勇「武闘派である優でさえも畏怖を抱くなんて」
「今日は友人と遊ぶ約束があるもので。申し訳ないですね」
私は両手を合わせて申し訳なさそうに彼女らへそう言いました。
仕事が終わり、時刻は夕方の十七時を過ぎた所。本来は十六時退勤だったのですが、ついつい同時に退勤となった真奈、夕映との会話に花が咲き、その話の流れから食事に誘われたのです。しかし、今日は生憎にも先約が入ってましたからね。
そもそも、優としては過去に女性の体の時の友人だったとはいえ、異性と遊ぶ事を快く思いはしないでしょうからオールタイムお断りというスタンスでいきたいですね。
事務所内、テーブルを挟んで向こう側に腰掛けて並ぶ真奈と夕映。
うーん、そのスタンスも我慢が続く限りなんですよねぇ。確かに私の大本命は変わらず優なのですが、ちびっ子可愛い夕映やミステリアス美女な真奈の魅力を思えば折角のお誘いを無下にするのもどうかと思いますね。ええ、そうですとも。別に浮気しようというわけでないのですから。学生である夕映には彼氏がいるでしょうし、真奈は人妻説も出ていますから――後ろめたい事はありません!
「そうですねぇ。また今度、お願いします!」
私は断った誘いに追記するように言いました。
何と意思の弱い人間なのか。
「そうか。なら今日は夕映と二人で食事という事にしようかな」
「そうだね。また今度、勇さんとは予定を決めて遊びに行けばいいよね」
「うむ。勇には積もる話もあるから――色々と、ね」
明るく朗らかに語る夕映と、微笑みを浮かべながらも含んだような物言いをする真奈。
怖い、怖い。真奈の思惑が怖いです。
「じゃ、じゃあ真奈さん、夕映さん。僕はこれで失礼しますね。お疲れ様です」
「あ、お疲れ様でーす」
「今日はお疲れ様、勇」
危機意識がこの場を早く離れろ、と告げていたのか私は挨拶を済ませ、そそくさとカバンを抱えて事務所を出ました。
いやいや、「今日は」って何ですか。怖すぎですよ!
真奈は何か勘付いているような……。でも、勘付いていない事でも意味深に語る悪い癖が真奈にあるのを私は知ってますからねぇ。そういうフェイクを仕込むトランプの駆け引きみたいな言動を日常で行われると心臓に悪いですよ、本当に。
店を出ると橙色の斜光に一瞬目が眩んで、私は反射的に目を細めてしまいます。風景が温暖色の輝きに染められ、描写された夕景は美しいものです。子供の頃、日が傾けば家に帰る合図だった感覚が残留しているのか、夕暮れは何だか物寂しい感覚を抱いてしまいますね。でも、こういう心の空虚感って嫌いじゃないですよ。
さてさて、本日の約束は無論――優の助力によって縁が生まれたアニメグッズのお店で出会った彼らと遊ぶのですが、特に内容は決まっておりません。何をするとか、何処に行くとかは決めずにその場の勢いで。それが何度か彼らと交流する上で知ったやり方でした。行き当たりばったりな遊び方をしていると、「これぞ友人との交流って感じですね」としみじみ思ってしまう私がいます。
計画性のない行動という意味では優はあまり好まなそうな遊び方かなぁと思います。優は行き先を決めて行動するタイプな気がしますし。
そんな風に今日の予定を思いつつ、集合場所である例のアニメグッズのお店へと向かって歩いていく私。ビルの隙間から差し込んでくる鋭い斜光に目を細め、手で遮りつつ歩いていきます。
やがて辿り着いた商店街。その内部にアニメグッズのお店は位置しており、大した距離もないのでただひたすらに歩くだけとなります。天井を有しており、夜になれば声が響き渡りそうな商店街は真っ直ぐに奥まで道を連ねて、その先を鮮明に目視する事は困難なほどにずっと、ずっと長い道のり。そんな道中の中腹あたりに存在する目的地を目指し、歩いていきます。夕陽が屋根で遮られたため楽に歩ける――などと思っていた時。
――違和感。
最初は何気なく、という言葉でしか説明出来ないものでした。ふと、何かを感じたなんて自覚もなく振り返った瞬間の事。数多の人間が蠢き、人が擦れ違い、流れ行く夕方。帰宅ラッシュの商店街、その光景の中で、私の振り返った行動に呼応して物陰に隠れ、視線を避ける何者かの存在を知覚したのでした。
……気のせいでしょうか?
私はそう考えると、そのまま向き直って進むべき道を歩き出しました。
そのまま歩む事、数歩。
やはり、気のせいのようには思えない。
そう思考して振り返ると、今度ははっきりと私の中に「誰かが後ろから見ている」という前提で目視したからか、はっきりと物陰に逃げ込む何者かを確認しました。
やっぱりだ――尾行されている。
そうなると当然、誰が――そんな問題になってくるわけですが。
この尾行という現象、市民権を得ている犯罪名で言う所のストーキングなのでしょうけれど、だとしたら私を追いかけるメリットなど皆無だと思うのですが。
だって私、今現在――髭面、筋肉質の長身男性ですよ?
以前の超絶可愛いドゥーニャちゃん似の女の子状態な私だったらストーキングされるのは分かります。というか、私がそんな子を見かけたら尾行するかも知れません。
まぁ、それはさておき――女性ならいざ知らず、男性の姿である私が?
世の中には物好きもいるのでしょうから、全ての可能性は肯定こそされずとも否定される事はない。
ならば、あり得るという事でしょうか?
私は嘆息し、再び歩き出しては振り返る。そんな行動を数回、行ってみました。私が振り返るタイミングをコントロールしている関係上、物陰に隠れる対応が遅れて私に毎回視認されているわけですが、ここまでバレバレな尾行を尚も続けてくるとは。
例えば、仮に私が逆走して詰め寄って行っても困らないのでしょうか?
まぁ、どんな人物か分かったものではないですから行きませんけど。
ただ、尾行されているのは随分と気分が悪いものです。こういった状況を打破するにはどうすればいいのか?
私は少しその場に立ち止まって、腕を組んで思考します。そして、自分の中で生まれたアイデアにちょっとした確信を持つと、すぐさま実行に移す事に。
といっても、携帯をポケットから取り出すだけなんですけどね。
まず尾行する側の人間からして、標的に視認されている事を自覚した上でその人物に携帯を取り出されてみればまぁ、警察を呼ばれると思って警戒するでしょう。そういう行動に見せかけておいて、実際は優に電話しようと思っているのです。
そもそもこの体は、優のものでした。
ならば奇しくも、私はストーカーさえも彼女から引き継いているのではないかと考えたのです。
ストーカーの発生理由の大半は恋愛の縺れだと聞きますから、優の過去に何かあったのではないかと思い、電話を掛けます。職場でだらだらと真奈、夕映と会話していたせいで時間は十七時を過ぎていますから、仕事を終えた彼女と会話が出来るはずです。
電話は随分と呼び出し音を連ねた後、優が応答しました。
『えーっと、これで通話だよな。電源ボタンじゃないよな……よし。もしもーし。お待たせしました、どちら様でしょうか?』
「通話ボタンは左です。右利きの人間が誤操作で電話を切ったりしないよう配慮されていますよ。いい加減覚えて下さい」
『その声は勇か。すまんすまん、お前さんの番号はしっかり覚えてるんだが、パッと見ただけじゃ緊張もあって分からなかったんだ』
照れたように言う優。
電話に出る度に優は緊張しているという事でしょうか?
だとしたら、そのレベルの機械音痴って人間社会で生きていけるのか疑問に思ってしまいます。まぁ、優の職場がパソコンを使わないというなら問題ないのでしょうけれど、最近のオフィスは当然のように用いると思うのですが。優なんかに使わせれば、月に一台のペースくらいで壊してしまうのでは?
「私の番号くらい登録しておいて下さいよ」
『あぁ、それな。引っ越しの時に家から携帯の説明書を持って来てくれてたら、何とか登録出来たんだろうけどな』
「携帯の説明書とか読む人居るんですね。最早、アナログの説明書は絶滅寸前だというのに」
『でも、読書感想文が書けるくらいには熟読してるつもりだぜ?』
「それで登録出来なきゃ読んだ意味ないじゃないですか」
『でも感想は持ったからな。心に残りました、忘れません……あれ、何か小学生レベルだな』
「心残りです、覚えられません――と訂正すべきですね」
優は電話の向こうで「あっはっは、言い得てるなー」と快活に笑い、一方で私は彼女がこれから先の科学が発達に発達を重ねていくであろう世界を生きていけるのか不安になってしまいました。
うん。私は絶対に最新技術とかに屈せずに理解を示して、優を一生守っていこう。
じゃないと優は絶対、一人じゃ生きていけない。
などと、心の中で決心を固めている時――優は突然、「あぁ、そうそう!」と何かを想起したように言い、私は「何ですか?」と話題を促す言葉を発しました。
『何か、お前さんの知り合いだったであろう女二人にばったり会っちゃって。今から食事に行く事になったんだけど――どうしよう?』
「――はい?」
私はさらりと衝撃的な事を語った優に対して上手く言葉を発せず、短く問い返す形となってしまいました。
残念ながら、私に「誰だろう?」と悩むほど沢山の知り合いはいません。
考えるまでもなく、彼女らでしょう。
『今、ちょっとお手洗いって言って駅のトイレで電話してんだけどさ。電車降りた途端に声をかけられて、断れないもの凄い勢いで食事に誘われちゃったもんだから』
「ど、ど、どんな外見をしている二人ですか!」
答えは自分の中で出ているのですが、それでも一応確認という事で問いかけた私。
とはいえ、予感は恐らく的中していて。そんな彼女らの片一方がぎこちなく「過去の優」を演じる事になる「今の優」を見てどう思うのか?
……バレる可能性すらあり得る。
『えーっと、髪が長くて俺より背が高い胸の大きいおねーちゃんと、ボブカットっぽい背の低いがきんちょの二人組』
「あぁ、やっぱり」
的中しないわけがない予感が、やはり的中した瞬間でした。
私の退勤後、同様に職場から出た真奈と夕映は駅の付近を通って食事に向かおうとして――奇しくも優と会ってしまった。そんな所でしょうか。
こういう事ってやっぱり、あるのですね。
「優、理由を付けて逃げる事は出来ないのですか?」
私は電話で伝わるわけがない神妙な面持ちで、問いかけました。
『あ、多分無理だと思う。背の高いおねーちゃんの方が目をギラギラさせてて、逃げたらそのまま永久に逃げ回らなきゃならなくなるくらいの恐怖が待ってるって俺の本能が告げている。すまん、多分このまま食事に行かなければならない』
「あぁ、分かります。鮮明にその感覚が私には伝わってきます」
それにしても武闘派である優でさえも畏怖を抱くなんて真奈、どんな威圧の仕方を優に対して行ってるんですか。
『でさ、名前を聞くわけにはいかないけど、名前を知らないのはおかしいって意味わかんない状態だから彼女らの名前を教えといてくれないか?』
「あぁ、それもそうですね。大きい方が真奈で、小さい方が夕映です」
『真奈さんと夕映さんだな、分かった』
「あ、いや。その――」
言いかけて電話は切られてしまいました。
そもそも私から電話したのですけれど、要件は何一つ言う事なく切られてしまいました。まぁ、急ぎの要件でもないですから構いませんけど。
それに――。
私は振り返って背後を確認します。蠢く人々のベクトルの中、こちらを見つめる視線は失われているようで。何度か前進しては振り返るという行動を繰り返しましたが、どうやらストーカーらしき存在は尾行を止めたようでした。
まぁ、ならいいのですけど――、一難去ってまた一難ですか。
ストーキングされている疑惑が浮上したかと思えば、優は真奈達と遭遇するだなんて。
――って、そうでした。彼女らと対応する上で留意してもらわないといけない事があるのに、言う前に電話を切られてしまったんでしたね。
そう思い、もう一度優に電話を掛けるのですが――繋がらず、どうやら電源が切られているようです。
これ、かなりますいんじゃないでしょうか……。
優が真奈と夕映にどんな言動を晒してしまうのか気が気でなくなり、今日はずっと不安感が胸中から払拭せず残留したままだろうな、と思ってしまうのでした。
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