【2】ナルシスト夫婦の生活開始

勇「正直、全部剃り落したいのですけどね」

 近況報告――。


 待ちに待った引っ越しの日がやってました。無事に借家の審査は通過したらしく、引っ越し業者との兼ね合いも含めて本日――新居へ移り住む事となりました。


 その間、ホテルで優と過ごした日々はそれなりに充実したものではありました。しかし新生活における第一歩はまだホテルに居た時点では踏み出していたとは言えないでしょう。


 ちなみに、ホテルに滞在していた期間を親には適当な理由を作って納得させているのが現状なので、引っ越しに関しては私達だけが知っている事実という事になります。引っ越しの当日である今日、両親には唐突にも家から出ていく旨を伝えるという計画となっているので。


 理由は無論、予め電話等で引っ越す事を伝えて事態がもみくちゃになった状態で家の中へと入っていくのが危険だからです。何せ、自分の知らない家に入っていくのですから。


 なるべく家の中に入るのは一度で済ませたいですし、可能なら自分の子供が唐突に理由も分からずに出ていく不義理を引っ越しの日までは感じさせずにいたいのです。


 しかし逆に、理由を語らずに唐突に出ていく事で険悪な空気を形成しておく事も重要かと思っています。引っ越した後、家を訪ねて来られても困ります。優と一緒に暮らしているという事実が発覚するのは私としてはいつまでも子供ではないのですから、知られてもどうという事はありませんが――訪問されて入れ替わりがバレる危険性は十分にあります。敢えて悪印象を与えて、「あんな子は知らん」と無関心になってもらえたらと思うのです。


 確かに両親にとっては迷惑以外の何物でもない計画ですが正直、自分の子供が性同一性障害だったと知らされる事に加えて、我が子の肉体が他人のものになっているというのは耐えがたい苦痛ではないでしょうか?


 なので、褒められた策とは言えませんが私で言えば、優が男性の肉体として過ごしていた時の家、そこに住まう両親に対しては不義理を働かざるを得ません。


 そう、そこはアウトローに振舞って、敢えて嫌われるのです。

 嫌われて置く事が、最善なのです。


 いつか。私達の心の整理がついた時に、そして両親を最大限に傷付けない方法を見つけた時に、この事実はカミングアウトする。


 その日までは不義理な我が子と、暫しのお別れを――。

 などと、思っていたのですが……。


「出ていく? 今日中に? 別にいいんじゃないの」


 戸惑う事なく承諾する勇のお母様。


 ちょっとした背徳感を感じつつ、私は見ず知らずの自宅にインターホンも押さずに……というか、押したら不自然ですからね。そこは平然と屋内へ入りました。奥へ奥へと進んでいくと、優のお母様はリビングにてソファーに座りテレビを見ておられました。私は「ただいま」の言葉に連ねて、少々唐突ではありますが「家を出る旨」を伝えました。


 すると、首だけをこちらに向け――了承の言葉を告げて、また視線はテレビに。


 ……あれ?


 嫌われるためのドギツイ言葉の数々を考えてきたのですが……。まぁ、使わないに越した事はないのでしょうけれど。


 しかし、腑に落ちないものですから、ついつい私は問いかけてしまいました。


「え? 俺の事、引き止めたりとかしねーの?」


 今日までの数日間、必死に練習した優の物まねを発揮して語る私。声が本人そのものですから、クオリティは低くとも不自然には響きません。


 しかし、本来ならば無用な会話は避けるべきでしたね。


 とはいえ、きっと優も母親のこの軽い反応に対しては同じ指摘をするはず、と思いましたので寧ろ自然だったかも知れません。


 お母様は「ふふふ」と何がおかしいのか笑い、語ります。


「寧ろ、その歳で一人暮らしを引き止める親もどうかと思うけど? 母さん、勇の料理の技術とか、家事全般の腕前知ってるから、別に心配はしないよ」


 完全に信頼しきったお母様の言葉に、私はさもこの人の息子だったかのように思えて目頭が熱くなる思いです。しかし、優がそもそも涙脆いのかどうか知りませんので、こんな場面での落涙は避けておくべきでしょう。


 しかし――快活な方です。


 もし、両親と私達が秘密を共有出来る日が来たならば、是非とも交流を持ちたいと思わされる素敵な方だと感じました。


 さて。さきほども言いましたが、無用な会話は危険です。私はそそくさと会話を切り上げてリビングから退室しました。リビングと廊下を隔てる扉をぱたんと閉め、私は安堵故か大きく溜め息を吐き出します。


 ……それにしても優、お母様からお墨付きの調理技術。加えて家事万能――最高のお嫁さんではないですか!


 と――、思った瞬間に私は悟ってしまいます。


 高ぶった心がしゅんと萎えていく感覚。

 私だからこそ――悟れる事。


 きっと優は外見が男だった故に、料理や裁縫などに興味を持つ事に後ろめたさを感じていたのではないでしょうか。無論、料理などは男女問わずに行っていて自然ですし、裁縫に関しても「乙メン」などという言葉で正当化されていますが――性同一性障害という厄介な霞が彼の思考を不鮮明にしたならば、そう好意的には解釈できないでしょう。


 男らしさ、女らしさには――誰よりも気が向いていしまう私達ですから。


 なら、優には新居にて存分にその料理の腕を振るって貰う事にしましょう。そして、堂々と料理の技術をひけらかせる優に対して「女性らしいですね」などと、私達なりのジョークを口にして少々の揶揄も含めた、悲願の達成をお祝い致しましょう。


 うん、そうしましょう。調理が当番制にならなそうだとか、そういう利害で喜んでいるのではないんですよ。これは本当に。


 それはさておき、閑話休題。


 ……さて、優の部屋はどこでしょうか?


 流石にお母様に「俺の部屋ってどこだっけ?」などと問いかけるわけにもいきませんし……と言っても、闇雲にドアを開けて探すのも不自然です。なので、ここは推測を用いてあり得ないと思われる選択肢を削っていく事としましょう。


 まず、私室が一階に設けられているという印象が私にはありません。あくまで私の主観的判断ですが、それでも一階というのは浴室やトイレなど生活のために使用する部屋に空間を裂いている場合が多いですから、二階建てである優の家も一般的な家屋事情を踏襲しているとみて間違いないでしょう。


 というわけで、二階へと上がっていきます。


 ちなみに、引っ越すと言っておきながら二階に私室がなかったら階段を上がる音を不審に思ってお母様がやってくるかも知れません。地味に博打ですね。

――などと思っていましたが、どうやら杞憂に終わったようです。


 二階へ続く階段を上がり終えると目の前には「勇の部屋」と書かれた札が吊り下がった扉がありました。


 こんな事なら「部屋の所在を予め聞いておけばよかった」と後悔していただけに、この早期発見は私の精神的な不安を楽にしてくれました。


 さてさて、今日の引っ越しの段取りをここで整理しておきましょう。


 まず私達のルールとして「室内にあるものはお互いに譲渡しあう」というものが制定されました。男女で入れ替わったのですから、自分にとって必要のないものが沢山発生します。例えば衣服であるとか、アクセサリー類ですね。他にも優はもう髭を剃るシェーバーが不要でしょうし。


 それ以上に、自分達が今まで手に入れられなかった自分の性に伴う持ち物が手に入るというのは何というのでしょう……少し嬉しいではないですか。


 ……ちなみに髭を伸ばしているこの体に何故、髭剃りが必要なのかと聞いた所「絶妙な形をキープするために剃る剃らないのメリハリは必要」との事でした。確かに鼻の下や頬には髭が生えてませんでしたから、きちんと手入れしろという事でしょう。


 正直、全部剃り落したいのですけどね。


 ホテルでも優に髭を剃られて大変でしたし、あれを自分でやるとなると気が重くなりますね。優の判断基準がかなりシビアでしたから、彼女の審判を乗り越えていく日々が始まるのですか……。


 などと思いつつ、私は勇の部屋の扉を開きました。


 室内に入り、まず思ったのは――あまり物がない部屋だな、という事でした。


 私は対照的に沢山、物を持っている方でしたから小ざっぱりした優の部屋にちょっと拍子抜けというか……男の部屋ってこんなものなのかなぁ、と思いました。


 しかし、それは思考が逆かも知れませんね。


 男性としての趣向品は持ちたくない。文字通り趣味に合わない一方、実家暮らしなのですから、女性趣味な持ち物を所有するわけにはいかない。ならば、必然的に持ち物が少なくなるのも頷ける、といった所でしょうか。


 ちなみに、室内にはダンベルが転がっており、私のこの筋力が目の前の鉄塊で鍛えられたとしたら、本当にこの器具は筋力増強のためのアイテムとして有用だったのだ、と感銘を受けてしまいます。


 何だか、ダンベルで鍛えるって豪語する人の大抵は三日坊主な人種である気がするんですよね。


 他にはベッドが窓際に設置されており、ここは男の部屋。もしかしたら、と私は思ってベッドの下を探ります。……などと妙な好奇心を働かせましたが、よく考えてみれば優は生まれつきの女性です。そんな本を隠し持っているはずがないですよね。


 そういえば、女性向けのそういった本は存在しないのですかね?


 ちなみに、私は男性でありながら女性の体は飽きるほど見てましたからね。


 ……まぁ、もちろん自分の体を見ても興奮など皆無でしたが。


 ――と、結論は分かっているのにベッドの下で手を左右に動かして、探りを働かせる私は何か柔らかい感触を感じました。


 ……何でしょうか?


 正体不明、という恐怖心もありましたがそのまま柔らかい感触のするそれを掴み、引きずり出します。しゅるしゅると床に敷かれたカーペットと擦れる音が硬質さを有していないので、何か布製の塊のような……と、引っ張り出したのは綿を布で閉じ込めたもの。


 そう――ぬいぐるみ、でした。


 私はその後もベッドの下に何度も手を入れて、その柔らかい感触に行き遭うと引きずり出す行動を繰り返しました。合計で十個近いぬいぐるみが姿を現し、私は首を傾げて疑問に思う事もなく、ただ――悲痛な感情で胸を締め付けられる思いでした。


 この部屋には、確かに勇という名の女の子が住んでいた。

 堂々と語れず、悟らせず。男として振舞っていた、同志が。


 思わずそのぬいぐるみを強く抱きしめ、締め上げる腕が形を変貌させる様。それは奇しくも私が優に対して抱く同情にも似た、しかし同情なんて冷たいものではない、もっと温かい感情を連れてくるための通過点としての心情。


 切なさに、似ていました――。

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