優「本当に俺達、いい夫婦だよなぁ」
だから俺は、段ボールの開封作業を手伝う事に拒否を示すと思ったんだよなぁ、なんて思ってしまう。
悲痛という言葉が適用されそうなくらいに泣き咽び、時折こちらを恨めしそう睨みつける勇をただひたすらに目視し、蔑視し、俺はどうする事も出来ない。
自分の旦那が重度のオタクだったという事実をどうすればいいか分からないというのが現状である。
とりあえず、フローリングが剥き出しの床に座るよう促し、共に腰を下ろす。
まぁ、勇の私室を覗いた瞬間に分かってはいたのだ。おびただしい、と表現できるくらいに同じキャラクターのフィギュアが飾られ、壁をポスターが埋め尽くしていた。もう病的だな、とか思ってしまうレべルで。
しかし、そんな俺だったが――奇妙な感覚に陥る。
今でこそ、勇のご贔屓にしているキャラクターが「ドゥーニャちゃん」とかいう、ロシア圏っぽいネーミングのちょっと強気な感じで描かれた少女であると認識出来るが最初は冗談ではなく、勇が女性の体を有していた時代に「自分を誰かに描いてもらって、ポスターにしているのか?」などと、一種の恐怖を感じたくらいに。
そう――俺の外見とよく似ている。
そして、その瞬間に思い出したのだ。
自分たちは理想とする異性の様相を繕い、せめてもの楽しみとしていた。
そう、俺で言えば好きな俳優や男性向けのファッション雑誌で好みの男性を探しては、その様相を真似していたのだが、勇はあろう事かその対象がアニメのキャラクターだったのだ。
これ、俗に言うコスプレって奴じゃねーの?
一応、本人に確認しておくか。
「なぁ、勇。俺はもしかして、ドゥーニャちゃんか?」
「違いますよ、この鬼畜!」
「何だと?」
俺は迷う事無く勇の頬を引っ叩いた。
確かに鬼畜だった。
「ひ、酷い。そんな暴力至上主義な行動原理できっとドゥーニャちゃんも! 泣く子がだんまりを通り越してショック死するくらいの鬼ですね、優は!」
勇は引っ叩かれた頬を手で押さえながら、吐き捨てるように言った。
ここまで盛大に泣き喚いた事は後々、勇を弄るネタとしてプールしておくとして。
それにしても、男が床に女座りして泣きっ面というのはキツい。
かなり、キツい。
「ドゥーニャちゃん亡き今、私も死んだようなものですよ」
「お前さんはともかく、ドゥーニャちゃんも死んでんのかよ」
「殺したのは優でしょう! もう……どれだけ願っても、ドゥーニャちゃんは帰って来ないんですよ!」
「いや、組みなおせばいいだろ。お前の手で彼女を救ってやれって」
俺の言葉に勇は目を丸くして「あ、それもそうですね」と表情を明るくして言ったと思うと、段ボールの中で混ざり合う部品を必死に選定して、組み直し始めた。
流石に責任を感じて「悪かったな」と言うと「そうですよ、優が悪いんです」と明確な梱包方法も指示せずに一方的に俺を悪者にする勇にカチンと来て俺はもう一発だけ頬を叩いた。
すると、半泣きの状態で「私にも落ち度はありました。梱包の仕方や扱い方は一般常識ではないのですよね」と申し訳なさそうに言ったため、何故か立場が逆転。「俺に言う事は?」という催促に対して「ごめんなさい」と勇もその場の雰囲気で謝罪し、和解となった。
本当に俺達、いい夫婦だよなぁ。
というわけでフィギュアの組み立てを手伝うも、腕の部分に足を取りつけたりして勇が「使えないですねぇ」とぼやいたのでまたもやカチンと来て「うるせぇ」と言い、部品の入った箱を思いっきり蹴り飛ばしてやった。箱はフローリングを勢いよく滑って、壁まで滑走。しかし、激突時に部品は散乱せずに、壁際で難なく停止。勇は箱の方まで歩み寄って無事を確認すると、胸を撫で下ろした末にまた「ごめんなさい」と言ったので、俺は短く「おう」と答えた。
そして、容易く和解。
本当に本当に俺達、いい夫婦だよなぁ。
とはいえ、フィギュアの組み立てをして今日を終えるわけにはいかない。俺はドゥーニャちゃんの再構成において戦力外通告を受けたので、荷解きの方を進めていく。
俺達の借りたマンションはきちんと個室が二つ、俺と勇で割り振れるので彼の部屋の方に沢山ある荷物は放り込んでおく。他にも彼はゲーム機や映像作品等、多数の荷物をこの家に持ってくるように指定していた。
あとは重い家具。
ショーケースやパソコンを利用するためのデスクは後ほど、勇がドゥーニャちゃん蘇生に成功してから二人がかりで運ぶ事にする。
何だか夫婦だというのに部屋を分けるのは変な感じもするが見た目と利害の一致、加えて同情的な感覚で結婚する感じの俺達にとってまだ一緒に眠るだとか、そういったスキンシップは踏み込めない領域である。
もっと互いを知り、好きになる努力が必要だ。
きっと、出来る――俺と勇はそう思っている。
けれど――。
勇を見る。フィギュアを泣きそうな表情で組み立てる彼の情けない光景も、それなりの見た目によってカモフラージュされているのか、やはり素敵な人物だという認識が俺の中にはあるが――正直に言おう。
俺はオタク、と呼ばれる人種が苦手だ。
世間的に言われる事もあるであろう「気持ち悪い」だとか、そういう意味合いではない。寧ろ、そういう人種に対して嫌悪感はない。
でも、彼らが好む「アニメ」ははっきり言って――嫌いだ。
だからこそ、勇がそういったものを好んでいるのならば、受け入れる努力。理解していき姿勢を持ちたいとは思う。
他ならない、自分の趣味を曝け出せなかった俺達だから。
理解されなかった、俺達だから――と俺は思う。
荷解きの手を止め、必死にフィギュアを修復する勇の方を見る。彼の周囲には、取り囲むように台座に立てられたドゥーニャちゃんがずらりとそれぞれのポーズで立っている。
ちょっと口悪く表現すれば男に媚びているようなポーズ。俺もあんなポーズをすれば勇の気を惹けるのだろうか?
やらないけど。
「なぁ、勇。お前さん、そのアニメ趣味みたいなのを人に曝け出せなかったって言ってたけど、俺は本当にそうかなって思っちまうんだ。実際、どうなんだ? 女のオタクだっているんだろうから、分かり合えない事はないだろ?」
俺の質問に勇はこちらを向くと嘆息し、「分かっていない」と言いたげに首を横に振った。
「結局はこういったアニメも自分の理想投影的な部分はありまして……ですから、女性のオタクはやはり圧倒的に大多数が男性のキャラクターを好みます。なので、話が合わない事はないですが、合致はしません」
「なら、男の友達を作ればいいんじゃねーの? やっぱりそういう分野でも男女の恋愛は成立しないって事か?」
俺がそう問いかけた瞬間――勇は酷く真面目で。
それは、無表情。
まるで俺が今までの頬を引っ叩いた行動とは比べものにならない、勇にとっての禁止ワードを口にしたかのように、ただひたすらに沈黙。……しかし、そんな沈黙をもたらしてしまった私自身は不可抗力で罪はない事を分かっているのか、勇はまた嘆息して語り始める。
「これは至極、偏見的な話ですが……男性のオタクは圧倒的に女性を不得手としている人が多いのです。私の会ってきた人は、ですけどね。なので友達になんてなれません。なりたくても忌避されて、誰とも共有できない趣味は――寂しいですよ?」
勇の切なく、眩い残光のような表情。
誰にも理解されず、理解を求めても遠ざかられて。勇はきっと一人で。語りたい、語られたい沢山の思いを、話題を胸中に抱えて過ごしてきた。
――俺に何ができる?
俺は正直、アニメが苦手だ。
何だか、怖いと思う瞬間がある。
だけど、勇はこんなにも寂しい表情をしている。
俺に言える精一杯は、今の所――ここまで。
「ならさ、今から作ればいいじゃないか。そういう友達をさ」
「え?」
勇はさも意表を突かれたとばかりにきょとんとした表情で短くそう言い、俺はそんな勇の表情に思わず笑みを浮かべてしまう。
俺達は、出来なかった全部をすべきだと思うから。
言葉で後押しくらいはしたい。
今は、理解してあげられなくても。
「確かにそれはそうですね!」
勇は俺と同じように明るく笑みを浮かべて、そんな光景に俺の胸中は暖かいもので満たされる。
誰かの笑みを嬉しいと思った事が今まであっただろうか。
誰かと笑みを共有する事がこんなにも楽しい事だと思った事があっただろうか。
誰かの笑みが消えないで、と願う事があっただろうか?
自分の不幸に自覚的だった日々を越えて――これから仕事が始まって、俺達の生活は歯車をギリリ、ギリリと言わせながら動き出す。
そこから連なる日々が、笑顔で満たされていますように、なんて。
「ガラじゃねーよな」
俺はそう呟いて、再び笑った。
互いの家を覗いて理解した事情を胸に、相手への変わらぬ思いはどれだけ貫けて、そして――変わるべき思いをどれだけ傾けられるだろうか?
例えば、自分に合わない趣味趣向を相手が持っていたってそれでいいじゃないか。
口に出せば、何もかもが壊れるかも知れないという可能性。
そんな日々に怯えて過ごしてきた俺だから嫌というほど分かっている。
――真実を告げなければ、何もかも始まりはしないのだ。
だから。
これからの日々に対する希望が、何もかも飲み込んでくれればいい。
俺は一人勝手に、そんな事を思った。
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