第十一話 代役
「佐竹さん?」
ぱさっ。店長にスコアの束で腕を叩かれて、はっと我に返った。意識が激しい軋み音を立てながら、急激に現実に引き戻される。過去にトリップしてる場合なんかじゃない! な、なんとかしなきゃ!
「歌えって……そ、そんな」
歌えないよ。歌えっこない! 歌なんか出てこない! 大声で叫びたかったけど。スタッフ全員の尖った視線が情け容赦なくずぶずぶと突き刺さってくる。とても歌えませんなんて突っぱねられる状況じゃなかった。
店長、千賀さんいるのに、なんでわたしに振るのーっ? 激しい慌てぶりを見た店長が、ささっと理由を説明した。
「佐竹さん。千賀さんはアマなの。即譜は無理。耳コピしか出来ない」
あ……そうか。
「佐竹さんは譜面読めるし、俺の渡したCD聞いてるでしょ? ハミングでいいよ。サポして」
そうだ。確かに、訓練してない子に即譜は無理だわ。歌い込んでるならともかく、楽譜読んですぐ歌えっていうのはちょっとね。店長がわたしに歌わせようとした理由が理不尽なら、ぶち切れてスタジオを飛び出していただろう。でも、店長の言い分はもっともだった。ううー。しょうがない。四の五の言ってられない。声が出るかどうか分かんないけど、とりあえずやってみるしかないか。
「てんちょー。わたしのはあてになりませんからね」
「分かってる。あくまでもリハだから」
「ううー」
幸いにと言うか不幸にもと言うか、当日の演目にはCP4のオリジナルだけでなくて、クリスマスソングが三曲入ってる。まず、それからやってみようっていうことになった。よく知られてる曲って言ってもCP4で独自アレンジしてるから、千賀さんにすぐ歌えっていうのは難しいだろう。千賀さんも、最初は見本を見せてほしいっていう顔だ。つ、つらいー。
しょうがない。声、出るだろうか。びくびくしながらステージに上がって、マイクを掴む。すかさず、店長からチェックが入った。
「ああ、佐竹さん。椅子に座って。本番もそういうスタイルでやるから」
う。そうか。オペラじゃないから、立って朗々とっていうわけじゃないのか。つい、昔の癖が出ちゃうなあ。譜面見ないとなんないし、椅子がステージに正対してなくて視線がまっすぐギャラリーの方に向かない。それで、少しだけ気が楽になった。
「じゃあ、一曲目。ホワイトクリスマスから。リハ、スタート!」
わたしの戸惑いなんかまるっきり考慮してくれない店長が、すぱっと号令を出した。
店長のきりっとした掛け声に弾かれたように、田手さんがアコギを鳴らし始めた。パーカスの大山さんが、カホンを小気味よく叩いてリズムを取る。主旋律を管楽器担当の沢田さんがバスクラで吹いて、曲の輪郭が見えて来る。
うん。ボサノバ調だ。こりゃあ、縦ノリ系得意の千賀さんに最初っからやれっていうのは確かにきついわ。大声で歌わなくてもいいなら、なんとかなるかも知れない。久しぶりの歌唱だったけど、根性が据わった。聞いてるのはみんなスタッフと関係者だし、あくまでもリハなんだ。気楽にやろう。
「I'm dreaming of a white Christmas……」
含み声で、最初は小さく歌い出して。譜面通りに歌うって言うより、リズムにうまく乗せることを意識する。まだ声が喉にへばり付いて、出て行くことを拒否するような感覚があったけど、とりあえずなんとか歌い切れた。
演奏が終わったところで、店長が即ダメを出した。
「ナベさん。メインもうちょい落として。アコギとパーカスのマイク弱い。もっとゲイン上げて」
へ?
「今のままじゃ、声が暴れてバランスが取れない。次は千賀さんも入れてもっとボーカル厚くするから」
「おっけー!」
ナベさんがせわしなくミキサーの調整をしている。りんちゃんと
「佐竹さん、もうちょい声出して。本番のサウンドバランス意識してね。よし! テイクツー!」
そうか。店長は、あくまでもステージから出る音のバランスや響きを確認してるんだ。代役って言っても、わたしたちのところは他に音源があればそれでも間に合うという位置付けだ。店長の指示を聞いて、うんと気が楽になる。
二回目のテイクでは千賀さんに主旋律を任せて、わたしがハモりで入った。
「うーん、いいねえ。よーし、クリスマスらしくなってきたぞお!」
店長はご満悦だ。わたしはそれどころじゃないけど。
もう一曲クリソンをリハした後で、いよいよCP4のオリジナル曲。最初に店長から、当日のプログラム順じゃなくリハに時間がかかる曲からやるっていうアナウンスがあった。
「ってことで『草笛』からね」
今回演奏してもらう曲の中では一番の大作で、演奏時間が七分を超える。コンサートの中ではハイライトになる、とてもいい曲だ。それなのに主役のボーカルがいないって、どういうこと? 信じられないよ!
「じゃあ、さっきと同じで最初に佐竹さんに歌ってもらって、テイクツーで千賀さんに入ってもらおう。千賀さん、いい?」
「はいっ!」
おお! 千賀さん、気合い十分じゃん。
この曲は、さっきのリズミカルなクリソンと違って、じっくり歌を聴かせるタイプ。音域を広く使い、高音域はだあっと吐き出すんじゃなくて、しっかり震わせる。かつてのわたしは、歌手の表現力がダイレクトに現れるこういう曲が大好きだった。店長からもらったCP4のCDでも、草笛だけは何度も繰り返し聴いた。
ざわついていた場が静まって、クラからフルートに持ち替えた沢田さんが、澄んだ音色で大スタを潤した。さっきはリズム隊の役割だったアコギが、今度はしっとりと旋律を支える。大山さんはブラシでスネアを擦り、足踏みで調子を取る。
わたしは、すうっと胸いっぱい息を吸い込み、目を瞑って一面の草原をイメージした。
「君が手にした 一片の草が 世界を溶かす 笛になるんだ」
「どこまでも響く 澄んだ音色が 何もかもを 透明にしてゆく」
「草は震える 君の吐息で 草は震える 君の心と共に」
「そして音になる 全てを溶かし去る 切ない音に」
「くーさぶえー……」
息が詰まった。昔のことがフラッシュバックしたからじゃない。この歌詞の『君』に、わたしが重なってしまったからだ。
どんなに歌っても歌っても、その声がわたしを満たさない。わたしはどんどん削れて、細っていってしまうのに。それでも、わたしは歌おうとした。
意地? そうかもしれない。わたしから歌を取ったら何も残らないって、そういう恐怖もあったかもしれない。でも、わたしには歌うことしか。それしかなかったんだ。
「んんー、んー」
ハミングで旋律を追うしか出来なくなって、マイクを持ってない方の手で何度も目を拭った。いけない。リハだ。しっかりしなきゃ。
二番も切ない歌詞だ。最後に、『君』は音に溶かされて消えてしまう。残ったのは草笛の音だけ。でも、その悲しさを切々と歌うんじゃダメなんだ。あくまでも、淡々と。いつまでも世界を透明にしようとして響く草笛の澄んだ音だけを、聞き手にしっかり印象付ける。二番は、なんとか歌い切った。
「よし。この曲の時はフルートのゲインを少し上げて。ここはコンパクトだから響くけど、エバホールじゃくすむ。草笛のイメージをフルートに持たせるから、コントラスト付けてね」
ミキサー室のナベさんが、ぐっと親指を立てた。
「じゃあ、もう一回。さっきと同じで、千賀さん、メイン。佐竹さん、サブ。千賀さん、出来る?」
「大丈夫です。いい曲ですね」
「そう。この曲が最大の売りだからね。絶対とちれない」
CP4の三人のメンバーが、真剣な表情で頷いた。でも、その真剣さが浜草さんにもあるんだろうか? ほんとに心配だよ。まあだ来てないしさー。
テイクツー。千賀さんの歌いっぷりはわたしとはちょっと違ってて、しっかりエモを突っ込んで歌った。うん、違う解釈もありだよね。そういうのが歌のおもしろいところでも、怖いところでもある。同じ歌詞、同じ演奏でも、歌い手の色付けで曲の印象ががらっと変わってしまう。高音域で少し声が尖る千賀さんのアクをわたしがハモりで消して、テイクツーもいい感じでフィニッシュした。
「うん。いいんじゃないかな。じゃあ、次に行こう」
ミキサー室から出てきたナベさんと何やら打ち合わせをした店長は、機械的にリハを進めた。
「じゃあ次の曲、『ルームメイト』ね。これは軽い曲だから、ボーカルは飛び出さないよう抑え目に。演奏をしっかり聞かせるイメージで。ファーストテイク、佐竹さん。テイクツーは、千賀さんだけ。ハモなし」
「はあい」
「おっけーっす」
「田手さん、準備いい?」
「おっけーです」
「じゃあ、行きましょう。スタート!」
◇ ◇ ◇
「ちーす」
結局、一時間半くらいのリハの最後の最後、残り五分のところで、やっとこさラフな……ってかだらしない服装の浜草さんが、のそっと顔を出した。前回と同じってわけね。論外。
「あれえ?」
一瞬にして、場が険悪な雰囲気になる。
「もうリハ終わっちゃったのー?」
ぺろっとそう言い放つクソ女。とっ捕まえてぼこ殴りしてやりたいところだけど、招待ゲストにそんなこと出来っこないってのが辛い。冷ややかに浜草さんを見遣っていた店長は、ごちゃごちゃ言わずに事実だけをぽんと放った。
「終わりました。もう帰っていただいて結構ですよ」
「ふうん。いいんだあ」
「時間がないので。本番はよろしくお願いしますね」
ないがしろにされて面白くなかったんだろう。くるっと踵を返した浜草さんは何も返事せず、不機嫌そうに大スタを出て行った。
ばかったれっ! 面白くないのはこっちの方だっ! とっとと帰りやがれっ! 塩撒けっ! 塩っ!
おっととと……それはいいんだけどさ。店長、本当にこれで本番大丈夫なの? わたしやスタッフのはらはらを物ともせずに、店長がのんびりと閉会を宣言した。
「これでリハ終わりますー。みなさんお疲れ様でしたー。ナベさん、童さん、本番もサウンドセッティングとミキサーお願いしますねー。田手さん、当日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
深々と頭を下げる三人のメンバー。クソ女以外は、みんな常識的でいい人なんだけどなあ……。
わたしたちのリハのすぐ後に、他のバンドのスタジオ練習が入ってた。ごたごた揉めてる暇なんかこれっぽっちも無い。スタッフ総出で大急ぎで機材を撤収して、スタジオを空ける。りんちゃんと千賀さんは、この後もナベさんの手伝いをするらしい。二人がきびきび動き回る姿は本当に気持ちいいよね。あのぐったらぐったらしてるクソ女に、働く姿勢を見せつけてやりたいよ!
わたしがぶつくさ文句を言いながら店の箱バンに機材を積み込んでいたら、後ろから店長の声が聞こえた。
「ああ、佐竹さん」
「なんすかー?」
「今日はマイクのセッティングやサウンドバランスのチェックだけで、構成や進行管理の話がほとんど出来なかったから、MCがぶっつけ本番になっちゃう。そこんとこ、なんとかアドリブでこなしてくれる?」
あ、そうか。当日は、わたしがMC係だった。
「なんとかしますー」
「ははは! 佐竹さんは根性据わってるからね。頼みます。困った時は俺に振って。すぐサポするから」
「わ! それは心強いですー」
「俺がやってもいいんだけど、女性ボーカルのバンドだと、MCも女性がやった方が雰囲気出るからね」
なるほど。大雑把のように見えるけど、店長はきちんと細部まで考えていろいろプランを立ててるんだ。そのしっかりした店長が、なんでこんながさがさなバンドを引っ張ってきたんだろ? どうにもこうにも腑に落ちない。
確かに、ギャラがそんなに払えないってことなら大物は最初から無理で、選択肢はアマに毛の生えたようなレベルになるんだろうけどさ。それにしたって、もっとマシな人たちがいっぱいいるでしょうに。演奏の巧拙以前に、きちんと自分たちの音楽を売り込もうっていう姿勢の人を呼んだ方がいいと思うんだけどなあ。うーん……。
腕組みしたまま何度も首を傾げるわたしを見て、店長がさらっと言った。
「佐竹さん。チャンスってのはね、いろんな形があるの。それが活かせるかどうかすら、チャンスの一つなんだ」
「へ?」
「それは当日分かると思うよ。こっちはそのチャンスを提供するところまででおしまい。後は、彼ら自身がチャンスを活かそうと努力するしかない」
「それは分かるんですけどー」
「まあ、あんまり考え過ぎないで。なんとかなるから」
ううう。さばけてる店長はいいかもしれないけどさ。サポートする方の身にもなってちょうだいよー。串田さんじゃないけど、わたしも胃に穴が空きそうだわ。とほほ。
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