ひかり

 この感覚――朧気ではあるが、分かる。

 龍に乗る、という感覚。

「行こう」

 僕が告げると、黒龍が飛び立つ。

 残りの敵は8体。

 1体倒すのに1秒あればいい。それだけの力が、今の僕らにはある。

 この戦闘は、8秒で終わる。

 戦法は簡単だ。

 真向から槍で突くだけ。それの繰り返し。

 ただの突きなら、それも敵わないだろうが、こののスピードを併せた突きならば。

 ――振り落とされるなよ

 ……不思議だ。

 どういう理屈か分からないが、なんとなく、風音の言葉が理解できてしまう。ただ茫漠と、こういうことを言ってるのだろうと。

 戦いの中で、僕はそんなふうに感じていた。

 程なくして、最後の1体を倒し終える。

「二槍流の龍駆り……か」

 上空にいる、僕を見上げながら、田中さんは言う。

「よかった――あぁよかった。これでできた。これでできたんだ。種が、光が、害獣どもを屠る、勇なるものが。だが――」

 僕らは魔物を倒した勢いそのままに――田中さんへと急降下する。

 二階席にいる、田中さんは動かず、じっとこちらを見上げている。

 余裕の表れか、それとも何か隠し玉があるのか。

 どちらでも構わない。どちらにせよ、この槍で貫くのみ。今の僕は、ただそれだけに特化した、龍駆りなのだから。

「まだ足りない」

 槍が、田中さんに肉薄する寸前。

 突き出された槍が止まった。

「なん……!?」

 僕らの目の前――あのダークエルフが、田中さんを守るように、立ちはだかっていた。

 

「くっ……!」

 苦し紛れに、左手に持った、愛音ちゃんの槍を突き出す。

「……」

 しかし、息一つ乱すことなく、ダークエルフは、それを泰然と受け止めた。

 龍の勢いをもってしても、こいつを突破できないのか……!

 さらに次の瞬間、掴んだ2本の槍を、力づくで押し下げられ、僕はバランスを崩す。

 それとほぼ同時に、すさまじい衝撃が身体を迸った。

 魔術でもなければ、武器による攻撃でもない。

 ――

 そのタックルが、風音から僕に伝わり、僕らを吹っ飛ばした。

 もはや次元が違う。ただの体当たりで、人は、龍は、これほどまでに吹き飛ぶものなのか。

 あまりにも規格外。

 化け物だ――あれは、化け物だ。二階席から、宙に放り出された、僕は、ぼんやりとそう思う。

 でも――それでも。

 相手が化け物だったとしても、僕は――

「がっ……!」

 僕と龍は、地面へと落下する。

 いや、僕が落下したのは、地面ではなかった。この感触は、コンクリートではない。

 傍らには、ぐったりとした、風音が横たわっている。

 そう。

 風音がクッションになり、僕は、地面に叩きつけられるのを免れた。

 こいつが、かばってくれたんだ。おまえのあるじでもないと言うのに――

 感謝を述べたいところだが――今は、それよりも。

「ふむ――そろそろ終わりかな」

 田中さんの言葉を裏付けるように、僕の目の前に、いつの間にか、あのダークエルフが立っていた。

 僕は立ち上がろうとするも、膝に力が入らない。まともに呼吸することも難しい。風音がかばってくれたおかげで、生きてはいられるが、それでもノーダメージはいられない。

 ダークエルフが、片膝をつく僕を見下ろし、片手を振り上げる。

 まるで断頭台――あの手は、さながらギロチンのようだった。

 あの手が落ちれば死ぬ、と。

 僕に、そう悟らせるには、十分な威圧感だった。

「さて――」

 何を思ったのか、田中さんはここで、問いかけ始める。

 なんだ……?

 なぜ、この状況で、そんなことを……? 恐らくは、ダークエルフに一言、やれ、と指示するだけで、すぐさまこちらを殺せるというのに。

 待て。

 その前だって、この人は僕のことを――

「いつまで寝てるつもりだい?」

 その問いは、僕に向けられたものではなかった。

「――柳子」

 自らの娘に向けた、問い。

 柳子ちゃんは、意識はあるが、まともに返事をできる状況ではない。

 ダークエルフの攻撃と、龍化の反動により、身体の負担は、尋常なものに留まらない。

 だが、そんな柳子ちゃんに、田中さんは淡々と、語り掛ける。

「このままでは、いつのくんが死ぬよ」

「だ、め……!」

 呼吸を乱しながらも、柳子ちゃんは懸命に立とうとする。

「おまえは、大切な人を助けたいから、請負人になったのだろう? 自分のような思いをする人を、少しでも減らそうと」

 それが、田中柳子の、請負人の始まり。

 魔物によって、母親を殺された、柳子ちゃんの初期衝動。

「あれを、おまえは繰り返すのかい?」

 いやいや、と柳子ちゃんは子供のように首を振った。

「ならば――」

 次の言葉は、

「立ち上がってみせろ! 田中柳子!!」

 それは、いつも冷静な田中さんから、及びもつかぬほどの怒号だった。

 ……いや、違う。怒号じゃない、これは――

「守りたいのなら、この程度の苦境、乗り越えてみせろ!!」

 叱咤激励。

 まるで、自分の娘を応援しているように聞こえるのは、希望的観測が過ぎるだろうか。

 でも、僕にはそんなふうに聞こえたのだ。

 ただ単純に、父から娘に向けての、最後のエールのような。だとしたら、この人の目的は――

 田中さんは、ちらりとダークエルフを見やる。

 それが合図。

 振り上げたまま、静止していたダークエルフの手が、僕の首目掛けて、一直線に落ちてくる。

 だが、それと同時――

「だめぇぇぇぇぇぇぇ!」

 叫ぶ柳子ちゃんから、太陽のような光が発せられた。

 余りの眩しさに、手で顔を覆う。

 その眩しさからか、ダークエルフの手も止まっていた。

「あぁ、やっと揃った。やっと終われる。すごい光じゃないか。真夏の空のようだ。さくら、私はやったんだよ。だから、あとは頼んだ――」

 いつのくん。

「え……?」

 二階席に振り向く。

 田中さんは、ただ立って、その光を見つめていた。

 今のは間違いなく、田中さんの声だった。いや、聞き間違いか?

「――アアアアアアアァァァァァァァァァァ!」

 突然の柳子ちゃんの声で、僕の疑問が吹き飛ばされた。

 やがて光が収まると、そこに居たのは、紛れもない、白い龍。

 龍の姿の田中柳子。

「――その人に」

 龍姿の柳子ちゃんは、一呼吸置き、

「触るなァァァァァァァァ!」

 雄たけびを発しながら、白い龍が、ダークエルフへと滑空していく。

「ぬっ――!」

 呻き声を上げ、ダークエルフは交差した腕を、自らの顔面の前に置いた。

 目を疑う。

 今までと違い、その場で、どっしりと腰を落とした、岩のような様相だった。

 察するに、反撃を捨て、攻撃に耐え凌ぐことを主眼に置いた、完全な防御体勢。さながら何者も通さず、何からも侵されぬ、城壁。

 僕が驚いたのは、この圧倒的な力を持った、ダークエルフにそうさせたのは、柳子ちゃんである、という事実だ。

「ギ――!」

 白い龍と、ダークエルフの、存在そのものがぶつかり合う――!

 傍らで轟く衝撃音。一瞬遅れて颶風が吹き荒れた。

 それらは、柳子ちゃんとダークエルフが、衝突した余波だ。すさまじい、としか表しようがない……! 気を抜けば、身体を瞬時に持っていかれるぞ……!

「ガァァァァァァァ!」

 堪え、じりじりと後退していくダークエルフ。だがそれも長くは続かなった。

 防御を維持できず、柳子ちゃんごとダークエルフが吹き飛ぶ!

 勢いそのままに、ダークエルフが壁に激突した。……コンクリートの壁にクレーターが出来上がり、地面が揺れるほどの激突。

 龍と壁の板挟み。どれだけのダメージかは、想像に難くない。

 そのことを物語るように、ダークエルフが膝をつき、ついに倒れる。

「いつのさん!」

 この機を窺っていたのか――間髪入れず、柳子ちゃんが、僕を呼ぶ。

!」

 

 身体は――動く。

 槍も持てる。

 体力はあるか? ないか?

 どちらでもいい。とにかく走る。

 走る走る走る!

 ただ、前へ――!

「我、龍の仔――柳子は、かのものをあるじとし、かのものの剣となり、盾となり、道具となり、友となり――」

 あれは詠唱――いや、宣誓のようなものなのだろうか。

 柳子ちゃんから、朗々と、言葉が紡がれる。

「伴侶となり、いついかなるときも、永遠、かのものに尽くすことを、ここに誓います」

 柳子ちゃんの宣誓をバックに、僕は彼女のもとまでひた走る。

「これより、我が身はかのもののために在り、それ以外に在らず。運命、命、生涯を捧げましょう」

 言葉を止めず、柳子ちゃんが、こちらに向かってくる。

「かのものを、我があるじと認めます」

 滑空する柳子ちゃんと、走るいつの。

 程なくして、二人が交差する。

 柳子ちゃんは、走る僕を通り過ぎた。

「我があるじの名をここに。かのものの名は――」

 僕は振り返らず、走り続ける。二階席で、こちらを見下ろす、田中さんのもとへ、向かうだけ。

 もとより、僕らの目的は、田中さんの討伐。魔物も、ダークエルフも、倒れた今、残ったのは、あの人だけ――

「――白波いつの!」

 背後から響き渡る、柳子ちゃんの声。

 瞬間、僕は田中さんに、目を向けたまま跳躍。

 一瞬の浮遊感。

 地面に着地はしない。

 なぜなら。 

 文字通り、柳子ちゃんの背に、飛び乗った形で、跨った。

「柳子ちゃん、このまま――!」

「分かってます! いつのさん、槍を!」

 柳子ちゃんは、二本の槍を咥えており、僕はそれを受け取る。

 さきほど、柳子ちゃんが、僕を素通りした理由はこれ。

 ダークエルフによって、二階席から吹っ飛ばされたとき、槍もまた、宙に放り出されてしまったのだ。

 僕は体力を消耗しており、槍を取りにいくのも一苦労の状態。だから僕は、いつ起き上がるかも分からない、ダークエルフが倒れている間に、いち早く田中さんを撃破しようと、彼のもとへと駆けだしたのだ――少しでも、彼への距離を縮め、槍の回収を、柳子ちゃんに任せて。

 龍のスピードなら、回収も一瞬で終わる。そして僕のもとへ届けると同時に、背に乗せる。

 僕は少しでも田中さんに近付き、柳子ちゃんは、槍の回収。

 そんな互いの思惑を、なぜか僕らは理解しあっていた。互いに理解していると、確信していた――柳子ちゃんが、乗ってくださいと言った、あの瞬間から。

 僕を乗せた柳子ちゃんは、突き上げるように、中空に上昇し、真っすぐ、討伐対象のもとへと向かう。

 深呼吸。

 大丈夫。これで決める。これこそが決まる。なにものにも邪魔されない、絶好のシチュエーション。

 槍を掴む手に、力を籠め、腕を大きくはためかせる。

「行けェェェェェェェェェェェェェェェェェ!」

 僕の雄叫びに呼応して、白い龍が加速した。

 向かい風が目に染みる。

 それでも、開いた目は、しっかりと。

「正義ィィィィィィィィィィィィィィィィィ!」

 柳子ちゃんが叫ぶ。

 眼前に討伐目標が迫った。

 ……今度こそ届く。

 魔物もダークエルフも、田中さんを守るものは、もはやどこにもいない。

 終わる。これで終わらせる。

 ねえ田中さん。

 僕と柳子ちゃんはたぶん、ここであなたに勝たなきゃいけないんだ。

 あなたに勝たなければ、僕らは一生前に進めない気がするんだ。

 見えているか? 柳子ちゃんが。

 あなたのために涙を流し、あなたのために、あなたを倒す決意をした、少女が。

 田中さん、あなたに恨みはない。でも僕は柳子ちゃんとともに在りたい。柳子ちゃんや赤絵、先輩や、できれば愛音ちゃんとも。これからずっと、先の先まで。

 こんなところで終わるのなんて真っ平御免なんだ。あなたを倒して――僕らは行かなきゃいけないんだ。

 だからあなたを倒すよ。

 倒さなきゃ――いけない。

 龍駆りの白波いつのと、白龍の田中柳子なら、あなたを倒せると、どこまでも確信している。

 僕はこれまでの、何もかもを込め、血を吐く勢いで、二本の槍を突き出した。

 田中さんは、ことここに至っても、未だ動かない。それどころか、

「やはり――」

 ……槍が田中さんの胸を貫く寸前、僕は聞き、見た。

 ずっと探していたものを、見つけたときのような、清々しい声と――

 柔らかな、笑みを。

「特別な男だったね、君は」

 二本の槍が、田中正義を完全に貫いた。

 僕と柳子ちゃんの雄叫びの残響がこだまし、やがて静まり返る。

「終わりです……田中正義」

 世界が止まったような静寂の中、ぽつりと、柳子ちゃんが零した。

 田中さんは、やはり動かない。それとも――

 彼は天井の穴から差す、月明りを見上げ、

「そうだね――そして、君たちの始まるときだ」

 胸を貫かれた田中さんの身体が、足元から、黒い粒子となって、散っていく。

 役目を終えた、花のように。

 彼は微笑みながら、僕らを見つめていた。

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