優「ははは、ばっかみてーだよな」

 俺と勇はそれぞれ、初訪問となる実家で荷物の梱包作業を終え、引っ越し業者のトラックで新居となるマンションにて無事に合流出来た。


 ちなみに段ボールは近所のスーパーなどを駆け回ってお金を掛けずに工面。この辺りは新生活に備えて節約という事である。引っ越し業者によっては段ボールをくれる所もあるらしいが、引っ越し初体験となる俺達にとってそういう知識は皆無だったため、自分達で用意してしまった。


 そんな些末事はさておき、トラックで運んでもらった荷物を屋内に搬入すると、業者の人間は快活に礼を言って業務終了を告げた。


 さて、ここからは二人での作業となる――のだが、ここで俺には疑問とすべき点がある。


 段ボールの数が俺と勇では圧倒的に違うのだ。


 そもそも、着るものに男女問わず只ならぬ興味を寄せていた俺の方が勇の実家から持ち出す荷物が多くなるのは覚悟していた。それに、俺は私物が少なかったので勇が持ち出せる量も限られていたというのもある。


 しかし、勇はそれに加えて「私の部屋から持って来て欲しいものがあるのです。残念ですが、それはあげられませんので」と言い、その分量も加算される事となったのだ。


 そんな要求に俺も特に反論しなかったのだが、今となって俺は思う。

 ――あんなものは、要らない。


 というわけで、俺と勇では互いの自宅から持ち出した荷物の数が全然、違うのだ。正直言って倍くらい違う。勇の注文には一人では運べないような家具も複数あったので、物量は凄まじい事になっているのだ。


 まぁ、だからといって文句を言うつもりはない。引っ越しなんて今回の一回限りなのだから、出来る事なら多くの荷物を運び込んだ方が経済的には明らかな得。衣服や家具を買い足す必要がないからだ。


 ただ、山積みとなった段ボールが室内を圧迫する光景。この膨大な数の荷物を、俺が開封していく事になるのだろうか?


「ちょっと不公平すぎやしないか、勇。正直、ほぼお前さんの部屋が空っぽになる勢いで梱包してきたわけだけど……勿論、開封は手伝ってくれるんだよな?」


 もしかすると屁理屈を口にして俺に全部やらせようとしてくるのでは、と思ったが勇は首を横に振る。


「いえ。私が開封します。寧ろ、優は手を触れないようにして頂きたいですね」


 真剣な表情で語った勇。


 でも、何だろう……俺は漠然と勇がこんな風に語るんじゃないか、と予測出来ていたのだ。後から言っても何の説得力もないが、しかし――勇のような人種が俺に対して開封作業の手伝いを退けてくる予感は何となく、あった。


 だからこそ。内心では裏切られたい気持ちで「手伝わされるんじゃね?」と胸中に裏返しの願望を秘めていたのかも知れない。


「そうかい。なら俺は手伝わねーけどさ。しかしまぁ、勇の親父さんにはまいったね。厳格そうな見た目に伴うあの性格、怖い人だったぜ。正直、俺は失礼ながら自分の親から生まれてよかったって思っちまったくらいだ」


 俺は勇の自宅での事を回想しつつ、そう言った。


 勇の親父さんとは対照的に、俺の母親は随分と放任主義だからな。きっと勇が「家を出る」と発言しても、テレビ見ながら片手間な感じで承諾したに違いない。つっても、俺はそんな母親が素っ気ない対応だとしても「親との別れ」とかそういう場面では泣いちまうんだろうなぁ。涙脆いんだよな。卒業式とか大号泣しちゃうタイプだし。


 一方、懐疑的な表情を浮かべる勇。


「怖い? そうですかねぇ? 私の父親は滅多に怒らないと思うのですけれど。しかしまぁ、私の事を溺愛している感じはありましたから、家を出るという事には反対されるでしょうね。それに加えて、娘の一人暮らしって心配でしょうし」

「だろうなぁ。だから、どうしても承諾してくれない親父さんに俺もカチンときちまって、『何度も駄目、駄目言ってんじゃねぇ! 脳天ぶち割るぞ、この糞ジジイ!』って怒鳴りつけて勘当されてきた」

「何やってるんですか! 優の暴言に対する正当な怒りですよ!」


 勇は目を丸くして、声高に叫んだ。


「もう二度と敷居は跨がない所存だって、大見得切って言ったやったぜ」

「あっけらかんと言わないで下さい。あぁ……娘としての外見でなんて事を言ってくれてるんでしょうか」

「でも、段ボールを業者のトラックに運び込む時に死ぬほど敷居跨いだけどな」


 ちなみに勇の自宅は敷居の高い感じだった。親父さんが料理人らしく、そのせいかどうかは分からないが勇の自宅も立派な日本家屋といった風貌だったのだ。きっとあの時間に親父さんが自宅に居たのは、仕事が夜メインの業種だったからだろう。勿論、お母さんもその場に居合わせたが、親父さんを宥める役目に従事していて、俺に構ってられないのは好都合だった。


 しかし、料理人の子供という事は勇、それなりに料理が出来るのかも知れない。俺も多少は出来るものの、ここはプロの父親に育てられた勇に調理を一任してみるか。


 などと思いつつ勇の方を一瞥すると、彼は少し気落ちした風だった。全身の力が抜け、目はうつろになって外界に映ったものを認識していなさそうな感じで、時折溜め息をついてた。


 おかしいなぁ。俺は勇が計画された通りに、彼の親に嫌われてきただけなのだが。勇だって上手くいかなかったら俺の母親に浴びせようと思っていた嫌われ文句がきっとあるはずなのだけれど……。


「まぁいいですけど、もしいつか誤解を解く日が来たら、その時は必ず優も一緒にお父さんに会って下さいね」


 勇は鬱屈とした表情から一転、咎めるような視線を俺に向けてそう、強い口調で言った。


 俺は「分かった、分かった」と、あまり分かってない奴の定番的に同じ言葉を二回繰り返した返事をしつつ、「やっぱりショックだったのかな?」とか思ってしまう。


 しかし、親父さんは魅力的な人物だった。


 セットされたオールバックに和服を着た渋い親父さんだったからなぁ。「俺もああいうナイスミドルの腕に抱かれてみてぇなぁ」などとお約束の奇異な文脈で空想をしてしまう俺。


 でも残念ながら、人妻として予約済みである。


 人妻、かぁ。何か響きとして素敵だなぁ。一人の男に拘束され、独占されてる俺。


 ――などと思考している時、勇が不意に「優、これを見て下さい」と先ほどまでの落胆はどこへやら、声高に俺に何かを主張する。


 優が開封した段ボールから取り出し、手に抱えていたのは、



「それ……俺のぬいぐるみ、じゃねーか」



 見覚えがないわけがない、俺の誰にも見せられなかった趣向の具現。


 小さい頃、お小遣いを貰っても女の子が持つような可愛らしい動物がモチーフのキャラクターが描かれた文房具、玩具のようなものを購入する事が出来ず――かといって、男の子が喜ぶようなものでは満たされなかった俺。しかし、両親に対して「女の子の玩具の方がいい」なんて言えなかったのだ。男女の区別が明瞭化されてくる小学校、中学校を経て、高校生。友人達と遊ぶ中で覚えたゲームセンター内のユーフォーキャッチャーにて人目をはばかって入手したのが、そのぬいぐるみ。


 親に見られた時には彼女に貰ったなんて嘘を吐いて。

 俺のものだ、なんて――、一度も言えなかったのが、辛かった。


 男の俺がそういうファンシーなものが好きで何が悪い、なんて言葉で俺は満たされない。女性として、女性の趣味を、正当かつ普遍的なものとして主張したい心が俺にはずっとあったのだ。


 だから――。


「それは、俺のだよ」


 俺はぽつりと。

 いつの間にか、そう言葉を漏らしていた。

 呟いた言葉に優しく笑みを浮かべた勇は、


「そうです。これは『優』の持ち物ですよ」


 と言って、俺に手渡してくれる。


 瞬間、俺の目頭が熱くなるのが分かる。


 あぁ、これはもうきっと我慢出来ないな。でも、男らしく涙を堪える必要なんかないんだし、泣いちゃってもいいか。っていうか――もう、泣いてる。たかが、ぬいぐるみを渡されたくらいで。


 ははは、ばっかみてーだよな。


 体温に順応していた温かい滴が瞳からこぼれて瞬間、外気に熱を奪われて冷たくなって、涙の軌道を頬が感じた。


 今の俺では、真ん丸な形状をした形容し難い生命体を模したぬいぐるみは抱きしめられなかった。腕の長さと、胸部の膨らみに疎外されて包み込めないぬいぐるみをぎゅっと抱き――俺は何故だかその瞬間に、子供みたいに泣いた。


 声に出して、泣いた。


 あぁ、恥ずかしい事してるなぁ……なんて、思うけれど。でも、そんな俺の頭を優しく撫でてくれた勇の存在がきっと、落涙を許したのだと思う。

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