春を知らせるもの2
「あったけー。もうすっかり春だね」
外に出るなり、羽美先輩が伸びをしながら言った。傾き始めた日差しの中、薄い桃色の花びらが雪のように舞っている。校舎脇、グラウンド入り口、校門そば。これだけ桜の木が多い学校も、なかなか見かけないだろう。
ツバメの巣は、その桜のうちの一本がある、運動部の部室があるプレハブ棟の裏に作られるらしい。去年撮った写真を見せてもらうと、黄色いくちばしをいっぱいに広げている雛鳥の姿が、とても愛らしかった。
茜音さんの提案を受け、私たちは巣の様子を見に行くことにした。「ついでだし、他の鳥も見ようぜ」という羽美先輩の意見により、同時に
ちなみに綾姫先輩は、「私は春眠に入る」と、ソファーの上を離れなかったので、ほっておくことにした。「ああなるとミソサザイを使っても起きない」とは冴波先輩の言葉だ。うんうんとみんなが頷いているあたり、どうやら的を射た例えだったらしい。わからないけど。
奥にある裏門へ向かうため、グラウンドに向かって右の方から、外周にそって歩く。木の根元に積もった桜の花びらが、彩りを添えている。
「今日はスコープは持ってきてないんですね」星羅先輩を始め、昨日とは違い、みんな、双眼鏡のみの装備だった。
「あれを毎日持ってくるのは、さすがに大変だからね」確かにその通りだが、それでも双眼鏡は欠かさず持ってきているあたり、さすが鳥見部、といったところだろう。
かく言う私も、部室に置いてあった共同用の双眼鏡を首に掛けていた。昨日も私が使った物だ。
「あ、でも茜音はカメラも持ってきてるよね」星羅先輩が茜音先輩の胸元を指さす。彼女の首には昨日と同じように、望遠レンズが付いた一眼レフカメラがかけられていた。さっき冴波先輩が手入れをしていたものだ。
「当り前じゃない。シャッターチャンスはいつ訪れるのかわからないのよ」茜音先輩が言う。「タッチをかいくぐってベースに触る瞬間とか。こう、左手伸ばして」
「はいはい」
いったい何の話? と、そうこうしているうちに裏門に着く。そこから出て少し歩くと、広々とした公園にたどり着いた。ここにも何本か桜の木があり、お花見をしている親子の姿がちらほら見える。子供の声に交じって、鳥の声も聞こえていた。
ふむふむと言いながら、羽美先輩が頭を一周させる。それから「緑ちゃん、ほら、あの木の枝見てごらん」羽美先輩に促されたので、双眼鏡で覗いてみた。薄桃色の塊の中に見える木の枝に、黄緑色の小さな鳥が、ちょこちょこと動き回っていた。
「うわ、可愛い」
「メジロちゃんだ。目の周りが白いでしょ。そんで、あっちのヒーヨヒーヨうるさいのが、その名もヒヨドリ。根元の方にはムクドリが」
「ちょっ、追いつかないです」
マシンガンのように居場所を言われ、双眼鏡をあっちへこっちへ動かす。この数秒でここまで見つけられるのもすごいけど、身近な場所でもたくさん種類がいることに、私は驚いた。
羽美先輩が双眼鏡を覗く傍ら、茜音さんはカメラで連写している。撮れた写真を冴波さんと確認して、むふーと満足げに笑っている。良い写真が撮れたのだろうか。
すると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
ホーホケキョ
「ウグイス!」ようやく知っている鳥がやってきて、思わず叫んだ。
「春といえば、だね」冴波先輩が鳴き声の方に双眼鏡を向ける。「
「へ? 何と?」
「緑ちゃん、スルースルー」
星羅先輩が呆れて言った。それから、私に尋ねる。
「緑ちゃんは、ウグイスって見たことある?」
「......そういえば、ちゃんと見たことないです」よく聞く鳥なのに、あまり具体的なイメージがない。「あ、でも黄緑っぽいのは知ってますよ。日本画によく出てきます。
「あーじゃあ、本物見てみないとね」
どういうことだろう。現物とは違うのだろうか。
それから星羅先輩はウグイスを探していたが、鳴き声がするばっかりで姿が見えない。「すばしっこくて、結構、難易度高いんだよね。一瞬なら入るんだけど」と言うが、私は一瞬だって視野に入らない。耳にはさっきから、「ムクドリがめっちゃミミズくわえてるよ! ねえねえ」と言う声が入っているんだけれど。
しびれを切らした星羅先輩が、うるさいと一括する。いったいどっちが部長なのだろうか。
声はするのに、姿を捕らえられない。声のする方を見ても、すぐに別の場所に移動するみたいで、全然違うところで鳴き始める。この繰り返しだった。
それでも、根気よく探し続ける。根気というか、半分は意地になっているだけだ。何としてでも、ウグイスの姿を見たかった。
この感覚は、一枚絵を描き終わって、でも何か足りない、まだ納得できない、という時と似ている。好きなものに対する、執着。
ようするに私は、鳥のことが、本格的に好きになり始めている。なんだかラブコメみたいだ。......みたいか?
そしてついに、そのときが訪れる。
ぱっと視野に入り、すぐにいなくなった、小さな鳥の姿。
「あれっ、鶯色じゃない?」思わず叫んでいた。
ほんの一瞬だけ捕らえたウグイスの姿は、その名が入った色には程遠い、薄い茶色をしていた。はっきり言えば、地味な姿だった。
「そう、ウグイスは鶯色じゃないのよ」星羅先輩が頷く。
「ミフウズラがウズラじゃないのと一緒でね」
「......茜音先輩、わかりやすい例えで言ってくれませんか?」
「実際、鶯色はメジロの色で、メジロとウグイスと間違えた昔の人が、そのまま色名にしちゃったって言われているよね」星羅先輩が解説する。
なるほど、確かにメジロの方が鶯色をしている。昔の人って、いい加減なんだな。
「その話って嘘なんじゃなかったっけ?」茜音先輩が首をかしげる。
「諸説あるってことよ」
ウグイスがもう一度、ホーホケキョと鳴く。桜の木々とマッチして、春の景観を作り上げている。
姿は地味でも、鳴き声の美しさは引けを取らない。春を告げる小鳥の声に、心打たれていた。
「ウグイスは言わずと知れた三鳴鳥の一つだし、メジロも綺麗な声で鳴く。姿だって、ウグイスの地味な色も結構可愛い。どっちも良いことには変わりないんだよねぇ」星羅先輩が言った。その姿に向かって、茜音先輩がカメラのシャッターを切った。
「.....なんで撮ったの?」
「言ったじゃん。シャッターチャンスはいつ訪れるかわからないって」
「消しなさい!」
喚く二人の頭上を、素早い何かが横切った。ツチチツチチと速いテンポで鳴きながら、高速で旋回する。
ツバメだ。
「土食うて虫食うて渋ーい」羽美先輩が呟く。
「なんですかそれ?」
「聞きなしって言って、鳴き声を人の言葉に置き換えたやつだよ。ウグイスのホーホケキョって声も、
それを知って、改めてツバメの声を聞いてみる。なるほど確かに、土食うて虫食うて渋ーい、と聞こえなくもない。
「でも結構無理やりですよね」私は苦笑する。
「な。メジロなんて、
「強引すぎる!」
私が言うと、すぐ横をツバメが通り抜けていった。地面すれすれを飛び、やがて、公園の脇にあるベンチに止まった。ツチチツチチツイーッ、と繰り返し鳴いている。語尾が上がるところが、”渋ーい”の部分なのだろう。
そのツバメに、冴波先輩が双眼鏡を向ける。
「あ、虫くわえてる」彼女が言った。
「どう? 渋そうな顔してる?」
「何言ってるんだ、茜音。虫は案外渋くないよ。まあ、土は確かに.....」
「え、食べたことあるの!?」
それから私達はもう少し、辺りの鳥たちを観察した。スズメやハトの、今まで知らなかった行動や生態を教えてくれて、気が付いたら、へぇとか、ほぉとか、そんなことばかり口にしていた。
「そろそろ戻って、巣を見に行こうか。ツバメも見れたことだし」星羅先輩が声をかけたので、私たちははーいと応えた。
「近くにもこんなにいろんな鳥がいるなんて、びっくりしました。まさか真っ黒なカラスも二種類いるなんて」学校に向かいながら、私は感動の声を上げる。
「さっきからそればっかりだな......じゃああれはどっち?」羽美先輩が電線に止まっている一羽のカラスを指さす。
「は、ハシボソ!」
「ぶー。ハシブトでした」
「うっ」
正直に言って、説明されても見分けがつかなかったけれど、この事実は私にとっては結構衝撃だった。嫌な奴と思って一緒くたに見てたけど、ちゃんと個性があったんだね、カラスさん。
それから、星羅先輩に聞いてみる。
「巣、出来てますかね?」
「うーん、私はまだ早いと思うけど」
とは言っても、縦横に飛び回るツバメを見ると、期待せずにはいられない。わくわくしながら歩いていると「んくちっ」あの微小な暴れん坊の襲撃を受けた。
外に出る前に、茜音先輩が薬をくれたため、少しは症状が治まっていた。それでも鳥見の最中、頻繁にくしゃみをし続けていた。
星羅先輩がポケットティッシュを差し出す。「毎回毎回、可愛いくしゃみだよね」
「くしゃみを褒められたって、嬉しくないです」ティッシュを受け取り、鼻をかむ。
可愛いと思われるのは良いことかもしれないが、なぜくしゃみ限定......。複雑だ。そう思っていると、またくしゃみをした。
「早いとこ病院に行きたい」
「病院って今日行くの?」羽美先輩が尋ねる。
「え、そのつもりですけど」
「そう。じゃ、傘を持ってた方がいいぞ」
傘? 雨降るの?
空を見上げてみると、春特有の、霞んだ青空が広がっている。雨の気配はまったくなかった。
顔をしかめて彼女を見る。「羽美先輩、ひょっとしてからかってます?」
「信用なし!? 私、部長なのに!?」
そういえば、部長でしたね。と思わず言いかける。「こんなにいい天気なのに、傘持っていくなんて変ですよ」
「緑ちゃん、結構失礼なとこあるよね」羽美先輩がため息をつくと、星羅先輩が口をはさむ。「いや、多分あんた限定」
「いいから、部長を信じなさい」
「ええ......」
いったい何の根拠があるのか。いろいろ考えてみたが (意外と占いが趣味で、雨が降るって結果が出たとか) 結局わからない。そうこうしてるうちに、学校に戻ってきた。
まあいいか。とりあえず今は、巣の所在だ。
校門から一歩入ると、どこかから、「ホーホケキョ」とウグイスが一声鳴く。それと同時に、「んくちっ」と、くしゃみが出る。
羽美先輩がしみじみと言った。
「春よのう......」
「やめてください」
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