君、人間になってるよ

見栄


「ぼくは人間にもどりたいんです」

ぼくの主張を聞くやいなや、医者は苦い顔をして首を振った。強力な魔法だ、私の手には負えない、とぼくを厄介払いするのだ。



君、人間になってるよ



この国の若者たちは、数年前に勃発した魔法戦争に徴兵された。戦況はこちら側に不利な状態が続いていた。

「このままでは、我が国は敗戦してしまう!」

国はいかに敵を欺き、有利に戦いを進めるか議論した末、一部の兵士を魔法によって屈強な兵士にしてしまおう、という結論に出た。屈強な兵士、つまり、人間を化け物に変えてしまう、恐ろしい魔法をかけられるのだ。

背中に黒く大きな翼、暗闇に潜み、超音波により仲間たちと戦況を確認しあい、そして魔法で敵を攻撃する。その恐ろしい化け物たちは人々から『コウモリ』と呼ばれた。

『コウモリ』は志願制であった。わざわざ『コウモリ』に志願する者たちは、国を信仰しすぎていたり、敵国に強い恨みを持っていたりなどそれぞれだった。ぼくは誰かに騙されて『コウモリ』になったわけではない。例のようにぼくにも、志願した理由はもちろんあった(もっとも、今では人間にもどる方法を模索しまわっているのだが)。

ぼくの家族や友達は、敵国が落とした爆弾の炎に焼かれてみな滅んだ。電報で自分の大切な人たちが死んだと聞いたとき、ぼくはひたすら絶望し、涙に沈んだ。当時、ぼくはぼくの人生がどうなっても構わないと思っていた。死んでもよかった。死んで誰かの役に立つのなら……。それが出願の理由だった。

ぼくが『コウモリ』として戦場に向かったと同時に、魔法戦争は終戦を迎えた。両国が互いを認め、勝ち負けが存在しない決着だった。貧しい生活を強いられ、その分勝利を切望していた国民は多く、勝ち負けのない戦争に納得がいかないようだったが、それもすぐに収まった。結果がどうあれ、誰だって平和を一番に望んでいたからだ。  

そうしてぼくは、死ぬどころか怪我一つすることなく、『コウモリ』の姿で平和な街に帰ってきた。

だが、戦争ではあれほど期待されていたぼくらは、平和な今となっては、人々と同じ生活をすることができない、ただの不気味な化け物とされたのだ。

生き残ってしまった化け物のぼくは、どうしようもなかった。ぼくと同じ『コウモリ』として生き残った者のなかで、人間にもどれないと悟り、自殺したやつは何人もいた。政府の魔法は、あまりにも強力な呪いだった。到底ぼくたちには解くことのできない魔法である。自殺した彼らのように、ぼくは化け物の自分を殺す覚悟はできていた。元々戦争で命を落とすはずだったのだから。

しかし、平和な街に慣れてしまった今、大きかった覚悟はどんどん小さくなって、ぼくはとうとう死ぬことが怖くなってしまった。そしてぼくは自殺を諦め、『コウモリ』から人間にもどる方法を探し始めた。


ぼくは立ち上がり、目を伏せる医者を背に診察室を出た。診察室まで通してくれた受付の看護師に頭を下げようとしたが、目を背けられる。待合室の椅子に座っている患者たちはぼくを見ながらヒソヒソと小声で何かを話していた。病院を出ると、雨が小ぶりにポツポツと降り始めた。傘をささずに道を歩く。『コウモリ』のぼくは濡れても平気な身体だった。


またダメだったか。医者に追い返されるのは、これでもう十二回目である。いつもなら諦めて、誰も居ない自宅に帰るのだが、今日のぼくには当てがあるのだ。

七日前、いつものように医者の居る病院に向かい、追い返された帰路のことだった。ぼくの前方を歩く青年二人が話をしていた。盗み聞きをするつもりだったわけではない。ただ彼らが話しているのが聞こえたのだ、陽の当たらない路地裏に住む、腕の良い闇医者の噂を。

青年二人に直接、闇医者のことを詳しく聞かなかった。いや、聞けなかった。『コウモリ』のぼくの姿である。自分を化け物として見る目は、もう見たくない。ぼくは腕のいい闇医者について、自力で調べ始めた。そして、ぼくがその闇医者の居る家をとうとう見つけたのが昨日のことである。


           ◇


闇医者は、青年二人の言っていたとおり、路地裏にあるアパートの一室を借りて住んでいた。雨は相変わらず降り続けていて、ぼくの身体と薄暗い路地を濡らした。

黒い翼を纏った手でノックする。しばらく経っても返事がないので、今度は少し強めに扉を叩いた。すると、うるせえな、とくたびれた男の声が返ってきた。薄暗い周りの空気を震わせる、低い声だった。

ガチャリ、と重い扉が開いた。

「……君、コウモリか。おれになんの用?」

存外、闇医者は男前だった。口調は乱暴だったが、『コウモリ』のぼくに怯むことなく、闇医者は堂々としていた。堂々としていたが、人間としてぼくを見る、優しい目だった。

「ここに、闇医者が居るって聞いてきました」

「闇医者って……やめろよ、そんなハッキリ言うもんじゃあねえだろ」

ハッ、と吹き出すように闇医者は笑った。

「あがれよ」

闇医者はそう言うと、頭を掻きながらズカズカと自分のアパートに入っていった。ぼくも彼の後ろをついて行き、扉をガチャリと閉めた。


「ぼくは人間にもどりたいんです」

「はあ」

ぼくの切実な願いに対して、まるでため息をつくように言葉を返した闇医者は、まぁ座って、と言ってお湯を沸かしにキッチンへ向かった。

彼はここで隠れるようにして医者の仕事をやっているというが、病院のように澄み切った白の清潔感はなく、ただそこにあるのは人間が暮らしているという生活感に溢れていた。事情を知らない他人がこの部屋を見ると、ただの民家だと思い込むだろう。

この闇医者の家はなんだか懐かしく、いい香りがする。何故かぼくは、今は亡き故郷を思い出した。

「あの、ぼくコーヒーはいりません、それより」

「沸かしたんだから飲んどけばいいだろ」

ぼくが話を続けようとしたのを遮って、闇医者は不機嫌そうにテーブルにコーヒーを置いた。

「アンタ、名前は?」

「シャルルです」

「シャルル、へぇ」

彼に名前を呼ばれてドキリとする。人間扱いも、名前で呼ばれることも、何もかもが久しぶりだった。


 ズグン、と心臓が強く脈を打った。それを合図に動悸が激しく打ち始めた。クラクラと酔い、頭が回る。

「おい、スゲー顔赤いぞ」

「わからないです、あの、ぼく」

「熱か? ……考えたくはないが、コウモリに完全に成ってしまうときが近づいてきたのかもしれない。一週間……いやもっと早いかもな、君はもう元には戻れなくなってしまうぜ」

昔来た客が呪われていて残酷な結末を辿ったんだ、と闇医者は溜息混じりに呟いた。

ぼくは絶望した。涙が出そうなのに、依然ぼくの心臓はバスドラを打ち付けるようにうるさい音が響き続けていた。降り続く雨も止むことはなさそうだった。

「胸が……苦しいです」

「涙目でおれのことを見ないでくれ。おれは元々呪術については専門外なんだ、だから君にしてあげられることは爪の先ほどもない。だが、人間に戻りたいという強い意志を忘れない、これが一番に言えることだ」

「人間に戻りたいという強い意志……」

見ないでくれ、と言われても見てしまう。してあげられることは爪の先ほどもない、とひどく残念そうに伏目がちで話す闇医者の姿は、不思議とキラキラと輝いて見えた。きっと……彼がぼくの最後の砦だからだろう。言葉遣いや目つきは悪く、陽の当たらない場所と地位を持った闇医者は存外、優しい男だった。


「君が真っ先にやるべきことは人間らしいことをすることだ。人間らしい生活。嫌なこともあるだろうが、それらをかき分けて幸運を探し、そのたった一欠片ほどの幸運のために生きていく。そして思い出をつくっていくんだ」

「人間らしいことなんて……もう、すでにやっているのです。本を読んだり、歌を歌ったり、料理をしたり、ぼくはたくさんの人間らしいことをしてきました。確かにそこには『コウモリ』のぼくではなく、『人間』のぼくがあった。思い出を振り返りながら思い出を作っていく。だけど、ぼくは……」


――ぼくは人間らしい感情をなにか忘れている。


まるで心の底に一つ小さな穴が空いているような。怒り、絶望、悲しみなどの他の感情はせき止められるくせに、たったそれだけは水のように流れて落ちていく。せき止められた絶望と悲しみの感情が、ぼくの目から伝っていった。


「コーヒー……飲めよ」

泣くなよ、とぼくを励ます代わりに、闇医者は絞るような声で呟いた。すっかり冷め切ってしまったぼくらのコーヒーに気づいた闇医者は、立ち上がり、カップを持ってキッチンの方へ向かった。冷めたコーヒーでは冷えたぼくの心を温めることはできない。ぼくも彼も同じことを考えていたのだろう。

キッチンでお湯が沸くのを待つ闇医者の横顔を見て、彼はやっぱり美しい、と思った。ポカンと口を開けたまま闇医者をじっと見つめる自分自身に気づいて、ぼくは一体何を思っているんだろう、とそっと口を閉じた。


「ウワッ」

そのときだった。ガシャンと、何かが割れた重たい音と闇医者の低い声がした。慌てて駆けつけると、闇医者は必死にインスタントコーヒーの入っていた瓶の割れた破片を拾い集めていた。コーヒー粉末が床を侵食するように広がっていた。コーヒーの苦い匂いがぼくの鼻をくすぐる。

「手伝います」

「いいよ、お客サンだしね」

闇医者はヘラヘラ笑ってぼくをソファに座らせた。彼は大きなガラス破片をすべて拾い終わると、箒で細かい破片をせっせと掃いて、ガラス片すべてを新聞紙で包んだ。そして、改めて熱いコーヒーを二つ持って机に置いた。


「えっと……なんだっけ、ごめん」

 闇医者は突然のハプニングを苦笑いしてやり過ごそうとする。ふと、彼の唇から、ジワリと赤いものが滲んだ。

「あっ! あの、血が出てます。唇から」

「え? あれ、ホントだ。さっきので切ったのかな。危ねえなあ」

闇医者は口角を少し上げて笑い、チロチロと唇を舐め始めた。じゃあ話を再開しよう、と目を細めた。ぼくは先程のように闇医者に見とれた、そして――


――チュッ。

 突然の事だった。


           ◇


「……は?」

「え」

驚いている。ぼくも、闇医者も。お互いに、一瞬何が起きたのかわからなかった。

「なんでおれにキスしたんだ? いや、それより君」

「わ、わかりません! ごめんなさい、ごめんなさい!」

闇医者が言いかけた言葉を遮って、ぼくは何度も謝罪を繰り返した。

ぼくは闇医者に口づけていた。事実を彼に突きつけられて、カッと顔に血が上っていくのが分かった。

闇医者はぼくの様子をまじまじと見ると、口を手で覆い、ニヤリと笑った。

「同性愛、なのか? なるほど、そういうことだったとは……。いやあ、フフ、驚いたな、こりゃ」


その言葉に、ぼくの赤い顔が一瞬のうちに真っ青になった。

いくら化け物とはいえ、男同士だ。嫌な顔するのは当然である。ぼくが起こしたことだが、闇医者は優しい男だと思っていたのに、裏切られた気分だった。何故ぼくは、彼がぼくを認めてくれることを前提に考えていたのだろう。だが、ぼくにだって収拾がつかなかった。馬鹿だけど純粋なぼくの衝動を受け入れてくれたっていいじゃあないか。この衝動は、嘲笑されるほどそんなに悪いことですか。


「……変なことして、本当にすみませんでした。人間に戻る方法は、自分で探してみます。ありがとうございました」

うつむきながら早口で闇医者に告げた。それが限界だった。それ以上彼に何かを言ったら、涙が出そうだった。居たたまれなさと気まずさがぼくを追い詰めていく。

「あ、それなんだけどね」

荷物をまとめて、ソファから立ち上がった。ザアザアと降っていた雨はいつの間にか止み、薄暗い路地からは光が差し込んでいた。それにしたって路地が暗いのに変わりはないのだが、陽が当たらない場所だと思い込んでいたから少し驚いて、光差す暗い窓を見つめた。

だが、目を奪われたのはそこではなかった。


(貴方は……ぼくの恋心に驚き、嘲笑ったのではないのですね。貴方がそうして笑ったのは……)


すべてを理解し終えて、やっと気づいた。ぼくの心の穴からすり抜けるように流れ落ちていった感情の名前は、愛だった。

ぼくは愛を、ようやく思い出したのだ。


暗く、そして光が差し込む窓から映るぼくの姿は――


「君、人間になってるよ」


           ◇


シャルル、という『コウモリ』の青年は最初からおれのほうばかりを気にしていた。元々人の目を気にする性格なのか……、馬鹿な政府がかけた呪いの代償と考えたほうが納得できる。次に、顔を赤くし異常を訴えたシャルルにこそ、おれは戸惑った。だが、医者であったおれは冷静に彼の状態を判断した。単純に風邪かと思ったが、生物兵器が風邪に冒されるなんて聞いたことがない。


ふと、昔の客が呪いをかけられて醜い化け物としてウチを訪ねてきたことを思い出す。未熟なおれは(闇医者に未熟という表現はどんなものかとは思うが)、当然彼を人間に戻す方法は知らなかった。元々呪術を専門としているワケではない、が、困り果てた化け物の男にとって、それは言い訳に過ぎなかった。

「残念だが、おれは貴方を人間に戻す方法は知らない」

おれは男に断りを入れた。男の赤黒い体毛から僅かに覗く、緑の目がおれをとらえた。

「私は、貴方のような、私を人間扱いしてくれる人に会いたかった。どうか私のような老いぼれと、話をしてくれませんか」

と、男は湿った声でそう言った。きっと男は、おれになすすべがないことを悟っていた。しかし、それでもおれとの会話に幸せを感じてくれていた。もうじきこの男は死ぬのだろう。そして彼もそれを見越しているのだろう、と思い、湯を沸かしにキッチンへ向かった。

彼は『老いぼれ』ということもあって、多くの話を聞かせてくれた。おれも闇医者としてたくさんの話をした。たったの数時間だが、充実していた。ザアザアと雨が降っている。男は最後に「いい話をしてくれてありがとう、私を人間扱いしてくれて本当にありがとう」と、肩を震わせながら手を出した。彼の手はしわくちゃで爪は黒く醜かったが、おれは彼の手を強く、強く握り返した。

 

それから一週間後のことである。食料が底をつき、久しぶりに市場に出かけた。あいにく、その日もザアザアと雨が降っていた。買い物が済んで、帰路につこうとする。ふと思い立って、遠回りをした。道の途中の森で、赤く醜い化け物を見かけた――初老の彼である。死んでいた。

おれはぼう然と死んだ彼を見つめていた。何故そのときに限って遠回りをしようとしたのかは分からない。

(彼に呼ばれたのかな)

 荷物を木のそばに置いて、死体に群がる二羽のカラスを追いやった。近くの民家のスコップを勝手に拝借して、穴を掘る。彼を埋葬して、目印に小石を円に置いた。そこでやっとおれは、自分が泣いていることに気づいたのだ。魔法戦争が開戦する一年前のことだった。


 涙目でこちらを見つめる苦しそうなシャルルに、おれは冷静に伝えた。君はもう人間に戻ることができなくなるかもしれない、と。

シャルルは絶望していた。初老の男の頃から、おれは何一つ変わっていなかった。情けなくて、初老の男を喜ばせたように、おれは『人間』のシャルルと話をすることを決めた。コーヒーを入れるためキッチンへ向かう。あの時と同じように、ザアザアと雨が降っている。

(シャルルも彼のように死んでしまうのか)

コーヒーを入れる際、手が滑ってマグカップを落とした。シャルルは慌てておれを手伝おうと駆け寄ってきたが、客に手伝いをさせるわけにはいかないので断った。割れた破片を片付けて、改めてコーヒーを入れなおし、ソファに座る。話を続けようとしたら、おれの唇から血が出ていることをシャルルに指摘された。その後、どういうワケかシャルルにキスをされた。驚いて、彼の方を見やった。すると、『コウモリ』の化け物は、美しいブロンドの男になっていた。


なるほど、こんな単純な話だったのか! すべてを理解し、笑みを隠し切れない。にやけていただろうか。醜い姿となった元人間は、化け物に『変わってしまった』のではない。ただ、人間の心を『忘れてしまった』だけなのだ。初老の男と出会った当時の自分に教えてやりたい。いや、初老の彼も誰かからの愛を求めていたというのなら、当時の自分は、充分いい働きをしていただろう。だが、今教えてやらなければならないのは、昔のおれではなくシャルルのほうだ。同性愛、そんな愛の形もある。


愛する者とのキスで呪いは解ける。なんてベタで、よくあることなのだろう。


                          

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君、人間になってるよ 見栄 @greenning

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