来たるべき日曜日

めきし粉

来たるべき日曜日


「貴様。それでも教師か」


 私の手にはすでに抜き身の日本刀がありました。中段の構えで目の前の男を怒鳴りつけておる状況です。手にしているのは越中豊房厳之介直中の贋作ですが中々の業物との事。維新で三人、先の大戦で一人斬っていると伝え聞いております。ああ、それと明治の終わりか大正のはじめかに私のひいじいさんが夜盗を一人斬っているとのこと。とは言っても実際の所は、チャンチャンバラバラのつば競り合いの後に、相手を一太刀で斬り殺したというような勇猛果敢な話ではなく、何かの拍子に手傷を負わせた程度の話で大したことはありません。先の大戦で人を斬ったというのも、どこまで本当かはわかりませぬ。所詮その程度のものですので、私が平成の御代に腐れ教師の一人や二人切ったところでかまやしないでしょう。


「ええい。返答をせい」

 詰め寄ると、面前に正座をしていた男は、後ろに仰け反り、わめき声とも悲鳴ともつかぬ声をアワアワと吐いて、四つん這いになって逃げようとする。まったく情けない奴であります。

「逃げるな。貴様それでも男か。何が真剣な交際だ。真剣ならば真剣に、この一太刀うけてみせい」

 だいたいこの男はいい加減な奴であります。人様の娘に手を出しおって。教師の風上にもおけん。娘はまだ中学生だぞ。わかっているか、このクズ教師が。全く何を考えているのだ。そもそも貴様は今日何をしに来たのだ。謝りに来たのか。私を怒らせにきたのか。

 そもそも、この男は礼儀作法からしてなっとりません。今日だって座布団を出すと何の遠慮もせずに座りやがりましたですよ。いや、それだけで驚いては行けません。お愛想に茶を出すと啜りやがったのですよ。ああ、茶柱が立ってますねぇだと。何をいいやがる。人様の娘に手を出した分際で。自分がしでかした不祥事に対する認識がまるでなってない。普通は遠慮するモノだ。いや、親の身としては、玄関の土間で土下座して挨拶しても許しはせんが。だが、そう言うモノでしょう。ええまったく。畳の上に上げてやったら頭に乗りよって。

 厳鉄を上段に持っていき一気に振り落とすと、目測を誤って男の耳の横一寸ばかりにの畳に、いやにハッキリとしたグサリという音を立てて突き刺さった。素早く抜く。

 男はひぃーと情けない声を上げましたよ。その声で襖を開けて飛び込んできた我が娘は、

「やめてよ。父さん。私たちは真剣な交際なんだから」

 と叫ぶじゃありませんか。何をぬかすか。小娘の分際で。中学生が何が真剣な交際だと。ふざけるな。だいたい真剣だったら何でも許されるのか。ええ。私は真剣にこの男の首を刎ねたいと思っているぞ。

「おお娘よ。お前は馬鹿だ。なにも知らん。知ろうともしない。なんでも聞くところによると、この男は何年か前にも女学生に手を出して学校を追われた身の上だそうではないか」

「知ってるわよ。私にはちゃんと話してくれたもの」

 男に抱きついた我が娘は、意外に冷静に答えるのであります。

「お、お前、知っていてこの男の性根がまだわからぬのか。この男はタダのロリコンだぞ。鼻をたらした様な子供を色眼鏡で見る変態だぞ」

「変態じゃないわよ。たまたま好きになったのが生徒だっただけの話じゃない。だいたい、そんなこといつ調べたのよ。この変態オヤジ」

 娘は実の親を変態オヤジとのたまうた。私はこの場でこの厳鉄でもって腹をかっさばくべきかもしれませぬ。

「ええい。のけ娘よ。この前科者のロリコン教師を刀の錆にせねば気が済まぬは」

「おっ、おっ、おっお父さん。そっそれは誤解です。あっあれは、こっ高校に勤めていたときの話です。それに、あの子はもう18歳を過ぎていました」

「そう言う問題ではないだろうが。この馬鹿教師が。それに、お父さんって呼ぶな」

 怒鳴りつけてやると、男はまたひぃーと情けない声を出しやがりましたよ。

 いや、親の私の目から見ても最近の娘はグッと色っぽくなったというか、大人ぽくなったというかそう言う感じはありまして、大人の女の階段を上りつつあるのは十分によくわかっております。しかし、しかしですよ。大人から見ればまだまだ小娘です。おそらく娘が同年代の男の子とお付き合いをしていたのならば、私はこんなには怒りはせぬハズであります。私は教師の分際で、いや大の大人が小娘に手をつけたのが許せない。

「大体貴様、まだ14歳のうちの娘、そう。中学生に手をつけたとなると淫行かなにかになるだろうが。警察沙汰だぞこれは。わかってるのか」

「おっ、お父さん。そっそれは大丈夫です。14歳になるまで待ちましたから条例違反だけです」

「お父さんって呼ぶなぁ」

 あなた。この男は、言うにことかいて、14歳になるまで待ちましたとか、ほざいたのですよ。じゃなにか。そう言う法律の規定が13だったら13でして、15だったら15まで待ったと言うことかい。そもそもこの男は、13かそこらの歳の娘を狙っていたのか。

「ねえやは15で嫁に行き」と三木露風先生は童謡「赤とんぼ」で歌っておられますが、それは自由恋愛もままならぬ時代の話でありましょう。今とは時代が違う。そもそも、この男は狙っていっているのですよ。教師という立場を利用して。もう、私の脳天は大噴火ですよ。

「お父さん。僕たちは愛し合っているのですよ」

「だからお父さんって呼ぶなぁ」

 私。厳鉄を上段に構えて、もう後のことはどうなっても良いと思いましたよ。

 ああ、父さん。爺さん。曾爺さん。それからそれからご先祖様方々。これより厳鉄でこの男をば真っ二つに切り裂きます。そう厳鉄は狂剣です。血に飢えた魔物です。平成の御代となっても厳鉄はやはり血に飢えていたのです。人の血を啜らずにはいけない刀だったのです。今度はよおく狙って男の額を狙って厳鉄を一振り。南無三。


 すると、なんと男は傍らにいた我が娘を盾にしたのであります。さっき、愛し合っているとほざいたばかりの我が娘をですよ。この男だけは私許せません。白刃はもう落下運動に入っており、私にもどうしようもない。でも、まあいいです。娘の頭を二つに割った後は私、この家に火をつけて自害します。私の代で家が絶えるのも、みんなこの厳鉄のせいでしょう。しかしこのま男だけは許せません。子孫七代累々と呪ってやりましょう。私は目を閉じました。

 パシッと言う音で刀が重くなり、はっと目を開けると、必死の形相をした娘が素手で我が厳鉄を止めている。流石我が娘。みごとな真剣白刃取りです。正直ほっとしました。しかし私だって男です。ここで負けてしまっては何にもならない。いまさら後には引けませぬ。

「こら娘よ。その手を離しなさい。その男共々一刀両断にしてくれる」

「嫌よ。絶対に嫌」

 まぁ当たり前ですな。こういう場合、誰だって切られるとわかって手を離したりはしません。本来ならばこういう鍔迫り合いならば、相手の腹を足蹴にかして、いったん離れるのが定石でしょうが、実の娘ともなると蹴りにくい。ましてや、その腹の中には子が居るかもしれぬというではありませんか。

 私が躊躇している隙を見て、娘は白刃を受け止めている手をばフンっと捻ったのです。何をするのかと思いましたね。確かに真剣白刃取りは白刃を止めるだけではなくて、究極的には刀を折る所までする技ですが、それはあくまで奥義であります。見よう見まねで手を合わせて白刃を止めるのとはわけが違います。大体常識で考えても普通あの固い刀が折れるわけがない。努力は認めるが無駄なこと。

 しかし無情にも私のそういった思いは、娘の手元から発したパキンというやや情けない音と伴に砕け散ったのでございます。ええ。私の厳鉄は娘の手によって折られてしまったのです。


 折れた拍子に、なにか小さい破片が、男の頬をかすったらしく男は、あひいという素っ頓狂な声を上げて、一目散に玄関から素足のまま飛び出していきました。私と娘は呆然となってその様子を眺めておりました。

 まぁそんな男のことはともかく。私、娘に負けたのであります。完敗であります。この事実は変わり様がない。白刃取りされた時に、まぁ何となくそんな感じがしていたのですが。いい大人が、真剣を持ち出して、あまつさえ、それを折られるなんて言うのはみっともないじゃないですか。しかも実の娘にですよ。ええ。これが息子ならば私もある程度は覚悟できていたと思うのですが、愛娘にしてやられたのは、全くの不意打ちで、いやはやもう力無く笑うしかないわけです。

 私が力無く笑い出すと、娘の方も何がおかしいのか「ははは」と笑い出します。ははは。

 二人して笑っていると、程なくして男が大して悪びれた様子も見せずに掃き忘れた靴をもらいに再び我が家の玄関先に現れました。今度は娘が罵声を浴びせて追い返したようです。このときばかりは私、年甲斐もなく、ざまあみろと思いましたよ。まぁ試合には負けて勝負には勝ったという奴ですか。ははははは。


 かくして娘の想像妊娠騒ぎが一段落してようやく、二年ほどたったわけですが、娘、今度の日曜日に家にボーイフレンドを連れて来るといいます。相手は同じ高校生だと言うことですが、なにしろあの娘のことですから油断なりません。私は来るべき日曜日に備えて、倉から先祖伝来の種子島式火縄銃をば取り出してせっせと磨いておる毎日です。いやいや。なにしろ日本刀をへし折るような娘ですから、それぐらい用意しておかないといけません。私としては今度こそは娘に負けたくはないのですよ。 

          了



『めきし粉短編集 来たるべき日曜日 他6編』に掲載された表題作を底本に一部加筆修正を加えております。

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