鵺の鳴く校舎は恐ろしい?3
「ちょ、ちょっと! 押さないでくださいよ!」
「頼む! 緑ちゃんしかいないんだ!」
五人の先輩たちに押される形で、ドアのそばまで近づく。私たちは怖くて何も出来ないから、代わりに廊下を見て来てほしい。そういう私への押しつけだ。あわよくば退治してほしいって、そんなの無理だ。
「というか、綾姫先輩と冴波先輩も何で後ろに回ってるんですか! 二人は平気な人でしょ!?」
「何となくノリで」
「ひどい!」
そうこうしているうちに、ドアは目の前までやってきていた。ええい、こうなったら仕方がない。たまたま人が通りかかっただけかもしれないし。それに霊だとしても、意外と話の分かるタイプかもしれない。そうだったら成仏できない理由を聞いてみればいい。
私はそう思い、取っ手の部分に手を掛けた。そして、
「開けます」意を決して、ドアをスライドさせる。
露わになった廊下には、消火栓と、窓と、壁。いたって普通の景色だ。要するに、怪しい姿はどこにもいない。
「誰も、いませんね」
「みたいだね」
何もいない廊下は、それでも完全な静寂というわけではなくて、部活に勤しむ生徒たちの声や、走る音、自転車の音などが混じり合い、放課後という独特の雰囲気が作り出されている。真昼のときよりはいささか柔らかくなった日差しに、風に少し揺れる桜の木。ツバメの親たちが何度も横切っていく。
「帰ろうか。気味が悪いし」
星羅先輩の声を機に、私たちは帰り支度を始めることにした。
「あ、しまった」
昇降口付近まで降りてきて、私は筆箱を忘れてきたことに気がついた。机の上に出しっぱなしのはずだ。
「すいません。私、忘れ物をしてしまったので」後ろの先輩たちに話しかける。「あの、離してもらえますか?」
私のワイシャツは、先輩五人それぞれの指で摘まれていた。はたから見たらかなり奇妙な光景だと思う。このままいると布が伸び、背中側に五つの山が立つだろう。
しかし、先輩たちは一向に私を離そうとしなかった。
「あの、すぐ行ってすぐ帰ってくるので、ここで待っててもらえば」
「それはちょっと......」茜音先輩は目をそらす。
「緑ちゃんは、怖がる先輩を一人置いてけぼりにする気か!」
「いや、五人いるじゃないですか」反論すると羽美先輩も目をそらす。星羅先輩はもはや最初から合わそうとしない。
「綾姫先輩たちは、何で掴んでるんですか」
「何となくノリで」
ため息が出た。埒が明かない。
私は「わかりましたよ」と言ってみんなを一瞬油断させたうえで、くるっと一回転して指を振り払い、「すぐですから」と制して部室へ向かった。その俊敏さ、自分で自分を褒めたい。
唖然とした表情を浮かべた先輩たち(それはもちろん三人だけだが)は、「ちょっ、待って!」と慌てた様子で、おっかなびっくり後ろを付いてくる。霊の噂は西棟が舞台のはずだから、ここ、東棟で待っていたほうが安心なのに。でも、それを言うのはもう面倒臭かった。
階段を上がり渡り廊下を通る最中も、引き返そうだとか、シャーペンなら貸してあげるからとか、口々に私を説得にかかる。適当に対応しているうちに、部室にたどり着いた。
「もう、だから昇降口で待ってればいいじゃないですか」痺れを切らし、私は言った。
「今は緑ちゃんだけが頼りなの!」茜音先輩が必死に訴える。
「綾姫先輩も冴波先輩もいるじゃないですか」
「あー、私も冴波も基本的に頼りにはならないから」
「そんなことないでしょ!?」
そのときだった。
ヒーィ ヒーィ
あの哀愁のある声が聞こえた。
全員が、その場で凍りつく。
夜な夜な鳴くトラツグミの声。それは目の前の、部室の中から聞こえている。
「私、シャットダウンし忘れた、かも」かすれた声で星羅先輩が言う。
つまりこの声は、さっき聞かせてもらった、先輩たちが録音してパソコンに保存したもの、ということだ。いや、それはいい。驚いたのは、どうしてその声が聞こえるのかだ。
パソコンがつけっぱなしで、音声ファイルも開きっぱなしだったとして、それは手動でないと再生されないはずだ。
要するに......。
「誰か、いる」
誰かが部室にいて、パソコンを操作している。
誰かが、もしくは、何かが......。
私はドアのそばまで近づくと、ガラス越しに、恐る恐る部室を覗く。そして、目線を動かす。
ソファー。机の上。開かれたパソコン。そして、その側に。
髪の長い、女性の姿があった。
「いやあああああ!!!!!!!!」
まず叫んだのは羽美先輩だった。次いで、茜音先輩が慌てて逃げ出し、廊下の壁に思いっきりぶつかる。星羅先輩は完全に体から魂が抜け出し、その場でへたり込んだ。綾姫先輩は、のんびりと欠伸をしていた。
騒然とする一帯。
「皆さん落ち着いて!! ......あれ?」
なんか変な感じがして、もう一度部室の中を見る。
私の見間違いじゃなければ、同じように長髪女性も叫び、慌てふためいているように思えた。右往左往したところでばしゅっと音がし、網が噴射されるのが見えた。
「掛かったぁ!!」歓喜の声を上げると、冴波先輩が勢いよく部室に入り込んでいった。
「冴波先輩!?」
私も後に続くと、冴波先輩は既に網に絡まる女性に飛びかかっていた。
「ひいぃ、ごめんなさいごめんなさい!」長髪女性は泣き叫んでいる。
「観念! 洗いざらい教えてもらうよ。全ては私だけの百鬼夜行のために!」
「それが目的!?」突拍子のない野望に驚くが、今はそれどころじゃない。「冴波先輩も落ち着いてください! 人間です! どう見ても人間です!」
叫び声と鵺の声が、部室内にけたたましく響き渡る。綾姫先輩はその中をゆっくり通り、騒然となっている辺りを見渡すと一言、呟いた。
「今日も平和だなぁ」
「私、一年生の
絡まった網をなんとか取り、全員少し落ち着いたところで、彼女は謝った。
どちらかというと長身の体を、小さく縮こませてソファーに座っている。声も小さくて聞き取りづらく、長い前髪のせいで目が隠れている。
「いや、こっちもごめんなさい。驚かせちゃって」
代表して、私が先に謝る。それからようやく息を吹き返した先輩たちも、それぞれ彼女に頭を下げた。その度に、彼女は小さく首を横に降った。
「でも、どうして部室に入ったの?」
「あ、えっと、それは......」
もじもじと、吉富さんはまた少し頭を垂らしてしまう。その様子からも、かなり内気で恥ずかしがり屋なのがわかる。
「じ、実は、入部したいなって思って、その、見学を」
耳を疑った。
「入部希望なの!?」
「え、えっと」
思わず大声になってしまい、また彼女は小さくなる。私はもう一度ごめんと謝った。
だって、私以外に入部希望者がいたんだ。夢みたいじゃないか。
「迷惑......でしたでしょうか」
「そんなことない。大歓迎だよ! ですよね、部長?」
「もちろん。てか超ありがたいでしょ」張りつめていた緊張が解かれ、ぐったりと机に頬を付けた体勢で羽美先輩が答えた。
星羅先輩は吉富さんに近づくと、「よかった。本当に」と強く手を握る。この"よかった"には、きっと二重の意味が含まれているはずだ。
彼女はまたたじろいだけれど、すぐに照れたような表情になる。
私はふと、あることに気が付いた。
「もしかして、昨日から部室を覗いていたのも、吉富さん?」
「はい」小さく彼女は答える。やっぱり、思った通りだ。
「あの、何度もお邪魔しようと思ったんですけど、仮入部期間の初日は、何故か誰もいなくて」その日は私が羽美先輩に連れ出された日だ。やっぱり、ああいうときには学校にいた方がよかったんじゃないか。羽美先輩のいい加減さがにじみ出ている。
「そ、その後は、なかなか緊張して話しかけられなくて。ついつい見るだけになってしまって。今日も、その、宇賀地さんに話しかけようとして、さっきも思い切って伺おうとしたんですけど、急に視線が集まるとついつい逃げちゃって、その......」
私たちは顔を見合わせる。そして、大きくため息を吐いた。
要するに、今までの心霊現象も、正体は全部彼女で、全部私たちの勘違いだったというわけだ。ひょっとしたら噂の正体自体も彼女なのかもしれない。うつむきがちな様子と長髪を見て、そう思った。
「なんだ。やっぱり、噂は所詮噂ってことだな」
「一番ビビってた羽美が何言ってるの」
「茜音も人のこと言えないでしょう」
「星羅もじゃないか?」
ようやく気が抜けたのか、先輩たちの声に活気が戻る。よかった、三人がやっといつもの調子に戻った。
「ごめんね、なんかいろいろ」
戸惑う吉富さんに言うと、今度はぶんぶんと、勢いよく首を降る。その勢いで前髪がなびき、少しだけ、その奥の目が見えた。
私は少し考えてから、カバンからポーチを取り出し、中からヘアピンを抜き出す。
「ちょっと目を瞑ってて」そう言ってから、吉富さんの長い前髪を丁寧に留めた。隠れていた眉と目が露になり、瞼を開けると、ようやくちゃんと、目が合った。
驚いたのか、澄んだ瞳が真ん丸になっている。
「うん。やっぱり顔を見せた方がいいよ。せっかく可愛いのに」
本心だった。それに、顔を隠すとまた今回みたいな勘違いがまた起きてしまうかもしれない。
吉富さんは私の言葉をゆっくり飲み込むと、みるみるうちに赤くなり、前髪の代わりに、今度は手のひらで顔を隠してしまった。
「駄目だよ。隠すの禁止」
「うぅ.....」
赤らめた頬に手をやり、恥ずかしがる姿が、なんだかとても可愛らしい。
「さて、吉富さん」何故か私の頭に軽くチョップをしながら、星羅先輩が問いかけた。
「ちょっと初対面にしてはいろいろありすぎたけど、私たちはもちろん大歓迎なんだからさ。どうかな、入部、してくれる?」
吉富さんは両手を下ろすと、少しの間、あっちへこっちへ視線を泳がせた。それから顔をさらに赤くし、つっかえながらも答え始める。
「あの、私、鳥のこととか全然知らなくて。性格もこんな感じで、いっぱい迷惑かけちゃうかもしれないんですけど、皆さんと一緒に、いろんなこと知っていきたいです。だから、その......」
そこまで言ってから、少し言葉をためる。それから、勢いよく立ち上がった。
「よろしくお願いします!」
勇気を振り絞った大きな声だった。そして深々と頭を下げる。
「よっしゃー、新人二人目だー!」
羽美先輩の歓喜の声が響き渡る。
「よろしくね、吉富さん」
私の言葉に、彼女は初めて笑顔を見せた。
「歓迎会やろう! 近くのファミレスで!」
「いいけど、羽美は毎回変なドリンク作るのやめてよね。怒られるのあんただけじゃないんだから」
「綾ちゃん綾ちゃん。ティラミスとミルクシャーベット、半分ずつ食べようよ」
「二つ食べたいなら、茜音が二つ頼めばいいじゃん」
「それはお金とカロリーが」
久しぶりの和やかな雰囲気が、私たちを覆う。なんだか私もおなかがすいてきた。
と、ここでようやく、私はさっきから冴波先輩がほとんど口を開いていないことに気が付いた。何か考えごとをしているのか、しきりに首を傾げている。
「冴波先輩、どうかしたんですか?」
「いや、おかしいなと思ってね。確かに霊的な電磁波を感じたんだけど」
「冴波、所詮は噂なんだよ。いるわけないだろ」
羽美先輩の見事な手のひら返しに呆れるが、冴波先輩はあくまで認めようとしない。
「あ、あの。霊って......」吉富さんが尋ねる。
「そういう噂があるんだって。噂だけどね」
「そ、そうだよね。いるわけない、よね」
彼女は小さく笑う。
「パソコンから急に何かの鳴き声が聞こえてきたときはびっくりしたけど、あれもそういう設定だったから、だよね」
先輩たちの話し声が、ぴたっと止む。
「......え?」
茜音先輩が裏返った声を出した。
「吉富さんが、再生させたんじゃないの?」
私が聞くと、とんでもない、というように、彼女は激しく首を横に振る。
和やかだった空気が、また凍り付いていくのが分かった。
パソコンは手動じゃないと再生しない。
そして、部室に一人いた吉富さんは、それをしていない。
それはつまり......
「て、てことは、まさか、本当に......」
一瞬の沈黙。
それからすぐにあがった恐怖の叫び声は、春の青空いっぱいに響き渡った。
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