合宿!前編1


 始めに言っておくと、私は特に田舎者、というわけではない。

 生まれた時から住んでいる地域は、少し歩けば緑が多くなるし、お隣の都にはびこるビルの群集からも離れているけれど、それでも歩いて行ける範囲にコンビニはあるし、ショッピングモールだって、カラオケだって、ゲーセンだってある。それなりに都会的な遊びだって出来るのだ。

 でも、こうして大都市の中にいると、本当の都会ってものを知らなかったんだなと思い直してしまう。


 右を見ても人。

 左を見ても人。

 緑の案内標識に、構内地図。

 目の前には、いくつも並ぶ発車時刻を知らせる電光掲示板。

 小さな子供と、迷子にならないように手をつなぐ母親の姿。


 ここは大都市東京屈指の大型駅、新宿。

 身長が150㎝に満たない私、宇賀地うがちみどりは、この無料大型迷宮アトラクションに、なすすべもなく惑わされていた。

「南口って、どこ……」

 私の呟きは、まったく見当違いの場所で、無残にもかき消されていった。



「お、やっと来た」

 小綸こいとちゃんに電話越しで道案内してもらい、二、三度同じ場所を通り過ぎ、ようやく待ち合わせの南口にたどり着いたのは、それから数十分後のことだった。私の姿を見つけると、羽美うみ先輩が大きく手を振って居場所を知らせてくれた。


 今日は、待ちに待った合宿初日である。これから高速バスに乗り、目的地へと向かうのだ。


「やっと着いたぁ」

「おつかれさま、緑ちゃん」小綸ちゃんの隣に座りこむと、彼女がいつもの小さな声で言った。

「ごめん迷っちゃって」

「ま、時間には間に合ったし大丈夫だよ」言いながら、羽美先輩がお菓子の箱を差し出す。引き抜いた棒状のお菓子を齧ると、しょっぱさが口を満たした。

「通い慣れてない人が来ると迷うよね」星羅せいら先輩が言う。その横で、茜音あかね先輩がスマホの画面を上から下にスライドさせていた。「ゲットだぜ」と言っているのを聞くと、おそらく話題のゲームでもやっているのだろう。

 その隣で冴波さえは先輩はきょろきょろとあたりを見渡し、「あっちの方角に一匹」と、ゲームの手助けをしている。ていうか、肉眼でわかるのか?

「あれ、綾姫先輩は?」そういえば、のんびり屋のもう一人の先輩の姿が見えない。まさか、まだ家で寝ているのか。

「さっき緑ちゃんが来る前に連絡がきたよ。今こっちに向かってる」やや口を尖らせながら、茜音先輩がアプリを終了させる。目当てのモンスターに逃げられたらしい。

「あの子のことだから、もうちょっとかかるよ」

「ですよね」綾姫先輩は歩くのが極端に遅い。というか、行動のすべてが人よりゆっくりだ。唯一速いことと言えば、夢の中に行くスピードくらい。

「バスの時間間に合いますかね」

「心配するなら、だれかホームまで迎えに来ればいいんじゃない!?」突然、背後から声がした。振り返ると、息を切らせた女性が立っている。左手でキャリーバッグを引き、右手で綾姫先輩の手を引いている。さっき見た親子と同じ体勢だった。

掛井かけい先生」

「よかったあ。かけちゃんが連れて来てくれた」

「連れて来てくれた、じゃないわよ。私が見つけなかったら、この子一向にたどり着けなかったわよ」

 掛井先生は声を荒げるが、当の本人は手を握られながら、大きなあくびをしている。

 掛井先生は書道部兼、私たち写真部、通称鳥見とりみ部の顧問だ。顧問、とはいえ鳥見を趣味にしているわけではなく、書道の経験もない。そのため関心が薄く、部活にはほとんど顔を出さない。私が彼女の存在を知ったのは、ほんの二、三日前のことだった。

「先生も参加するんですね」部で合宿ともなると、そこは一応、顧問としての責任があるのだろう。

 と思っていたけれど、実際は違うようだ。

「参加も何も、私の実家に泊まるんだよ」

「先生の実家!?」

「不本意ながらね」

 両親から聞いた話、一昔前だと、担任の先生の家に遊びに行くってこともあったみたいだけれど、今の時代ではまずない。それが、先生の家どころかご実家とは。

「去年の合宿でかけちゃんの実家が目的地の近くにあるって聞いてさ、頼み込んで泊めさせてもらったんだよ。そしたら今年は先生のご両親の方からぜひ来てくださいって言われて、ご厚意に甘えたってわけ」

「なんでこんな変わり者たちを気に入ったんだか」羽美先輩の説明を聞くと、先生はため息をつく。

 なるほど。やたら旅費が安かったのが気になっていたんだけれど、宿泊代が浮いていたからか。私は一人納得する。

 でもいくら向こうからのご厚意とは言え、こっちは先生含めて八人だ。あまりに大人数だと、迷惑なんじゃないのか。

 ふわぁ、と、綾姫先輩がもう一度大きなあくびをする。ぱちりと目を開けると(それでも半開きだけれど)、握られている自分の左手をまじまじと眺める。

「先生は、いつから私のお母さんに?」

 彼女がデコピンを食らったのは言うまでもない。



 出発の時間になった。

 それぞれ荷物をバスの下のスペースに積み、車内に入る。私は小綸ちゃんと並んで、窓際の方に座った。

「高速バスって初めて!」私は興奮していた。「なんだかわくわくする」

「私、お菓子、持ってきた。一緒に食べよう」小綸ちゃんはリュックをまさぐり始める。

「ありがと……多いね!?」

 リュックには、これでもかと詰め込まれた大量のお菓子。私の驚きに対し、小綸ちゃんはきょとんとしている。

「あなたたち、他の乗客もいるから静かにするんだよ、ってもうお菓子タイムにしてるの?」前の座席の掛井先生がにゅっと顔を出す。私と小綸ちゃんの口にはもうすでにお菓子が入っていた。

「先生もいかがですか?」

 チョコレートのお菓子を差し出すと、彼女は眉をひそめる。

「……私キノコ派なんだけど」なんですかそのこだわり。

「キノコも、ありますよ」そう言うと、再びリュックに手を入れる。

「それは用意がいい……多いね!?」

 先生はキノコとタケノコ(結局両方食べるんだ)をいくつかつまむと、「あんまりはしゃぎすぎないでね」とくぎを刺して前を向く。と同時に、バスが動き出した。

「ここから三時間くらいか。寝てたらすぐかな?」

「うん。でも、寝るにはちょっと、窮屈、かも」

 確かに少し窮屈かもしれない。でもそれはバス移動にはつきものの事だろう。だけどこういうときは、背の低い私は少し得した気分になる。

「趣味のお昼寝もこれだとあまり快適じゃないですよね、綾姫先輩」私の目の前の席にいる先輩に声をかける。

「ふっふっふ。舐めてもらっちゃ困るよ、緑ちゃん」彼女は答えながら、座席をかくんと傾けた。

「伊達に睡眠を鍛えているわけじゃないよ。私にかかれば、どんな寝にくい場所でもベストな体勢で快眠を得ることができる」

「睡眠を鍛えるって表現、初めて聞きました......」


 バスが高速道路に入ると、景色の流れるスピードが上がる。そういえば、ほかの先輩たちはどのように過ごしているのだろうか。

 私と小綸ちゃんの二列後ろ。羽美先輩と星羅先輩は、仲良くおしゃべりをしている、というよりか、羽美先輩が一方的に絡んでいるようだ。今、星羅先輩の裏拳が炸裂したが、どうせ羽美先輩が余計なことを言ったのだろう。

 その前の列、私たちの後ろ。茜音先輩は音楽を聴いて、窓の外を眺めている。ときどき"かっとばせー"とか"らららー"とか口ずさんでいるが、いったい何の音楽を聞いているのだろう。その隣では、冴波先輩が熱心に分厚い本を読んでいる。世界におけるUMA研究の歴史と変遷。うん、わからない。

「うーん、退屈だなぁ。小綸ちゃん、何か持ってきてる?」

 お菓子のせいでハムスターのような頬の彼女に聞いてみる。

「あ、えっと、鳥の図鑑ある、から、お勉強」

「それはナイスアイデアだ」

「ナイスアイデアはいいけど、近いところ見たりそんなに食べたりして、酔わないでよ?」

 といいつつ、先生もお菓子を催促した。

「近いとこ見ると酔うんすか、先生?」上から茜音先輩の声が降ってくる。

「って言わないっけ?」

「わかんないっすけど」隣を見やると、小さい活字に夢中の冴波先輩がいる。

「冴波、近いとこ見ると酔いやすいってよ」茜音先輩は肩を叩いて、もう一度注意を促す。眼鏡の奥の瞳を本から私たちに向けると、冴波先輩は息をつき、ぱたんと本を閉じた。

「ご安心を。私はこういうときのために、きちんと三半規管は鍛えているからね」

 三半規管も鍛えられるものなのか。

「そんなこと言って、酔っても知らないからね?」

「心配無用。なにより、私にはこの時間でこれを読み終えるという目標がある。茜音たちに迷惑はかけないよ」

 そしてかちゃりと、黒縁眼鏡を押し上げる

「私は決して、車酔いになどなりはしない」




 高速に乗ってから、一時間近くが経った。

 あれだけ高らかに宣言した冴波先輩がどうなったのか、大方、予想はつくだろう。

 彼女は今、茜音先輩と入れ替わって、私の真後ろ、窓側の席に移動している。青ざめた顔で、窓の外をぼんやりと眺めていた。

「言わんこっちゃない」茜音先輩はため息をついた。

「だ、大丈夫ですか?」

「おかしい。こんなはずでは…うっ」

 だめだ。酔わないどころか、相当酷い。茜音先輩に取り上げられた本は、結局ほとんどしおりの位置を動かせていなかった。

「何が、車酔いになどなりはしない、よ。迷惑もかけてるし」

「うぅ。あかねぇ、ごめんなさい」

 冴波先輩は目を潤ませている。相当弱っているようだ。

「……はあ。わかったから、ちょっと目つむってなさい」

「なんだ、やっぱり酔ったの」先生がこちらに振り向く。

「結構辛そうで、なんとかなりませんか?」

 そう尋ねてみると、先生はどこからか怪しげな、仮面のような人形のような木彫りの物を取り出した。

「......なんですかそれ」

「まあ見てなさい」

 それから、咳払いを二度。

「御園さん、これはとある民族に伝わる、神秘の力が蓄えられている置きものよ。神が舞い降りると言われる場所に置くことで、神秘の力が染み込むの。持っていると体内を流れる気の流れが正され、たちまち健康になるのよ」

「胡散臭い!」

 どう考えても嘘だ。確かに冴波先輩が好きそうな話ではあるけど、それで治ったら苦労はしない。

 だけど怪しいそれを受け取ると、冴波先輩の顔色がみるみるうちに良くなっていた。

「感じる。暖かい、気の流れを......」

 まるで温泉にでも使っているような安らかな表情になっている。信じられないけど、車酔いが治ったようだ。

「せ、先生。まさか、本当に......?」声のトーンを落として、冴波先輩に聞こえないように尋ねる。

「嘘よ」

「はい!?」

「あれはただの交通安全のお守り。オカルトマニアの友達から貰ったの」

 やっぱり嘘だった。いや、交通安全のお守りにも見えないけれど。

「で、でも効果が出てますよ?」

「病は気からっていうでしょ」

 プラシーボ効果。要するに、思い込みで車酔いを誤魔化してるってことだ。さすがは先生、なのか。冴波先輩の扱いに慣れている。

 にしても先輩、単純すぎでは......。

 先生と自分の思い込みにすっかり騙されている彼女は、安らかな表情ですやすやと寝息を立てていた。



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