鵺の鳴く校舎は恐ろしい?2


 放課後になり、いつものように部室に向かう。


 噂の件については、とりあえず口にしないことにした。もし先輩たちが聞いたら、きっと部活どころじゃなくなるだろう。

 でも結局、そんな配慮は必要ないことがわかった。というのも、西棟の霊の噂は結構広まっているようで、どうやら先輩たちの耳にも入ってしまったようだった。

 直接彼女たちに、あの噂知ってるんですか、と聞いたわけじゃない。今日の三人の挙動不審具合いを見れば、聞かずとも明白だ。

「こんにちはー」がらがらとドアを開け挨拶すると、先輩たちの体がびくんと跳ねる。羽美先輩にいたっては何故かファイティングポーズを構えていたが、そんな逃げ腰で戦う気なのだろうか。

「私ですよ! 緑です! ビビりすぎ!」

「別にビビってないし」

「その体勢で否定するんですか!?」


 ソファーの上では、綾姫先輩が相変わらず無防備な格好で昼寝をしている。これ、教室でもこんな感じなのだろうか。部室ならいいけど、男子の目もある場所だったら、いろいろダメな気がする。

 そして、冴波先輩は......。

「何、持ってるんですか?」

「ふふん。霊が出るって聞いたから、罠を仕掛けようと思ってね」

「へ、へぇー。網で捕まるんですね」指摘すべき点がそこじゃないことは、私が一番わかっている。

 私の戸惑いをよそに冴波先輩は、うふふと紐を伸ばして長さを調節している。ここに足か何かをひっかけると、棚に仕掛けた罠の引き金が引かれ、網が噴射する仕組みらしい。

「部室に現れる前提なんですね......」

「ちょっ、やめてよ!?」茜音先輩の挙動が一層激しくなる。「昨日から隙間とか夜の窓とか怖くて見れないんだから」

「それで寝れなくて、夜中、私に連絡してきたんですね」

「緑ちゃんの寝つきの良さを恨んだよ」

 二十五件の未読通知に気がついたのは、今朝のことだった。

「でも、そんなに怖がりだったら大変じゃないですか? お化け屋敷とか肝試しとかに誘われたときって、どうしてたんです?」

「しばらく機能停止して後々面倒臭いことになるの、友達みんなわかってるから、もはや誘ってこないね」星羅先輩の答えに、ほか二人も頷く。

「だいたい、なんでわざわざ怖い思いをしに行くのかが理解できない」

「そのとおりだ! わざわざオオタカのそばまで近づいていくヤツがいるか?」

「いや、カラスがいるけど」

「しまった!」

「漫才はいいですから!」

 相変わらずのチームワーク。というか、カラスって結構勇敢? いや、なんとなく茶化しているだけなのか。

 と、すっかり部に染まったような思考をしていると、あ、でもと、星羅先輩が思い出したように言った。

「あれは見に行ったよな。去年みんなで」

「お、おーそうだった! あれも一種の肝試し、とも言えなくもないことも」羽美先輩も同調するが、言い方からして絶対違う。

「なんか怖いものでも見に行ったんですか?」


ぬえだよ」

 いつの間にか起きていた綾姫先輩が、話に割って入る。あっさりと言ったその単語を飲み込むのに、時間がかかった。


「ぬえ? あの鵺ですか!?」

 名前ぐらいは聞いたことがある。古くから伝わる妖怪で、しかもかなり上級のものだったはずだ。夜な夜な響き渡る恐ろしい声に人々は恐怖したという。それを見に行ったって、いったい......。


「写真も撮ったよ」

「ええっ!?」

「見る?」

 星羅先輩がパソコンを起ち上げる。まさか本当に妖怪に会ったのか? いや、そもそも実在するものなの?

「ほれ」画像フォルダを開き、私に示す。生まれてもうすぐ十六年。初めて見る、妖怪の姿。

 薄暗い森の中に、その姿があった。薄茶色の鱗のような模様に、しゅっとした体形。あ、意外と小さいんだ。目も小さくてくりっとしていて、細いくちばしが愛くるしい。これってまるで......。

「いや、小鳥じゃないですか!」私は叫んだ。

「うん、これが鵺。正式和名はトラツグミ」淡々と星羅先輩が説明する。

「そんなことだろうと思いましたよ!」ちょっとは期待していたけど。「でも、なんでこれが鵺?」

「元々、鵺ってトラツグミのことだったんだよ。この子、夜に不気味な声で鳴くんだけど、それを妖怪の声と勘違いして、鵺の声で鳴く妖怪がいるって広まって、鵺イコール妖怪って認識に代わっていった、らしいよ」得意げに羽美先輩が解説するが、スマホの画面を見ながら言っているのがばればれだ。


「そういえば、鳥の妖怪ってあんまり聞かないよね」茜音先輩が言った

夜雀よすずめとか、姑獲鳥うぶめとか、いないことはないよ」

「夜雀って、夜のスズメ?」

「夜歩いていると、スズメみたいな鳴き声でついてくるんだってさ。何もしなければそのうち消えちゃうんだけど、捕まえようとすると鳥目になるって言われてる」綾姫先輩が答える。「蛾っぽい姿って話もあるけど」

「まあでも、鵺が一番有名だよね」星羅先輩が言った。「ちなみに、鵺さんの声も録ってるよ」

 そう言うと、星羅先輩はマウスを回し、カチカチッとダブルクリックする。すると新しいウィンドウが開かれ、同時に音声が再生された。音量を上げると、それがはっきりと聞こえるようになった。


ヒーィ ヒーィ


 どこか寂しげで、口笛のような声。筆で一本線を引くように、まっすぐ伸びて、薄く消えていく。私にとっては、とても妖怪の声には思えなかった。

「きれい。いつまでも聞いていられそう」

「あんまり怖くないよね。むしろ落ち着く」

「私は妖怪って言われるの、わかる気がするな」私と星羅先輩に対し、茜音先輩はそう言った。「夜に聞くと、やっぱりちょっと不気味だもん」

 感じ方は人それぞれ。昔の人の中にも、私たちのように綺麗だと思う人がいたかもしれない。

「聞いてみたいですね。トラツグミの声」

「声を聞けるかわからないけど、見には行くよ」

 それから少し声を改めて、星羅先輩が伝達した。

「みんな、今年のゴールデンウィークも合宿に行くからね。詳しいことはまた言うけど、予定は二泊三日。写真撮る人はバッテリーとかメモリーの予備はたくさん用意しておくこと。って、こういうのは部長が言え!」

「副部長ご苦労だった。ご褒美に撫でてあげよう」

 裏拳をくらい悶える部長をよそに、私は目を輝かせる。

 合宿。すごく部活っぽい。

「てなわけで、緑ちゃん、来れる?」

「もちろんです!」合宿なんて初めてだ。美術部では特にそういうことはなかったから、合宿は一つの夢でもある。


「鳥、いっぱい見れるんですか?」

「うん。ていうか、圧倒される」

「夏鳥たちが一番活発な時期だからね。きっと感動するよ」

 圧倒される。感動する。いったいどんな風景が広がっているのだろう。私がまだ見たことのない世界を、早く見てみたいと思った。

「この時期だと見やすいんですか?」

「繁殖の時期だからね。オスがたくさんアピールしてるんだよ。”みんな、俺を見てくれ” って」

「茜音先輩、今のイケボどうやって……」


 ちょうどそのとき、完了、と冴波先輩が声を上げる。満足げに鼻を膨らまし、不敵に笑っていた。完了してしまったか、罠の設置。

「間に合ってよかった」

「間に合うって、何にだよ冴波」いつものことだが、羽美先輩は顔をしかめる。


「前に言わなかったっけ? 霊がいると、特殊な電磁波が発生するんだ。ひょっとしたら、今の鵺の鳴き声で妖気的に引き寄せられたのかもしれない。うん、どっちにしろ、ちょうどよかった」


 彼女の言葉を聞き、私たちは一瞬固まってしまう。

 電磁波とか、ヨウキテキとか、突っ込みどころは多々ある。だがそれよりも、彼女が言わんとしていることの方が問題だった。


 三人の先輩たちも、それを察したらしい。わかりやすいほどに顔が青ざめている。

「ば、馬鹿なこと言わないでよ!」

「そうだぞ冴波! 星ちゃんがまた怖がるだろ!」

「え、羽美が言うの?」

 焦る羽美先輩に、のんびりと突っ込む綾姫先輩。でもその後、何故か彼女は、小首を傾げた。

「あーでも、アレはそういうことなのかぁ」

「綾姫?」震える声で、星羅先輩が聞く。

「いや、なんかさっきから覗いてるからさ、廊下から」


 部室内が凍りついたのは言うまでもない。


 私は、慌ててドアの方を振り向いた。

 ドアの上部の、ガラスの部分。そこに、何か黒い影がいる。それが一瞬にして姿を消したのがわかった。

「ひぇっ」

 茜音先輩の声か、それとも羽美先輩か。どうやらみんな、今のを見てしまったらしい。

 ごくりと、息を呑む。

 いた、確実に。何かが部室を覗いていた。

 

 真っ青になる羽美先輩。

 ソファーの影に隠れる茜音先輩。

 魂が今にも抜けそうな星羅先輩

 大きなあくびをして、目をこする綾姫先輩。

 何故かゴーストをバスターするあの映画の歌を口ずさむ冴波先輩。

 噂は噂に過ぎない、なんてことはないのかもしれないと、私は思った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る