優「ツンデレって言うんだっけ」

 仕方ねぇ奴だな、などと呟きながら俺は勇の携帯に電話を掛けていた。


 毎日、家に帰ってくるとマナー機能を解除しており、企業からのメールマガジンくらいしか届かない携帯が着信時に響かせるアニメの曲を口ずさむ勇を見つめて呆れていたのを思い出したのだ。


 正直、俺としてはこういう場に居るだけでも不服だし勇が声を掛けている連中は俺の忌避する人間であるのだが……まぁ変な話、夫の顔を立てるのが妻の勤めだなんていう言葉を曲解した行動という事で、助け船を出した。


 俺が「あんな奴ら」と勇を、結びつける必要なんかないのだけれど。


 とはいえ、着信音をきっかけに僅かに心を開いたオタク達に対して、すかさず自分もその作品が好きなのだという意思を表明する勇。無邪気で、子供が欲しかった玩具を与えられたみたいに喜ぶ顔を見ると、何だかご機嫌斜めな自分がちっぽけで幼稚に思えてくる。そんな自分の中で生まれた感情の動向を払拭するように咳払いを一つ鳴らし、俺は店内を見回す。


 この国のアニメの技術は確かに凄いのだと思う。


 店内に設置されたモニターに映るアニメ映像は時に写実的で現実の風景や人物を用いているのではないかと思わされる精密さとリアリティを有していたり、そんな一方で抽象的だったり独走的な表現技法で見る者に自ずと歩み寄らせる事を促す、突き放したようなテクニックが光るものもある。


 全部、ひっくるめて芸術だ。

 それは、認めよう。


 でも――。


 芸術だからといって、全てが肯定されるほどに芸の概念は強力な免罪符とはならないはずだ。やはり人の死や黒い欲望を描きたいからといって凄惨な絵を書けば非難を喰らったり、公開を自粛する結果になったり。


 表現の自由――なんて抽象的であまりにも鋭利な言葉。


 それは端的に言って刃物だ。名前や概念化のされていない微妙なものを切り出し、理解しやすい形で提供する芸術。それが調理ではなく、攻撃的な刃物の用い方になってしまう。


 別に、アニメが事件に結び付き、犯罪を促進している害悪だとは言わない。

 でも、創作だからってやっていい事と、悪い事がある。


 俺は特に空想的分野に突出したアニメに対して、そう思うのだ。


 そして、そんな思考をしてしまうだけの「作品に出会った過去」が俺にはあり、「そういった作品で喜ぶ人間の存在」で随分と世の中を信じられなくなったような気もする。


 戦争の悲惨さを伝えた絵が存在するのは平和の象徴。

 戦争の凄惨さに苦しむ人にとっては――揶揄も同然。


 他人の苦しんだリアルもぼかしてしまえば楽しいのか?

 他人の不幸が蜜の味だとでもいいたいのか?


 だからこそ、腹立たしい。

 そんなものにエンターテインメントという呼称を与える、世の中が。


 などと、思うわけで。勇が彼らとメールアドレスを交換できるくらいに仲良くなって、俺の所に「お待たせしました」と戻ってくるまでの間、火が点いたアニメに対するある意味での偏見的思考は、絶えず俺の中にあった。


 だからといって、勇の趣味を否定する理由にはならないはずなのだけれど。

 同じ趣味の仲間が欲しいという願望の成就は、一緒に喜んでやりたい。


 そこに偽りは、ないんだから。


 アニメグッズのお店を出ると、勇は上機嫌そうに鼻歌を歌いながら俺の隣を歩いていた。確かに「あんな奴ら」とつるむ事になる勇に対してちょっと不服な感情はあったものの、彼の悲願達成を祝いたい気持ちもあったので積極的に勇にその話題を振ってみる。


「で、どうなのさ。一時はどうなるのかとか思ったけど、何だかんだで上手くいきそうじゃん?」


 俺が問いかけると、隣を歩く勇は満面の笑みでこちらを向く。


「同じ趣味を共有し、語れる仲間というのは確かにいいものですね。まぁ、助け船を出してくれた優のお陰というのが大きいですかね。ありがとうございます」


 勇は軽くを頭を下げつつ礼を言い、彼が素直にお礼を語った所を見た事がなかったような気がしたため、ちょっと拍子抜けして反応が遅れてしまった。そんな俺の挙動に「どうしました?」と問いかけてくるので、妙な羞恥心を抱いた俺は彼から顔を背けて「そ、そうか。そりゃよかった」と弱々しく言った。


 あぁ、俺ってば素直じゃない。


 でも、勇とあいつらの文化的にはツンデレと称して親しまれてるんだっけ。


 ならいいか、と俺はそう納得すると勇のために行った助け船に対するお礼を素直に受け取れなかった自分が妙におかしくなり、気付かれないように微笑みへと還元した。


 その後、特に行き先も決めずに歩いていた。このまま行き先を指定しなければ帰路へと接続されるため無意味な徒労ではない。帰宅するならば夕飯の食材を買い足しておきたいな、とも思う。


 ちなみにこれは余談だが代々料理人の家系というある意味でサラブレッド的な勇、壊滅的に料理は出来ないらしい。寧ろ、父親の背中を見て育って料理が出来るというのならそっちの道に進んでいるか、とも思う。そういう両親の影響というのは将来の夢に関わる磁力として、引力とも斥力ともなる。


 そういえば俺には将来の夢なんてなかったな。何となくケーキ屋さんになりたいとは思ったけど、言えなくて。だから飛行機のパイロットになるなんて言った事もあったっけ。でも結局はとりあえず答えただけで、真剣に将来のビジョンにこだわったり何かに打ち込んだ事はなかった。


 ――勇はどうなんだろう?


 などと思っていた時、勇は不意にある場所への行き先を提案する。


「ついさっきまで優が助力してくれたアニメ主題歌のお陰で、好きなアニメの曲について彼らと話していたんですけど……そこで、優に提案があります。これは存外に感動する遊びだと思われます」

「何だよ?」


 存外に感動する遊びとは?

 そんな疑問を胸中に抱きながら、俺は勇の返答を待つ。


「カラオケですよ。私達、入れ替わりによって肉体が望んだ性になったわけです。もう、カラオケのキー変更機能を使わずに済むんですよ?」


 勇はしたり顔で人差し指を突き立てて言い「確かに」と俺は思った。


 男性には女性と比べて、随分と明瞭な声変わりがある。それによって、奇しくも俺好みな重低音ボイスを手にする事になったのだが、カラオケに行くとそれは弊害となる。


 カラオケに行けば女性歌手の曲を歌えない事が、あまりに苦痛だったのだ。


 オクターブを下げて歌えばまるで俺はベース音を奏でているのか、もしくはお経でも唱えているのかと思うくらいに聞き苦しいものとなり、それに加えて、


「そうだよなぁ。確かに音域が変わったのは魅力的だよなぁ。俺ってば壊したら困ると思ってカラオケの機能とか触れなかったんだよ」


 ――と、俺は機械音痴故にキーの操作もした事がない。


「優は本当に機械音痴ですね」


 呆れたような表情と、それに準じたイントネーションで勇は言った。


「まぁ、確かに俺は機械音痴さ。何せ、フロッピーを蛙の可愛いキャラクターの事だと思ってたくらいだからな」

「まず、機械の話をしてフロッピーが出てくる時点で時代についていけてないですよね」


 とはいえ、俺の方も勇の誘いを断る理由がなかった。確かに音域の変わった今の自分でカラオケに行くワクワク感は、勇に気付かされてからずっと俺の胸中で暴れ回っている。


 ――というわけで、俺と勇は一旦引き返して商店街を進み、カラオケ店まで赴く。


 提案したくせに勇はカラオケには行き慣れていなかったようで、俺が時間やソフトドリンク飲み放題のプラン的な諸々を店員に問い合わせて、決定した。


 そして、トップバッターを譲られた俺はずっと以前から歌いたかった女性歌手の歌を熱唱し、何となく歌いきると感想を聞いてみたい気持ちに駆られたので勇に問いかけた。


 すると、勇は「萌えた」と言うので「可愛いって意味だっけ?」と問い返す。勇は「大体合ってます。可愛いという言葉に上手い下手の意味合いは含まれてないので、そこは自由に解釈して下さい」と言い、何となく貶された感じがしたのでムッとなって椅子にゆったりと座って腕組み。


 そこまで言うなら聞かせてもらおうじゃないか、と勇の歌唱力に対してハードルを上げたのだが……それを飛び越えてしまうくらいに上手かったので文句の一つも言えなくなってしまった。

 

 まぁ、声がいいから仕方ないよな。うん、声が。


 ちなみに勇が歌ったはやはりアニメの曲。分からない領域だなぁと思っていたのだが、その曲を歌っているのは俺の好きな歌手でもあり、妙な接点で音楽の趣味が勇と重なった。


 そんなわけで――奇しくも今日、否定的に感じていたアニメ。その音楽で、勇との意外な共通点を知る事になるとは、と驚愕した俺。


 ちょっとした過去によってアニメに対して拒否感を抱いている俺だが、こうしてカラオケ店の個室で生まれた奇妙な意気投合のような感じでもしかすると、いつか理解出来る日がくるかもしれない。


 そして――そんな自分に変わってしまえればいいのになぁ、と。

 ちょっと心の隅で思ったのだった。

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