魔奧に触れたもの3
冒険の基本パーティの人数である、四人(+一匹)になった僕らは、田中さんが居るであろう、ドームの中へ入っていく。
中は真っ暗闇。
赤絵が何か魔術を詠唱すると、杖の先がぼんやりと光だす。その光を頼りに、僕らはドームの奥を目指した。
いや、その前にちょっと待って。
「田中さんがどこにいるか分かってないよね? 僕たち」
この中にいるのは確からしいが、それにしたって広すぎる。闇雲に探すのは時間と体力の無駄である。
「フヒヒ……大丈夫ですよぉ……進むたびに臭ってきますからねえ……このまま真っすぐ行きましょう……」
「臭うって何が?」
僕が問うと、赤絵は少し嫌そうな顔をした。こいつが、こういう表情を露わにするのは珍しい。
「この世のありとあらゆる、汚物が混ざったような臭いですかねえ……」
え、何それは……。
僕の嗅覚は、そんな臭いを感知していない。
「はぁ? そんな臭い全然しないじゃない」
愛音の言葉に柳子ちゃんも首肯する。
或いは、臭いとは、何かの比喩なのか。
この嫌そうな表情から察するに、どうやら本当っぽいが……。
「フヒヒ……まぁ赤絵に着いてくれば大丈夫ですよ」
どっちにしろ、今頼りになるのは、赤絵しかいない。僕らは彼女に先導される形で、進んでいくことにする。
朽ち果てたドームの内部は、退廃的で、いつ魔物が出てきてもおかしくないような様相だ。魔物がいるのは明らかだ。気配もあるし、人ならざる鳴き声もする。しかし、どういうわけか、全く姿を現さない。ただただ、見られているような、そんな感覚。不気味なほど、何も起こらない。
「妙ですね……魔物が出てきません」
柳子ちゃんも、僕と同じこと思っていたらしい。
奇襲するチャンスでも窺っているのか……それとも何か別の狙いが?
「フヒッ……この静けさ……いつかの大戦を思い出しますねえ……第三次世界大戦のワシントン奪還作戦……いえ……秋葉五ヵ月戦争のソフマップ攻略作戦……いつのさん……どっちでしたっけ……?」
知らんがな。ソフマップってなに。地図?
魔物が出てこなければ、それはそれで、余計な仕事が増えずに済む。田中さんとの一戦までは、無駄な戦闘を避け、万全の状態で挑みたいところだ。
「コラー! いんのは分かってんのよ! こそこそしてないで、さっさと出てきなさい魔物ども!」
うん、余計なことしないでね、バカ龍駆り。マジで出てきたら超面倒だからね。
「いつの! アンタも言ってやりなさい!」
「僕にふる!?」
ナチュラルにファーストネームで呼ばれてるし!
「そういえば、ちょっと気になったんですが」
はい、と軽く挙手する柳子ちゃん。
「先程、三峰さん、猛る龍の調印学園龍駆り科二年と仰いましたが」
「それが?」と三峰さん。
「世界にたった二人しかいないのに、龍駆り科があるんですか?」
それはもっともな疑問だった。
剣士、魔術師のような、需要の多い役職ならともかく、龍駆りは誰もが目指せるような役職ではない。
憧れる者の多い役職であることはまぁ、確かだが。
「まぁ、それがうちの学園の売りだしね。剣士から龍駆りまで、なりたい役職完備ってね。龍駆りに関しては、龍駆りかその素質がある奴しか所属できないけど」
「ちなみに何人が龍駆り科にいるんですか?」
「アタシ一人だけよ」
そりゃそうだ。
「龍駆り科に所属するには試験を受ける必要があるんだけど、誰もそれをパスできないのよねー」
情けないわー、と肩を竦める三峰さん。
仮に素質のあるものが通ったとしても、龍駆りになれるかどうかなんて分からない。むしろ確率的には0に近いだろう。一生かけても成れるかどうか。
それくらい、龍駆りという役職は人を選ぶ。いや、選ばれる、と言ったほうがいいか。
「アンタたちも上を目指したいなら、うちの学園に来なさい? 女なら年齢不問で熾天族から妖怪まで入学願書受付中よ」
どうやら男子禁制の学園らしい。
「種族制限が無いのですか。珍しい学園ですね」
多数の種族が存在するこの現代においては、種族間の諍いは常だ。なので、そういったことを避けるために、昨今は公共機関には種族制限を設けるのが普通ではあるのだが……。
「フヒッ……種族間でくだらないことを言い争ってる光景が目に見えますねえ……」
赤絵の言葉はまさに、だ。
種族間による争いの歴史は決して浅くはない。熾天族と魔人族なんて、人間が誕生する前から相争ってるという話しだ。飽きないのかね。
「三峰さんはドワーフらしいですけど、学園にはエルフもいるんじゃないですか?」
そう、柳子ちゃんの言う通り、ドワーフとエルフも古来より犬猿の仲と言われている。
「いるわね。けどアタシ、そういうのどうでもいいって言うか、興味ないのよね」
「それはまたどうしてです?」
この質問に、三峰ちゃんは、フッ、と鼻で笑い、
「エルフとかドワーフ以前に、どの種族よりも、このアタシが優秀だからよ!」
三峰さんは胸に手を当てて、そう言い切った。漫画だったら集中線と、バックにバーンという文字があっただろう。
「……あぁ、そういう」
この返しに、柳子ちゃんは何か納得したようだった。こいつマジもんのアホだ、と目で語ってるのが丸分かりだぞ、柳子ちゃん。
けどまぁ、差別がないのはいいことなの……か?
と、そうこう話してるうちに、ふいに赤絵が立ち止まった。
「この先……ですねえ……結局魔物も出てきませんでしたねえ……」
目の前には大きな両開きの門扉。
どうやらこの先に、田中さんがいるらしい。
「この先に……」
お父さんが、と辛うじて聞こえた、柳子ちゃんの呟き。
「ホントでしょうねえ? なら行くわよ。パパパッと倒して終わりにしてあげるわ」
愛音ちゃんはやる気満々だが、それに柳子ちゃんが待ったをかけた。
「何よ?」
「戦う前に、一つだけ、聞いてください」
柳子ちゃんはちらりと、僕を見やった。
……それでなんとなく察した。打ち明けるつもりなんだね。あのことを。
「いつのさんは既に知っていますが、赤絵さんと三峰さんにも言っておきます。信じられないでしょうが、信じてもらうほかありません」
柳子ちゃんは一呼吸置き、
「わたしはドラゴンです」
赤絵と愛音。
柳子ちゃんからカミングアウトを受けた、二人の反応は、全く逆であった。
「……ふむ……」
と、どこか納得したような反応を示す、赤絵に、
「何言ってんのアンタ」
と、半眼で一蹴するドワーフ娘。
付き合いの長い、赤絵ならともかく、会ったばかりの愛音には、戯言にしか聞こえないだろう。
「フヒッ……このタイミングで嘘を吐く理由もないでしょうし……本当なんですね……?」
「はい。事前告知なしに龍化しても、お二人を驚かすだけですから」
「ちょっと待って、え? なに、信じてないのアタシだけ?」
自分一人だけがアウェイという事実に、あたふたする愛音ちゃん。
「だから信じてもらうほかありませんって、言ってるじゃないですか。まったく」
そんな愛音ちゃんに柳子ちゃんは溜息を吐く。
「いや、無理でしょ! 会ったばかりの奴に「わたしドラゴンです」とかいきなり言われても無理でしょ!?」
ごもっともである。僕も柳子ちゃんの龍の姿を、目の当たりにしたから、信じざるを得なかったものの、愛音ちゃんと同じ立場だったら、彼女と同じ反応をしたかもしれない。
「聞き分けのない人ですね」
「なんでアタシが呆れられてるの!?」
結局、この事実を信じてもらうのに五分の時間を要した。
とはいえ愛音ちゃんはまだ半信半疑だったが、今は少しでも信じてもらえればいい。
いきなり戦闘中に龍化を目の当たりにして、連携を乱されるよりはマシだろう。このあとの一戦が、田中さんであるのなら、なおのことだ。
「フヒッ……柳子さんは半龍でしたか……そうですか……」
「何か?」
「いえいえ……なんでもありませんよ……ふふ……ヒヒッ」
その時の赤絵の柳子ちゃんを見る目は、昔を懐かしんでるような、愛娘の成長を遠くから見守っているような、そんな、慈しみが込められたものだった。
それが、どういった意味を持つのかを知るのは、まだ当分、先の話である。
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