▼安心と信頼が売りの殺し屋ですっ!

◆◆◆


 朝、いつもなら薫はずのない香ばしいブラックペパーの爽やかな香りが鼻腔を擽って目を覚ます。聞こえてくるのはパンッ! パンッ! と踊るように弾ける油の音。


「……ッ!?」


 意識が一気に覚醒する。

 俺は一人暮らしの筈だ。一人でこのくそったれな街の寂しい地区で一人身を潜めるように暮らしている独身の筈だ。

 朝目を覚まして朝食を作ってくれる女なんか抱いたとしても家に上げるわけがない。第一仕事以外で女なんか抱きたくもねえ。


「やっと起きましたか。もうお昼ですよ?」


 ひょこっと、と寝室の扉、リビングとキッチンに繋がる扉から白髪碧眼の少女が顔を出す。

 と、そこで漸く俺はこの不可解な状況を飲み込めた。

 ああ、なるほど。そう言えば……


「俺、ガキを拾ったんだったな…………」

「はい?」

「なんでもねえよ」


 頭を掻きながら、俺は眠たい頭で思い出した。

 昨日、雨の降る夕方に、俺は一人の少女に出会った。俺が初めて綺麗だと思った人間に出会った。処女雪のように穢れを知らない白髪。何万、何億と払っても手に入らないような蒼玉サファイアの瞳。

 この少女を創り上げるもの全てが清潔で、清廉で、汚れを知らないようだった。


「早く起きて下さいお兄さん。新しい仕事も来てるんですから」

「ん、ああ…………………………………あ? 新しい仕事だと………?」


 何を言っているんだこの少女は?


「はい! 二時間程前に電話がありましたよ」


 俺は、瞬間的に頭痛を覚えた。


「っ! このクソガキ、なに勝手に仕事請け負ってやがる!?」

「安心と信頼が売り、どんな仕事も承ります」

「あ? なんだそれ」

「ふふふ……………そうです。今私が作りました」

「出てけ今すぐに」

「ああっ、ごめんなさい許してください」


 調子が狂う。この少女ガキと会話してるといつもの俺では無いような気がして違和感がある。どうもこの白くてフワフワした少女には人の調子を狂わせる才能があるらしい。決して俺がこの少女のノリに付き合ったわけではない。


「ああ……面倒くせえな………」


 俺は寝癖だらけの頭を掻きながら、朝の一服をしようとリビングの窓に向かった。

 いつもならリビングで吸うのに今日はわざわざ窓辺で吸うのは、ただそういう気分だっただけだ。別に少女の体調を気にしてではない……決して。



 ▼▼▼



 ふぅ……危うく一日で家を追い出されるところでした。危ない危ない。寝起きのお兄さんは冗談が通じないようです。きちんと覚えておかないと。

 頭を雑に掻きながらお兄さんは窓辺に向かって歩き出しました。手には赤色と白色の長方形の箱が握られています、煙草ですね。父も吸っていました。

 父は私の目の前で、それはもう臭い息を吹き掛けてきました。煙で窒息死しろと思ったのは星の数程です。

 でもお兄さんはちゃんと換気の利くところ吸ってくれるようです。非喫煙者に気を遣えるお兄さんは素敵です。朝日(もう昼ですが)に照らされたお兄さんの黒髪が艶やかな光沢を放って見惚れてしまいそうになります。寝癖だらけですが。


「朝ごはんありますからね〜!」

「…………」


 私がそう言うとお兄さんは無言で手を上げて返事をします。あっ、いまのやり取りなんだな新婚夫婦みたいです。

 私はお兄さんの名前を知りません。昨日、偶然運命の出会いをしましたが、私はお兄さんの名前を知りませんし、お兄さんも私の名前を知りません。まず、殆ど会話すらしていないのが現状です。

 でも、私はそれでもいいと思っています。いつまで此処に置いてもらえるか分かりませんが、出てけと本気で言われたなら、私は素直に出て行きますし。

 私としては、最後はお兄さんに殺してほしいのですが、お兄さんは余り軽々しくは人を殺さないようです。

 タバコを吸い終えたのか、お兄さんが眠たい目を擦りながら食卓へ歩いてきました。丁度トースターで焼けたパンを皿に載せお兄さんの前に置きます。サラダにドレッシングを掛け、出来上がったばかりの目玉焼きにを垂らします。


「……………おい」

「はい?」


 その瞬間、お兄さんが凄まじい剣幕とドスの利いた声で私を睨み付けました。


「目玉焼きには醤油ソイソースだろうがよ」

「………なっ……」


 私はガタッと椅子を後ろに倒し立ち上がりました。


「何を言っているんですか! 目玉焼きにはソースですよっ!」

「いいや絶対に醤油だ! これは絶対だ!」


 そこからはまさに新婚夫婦が意見の相違で言い争う。要するに、修羅場でした。

 目玉焼きにはソース。いいや絶対醤油。そんな、冷静に考えればどちらでもいい事に、私たちは十分近くギャーギャー言い争っていました。

 ……私も、ついムキになって対抗してしまいました。まさか、目玉焼きに掛けるのがソースか醤油かで喧嘩に発展してしまうとは思いもしませんでした。

 結局、その場を治めたのはお兄さんがソースも美味しいと言った所で決着しました。とても不毛な争いでした。


 お兄さんとこれから生活するに当たって、上手くやっていけるかとても不安です。


 でも、それ以上にとても楽しくなりそうな気がしてきました!



 ◆◆◆



 一体俺は何をやっている? 何故朝っぱらから子供と目玉焼きに掛けるのはソースか醤油で意地になって張り合ってんだ……冷静に考えればどっちでもいいだろ……本当、何やってんだ俺……。

 前頭葉辺りに軽く痛みを覚えながら、俺は食後の一服の為に窓辺へ向かう。

 煙草を取り出し先端にライターで火をつける。空気が乾燥して煙草の葉も乾燥しているのか、味が少し辛かった。喉を燻す煙が立ち上って行く。冷蔵庫から取り出した缶コーヒーを煽りながらゆっくりと吸う。

 窓から見える街は……まあ騒々しいことこの上なかった。視界に映る街だけでも、強盗や窃盗、時には強姦まで確認出来たりする。頼むからもっと忍んでやれと思う。

 俺が住んでいるのは『アスレン』の中立地帯『中央区』だ。

 まず、ここアスレンの街は、東西南北四つのギャンググループが区を治めてる。


 東の『ヴェネティエッテ』

 西の『グリミナルアスラ』

 南の『ヒーエスガムラン』

 北の『アリエスウィラル』


 正式にその区を市から任されている訳ではない。が、まぁ実質独占してるようなもんだ。流石の政府様も顔に銃痕がある怖えおっさん共に言い寄られちゃ頷くしかなかったらしい。

 市にも国にも黙認されてる事をいい事に、こいつらギャンググループはかなり好き勝手やってやがる。

 四グループの中で最大勢力のヴェネティエッテは人身売買を主力として稼いでいる。男、女、年齢問わず幅広く売ってがっぽり儲けてるらしい。最大勢力とあって、俺の仕事にもちょいちょい絡んできたりもする。面倒くせえったらありゃしねえ。

 グリミナルアスラは麻薬や違法薬物。アリエスウィラルは臓器や、普通の医者では行わないような手術をする、闇医者を扱っている。

 このグリミナルアスラとアリエスウィラルは比較的友好的だ。麻薬や薬物を手術で使う事があるらしく、安価で売ってもらったり。その見返りに、薬中の臓器や死んだ人間の臓器を安価で買い取る。WinWinの関係だ。

 最後のヒーエスガムランは、規模は小せえが警察にツテがある。それが強みになって三つのグループを纏めて見りゃヒーエスガムランは中立の立場だ。警察にツテがあるってのは中々融通が利くもんで、情報を売ることも出来る。ローリスク・ハイリターンの美味いお役職だ。ただしばれた時のヤバさは桁違いだ。

 そして、その四勢力の力が及ばない所が、俺が住んでるここ中央区だ。

 中央区には警察や裁判所なんてもんもあるし、ある程度は普通の街と同じ感じだ。その代わり、めちゃくちゃ物価が高え。俺も今月はかなりピンチだ。

 ……だからあの少女ガキが仕事を請け負ってくれたのは、まあまあ助かった。後から飴でも買ってやろう。


「そろそろ依頼主が来る頃ですよ」

「………ああ、分かった」


 洗い物を済ませ客を迎える準備までしていた少女がコーヒーを作りながら言う。適当に返事をして時計を見る。丁度、二時になった時だった。

 扉を焦ったような感じでノックする音が聞こえてきた。少女が扉を開ける。入ってきたのは白髭を蓄えた五十は超えたような爺だった。額から玉のような汗を流し、肩を揺らしながら息をしている辺り、何か急ぎの用が、困窮した状況か。


「はあっ、はあっ………頼めば誰でも殺してくれる奴がいるのはここか?」

「はい! このお兄さんが、あなたの依頼を頼まれてくれますっ!」


 なんでお前が嬉しそうに言ってんだ? まあいいけど。

 少女に下がってろと目配せする。察しがいいのか、少女は笑顔のまま奥の部屋に入っていく。

 俺はスイッチを切り替えた。人間としてのスイッチを切り、殺し屋としてのスイッチを入れた。


 さあ、仕事だ。ここからはは捨て、だ。

 そして、化け物の皮を被った俺は、笑いながら言う。


「ようこそ、殺し屋へ。あなたが殺して欲しいのは誰ですか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る