勇「胸に解決策が秘められているのでした!」
引っ越しも無事に終えて数日後、私達はそれぞれ装いも新たに――などという言葉が皮肉にも正しく響く「別人」として過去の職場へと面接を受けに行きました。
私が女性の体を有していた時の職場は優の仕事場と違って小規模な自営業の店舗でして、面接の対応も見知った店長が応対して下さいました。ちなみに求人はまだ出していなかったようで、私が直接職場に連絡すると「丁度、欠員が出た所だったから、よろしければ面接をしましょうか?」と言って頂けました。ただ、そのセリフはある意味で欠員を作った私が言わせたものに等しいです。なので、罪悪感を胸に「お願いします」と言いました。
まぁ、罪悪感もすぐに緩和されていくことでしょう。事態は仕方のない事でしたし、仮に店長が街中で見覚えのある「裏切り者」を見かけても、問い詰められるのは優ですからね。
というわけで、面接にて過剰なまでにこの業種に自信があるという旨を誇示して採用されました。まぁ、経験者ですからね。
なので、私は以前の肉体で務めていた職場にパートタイマーとして「再度、初雇用される」という日本語としての整合性が破綻しているとしか言いようのない、しかし一方で事実でもある状況に身を投じて、二回目の「初めまして」を見知った職員に語る事になるのです。
そう、パートタイマー。
本来ならば、妻であるはずの優を専業主婦にしない点に疑問を抱く人もいる事でしょう。無論、夫婦共働きというのが経済的事情ではなく本人達の希望によって成立する事もある世の中ですからおかしくはないのですが――そう、私の勤め先での身分は非正規雇用なのです。
何故か、と言われて過去の肉体が女性だったからは、理由になりません。女性でもバリバリと正規社員で働く方は沢山いますし、男女雇用均等法などというものも一応は存在しますから。そういう職を得られなかったという事でもないのです。
――なら、何故なのか?
それに関しては私の過去に秘められたちょっとした事情が起因していまして。その内容はそれなりにヘビィなものなので話すのに抵抗も伴って、優には語っていません。ただ、そういう「事情」が存在して、今語れるのはこれが「精一杯なのだ」という旨を伝えると、彼女はそれ以上の追及もせずに「分かった」と言ってくれました。
理由も語っていない事情を「今はそれでいい」と受け止めてくれるなんて、そういう優の快活な部分は素敵ですね。そんな言葉に甘えていないで、旦那としてきちんと稼ぎを生み出すべきなのでしょうけれど……もう少しだけ、もう少しだけと甘えてしまう心がどこかにあったのだと思います。
とはいえ、いつかは優に知らせるべき時がくるのでしょう。
私のその、過去を――。
――というわけで、仕事の初日を迎えると私は取り立てた緊張もなく職場へと向かっていきました。実家から近い職場だったため、私達の現住所から考えればやや距離があります。それでも歩いていけない距離ではないのですけれどね。
ちなみに、入れ替わりによって車の免許を手に入れたのですから、私が運転の技能を身に付ければ車に乗ってもいいわけです。そう語り、優に「車を持っていないのか?」と問いかけると、彼の両親の勧めでとり敢えず免許を取得しただけで、車自体は所有した事がないのだそうです。ペーパードライバーという奴ですね。
無論、教習所に通っていたはずの優が今、車に乗れば無免許で捕まってしまいます。何だか面白いですね。本人に言ったら、また頬を引っ叩かれそうですが。
閑話休題。
職場に到着すると、今日からお世話になる旨を伝えて他の従業員に店長が私を紹介してくれました。皆、見知った顔ですが、人間関係はリセットされています。ちなみに従業員の割合は女性が七割といった感じでしょうか。接客が主な職務内容なので、男性よりも女性の方が向いていると言えるかも知れません。私は見知った従業員達に対して「初めまして」と言って簡単な自己紹介を述べました。
そして、仕事がスタート。
……といっても、私が過去に仕事を教えた子が先輩面してくるのは中々に耐え難いものですね。それに加えて、私の方が職務内容は熟知しています。店長により多くの仕事を任せて貰っていた私ですので、業務を説明してくれるかつて後輩で、現在は先輩の子の解説に垣間見える隙を突いて「おかしくないですか?」と言うと、びっくりした表情で「そ、そうですね」なんて返答してくるのがおかしかったですね。
業務上で扱う商品は倉庫に全て収納されており、配置を覚えるのが大変だったりします。加えて、日常生活で使わないような片仮名の名称で綴られた商品名はなかなか頭に入らないから、大変――などと、後輩の子は語ってくれるのですが、私が覚えていないわけがないではありませんか。
指定された商品は平然と用意出来ますし、接客業故の客に対する礼儀礼節、対応も熟知しています。新入りのくせに常連を把握している奇異な新人の圧倒的な力量はすぐさま職場内からの驚愕の声となって帰ってきまして。何というか、悪い気分ではないですね。
まぁ、ゲームの二週目みたいなものです。
出来て当然、知っていて必然。
などと緊張の欠片もない仕事を数時間こなすと、店長から休憩を取るように言われて私は平然と店内の事務所に設置されたパイプ椅子に座って、休息とします。過去に当然ながら存在した、一回目の初勤務時は休憩を取る時に事務所で食事をしている先輩方の中に混じるのが怖くてトイレの個室の中に籠っていた事もありましたが、そういう意味では何とふてぶてしい新人でしょうか。
パイプ椅子に腰を深く下ろして、リラックスしきっていますからね。
などと考えている時――私と休憩の時間が同じだったのか、二人の女性が事務所の中に入ってきました。当然、私は二人の事をよく知っています。この職場に勤めていた頃、一番仲の良かったのがこの二人でしたからね。
事務所は簡素な長机を挟んでパイプ椅子が二つずつ向かい合うように置かれており、二人とも私の向かい側に並んで座りました。公私共に仲が良く、そして私個人としては両者共に好みの女性として、ちょっと違う目で見ていましたからこうして会うとあの時の事を思い返します。
もし、入れ替わった後に優と結婚するなんて展開を迎えていなかったら、私はこの二人のどちらかと結ばれる努力でもしていたのでしょうか?
などと思ってしまうも、今となっては関係のない事ですね。
彼女達――真奈と夕映、そして私は常に仲の良い三人でしたが、今となっては再びリセットされた初対面。そういう意味では積み立てた人間関係が失われるというのは寂しい気もしますがまぁ、仕方のない事ですよね。それで得たものも大きいのですから。
「確か、今日から勤務ですよね? なのにあれだけ出来るなんてすごいですよ。期待の新人って皆が話題にしてますよ!」
明るい口調で目の前に座っていた私に話掛けてくるのは夕映の方ですね。
可愛いもの大好き、お菓子大好きという典型的な女の子像を踏襲したような彼女。
幼さを感じさせるボブカットと高くない背丈のせいか、自分の妹のような感覚を受けていました。まぁ、私には実際に妹がいるのですけど。
それはさておき、職場上の立場も後輩の彼女は人懐っこい性格でしたから、そこに付け込んでよくボディタッチをさせて頂きました。まさか彼女も当時の私の内面が男性だったとは思わないでしょう。
まぁ、今は外見も男ですからあの時のようにボディタッチなんかしようものなら、手首を銀色の手錠で括られてしまいますが。
「そんな事ないですよ。たまたま、これまでの経験が生かせただけで……出しゃばった感じになって邪魔ではなかったですかね、僕」
謙遜を語りつつ、内心では「出来て当然なのですけど」と表面上とは真逆の事を考えていました。
ちなみに、私はこの職場で自分の事を「僕」と呼ぶ事にしました。何だか「俺」は抵抗がありまして。といっても、私の外見で「僕」もなかなかにミスマッチなのですが。まぁ、「私」よりはマシでしょうか。
「いやいや、謙遜の必要はないよ。夕映も見習うべき仕事ぶりだった。これでは夕映と君、どちらが先輩か分からないね」
女性としてはやや低めの声で夕映を揶揄しながら話すのは真奈です。
彼女は私にとって先輩でしたから、内心でも本来ならば何らかの敬称を付けて呼ぶべきなのですが、真奈本人が心を許した人間から敬称込みで呼ばれる事を好まないので、呼び捨てとなっています。
真奈は同性が惚れてしまう女性とった感じの人物。サバサバとした性格に、クールな語り口調。長い髪を括ってポニーテールにしている様はその性格も相俟って、勝手な想像ですが、学生時代は弓道でもしてそうだとか思ってしまいます。身長も高くて私と彼女達が並ぶと綺麗に大中小となります。
「ちょっと! 流石にそれはひどーい! 私だって優が突然、辞めちゃってから必死に代わりをしようと頑張ってるじゃない!」
真奈が強いているため、彼女に対しては敬語を使わない夕映。
「でも優の仕事ぶりはきっちりとしていたよ。確認を怠らず、正確さを失わず……まるで彼のようにね」
頬を風船のように膨らませて不愉快そうに文句を述べる夕映に対して、微笑みを浮かべて子供に応対するかのように優しく語る真奈は私の方を向きます。
まるで――彼のように。
そうなんです。無自覚とはいえ、このように鋭く真理を突いてくるのが真奈という女性の恐ろしくも彼女たらしめる要素。真奈の前で嘘は通用しませんからね。何度、結衣が暴かれて、泣かされてきたか。
ちょっと前に真奈が言った「どちらが先輩か分からない」も同様に。
言い得ているというか、相変わらずな真奈の鋭さ。嘘とか平然と見抜く勘の鋭さも彼女の特徴の一つですからね。
「……あ! 優っていうのはここについ最近までいた従業員なんですよ。仕事もきっちり出来て、時々ボディタッチが鬱陶しいなって思いましたけど、優しい先輩だったんです。何があったのか、突然辞めちゃったんですよね」
夕映はきょとんとした表情で彼女らの話を聞いていた私への配慮か、「優」という私のある意味で最もよく知る人物について説明してくれました。そういう細やかな気遣いは夕映の特徴であると言えます。
ただ、ボディタッチ。鬱陶しかったんですか。
「そうなんですね。優さん……僕と同じ名前とは奇遇ですね」
私は「優」と名前が同じである事を自ら語っておきました。ここに居た「優」と同じ名前である事を私自身が気付けるはずの現状で、「偶然性」を口にしないのは不自然かと思ったのです。誕生日が同じだと妙に盛り上がる感覚の踏襲ですかね。
「あぁ、そういえば君も『勇』という名前だったね。何だか、優が辞めた後に勇が新人として現れるなんて、もの凄い偶然だね」
勘ぐる風ではないものの、不思議がるイントネーションで語る真奈。彼女は表情にはあまり感情が出ない分、胸中が読み取りづらいのです。
「言われてみれば凄い偶然ですね。これからよろしくお願いします、勇さん」
真奈とは対照的に表情がころころと切り替わる夕映は太陽みたいに眩しい笑顔でそう言いました。
「はい。よろしくお願いします。夕映さん、真奈さん」
何だか、つい最近まで一緒に馬鹿な会話を繰り広げていた彼女達に語る挨拶としては不思議な感覚がしましたが。それでも、私はこの場所で再び働く上でも二人とは仲良くしたいと思うのです。
ですから。改めて、の挨拶でした。
しかし――。
「あれ? 私は確かまだ名前を君に名乗っていなかったと思うのだけれどね。夕映は会話の中で名前が出ていたため推測可能だとしても……」
首を傾げて、懐疑的に語った真奈の言葉。
瞬間、心臓が大きな脈動を鳴らし、その音で彼女らに動揺が悟られるのではないかという不安感。鳴らし連ねる鼓動のビートが高まり、焦燥感に炙られて嫌な汗が滲み出ます。
まずい――私、やってしまったのでしょうか?
「確かにそうだよね、真奈。失礼だな話だけど私達、事務所に来た時、勇さんに自己紹介しなかったもんね」
同じように人差し指を唇に添え、斜め上を見上げて結衣は疑問符を頭上に浮かべます。
私が仕事開始前に自己紹介をした時、各従業員からの自己紹介はありませんでした。開店まで時間がないから割愛すると言われ、それから私の教育担当をしてくれていた後輩からは自己紹介をされましたが、結衣と真奈には勤務中は奇しくもそういう機会が持てなかったのです。そしてうっかり私が彼女らの事を一方的に知っているものですから語ってしまいました。
ゲームの二週目で、裏切る予定のキャラに対して「お前裏切るつもりだろ」と言う事が出来たなら、こんな空気が生まれるでしょうか?
そうでもないですかね。
――いや、それより。
どうしましょう。
どうしましょう。
私は周囲を見渡します。とはいえ、何らかの掲示物等で彼女らの名前を見つけても仕方ないのですけれど。例えばタイムカードで確認したなどという発言は通用しません。何故なら、顔と名前が合致する必要があるからです。
なら、もしかしてこれ……絶対絶命なのでは?
恐るべし、真奈!
どうしましょう、どうしましょう、どうしましょう?
夕映も真奈も懐疑的な表情。それにしてもこの二人の身長差って凄いものですね。いや、何を関係ない事を考えているのでしょう。現実逃避ですか。いや、でもでも身長と胸の大きさって比例するんでしょうか。夕映の幼児体型に対して、真奈のメリハリボディ。正直、優より大きいですからね。
ん? 胸?
――そうです。胸に解決策が秘められているのでした!
「ま、真奈さん。名札に、お名前が書いてありましたから、それで」
私が指差したのは豊満ではち切れそうな真奈の胸……ではなく、彼女のフルネームが書かれた名札。何故か、この店の名札はフルネームで記入されるのでした。
「あぁ、それで判断したのだね」
無事に疑問は氷解したらしく、真奈は納得を口にしました。
いやぁ、それにしても――もし、名札のない職場だったら……どうなっていたのか?
考えたくもないですね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます