魔奧に触れたもの4

「準備はいい? 行くわよ」

 先頭に立った愛音ちゃんが、僕らを見やる。

「……」

 柳子ちゃんは俯いて――少しだけ震えていた。

 ……無理もない。

 相手は田中正義。魔物化していても、田中柳子の実の父親。

 彼女の父親を、今から殺す。他ならぬ柳子ちゃん自身の手で。

 そんな彼女に、僕はどう声をかけていいか分からない。なので――

「ちゅっ」

 とりあえずほっぺにチューをした。

「な、なななななな!」

 一瞬で顔を真っ赤にする柳子ちゃん。すごい。今にも煙を吹き出しそうだ。

「なに、何するんですか! いきなり!」

 超怒ってる。そりゃそうだ。

「いや、なんか柳子ちゃん、元気なさそうだったから」

「元気がない女の子にキスするんですかあなたは!」

「フッ、柳子ちゃんにしかしないさ」

「そういうのいりませんから!」

「フヒッ……赤絵はいりますので……さぁどうぞ……いつのさん……」

「いや、おまえ超元気じゃん」

「そういう問題なんですか!? わたしにしかしないって言ったじゃないですか!」

「え!? なんで柳子ちゃんキレてんの!?」

「アンタたちバカやってないでさっさとしなさいよ!」

 そして騒ぎ始める、いつのパーティ一行。

 僕らには、これくらいがちょうどいい。

「それじゃあ行こう、柳子ちゃん。田中さんが待ってる」

「誰のせいでぐだったと思ってるんですか、もう」

 柳子ちゃんは頬を膨らませて、つかつかと歩いていき、僕らもそれに続く。

 少なくとも、表面上はいつも通りの柳子ちゃんに戻って良かった。

「あぁ、そうそう」

 と、ここで、愛音ちゃんが柳子ちゃんを見、

「アンタの父親でも、容赦しないから、アタシ」

 ターゲットの詳細を把握しておくのも、請負人の仕事のうちだ。討伐対象が柳子ちゃんの父親であることを、事前に聞かされていたのだろう。ないしは、任務詳細の書かれている資料で知ったのか。

 それはともかく――

 愛音の言葉は、酷く、非情な刃だった。同時に、言外に柳子ちゃんに覚悟を問うような言葉。

 おまえに父親を殺せるか、と。愛音ちゃんはじっと、柳子ちゃんを見据える。

 今、この時、この場で、それを問うのは、余りにも厳しすぎるのではないか――

 だが、必要なことであるのも否めなかった。

 これは、それを、なぁなぁにしたまま、柳子ちゃんが挑んでいい戦いではないから。

 愛音ちゃんの言葉を受けた彼女は、僕たちに背を向けたまま、しかし、いつも通り、淡々と返す。

「別にいいですよ。というか、容赦されたら困ります」

 柳子ちゃんが扉を開く。

 頷き合い、僕らはそれに続いた。


 扉の向こうには大きなホールが待ち構えていた。

 メインホール、というやつだろうか。一軒家も余裕で収まるホールを囲むように、階段状の朽ちた客席が、擂鉢状に広がっている。

 穴ぼこだらけの天井から、月明りが地に降り注ぎ、暗いなりにも、困らない程度には、周りを視認できる明るさがある。

 月並みの感想だが、一枚絵のような、綺麗で幻想的な光景だった。

 そして――僕たちの目の前、ホールへと続く、下り階段の先、即ちホールの中心に人影があった。

 それが誰なのかは、言うまでもない。

「行きましょう」

 無機質な柳子ちゃんの一声。

 僕らは歩き出した彼女へと続いていく。

 ……階段を下り、その人影に近付くにつれ、姿形がはっきりしてくる。

 こちらに背を向けているので、顔は分からないが――髪が長く、格好はボロボロの黒い請負人のスーツ。

 後ろ姿を見る限り、女性そのものだった。

 程なくして階段を降りきり、月明りによって、スポットライトのように照らされた、メインホールの中心に辿り着く。

 請負人のスーツを着たは、僕らの存在に気付いているはずだ。しかしこちらを振り向かない。

 柳子ちゃんは――そんな、父親の背中に、告げる。

「お父さん――いえ、田中正義」

 決意が込められた言葉。

 あるいは最後通牒のように、彼に杖を突き付けた。

「請負人の名において、世界の不穏分子である、あなたを討ちます」

 朗々とした声がホールに響き渡る。

 それは、自らの意志で、自分の父親を討ち果たすという、柳子ちゃんの覚悟の一言。

 柳子ちゃんの言葉に、何か感じ入るものがあったのか――田中さんはゆっくりと振り向いた。

 振り向いた田中さんの全容に、もはやかつての面影は無かった。

 顔も体格も、女そのもの。しかも美人ときたもんだ。

 だがこの人は既に魔物だ。人と思ってはいけない。躊躇えば、やられる。

「良い口上だね、柳子」

 実は、ほんの僅かに、この人が本当に田中さんなのかと疑いもした。

 その疑念も、彼が喋り出すと霧散した。

 声も顔も全くの別人だったけど、口調はかつての田中さんのそれだったから何より、彼は柳子ちゃんのことを知っている――

 「私としても、君たちに躊躇されてもらっては困る。私が田中正義であることに違いはないが、かつての田中正義ではないからね」

 その飄々とした物言いに、調子を乱される。

 この個体は、はっきりと田中正義の人格を残している。かつての人格を残したまま魔物化する、というのは珍しい例ではないが、どうしても、気後れしてしまう感は否めない。

 当たり前だ。

 だってこの魔物は、僕らの仲間だった人なのだから。

「お、お父さん、あなたは――」

「おっと。余計なことを考えては駄目だよ、柳子」

 僕を見、田中正義は言う。

「私たちは敵同士だ。それ以上でも、それ以下でもない」

 念を押すような口ぶりだった。何か言いたげだった柳子ちゃんは、口を噤む。

 彼は僕たちをざっと眺め、

「ふむ。今日は御子くんはいないようだね。魔女を相手するだけでもキツイのに、千剣にまで来られては、私も分が悪い。不幸中の幸いといったところか」

 これに魔女の赤絵が反応する。

「フヒヒ……あの女がいなければ、赤絵たちに打ち勝てると……?」

「勝てなくはないだろう。それだけの力が今の私にはある」

「それはあなたの力ではなく……魔奧の力でしょうに……フヒッ」

 赤絵は嘲るように、或いは憐れむように言う。

「フッ……そうかもしれないな。しかし、赤絵くん。それは君も同じだろう。魔奧に触れ、魔女になった者よ」

「利いた風に言わないでほしいですねえ一緒にもしないでほしいですねえ……赤絵は狂ってはいますが……あなたみたいに壊れていませんよ……」

「違いない。できれば君とは戦いたくなかった。わたしの予想が正しければ君は――いやいい。君はわたしを倒すためにここに居るのだから」

 彼女たちが何を話しているのかは分からないが――なぜか妙に耳に残る会話だった。

 魔奧。

 曰く、には、全ての絶望があると言われている。

 曰く、絶望の記憶の吹き溜まり。

 曰く、魔物化の根源。

 等々、眉唾ものの語り口があるが――現状、未解明な部分が多い。

 有機物なのか無機物なのか、姿形はどうなのか。実在することは確かなのに、誰も実態を掴めず。つまりは、ほとんど何も分かってない。

 確かなことは、それに触れると人は狂い、人が人でなくなるということだけ。それを魔物化の所以とする説もあるが――だからだろう。ある種、都市伝説的な意味合いも込めて、僕ら人間が、魔奧というものを恐れているのは。

「相手は龍駆りに魔女に黒魔術師、そして……」

 最後に田中さんは僕を見、

「古い血か」

 それはどうやら、僕のことを指しているようだった。

 古い血……?

「ふむ。あと一歩と言ったところだね」

 田中さんの濁った瞳が、僕を捉える。

「この戦いは――君次第だよ、いつのくん」

 やはりと言うか、彼は女になった僕を、白波いつのだと見抜いていた。

 しかし、今はそんなことより――

「え――?」

 僕が返事をする前に、田中さんが飛びずさる。

 人間ではありえない跳躍力。僕らの遥か前方――二階席に着地した彼は、僕らを見下ろす。

「始めようか。柳子、迷わず来なさい。でないと、おまえの大切なものが無くなる羽目になる」

 言って、田中さんは指を鳴らす。

 パチン、という乾いた音。

 瞬間――

 目。目。目。目。目。目。

 いつからそこに居たのか――或いは最初から居たのか。月明りの届かない、暗闇に、無数の瞳が浮かび上がる。

 魔物だ。見渡す限りの魔物がいる。僕らを囲うように、少なくとも30――いや、50体はいる。

 さっまでは襲ってくる気配はなかったのに、今や殺意を肌で感じる。

「この子たちは良い子でね。私の言うことをよく聞いてくれる。君たちがここに来たことを教えてくれたのも、この子たちだ」

 魔物化の影響か。

 現に魔物を操る魔物は存在する。恐らく、今の田中さんにもそういった能力があるのだろう。

「フヒヒ……偉そうな啖呵切ったわりには人海戦術ですか……」

「何を言ってるんだ君は。私が使役するのは人じゃなくて魔物なのだから、魔海戦術と言うべきだろう」

「……」

 あっ。赤絵が少しイラっとしてる。

「何しろ私はまだ本調子ではないのでね。魔奧から一時的に、人格の権利を勝ち取ったのは良かったが、体力の消費が激しい。君たちがこの子たちの相手をしている間、休ませてもらおう」

 周りを見る。

 ガーゴイル、グリフォン、キマイラ、エムプサ、サテュロス、メドゥーサ……一目見ただけで、これだけの魔物が視界に入った。あくまでそれらは、魔物の群れを構成する、氷山の一角にすぎない。

 焦燥する。

 一体一体が上位の魔物で、脅威だ。

 これだけの数を、全て相手取るとなると、苦戦は必至。

 中でも気になるのは、田中さんの傍に控えている、大きなシルエット。身長は田中さんの二倍ほど。ひりつくような、漂う異様な雰囲気。ただの魔物ではないことは、瞭然だ。

 明らかに上位も上位――魔人クラス。まだ襲ってくる気配はないにしても、警戒せざるを得ない。

「じゃあ始めようか。せいぜい凌いでみたまえ」

 田中さんは悠々と手を掲げ、パチン。

 指を鳴らすと、それを皮切りに魔物が一斉にこちらに、飛び込んで来る。

 さぁ――地獄の始まりだ。 

  

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