鵺の鳴く校舎は恐ろしい?1

 

 暗い暗い山道を、歩いていた。


 風の音と、虫の声。それから足音。聞こえる音といえばそのくらいで、都会からやってきた彼らにとって、不安にかられるには充分な静けさだった。当然、街灯はなく、車も全く通らない。ノブが持つ懐中電灯の弱々しい光を頼りに、ただひたすら、元来た道を戻る。

「無謀だったんじゃないの? こんな真っ暗で」ぬかるんだ道を通り過ぎたところで、ミキが、震える声で言った。ぬちゃりと、気持ち悪い感触が足に伝わる。

「は!? 何言ってんだよ。あの村で一晩過ごせってのか⁉」

「そ、それは」

「あの村はヤバい。佐伯が、あんなことになって......。ミキちゃんも見ただろ!?」

「落ち着け。今は、進むしかない」

 声を荒らげる青年を、ユウジが制する。ミキの後ろでは、アユミが今にも泣き叫びそうに震えている。お気に入りだという銀のブレスレットをはめた左手で、ミキの服をぎゅっと掴んでいる。


 興味本位でやってきた、曰く付きの村。大学の友人5人で、夏の想い出作りとして訪れた。でも、民宿の老夫婦も役場の人もみんな親切で、結局噂は噂なんだと、拍子抜けだった。

 このまま一泊して、美味しい地元料理を食べて帰るだけ。そう思っていた。

 けれど、もうすぐ日付を跨ごうとしたときだ。佐伯が消えた。

 男子部屋からトイレに出ていったきり、1時間近く経っても戻ってこない。不安になった彼らは、暗い中、佐伯を探すことにした。

 彼はすぐに見つかった。

 民宿の庭の隅に、片腕1本という姿で。

 この村には、何かがいる。

 ミキたちはすぐに村を飛び出したのだった。


「くそっ、いつになったら麓に着くんだよ!」懐中電灯を持ったノブが、苛立ちと恐怖で声を荒らげる。

 もうかなりの距離を歩いていた。それなのに、景色が一向に変わらない。

「落ち着け。苛立ったところで体力を無駄にするだけだ。常に冷静に」

「なに悠長なこと言ってるんだよ! 殺されるかもしれないんだぞ!」

 みんな精神的に限界がきている。でも、村の近くにいるのはもっとまずい。とにかく、進むほかない。

 そう思った、瞬間。

「あ、ああ.....」

 アユミが、声にならない声をあげた。震える手で、前方を指さす。

 そこには、ぬかるんだ道があった。

「ここ、まさか.....!」

 懐中電灯を照らすと、そこにはくっきりと、自分たちの足跡が残っていた。

「なんなんだよ。どうなってるんだよ!」ノブが叫ぶ。

「道を間違えた?」

「そんなわけねえだろ!一本道だったろ!」

「私たち、ここから出られないの......!?」

 3人が口々に言い合う中、ミキは1人、更なる恐怖に声を失っていた。

「ねえ、みんな、よく見て......」

 震える声で、ぬかるみを示す。

 そこには、自分たちの足跡と......、


 明らかに人ではない、別の足跡が続いていた。


 その瞬間、辺りが急に暗闇に包まれた。

 ついで、何かが落ちる音がし、ミキの足に当たる。

 さっきまでノブが持っていたはずの、懐中電灯だった。

「なに!? どうし......」

「うわああああああああ!!!!!」

 今度は叫び声。それから、うえ、とも、ぐえ、とも聞こえるような奇妙な声がして、ぱたりと叫び声が止まった。

 ミキは無我夢中で走り出した。

 右も左も分からない。恐怖にかられて、闇雲に足を動かす。逃げなければ、とにかく逃げなければ......あっ。

 何かを踏みつけてバランスを崩してしまい、ミキは転んでしまった。咄嗟に出した腕に激痛が走る。

 起き上がろうと顔を上げると、前方に、何かが横たわっているのが見えた。

 木の枝にしては輪郭が滑らかで、卵を飲み込んだ蛇のように、盛り上がったりしぼんだりしている。

 その先端の方に、銀色のブレスレットがはめられていた。

「アユちゃん! アユ」

 アユミの腕につかまった瞬間、ミキは声を止めた。

 あまりにも軽く、アユミの腕が持ち上がる。目を凝らすと、根元から続いているはずのものが、それには無かった。

 愕然としながら後ろを振り返る。さっき私がつまずいた何かが、同じように横たわっていた。

 胸から上がなくなった、ユウジだった。

 血生臭さとショックで、その場で吐き出す。立ち上がろうにも、腰が抜けて力が入らない。

 涙と恐怖でぐちゃぐちゃになりながら、這うようにして逃げようとする。

 その時になって、目の前に立つ何かに気が付いた。

「いた」頭上から声が降ってくる。人のものには思えない、低く響くような声。

「だめ、でよ、宿泊りょ、払って、ちゃんと」

 逃げなきゃいけないのに、体が動かない。

「はらって、はラって、ないぞ、ないぞ、ないぞう、ハラエ!!!」

 ごてんと、目の前に何かが落ちる。

 それは無理やりちぎり取られたような、佐伯の頭だった。







「いやあああああああ!!!!!」

 金切り声が、左から右の耳へと貫くように突き刺さる。思わず塞ごうとするが、両腕がしっかりと拘束されているため、私の鼓膜はダイレクトに爆音を受け止めなければならなかった。

「羽美先輩、み、耳がっ」

 私の必死の訴えなど、彼女には届いていない。それどころか更に体を密着させ、離れまいとする。私がどれだけ抵抗したところで、羽美先輩の力に叶うわけがない。諦めてため息をつくしかなかった。


 左隣を見ると、羽美先輩までとは言わないまでも、ぴったりと私の腕から離れない星羅先輩がいる。ぶるぶると震えながら、私の背中で顔を隠す様子を見ると、もう鑑賞会どころじゃないのだろう。その隣には茜音先輩が座っているが、今にも泣き出しそうなのを必死に堪えているのがわかる。そんな無理して見なくても......。


 三人に対し、綾姫先輩と冴波先輩は、特に怖がっている様子もなく画面を眺めている。特に冴波先輩は、爛々と目を輝かせて映画に見入っていた。


 真っ暗な部室に、煌々と光るパソコンの画面。

 私たち桜川高写真部、通称、鳥見とりみ部は、ただ今、ホラー映画鑑賞会の最中だった。ことの始まりは、綾姫先輩がDVDを持ってきたことにある。そこから、じゃあみんなで観ようかという話になり、折角だからと、部室を暗くして雰囲気も出した。思い返せば、三人はこの時点で様子が変だった気がする。

 案の定、開始十分も経たないうちに両脇の二人が私に掴まり始めたため、二時間近く自由を制限された。映画はお菓子をつまみながら観るのが良いのに、私はここまで一口も、机の上のお菓子を食べていない。


 新たに村に訪問者が現れ、こうして悲劇は繰り返される、という安いナレーションが入り、エンドロールが流れ始めたところで、茜音先輩が忍者のような俊敏さでカーテン開けた。およそ二時間ぶりの日差しは、すっかり夕陽へと変わっていた。


「羽美先輩、星羅先輩も、終わりましたから離してくれませんか?」そう言うと、二人は恐る恐ると手を離した。羽美先輩の強烈な握力のせいで、指の先がぴりぴりしびれている。

「なんか、怖いのダメなんですね。意外です」正直な感想を述べると、涙目で羽美先輩が訴える。

「うるせー。てかなんで緑ちゃんは平気なんだよ。一番ニガテそうなのに」

「えー、だっていかにもB級映画って感じで、あんまり怖くなかったじゃないですか。どっちかと言うと、羽美先輩の叫び声のほうがびっくりしましたけど」ですよね、と星羅先輩に同意を求めると、ソファーにうずくまって返事がない。飛び出ていった魂が戻ってくるのには、しばらくかかりそうだった。

 茜音先輩はと言うと、空に向かって、「お天道様ー」と祈りを捧げている。そもそも暗いの自体が怖いのかもしれない。

 みんなして、なぜそんなに強がったのか。


「綾姫先輩たちは、平気そうでしたね」

「私はまあ、持ってきた本人だしねぇ」だるそうにDVDをしまいながら、綾姫先輩が答える。入部してから二週間くらいたつけど、しゃきしゃき動く彼女をいまだ見たことがない。

「それに、こう部屋を暗くしていると、眠気のほうが先に来て。ふわぁ」さすが眠り姫。恐怖心より睡眠欲が勝るとは。

「冴波先輩は......」

「いやあ実に興味深い話だったよ。なるほど、あの手の化け物は装飾品、特にブレスレットのような硬いものは好まない性質があるんだね。いや、もしくは銀色だから? 」

「よ、よかったですね」


 ふいに、ホトトギスの鳴き声が部室に流れた。壁にかけてある鳥時計が、五時を知らせている。

「星ちゃん起きろ。そろそろお開きだぞ。いつまで怖がってるの」

「羽美先輩も、まだ足震えてますけど」

 それぞれ帰り支度をし始める。


 開きっぱなしだったA4サイズのスケッチブックには、巣から顔を出すツバメの雛の絵が描かれていた。巣を見つけたその日から、私は毎日、観察日記をつけるようにしている。雛たちは、もうかなり大きくなっていた。

 ぱたんとスケッチブックを閉じ、カバンに入れる。もうすぐ巣立ちのはずだ。ここまで無事に成長していて、私は見るたびに安心する。


 筆箱を仕舞おうとした、その瞬間、私は何かの視線を感じた。すぐにドアの方を振り返るも、そこに人影は見当たらない。近づいていって、ガラス越しに廊下を覗いてみても、何もいなかった。


 今、誰か覗いてた?


「あの、今外に」と先輩たちに訊ねようとして、

「羽美、今日、途中まで一緒に帰ろう」

「し、仕方ないなあ、星ちゃんは! 本当に仕方ないから、一緒に帰ってやるよ!」

今は、聞くべきではないなと思った。






「視線を感じた?」

 翌日のお昼。私は昨日のことを、クラスメイトのくれちゃんと話していた。

 くれちゃん。本名は真城ましろこう。中学一年生の時から仲が良く、縁あって同じ高校に通うことになった。

「うん。確かに誰かいたと思うんだけど」

「それはやっぱり、これじゃないの?」くれちゃんはそう言うと、両の手首から先をだらんと垂らして、ちらりと舌を出す。幽霊の真似のつもりらしい。

「それならそれでいいんだけど」

「いいのか?」彼女はパックのコーヒー牛乳を一口飲む。「そういや緑は、幽霊とか平気なんだったね」

「えー、普通だと思うけど」

「あんな真剣な顔でホラー見れるやつが、苦手なわけないでしょ。」

 中学の頃に友人たちと鑑賞会を開いたときも、くれちゃん含めみんな怯えている中、私一人、じっと視線を動かさず見ていたらしい。それはそれは勇ましい顔だったそうだ。

 それからしばらくの間、幽霊や化け物は全部緑が倒してくれるという噂が流れた。どうしてそこまで飛躍したんだ。


「どっちかと言うと、くれちゃんの方が戦えそうなんだけど。意外と怖がりなんだよね、元ヤンのクセに。」

だけだよ。無遅刻無欠席。成績も中の上だぞ、私は」

 彼女の見た目はかなり怖い。今の方が派手だが、中学の頃から長い髪を茶色に染め、服装も校則違反のオンパレードだった。元々の目つきの鋭さも相まって、何もしていないのに女番長にまでのし上がっていたという。その割に授業態度は真面目で、実際の成績は、彼女が言うよりも良かったはずだ。


「でも、本当に誰だったんだろう?」

「だから、幽霊なんじゃないの」

「それは嫌だ。先輩たちが来れなくなるじゃない」

「そっちが心配なの?」くれちゃんは小さく笑う。それから、そういえばと、ある噂を話し始める。

「知ってる? 最近よく聞くんだけど、オバケの話」

「オバケ?」聞いたことがない。

「なんでも、西棟の方に、長髪の女の霊が出るんだって。目撃者が何人もいてね」

「本当の話?」西棟は、部室がある方の校舎だ。長髪の女の霊に、昨日の視線。

「いやでも、そんなことあるわけ」

「って思うけどね。でも緑、怪しい視線を感じたんでしょ?」

「そうだけど、それだけじゃ幽霊って決めつけるのはさ......」

 でもそれと同じように、昨日の視線が人の仕業だと決めつけることもできない。私は幽霊や超常現象は割と信じるほうだ。もし本当に幽霊が、西棟を彷徨っているのだとしたら。


「ねえ、もし幽霊だったらさ、なんとか成仏とか、お祓いとかできないかな」

 それを聞くと、くれちゃんはいたずらっぽく微笑む。

「おっ。さすがの緑も、本物は怖いのか?」

「だって、幽霊さんには悪いけど、いなくなってもらわないと部活が成り立たないよ」若干三名ほどは西棟にすら寄り付かなくなるだろう。

「......あんたほど脅かし甲斐ない人だと、幽霊もきっとつまらないだろうな」くれちゃんは肩をすくめた。

「まあ普通に考えると、その霊には、死んでも死にきれないような心残りがあるんじゃないのかな。 特に西棟に、何かしら思い残しがあるのかもね。未練とか、思い入れとかかもしれないし。それを解決すればいいんじゃないの?」

「なるほど」

「でも気をつけなよ。あんまり干渉すると取り憑かれるかも」こんな風にと、くれちゃんは私の頭を掴むと、わしわしと撫で始める。

「えー。じゃあそのときは、くれちゃん助けてよ」

「霊相手に何をしろと」

「共に呪われて、共に死のう、友よ」

「道連れかよ」

 授業開始十分前のチャイムがなる。次は移動教室だ。弁当箱を片付け、荷物を机に出す。

「やば、教科書忘れた」リュックをまさぐっていたくれちゃんが、しまったと頭を掻く。

「昨日家で予習して、部屋に置いたままだ」

「さすが、ヤンキー系真面目」

「純度百パーセントの真面目だよ、私は。ちょっと借りてくるから、先行ってて」

 茶色い髪をなびかせて走っていく。見た目に関しては、どう見ても真面目な人には思えない。

 時計を見る。まだ少し時間はあるし、次の先生はいつも少し遅れてやってくる。授業開始に間に合わないことはないだろう。

 そう思って、言われた通り、先に歩き始める。


 その瞬間だった。ぞわりと、何か気配を感じた。


 慌てて振り返るも、怪しい人物は誰もいない。この感覚、昨日と同じ。

 あんまり干渉すると、取り憑かれるかも。

 さっきの会話が思い出される。

「まさか、ね」





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