合宿!前編2
......ちゃん
......みどりちゃん
遠くで声がする。
目を開けると、目の前には真っ白なキャンバス。周りには、美術部の友人たち、それに加え、幼い頃の姉がいた。
みどり。続き、描かないの?
私の右手には、使い慣れた筆が握られていた。その先には、青い絵の具が染み込んでいる。
いつの間にか、真っ白だったキャンバスに、一羽の鳥の輪郭が描かれていた。
みどりちゃん
声がする。それに促されるように、その羽に筆を向ける。
みどりちゃん
みどり、ちゃん
「みどり、ちゃん」
目を開けると、目の前には黒髪の美少女の顔があった。背中とお尻から、バスの振動が伝わっている。
「小綸ちゃん」
「緑ちゃん。もうすぐ、着くって、バス」
周りの乗客が、いそいそと荷物をまとめているのが見えた。太もも上には、開かれたままの図鑑が置かれている。
そうだ、小綸ちゃんと鳥の勉強をしていたんだ。その途中でどうやら眠ってしまったらしい。
「あれ、いつの間寝てたんだろ」
「私も、寝ちゃってた」
えへへ、と照れたように小綸ちゃんが笑う。バスのスピードが徐々に遅くなっていくのを感じた。
「おっと、早く片付けなきゃ」
「み、緑ちゃん」
慌てた様子で、小綸ちゃんに呼び止められる。
「どうしたの?」
するともじもじしながら、自分の口元を指さした。
「よ、よだれが......」
「ほわっ!?」
バスを降り、荷物を受け取って、先生を先頭にして歩き始める。駅の近くだからかそれなりに栄えているけれど、山に近いと、大都市東京とはやはり空気が違う気がする。
「星羅。今日はこれからどっか見て回るの?」歩きながら、茜音先輩が尋ねる。
「いや、一応このまま泊まる予定」
「ちょっと宿泊先の周り見て回るのは大丈夫?」
「いいけど、その前に。お世話になるんだからちゃんと挨拶して......」
「これ、はたから見たら、岩水さんが部長に見えるわよね」注意を促す様子を横目で見て、先生が呟いた。
「あはは......」
おっしゃる通りですね。とは心の中で言うだけにした。
でもそんな気遣いとは裏腹に、当の本人は周りのペースを考えず、どんどんと先へ進んでいく。そして、突然立ち止まり、こちらを振り返った。
「みんな、見えたぞ!」
それから、坂道に加え大荷物にも関わらず、猛スピードで走り出す。「ちょっ。こら羽美!」と星羅先輩が呼び止めるが、全くスピードを緩めない。呆れる彼女をさらに冴波先輩も走り抜いていった。
「私には神のご加護がついている。今日はいつもより速く走れる!」
捨て台詞気味にそう言い放つ。
「まだ効いてるの、あの子」
「こらあ! 勝手に行くなあ!」
どんどん小さくなる背中を追いかけて、私たちも歩みを速めた。ときどき、マイペースを貫く綾姫先輩の背中を押しながら、坂を上り切り、平地を進む。見えたと言っていたから、すぐそこがゴールなのかと思っていたけれど、意外と距離があって、私は息切れし始めた。結局、羽美先輩たちが駆け出してから立ち止まる姿を見るまでは、それから10分以上後のことだった。
「遅かったねー」平然とした様子で羽美先輩が出迎える。足元では冴波先輩が汗だくで横たわっていた。自分を誤魔化すのにも限界があるらしい。
額の汗をぬぐい顔を上げると、大きな門が立ちはだかっていた。その奥には、ドキュメンタリー番組で見る里山の中にあるような、大きな和風の家が建っていた。
「おっきい」思わず呟く。小綸ちゃんもきらきらと目を輝かせて家を眺めていた。
「そんな嬉しそうにしなくても。農家の家なら、こんなのザラよ」そう言うと、先生は門をくぐり、私たちを手招きする。
「我が家へようこ......」
「おっじゃましまーす!」
言い終わる前に、羽美先輩は玄関まで突っ走っていった。
「......ああいう身勝手な子のためにちゃんとリーダーを決めるべきなんじゃないの」
「あの人がその役なんですけどね」
「いらっしゃい。どうぞあがって」
玄関に入るなり、出迎えてくれたのは先生の母親だった。全員で挨拶をし、案内された広間に荷物を置く。
「るり。あんたいつまで独り身でいるつもりなの」
「あのさお母さん、生徒の前だからそういう話は......」
広間の外で先生の声が聞こえた。そういえば”不本意ながら”って言っていたけれど、こういう話をされるから、なのかもしれない。
「いらっしゃい。麦茶でもどうぞ」
続いてお盆を持って現れたのは、先生と同い年くらいの女の人だった。星羅先輩によると、先生の兄嫁らしい。赤ちゃんを抱えているのを見て、先生が結婚を急かされている理由がわかったような気がした。
その他、父親と妹が一人いるらしい。田舎らしい、にぎやかな大家族だ。
いただいた麦茶を飲んで一息つく。落ち着いたからか、ようやく、まわりから聞こえる鳥の声が、普段と違うことに気付く。広間に面して大きな庭があり、声はそこから、いやもっと遠くからも届いていた。私はグラスを持って縁側まで移動し、木の上の方を眺めてみた。
「ここでもそこそこ聞こえるね」綾姫先輩が隣に座る。「でも緑、明日行くところはこんなものじゃないよ」
「圧倒されるって言ってましたよね」でも、それがどれほどの規模なのか、まったく想像できない。
「ま、行ったらわかるさ。ふわぁ」
「眠そうですね」ごろんと寝転がる綾姫先輩の、とろんとした目を見て言った。まあ、眠そうなのはいつもだけど。
「さっき走ったからね」あれ、走ってました?
「緑も。明日は朝早いからね。早めに寝た方がいい、よ」そう言いながら、すでに口の動きが鈍くなっている。
「それじゃ、おやすみ」
「いや、いくら何でも早すぎですよ!?」慌てて体を揺するも、彼女の意識はもうここにはない。夢の中に向かうスピードだけは誰よりも早いのだ。
振り返ると、羽美先輩が首を振って、ほっとけ、と言っている。
「いくら寝ても目が冴えることはないから、この子は」
「ですよね」
再び、庭の方に顔を向ける。綾姫先輩の寝息と鳥の声が、のどかな風景に調和していた。
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