優「人間としての自然か不自然かの問題だ」

 駅から徒歩十分少々の場所にある、全国展開されたチェーン店舗のファミレスへと入った俺と勇の友人二人。


 最初はどんな場所に連れて行かれるのかと冷や冷やしたものの、テレビで記憶に刷り込むが如く店名を連呼しているような有名店舗だったため、妙に安心した。何故そんな心配をするかというと、社会人となってから外食の経験は会社における新歓の時くらいで、三浦は寄り道などを好みタイプではないため、飲食店に行った経験は少ないのだ。堅っ苦しい小料理屋に連れて行かれて、楽しみ方の分からない空気感の張りつめた店内にて心を許せない人間達と友達の振りをして過ごすのは最早、拷問に等しい。そんな懸念もあってか、ファミレスを選択された時は胸を撫で下ろす気持ちだった。


 結局、そういったラフな店舗を選ぶという事は、軽く雑談のために訪れたという事だろうし。


 道中で何となく察したのだが、真奈さんと夕映さんという友人二人はどうやら勇の職場における先輩と後輩らしい。仕事を乱雑に辞めてしまった勇に代わって、俺が怒られるのではないか――という疑問を抱いていたのだが、そこはやはり友達同士。店の経営者でもないのだから、辞め方についてとやかく言われる事はないようだ。


 なので、雑談ならば「よく覚えていない」などと都合の悪い会話を上手くかわしていけば、それなりに切り抜けられるだろう。そしてそれ以上にこれは少々、下世話な話ではあるが勇が彼女達にどう見られているのか、などという印象も知る事が出来る。


 ちょっと、面白そうだなとか思う。


 それにしても、背が高い方の女性。えーっと、真奈さんは遭遇した時には不敵な笑みと共に得物を捉えた鷹のような眼光でこっちを睨んでたなぁ。一方でちびっこい、夕映さんはキャーキャーと俺の発見を驚きと歓喜の入り混じったテンションで受け止めていたし。


 しかし、何となく断片的に彼女らのキャラクター性を言葉遣いや口調、挙動で掴みかけていた俺。


 とりあえず間違いないのは、この真奈さんって人は危険だって事だな。


 俺は何となく野生の本能とか、第六感とか人生で信じてこなかった神秘的な数々を全肯定出来るくらいの根拠なき確信を真奈さんに対して抱いていた。


 さて、ファミレス内、四人掛けの席にて並んで座った真奈さん、夕映さんと向き合うように腰掛けた。着席して間もなく真奈さんはクールなイメージそのままにパスタを注文し、夕映さんは「お子様ランチでいいんじゃないかい?」などという真奈さんの揶揄に口をへの字に曲げて不服を述べつつ、ハンバーグを注文していた。


 なるほど、やはり外見は内面を裏切らないという事か。

 境遇的にも、俺が言うと変な感じだけどな。


 ちなみに俺は家で夕食をとる予定なので、ドリンクバーを注文した。


 そもそも料理を下手に注文して勇とは違う趣向を露見させるのはまずい。とはいえ、飲み物も同様である。いつも勇が飲まないようなドリンクを取ってきてしまったら不信に思われるため、この場に居るための免罪符。もしくは場所代のようなものだった。ドリンクバーという注文自体は幅広く、漠然としているため一番無難だったのだ。


「それにしても驚いたよねぇ。スーツ着た優が駅から出てくるんだもん。仕事辞めてどうしてるのかと思ってたけど、今は俗に言うオフィスレディってやつなの?」


 俺の服装を眺めつつ、夕映は話題を切り出した。


「そ、そうですねぇ。きちんとした収入を得られる職場で働かなければならない理由が出来てしまったので、みんなには迷惑を掛けたとは思いますが唐突に辞める結果となったしまったのです。本当に、真奈さんと夕映さんには何とお詫びしたらいいか」


 俺は勇の丁寧な口調を思い出しつつ、申し訳なさを含ませた説明を述べた。


 とはいえ、完全再現は不可能だろう。正直、女性の体を有していた頃の勇が喋っているのを聞いた事がないため妙な話、声の高さやイントネーションで違和感を感じさせる可能性は十分にある。


 ――というか、真奈さんと夕映さんがこっちをもの凄く不審そうに見つめている。


 まぁ、訝しむような視線を送ってきているが、結局は外見に関して言えば彼女らの知る優と同一人物。入れ替わりなどという非科学的な発想に行き着くとは思えないので、俺が致命的なミスをしない限りは結局、抱かれた違和感も違和感のままで終わるのだ。


 久しぶりに会い、仕事を辞めて連絡が取れなくなった友人と再会してしまった事に関する気まずさでぎこちなくなっているのだ、と思われる程度の話だろう。


「どんな事情があったんだい、って聞いたらやはり困るかい? 話しにくいというなら、追及はしないけれど……」


 真奈さんは起伏なく、しかし冷たい印象にはならない淡々とした表情で、その面持ちに準じたような声のトーンで問いかけてきた。


「うーん。やはり、いくら夕映さんや真奈さんといえど、少し話しにくいですね。友達である二人には話しておきたいのですが……口にして説明するのも憚られるような事情ですので」


 気まずそうに首を垂れて、視線だけを二人の方へと向ける事で暗い空気を醸し出し、触れる事を躊躇させる演技と共に俺は言った。そして、そんな言葉に対して首を傾げ、互いに顔を見合わせる真奈さんと夕映さん。


 何かの疑問を共有しているようなその挙動は恐らく、俺の仄めかした「優が仕事を突然辞めなければならない事情」についてだろう。収入の良い職場にいち早く移らなければならない理由。まぁ、大至急お金が必要になるという事なので、家の人間が大病を患って手術するだとか何とでも言えるだろうか。


 でもだからこそ、仄めかして想像する余地くらいで明言を避けておけば、彼女達が自分で理由を考え、察して納得してくれるだろう。なので、踏み込ませない重い空気を醸し出し、「簡単には触れられない理由感」を演出したのだ。


 うん、俺ってば完璧。


「まぁ、なら私は聞かないよ。優がどんな理由で仕事を辞め、悩みを抱えているのか。それについて踏み込まれたくないというなら、そこまでの情報で納得するのが友人というものだろう」

「う、うん。そうだよね。それに、優が仕事を辞めて確かに私達の負担も生まれたけど……でも事情があったんなら、それは迷惑じゃないよね」


 真奈さんのクールな性格に反して情に厚い言動に同意を示す夕映さん。二人とも優に絶大な信頼を寄せているらしく、仕事を辞めた理由について踏み込むつもりがないらしい。


 滅茶苦茶、友達思いな人達だなぁ……。


 それから俺は真奈さんと夕映さんが抱く、空白の一か月間について説明が可能な部分は話した。携帯番号が変わっている事に関しても仕事を辞めた理由に繋がっていると語ると、どうやら彼女らの中で「電話番号の変更」と「お金が必要」という部分で妙な解釈に行きついたらしく、「弁護士に相談すべきなのでは」など真奈さんが呟いていた辺り、悪い人からお金を借りて必死に返済しているとでも思われたのかも知れない。


 俺としては言動上、嘘は言っていないが借金取りからの電話に怯えて携帯番号を変更し、取り立てに来られないように引っ越して。しかし、それでも逃げきれずに返済のためにお金を稼いでいる――という感じのシナリオにでもなっているのだろうか?


 まぁ、それで納得してもらえるならいいんだけどな。

 そんな中――突如として、真奈さんはこの空気を打破すべく咳払いを鳴らす。


「そういえば優。ドリンクバーを注文していたんだったね。飲み物の一つでも欲しかっただろうに、話し込んでしまってすまない。話も一段落したし、取りに行って来たらどうだろうか?」


 俺の身の上話に何となく区切りがつき、生まれた三人の無言を埋める様に真奈さんは自分の配慮の至らなさを恥じたのか後ろ頭を掻き、夕映さんの方へと顔を背けつつ言った。


 正直、現状の俺としては不要な気遣いだった。

 しかし、そういうわけにもいかないので。


「気遣いありがとうございます、真奈さん。それじゃあ、ちょっと取ってきますね」


 俺はそう言って席を立ち、セルフサービス方式となっているドリンクバーコーナーへと向かう。気遣いへの礼を語った俺に対して、不思議そうに俺を見つめる真奈さんと結衣さんの表情が気になったが、よく考えればこうして逐一礼を言うのも友人としては不自然な行動だったかも知れない。


 とはいえ、ドリンクバーを注文しておいて何も飲まないというのもやはり不自然か。


 ならば優が飲みそうなものをチョイスしなければならないのは存外に難しい事だな――と、思ったがそうでもなかった。


 優は珈琲の話題が出る度に、ココアの方が好きだと語っていたのだ。

 旦那の好みを把握している出来る女、俺がここに居た。


 と、そんな戯れ言はさておき。大概のドリンクバーならば、ホットのコーナーにココアも置いているだろう。しかし、ここでもう一つ問題が生じる。


 現在、六月――初夏である。


 外から店内へと入ってきた人間がまず一杯目の飲み物として熱いココアを選ぶというのは随分とおかしい話ではないだろうか? 仮に氷を入れて、アイスココアに出来るとして、暑さに抱かれて辿り着いた人間の心理的に、甘ったるいココアなんか飲みたいだろうか?


 というか今、俺自身が飲みたくない。珈琲は年中ホット派の俺も、甘くて暖かい飲み物なんて飲みたくない。誰だって、この季節にはそう思うはずだろう。

これは勇以前に、人間として自然か不自然かの問題だ。


 あぁ。折角、入れ替わって自由を手にしたっていうのに、何でまた見られ方に関して逐一気にしているんだろうか?


 俺は嘆息交じりでそう言いつつ、別の打開案を取る事にした。一旦、ドリンクバーコーナーを離れ、トイレへと向かう。個室の中、突如として鳴った時に取り出したのがガラケーだと怪しまれるという事で、電源を切っていた携帯をポケットから取り出し、起動する。


 遊んでいる所を邪魔したくはなかったが、勇に電話するのだ。

 こういった場合に、どんな飲み物を選ぶのかを聞くために。


 しかし、起動した携帯が不在着信を知らせる。誰からだろうという疑問を抱く事もなく、まず驚いてしまう。


 その件数――四十件。


 何事かと少し不安感を煽られるのは無論、今までにこれほどの着信件数を携帯が表示した事がないというのに他ならない。加えて、考えてみれば今の携帯の番号を知っているのは勇と会社くらいである。


 ならば――。


 俺の会社は社員の退勤時間にほとんど差がないので、俺がここに居る時点で多大な連絡を寄越してくる可能性があるのは前者だ。


 ……何かあったのだろうか?


 妙な胸騒ぎと共に掛けるはずだった相手に対して、奇しくも掛けなおす事になった俺だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る