第十二話 アクシデント

 とかなんとか言ってるうちに、クリコンの本番になってしまった。第一部は学芸会だから、演奏者とそれを見にくる家族やお友だちがリラックスして楽しんでくれればいい。MCを受け持ってるわたしも、出演者の生徒さんにいろんな突っ込みが入れられてすっごく楽しい。会場は、クリスマスらしい明るく華やかなムードでいい感じに盛り上がっていた。


 でも盛り上がっている会場の雰囲気と裏腹に、ステージ裏にいたスタッフは全員顔が引きつっていた。真っ青になってる串田さんが、ひっきりなしに携帯を確認している。


「まさか、本番まで開始五分前に来るってことじゃないでしょうねっ!」


 そう。まだ来てないんだ、あのクソ女。いや来てないのがクソ女だけならともかく、今度は田手さんまで来てない。連絡を取ろうにも、こっちから何度掛けても通じないらしい。

 ど、どういうことよっ! もうすぐ第一部が終了しちゃう。その時には、第二部のアナウンスを流さなければならない。スタッフがみんな慌てふためいてるのに、店長は全然動じてないし。まったく、このおっさんの神経はどうなってんだあ?


「あっ!」


 串田さんの携帯がぶるって、神業的なスピードで串田さんが受話した。


「はい? 田手さんっ? え? 車で事故ったあっ?」


 げ。さすがにわたしも青くなる。引ったくるようにして携帯を奪い取った店長が、事故の状況を確認した。


「うん。うん。身体からだはなんともないのね。でも、事故処理手続きの関係で浜草さんと田手さんは現場を離れられない、と。そういうわけね。状況は分かりました。事故処理の方を優先してください」


 ぴっ。携帯を切っちゃった店長が、くるっとわたしの方を向いた。


「中止ですか?」

「いや、それは出来ないよ。二部を楽しみにしてるお客さんがいっぱい来てる。幸い、替えの聞かないパーカスと管じゃなくて、アコギとボーカルだ」


 ざわあっ! 背筋に冷たいものが流れた。


「て、ててて、てんちょー。も、ももも、もしかしてえ」

「リハやってるだろ? ピンチヒッター頼む」

「ぎょええええええええええええええええええええっ!」


 わたしがステージ裏で全力でぎょえった声は、客席まで響き渡ったんじゃないかと思う。


「そ、そんなあ。無理ですよう」

「給料のうち」


 ぐ……。それを言われると辛い。


「前回手伝ってくれた千賀さんが、臨時スタッフでナベさんの手伝いをしてる。彼女にも助っ人を頼む。リハと同じさ」

「そ、それにしたって。田手さんの代役が」

「ああ、それは俺がやる」

「ええっ? 店長があっ?」

「それしかないだろ? 弾けるのは俺だけなんだから。まあ、しょせんはクリコンさ。楽しく歌ってくれればいいよ。MCは俺がやるから、佐竹さんは歌に専念して」


 あっさり言い切った店長は、わたしの背をぽんと叩いてステージ裏から走り出て行った。そして、すぐに千賀さんを伴って戻ってきた。


「残りの二人と打ち合わせ。来て」

「はい」


 三人でばたばたと控え室に走った。突然大役を押し付けられたわたしも真っ青だったけど、看板二枚が来れないことを知った大山さんと沢田さんの動揺は、わたし以上に激しかった。大山さんが辛うじて声を絞り出す。


「中止に……しないんですか?」

「してもいいけど、それじゃあ君らは一生この業界アウトだよ? 興行潰しはプロミュージシャンに取って最悪の大罪なの。それでいい?」


 店長はあくまでもクール。二人は、顔を見合わせてしばらく考え込んだ。売り出し中に、契約を勝手に放棄してコンサートを御破算にする。それは業界からの永久追放に値する反則行為だ。彼らがアマなら、そんなこともあるよねで済んだかもしれない。でも、仮にもプロならそうは行かないよ。

 リハをきちんとこなし、当日も早くから会場入りしてスタッフと打ち合わせして、万難排してコンサートに臨むのがスジなんだ。それがどんなに小規模のものでもね。気分でキャンセルかまされた日にはプロモーターが干上がってしまう。バンドとしては致命的な失態なの。


「車のハンドル握ってたのは浜草さん。田手さんはとばっちり食ったんだろう。でもバンマスとして、彼女をきちんと制御出来なかった責任は負わないとならない。君らはルールに則ってちゃんとこうやって本番に備えてるのに、その無責任に巻き込まれて平気?」

「いや……それは勘弁、です」

「俺も」


 店長が静かに二人を諭した。


「でしょ? とりあえず、このコンサートは私たちがサポに入るので、なんとか成功させましょう。主役は君らじゃない。演奏を楽しみに来てくれてるお客さんなの」

「そうですね」

「お金払って来てくれたお客さんに、なんだこんなクソ演奏かよって思われたら中止よりもっと悪いよ。曲がりなりにもプロなら、その評価に甘んじちゃいけないと思う。そうじゃない?」

「分かりました」


 覚悟を決めたんだろう。大山さんがぱちんと指を鳴らした。ぷうっと頬を膨らませた沢田さんも帽子を深く被り直した。


「ベストを尽くします」


 店長は、まだ引きつっていたわたしと千賀さんに向かって、厳しい口調で指令を出した。


「佐竹さん、千賀さん。歌はね、聞かせるんじゃない。聞いてもらうの。届けない歌は誰にも届かないよ。それ、よーく考えてね」


 む! むむーっ!


「いい? これはピンチじゃない。チャンスなんだ。それを活かしたいなら、ちゃんとお客さんを見ないとダメだよ。独りよがりに歌うなら、これまでの浜草さんと何も変わらないからね」


 かっちーん! 頭にぐわっと血が上った。わたしに無理やり歌わせときながら、そういう注文を付けるわけえっ? でも、怒りに任せて反論出来ないほど店長の指摘はごもっとも。ケチの付けようがない正論だった。


 わたしは、あのクソ女と同列に並べられるのだけは絶対に嫌だ。絶対に! ぜ・っ・た・い・に・い・や・だっ! 上等じゃないの! 目にもの見せてくれるわ!


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