優「俺が手放すわけねーだろ」

「――にしても、今日は求人情報を確認したりってわけにはいかなかったよな。貯金してるとはいえ、定職についていない落ち着かなさってのは解放的とはいえないし、楽しい事もどこか素直に楽しませない感があるよなぁ」


 半ば、独り言のつもりで俺はそう言った。


 あれから、俺を押し倒してきて下世話な笑みを浮かべる勇を引っ叩いた後に別のガウンを羽織った。頬に真っ赤な手形を刻まれた勇の表情が至福に満ちていたのは何だか気味悪いなとか思いつつ、それでもこういった行動で喧嘩にならなかったり、笑い事で済む現状を思えば何だか、これから先も上手くやっていけそうな根拠を手にしたようで存外、悪い気分じゃない。


 しかし――。


 勇って意外と丁寧な話口調に、生真面目で几帳面そうな雰囲気だけど欲望には忠実というか、弱すぎる理性が強すぎる本能を管理出来てないっていうか。


 そういえば、体が入れ替わった事によって血液型が変わるわけで、そういった性格の移り変わりもあるのだろうか……?


 とはいえ――まぁ、堅苦しいよりは楽しい感じで悪い気はしないし、何よりこんな俺好みの男に体を見られたり触られたりってのに抵抗があるわけじゃない。


 ただ、俺としては乙女の恥じらいを楽しみたいっていうか。


 いきなり全部をくれてやる面白くなさってのが分かっているから、というか。


 まぁ、何はともあれ、俺の懸念はこれからの事であり――最重要な部分であるのが、仕事先の決定である。どうしたものか、という俺の独り言を丁寧に拾ってくれた勇は床に大の字で倒れて、頬に喰らわされたビンタの余韻を感じているのか手で被弾部を押さえつつ語る。


「私にいい考えがあるので、仕事先に関しては大丈夫でしょう」


 頬を押さえている影響か、滑舌の悪さが目立つ勇の言葉。


 ちなみに俺は理性が抑圧に失敗した勇の本能が散らかした缶から流れ出したビールを備え付けてあったタオルで拭いている所だ。


 本来なら勇が自分で片付けるべきなのだが。

 それにしてもいい考え、か。


「大丈夫って語るからには、よっぽど盤石なアイデアなのか?」


 俺の問いに「勿論ですとも」と言って半身を起こす勇。


「私達は例のマンションを契約する際に過去の職場を、そのまま書いてしまいましたよね。つまり、優は現在女性の体でありながら、男性の体の時の職場を――そして私も同じように」

「そうだよな。確かあれに関してはお前、事実確認とか行うようなケースは滅多になくて言ってみれば、ずさんがまかり通ってるような業界だって言ってたよな?」

「そうですよ」


 そう言って勇は首肯し、したり顔で「そこでです」と言った。


 そんな自信に満ちた表情と語り口調に引き込まれていったのか、俺は無言で勇の言葉を待つ。そして、勇は「いいですか?」と人差し指を突きたてて語る。


「私達はあの書面に嘘を書いてしまいました。そして、それは滅多にバレるものではありませんし、結局は就業して家賃さえ払えれば業者的には、大家的には問題ないのです。しかし、私のような聖人君子を絵に描いたような人種に嘘をつく罪悪感は背負いきれません!」

「下手に描かれた聖人君子だな」

「し、失礼な!」


 咎めるような視線をこちらに向け、声高に語った勇。


「つっても大丈夫って言ったのは勇だし、お前さんの言う通り家賃さえ払えりゃあ問題ねーだろ。……っていうか今は仕事先の話をしてんだろうが」

「そうです、分かっていますとも。だからこそ――この二つの話は、繋がるのですよ!」

「なんか探偵が容疑者論破していくみたいで格好いいな」


 無論、契約書面に嘘の職場を書いた俺達が悪だが。

 しかし、嘘――か。


 何だか、その二つの関係なさそうな話題を並べてかつ、嘘を抱えてはいられないなんていう勇のふざけた言葉。


 ――もしかして?


 ビール缶が生み出した惨状を片付ける手が止まる。


「おい、勇……お前さん、さては!」

「ふふふ。ようやく気づきましたか」


 勇は目を閉じて腕を組み、繰り返すようだが「探偵のような雰囲気」に浸った語り口調で言った。俺は勇の考えている事が何となく分かった――というか、誰でもまずは発想しそうなその打開案が思いつけなかった事実に自己嫌悪する。しかし、それを先んじて語ろうとすると勇は俺の唇に人差し指を添えて、発言を阻害する。


 浸りすぎだろ。

 とはいえ、その発案は正直――とても楽しい。


「そう、あの契約書に嘘を書いた時に伏線は張られていたのですよ。嘘をついたのなら――それを本当にすればいい。そして、あの書類に書き記した職場は私達の非社会的な退職によって現在、欠員が出ている。求人を出すに決まっている。そこに、仕事の内容を熟知した私とあなたが装いも新たに入社すれば、



 ――正直これ、天才新入社員の出来上がりですよ!」



 勇の計画には全くと言っていいほど隙がなかった。


 当然、俺達の辞めた職場がすぐに求人を募集する保証はない。しかし、一度面接の運びになれば合格するだけの自信はある。それとなく、仕事の内容に対してスムーズに順応していける事をアピールすればいいのだ。


 ならば――。


「なるほど、そりゃ完璧な作戦だ。仕事先に関しては一件落着、か。これで新しい生活に関して懸念すべきは家族に対しての対応のみってわけだな」


 俺は安堵がもたらした嘆息を伴わせつつ、ゆっくりと言った。


 希望がどれだけ自分にとって強大であろうと、不安を払う事は出来ない。寧ろ、希望に不安は比例する。


 だからこそ、胸は高鳴る。


 成功と失敗、安心と不安の両方で混乱した胸中がひたすらに願う明るい未来のために振り払いたい、掻き消したい闇は一つ一つ俺達の前から消えていき――雲の隙間から日差しが顔を出したかのように気持ちも明るくなる。


 ああ、実感した。

 俺は今、途轍もなく幸せなのだ――と。


「生活に関して目途が立って来ましたね。正直、私も不安で一杯でして……きっとそれは優も同じだったと思います。加えて、先走り的に結婚しようなんて語って優も承諾してしまうのですからね。驚きましたよ」


 勇の肩を竦めておどけたようなセリフに、俺は思わずくすりと笑ってしまう。


「なら、婚約は撤回するか?」

「まさか。寧ろ――優の方はどうですか?」

「お前さんみたいなイケメン旦那、俺が手放すわけねーだろ」

「ははは。文脈の最悪さは相変わらずですが、同感ですよ」


 そう言って勇は手を俺の方に差し出す。

 握手を、求めてきたのだ。


 これから先、そして――どこまで先までも、一緒にいると。


 その手を握れば誓った事になるような気がして。だから俺はその手を取った。


「よろしくな、俺の旦那さん」


 そう言って俺は空いた手で勇の肩を叩いた。


「こちらこそ、私のお嫁さん」


 勇もお返しとばかりに強く俺の肩を叩いた。


「今まで出来なかった全てを取り戻して、今日まで強いられていた全てから解放されるってのは希望に満ち溢れてて、何だか楽しいな」

「そうですよね。きっと楽しい日々が待っていて、私達の憧れていたものが日常に溶け込んでくる日々――それを思うとワクワクしてきますよね」


 未来は光り輝き、不安はかき消された。陽の昇らない闇の中で生きていたような俺達の不幸はきっとこれから途方もない反動で跳躍して幸福を掴み、目が眩むような眩い希望の日々に包まれて、そんな日常を共に生きる。


 プロポーズされる日が来るなんて思ってもみなかった。


 でも――俺にとっては迷いなく、間違いなく、選ぶべき生涯の伴侶だと確信するのに、あの短時間の会話は十分だった。



 痛みを知って――優しさを知り、

 痛みを知って――勇ましくなる。



 ならば、俺達の自分を好き過ぎて、相手も好き過ぎるナルシストな夫婦の日々が陽だまりのような輝かしい希望で、ないはずがないのだ。


「よーし。服も買いこんだ事だし、こりゃ今からファッションショーだな」

「ポロリも――ポ、ポロリもあるのですか!」

「あるわけねぇだろ。ファッションショーにどんな印象抱いてんだよ、お前さんは」

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