嫌そうな表情に対して、その由縁を問いかけた所どうも同僚の方に告白されたらしいのです。


 それ自体は、私としても妻が魅力的だという証明などとちょっと優越感にも似た感覚で受け止められるのですが――しかし、その三浦さんが同性愛者であり、男性の体だった時の優が好きだった。そして、後ろめたい同性愛者としての趣向を隠す日々で、突如としていなくなった「勇」に似た女性が現れた。そんな女性に再び心が動いた三浦さんは、とうとう真っ当に自分は女性を好きになれたなどと思ったようですが、そんな旨の告白を受けた優の胸中は違ったようです。


「自分が同性愛者であるという事を疎ましそうにして、俺が女性の姿で現れた事に逃げたって気がしてさ。何かそれが今までの自分を見ているようで腹が立った。それに結局、あいつは過去の『勇』を俺に求めているだけだ。代替品みたいに考えているって俺は思ったから、『好きな奴にこそ好きだって言え、俺に逃げるな!』って怒鳴っちまって……」


 優の言葉に対してまず思ったのは、「勢い余って『俺』って言ってしまっている」という部分でした。まぁ、そういう場面では素が出るものなのでしょう。


 ダイニングのテーブルを挟んで向かい側、仕事から帰って着替えもせぬまま私は優の溜まった鬱憤を受け止めていました。


 テーブルの上、片肘をついて不機嫌そうな表情の優を見ていると、只野君との会話で知った片思いの相手、怒鳴った理由。それらを問いかけられる雰囲気ではないな、と思ってしまいます。


 とはいえ、自分の中で渦巻く「優は私の趣味を嫌っているのか?」という問いを保留出来る事に安堵している自信を見つけると、「やっぱり私って弱いなぁ」とか思ってしまいます。


 今日を過ぎれば色濃くなるのか、風化するのか。胸中の疑問は時間の経過によって、どのような重要性で私に圧し掛かるのでしょうか?


 まぁ、それはいいとして。


「何にせよ、奇異な話ですよね」


 私の唐突な言葉に、きょとんとした表情で優は「何がだよ?」と問いかけてくるので、微笑みを薄っすら浮かべて続けます。


「だってそうでしょう。姉妹や性の概念を越えて想いを伝えてきた愛衣の一件に続いて、同じく性の隔たりをクリアした事によって好意を口に出来た三浦さん。この短期間に、という偶然を面白がっているのではなく――そう、入れ替わりで変わったのは私達だけではなかったのだな、という事ですよ」


 私の言葉に思う所があったのか、優は「確かにな」と言いつつ腕を組んで考え事をし始めます。


「俺達が入れ替わるだけで、周囲に対する接し方が変わったようにあちらからの接し方にも変化があった。お前さんが妹から姉としての一線を越えられたように。俺も、もう三浦とは友人では居られない。男女の友情なんて成立しない、とかいう言葉が具現したみたいにな」

「昔は私達、同性間の友情は成立しないって感じでしたけどね」

「それを思うと俺達、ずいぶんと普遍的になったもんだよな」

「そうですね」


 そう語ると、優も私も何だかおかしくなってくすくすと笑いだしてしまいました。慣れない事、知らない事、難しい事に煩わしい事の全てが私達にとっては未知の事で――あまりに刺激的過ぎる。誰もにとっての普通が、私達の普通と交差して入り混じって、入れ替わったあの日までの日常がどんどんと遠い過去に消えていく。


 旅立ちの時に振り返って、小さく見える故郷のように。

 そんな違和感は何だか――面白いですね。


「でもさ、俺はやっぱり三浦の姿勢は許容出来ないよ。自分の好きなものを好きだって言えずにいて、そんな境遇を否定する事。まぁ、とはいっても親に話せず、境遇を恨んでいた俺達も同じなんだろうけど、だからこそ――嫌いな自分を見ているようで受け入れられなかった。きっと、愛衣ちゃんみたいに自分の姉に対する、ある意味で禁忌的な感情を否定しなかった光景を見ていたから、そう思ったのかも知れない。言葉は悪いけど三浦のようでは、そして――今の俺達のままではいけないって事がさ」


 優は後頭部で手を組み、ゆっくりと椅子の背もたれに体重を預けつつ言いました。


 何だかタイムリーな言葉だと思います。好きなものを好きだと言う。そんな事が例えば自分の趣味一つにしてみても優には語りづらいのは事実。今の私に、そんな強い言葉が吐けるとは思いません。


 でも、いつか私達は「自分の好きな、自分」を家族に語らなければならない機会が訪れるでしょう。永久に疎遠で在りたいと思っているわけではない私達にとって、それは避けられない未来で。でも、何だか現実味を帯びてきません。


 それでも、愛衣や三浦さんを対比に用いて自分の中で生まれた「自分を主張する心」が芽吹き始めた優を見ていると、置いて行かれているような感覚になります。前進するポジティブな強さが素直に羨ましく、妬ましい。


 妬ましいからこそ憧れ、素敵だと思うのです。

 ですから、これは私に対する暗示の意味もある言葉だったのでしょう。


「三浦さんに自分を重ねて、嫌いな自分を見ているようだというのはある意味で、進歩ですよね。自分にとっての嫌悪をはっきりと把握出来るなんて、そういう弱さを受け止めたっていう証明に他ならないのです。このままではいけないと感じて『変わりたい』と思った優と同じようにきっと、三浦さんも優の言葉で何らかの変化を感じているはずですよ」


 私がそう語ると、何故か呆れた風に嘆息する優。


「お前さん、言っている事は素敵なんだが分かってるのか? 俺の言葉で三浦が変わる。つまり、『勇』の代わりのような捉え方で俺に告白してきた三浦が考え方を改めたら、どうなるのかって事さ」


 私の言葉に対して、引き攣った表情を浮かべて言いにくそうに語る優。


「どうなるのですか?」


 私の問い返しに対して、嘆息する優。


 何だか、私の合点のいかなさに呆れているような感じですが。しかし、三浦さんが優の言葉で思考を改めたとして、それが何かの不都合にでもなるのでしょうか?


 ましてや、「分かってるのか?」なんて、私が理解していなければいけないような事のように?


 首を傾げ、氷解しない疑問を抱いている私に、優は回答を述べます。


「えーっと、つまりだ。昨日、背後に感じたという視線、そのストーキング行為を行った犯人と勇、お前さんは――会う事になるんだぞ?」

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