第十三話 ぶっつけ本番

 一部、二部の入れ替えの時に、プログラム変更についてのアナウンスを流した。


「第二部でコンサートを行う予定のクロスパッションフォーですが、メンバーのうち浜草さんと田手さんが、自動車事故の影響により急遽出演出来なくなりました。お二人の代役を立ててのステージになります。浜草さんの歌を楽しみに来られたみなさんには大変申し訳ありませんが、どうぞご了承ください。チケットのキャンセルと払い戻しは、事務局で受け付けます」


 雪崩を打ったようにキャンセルされると大赤字だったんだけど、一部からの流れでチケットを買った人が多くて心配したほどのキャンセルは出なかった。その分、お客さんがいっぱいいるからどうしても緊張しちゃう。

 ばか! あんたも、そういう世界を目指してたんでしょ? 今さら何ぶるってるのよ! 強気と弱気が心の中でぎしぎしとせめぎ合う。

 短い入れ替え時間の合間に、わたしたちと進行の打ち合わせを済ませた店長が控え室から走り出ていった。


「どこ行ったんだろ?」

「さあ?」


 千賀さんと二人で首を傾げていたら、店長がサンタ服を持って駆け戻ってきた。


「二人とも、すぐこれに着替えて。そのままじゃ、代役丸出しだからね」


 おっと! そう来たか。


「ステージに立つ以上、誰でも主役さ。君らにはちゃんとドレスアップしてもらう」


 うーん。サンタ服がドレスかっていう疑問はあるけど、店の制服よりはずっといいよね。


「よっしゃあ!」

「いっちょぶちかましますかあ!」

「その意気、その意気」


 ぐだぐだ考えてる間も無く、すぐに二部開始のアナウンスが流れた。もう腹をくくるしかない。


「これより、クロスパッションフォーのコンサートを開始いたします。入場のみなさんはご着席をお願いいたします。なお、演奏中の写真、ビデオの撮影、飲食はご遠慮下さい。また、携帯電話の電源はお切りください」


 沢田さんと大山さんの楽器をセッティングしたスタッフが袖に引いた。会場の明かりが消えて、ステージの真ん中にスポットライトがぽつんと落ちる。そこに、わたしたちと同じようにサンタ服を着た店長がアコギ片手にすたすた歩いていって、会場に向かって一礼した。表情はいつもの店長そのままだ。


「本日は、お忙しい中を本コンサートにお越し下さり、まことにありがとうございます。第二部では、クロスパッションフォーというアコースティックユニットの演奏をお聞きいただく予定だったのですが」


 うーんと悩むポーズ。


「トナカイが飛ばし過ぎて事故っちゃってねー。ボーカルの浜草さんとギターの田手さんは、今現場検証の真っ最中です。さあて、サンタ困ったー」


 わはははははっ! 会場のお客さんは大笑い。コンサートが変則になっちゃった影響なんかこれっぽっちも感じられない。さすが店長だー。肝っ玉が据わってるわ。


「コンサートを楽しみに来られたみなさんのご期待を裏切らないよう、見習いサンタが精一杯がんばりますので、本日は最後までゆっくり演奏を楽しんで行ってくださいね」


 ぺこり。


「コンサートに先立ちまして、見習いサンタの紹介をいたします。まずボーカルの浜草さんの代役は……」


 わたしと千賀さんが呼ばれる。二人して、小走りで店長の横に並んだ。


「小柄なメガネサンタが千賀ちが千香ちかさん。現役JKですよー。浜草さんに負けず劣らずの美声の持ち主です。もう一人、うちのお店に来てくださってる方はよくご存知だと思いますが、こっちのべらんめえサンタがスタッフの佐竹美琴です」


 どっ! 会場が沸いた。

 ちょっと、てーんちょー! べらんめえってなによう! ぷんすか!


「以上、ダブルサンタで歌をお届けします。そしてギターの田手さんの代役は、わたくし店長の桑畑くわはた誠一せいいちが務めます。どうぞよろしくお願いいたします」


 ぺこり。代役三人揃ってお辞儀をする。ここで、打ち合わせ通りわたしと千賀さんが一度袖に下がった。店長、残って何すんだろ?

 スポットライトの真下にパイプ椅子を引いてきた店長が、マイクをセットしてギターを構えた。


「プログラムにはありませんが、ご来場のみなさまへのお詫びの曲を最初にお届けして、それから本番ということにいたします。曲はシカゴの名曲、Hard To Say I'm Sorry。邦題は、素直になれなくて。うーん、ロマンチックですねえ。でもね、ほんとは違うんですよー。直訳すると『ごめんなさいって言えないの』。え? それじゃ全然お詫びになってない? ごめんなさーい!」


 わはははははっ! 会場の笑い声が消えないうちに、店長がギターを弾き始めた。


 う、うわ……。さっきのおちゃらけたMCはなんだったんだろうって思うくらい、寒気がするほど凄い演奏だった。たった一本のアコギからこれほどまでにカラフルな音が出るなんて予想もしてなかった。店長ってばまるっきりプロじゃんか。楽器を演奏してる姿なんか一回も見たことなかったんだけど、こんな凄い人だったんだ。


 さっきまで落ち着きなくざわついていた会場が、水を打ったように静まり返った。

 そうか。これは会場へのアピールだけじゃない。わたしたちへのど突きだ。代役だからって手ぇ抜いたら絶対に許さないからな! そういう覚悟を求める、本気マジのど突き。足が震えてくる。わたしは店長のど突きに応えられるだろうか? 最後まで歌い切れるだろうか? そもそも声が出るかどうかすら分からないのに。


 でも、ざわついた心が落ち着く前に店長の演奏があっさり終わってしまった。ギターを掲げた店長が、袖にいたわたしたちの登場を促す。いよいよCP4の出番。ふう。やるっきゃないね。万一の時には千賀さんがいるからなんて弱気じゃだめだ。根性据えて、しっかり歌い切ろう。


 拍手の中を登場した大山さんと沢田さんがポジションに着き、わたしたちも店長の横に並んだ。店長がギターを構えて演奏の体勢に入る。

 よしっ! 気合いだあっ! のしのしとステージのど真ん中に出て、客席に向かって一礼する。


「代役ボーカルその一の佐竹です。店長にべらんめえって言われてすっごい悔しいです。こーんなに色っぽいのにさー」


 後ろ向きになって、お尻をぷりっと動かす。

 どっ! 会場が賑やかに沸いた。笑ったなあ? くそったれ、覚えてやがれっ!


 ちょこちょこと歩み寄ってきた千賀さんが、客席に向かってひょいとお辞儀をした。


「えー、カラオケの採点では一度も80点越したことない千賀ですー」


 どおっ! わははははははっ!

 こっちもバカ受け。


「いいじゃん。好きなように歌ってもー、って言うわけにもいかないので、今日は精一杯がんばります! 応援よろしくー」


 高校生らしい軽くて明るい挨拶に会場がほわっと和んで、拍手が湧いた。

 ぱちぱちぱちぱちぱちっ!


 どうなるんだろうとはらはらしながら見ていた沢田さんと大山さんも、わたしたちと会場の雰囲気がほぐれたのを見て、ちょっと安心したんだろう。硬かった表情を緩めて、笑顔を見せた。


 わたしと千賀さんが椅子に座って、いよいよコンサート開始だ。最初にクリスマスソングが二曲。そのあとCP4のオリジナルが六曲。締めにクリスマスソングの『聖しこの夜』。まず最初の二曲が歌い切れるかどうかがヤマ。そこで声がふん詰まっちゃったら、わたしはリタイアするしかない。


 店長のアコギが鳴り出した。足が震える。あの喉が塞がるような、いやあな感覚がどおっと押し寄せてくる。


 え?


 わたしの横に座っていた千賀さんがすうっと席を立って、ステージの真ん中でくるくるとポーズを取り始めた。ダンス入り? そんなの聞いてないよう。でも、千賀さんに気を取られている場合じゃない。歌わなきゃ!

 軽快なボサノバのリズム。それに合わせて、口ずさむようにホワイトクリスマスを歌う。うん。出る。声がちゃんと出る。お客さんの意識が踊る千賀さんに向いてるから、わたしは視線を気にし過ぎなくて済む。すっごい助かる。


 ひょうきんなポーズで明るくステージを盛り上げた千賀さんが椅子に戻って、今度はジングルベルの変奏曲。ボーカルの難度はそれほどじゃないんだけど、リズムが変則でギターの負担が大きい曲だ。でも、店長は田手さん以上の腕前に物を言わせて、軽々と弾きこなした。

 ギターをタップする店長と大山さんのカホンとの掛け合いも軽妙で、会場の人たちの体が揺れているのが分かる。うーん。店長はほんとに乗せるのがうまいよなあ。


 そしていよいよ、CP4の曲だ。ここからが本番。

 このライブは、CP4のプロモーションを兼ねてる。ボーカルのクソ女は気に食わないけど、他の三人にはそれぞれ夢があるだろう。それを、わたしの一方的な感情でぶち壊すわけにはいかない。今日来て下さったお客さんに、こんな素晴らしいバンドがあるのかと思ってもらうことも、店長の言う『給料のうち』だ。ぎっちり根性を据えよう。


 全六曲。アップテンポの『ルームメイト』、『ミルククラウン』は千賀さんが、じっくり聞かせる『夜の散歩』、『プラネット』、『泣き笑い』はわたしがメインを取る。ハイライトの『草笛』はラストに、ダブルボーカルで。ハモるのも聞かせどころにはなるけど、質感の違うボーカルを聞き比べてもらうというのも、ボーカル科のある音楽教室としてアピールしたい点なんだ。そういうところも、店長は抜け目ない。


 ボーカルがわたしだけじゃないという安心感。クリスマスコンサートなんだっていうリラックスした観客席のムード。音楽教室の生徒さんはみんな顔見知りだから、わたしたちを見る目が優しい。お客さんの柔らかな視線にほぐされるようにして、長い間凝り固まり、縮こまっていたわたしの声は、少しずつ束縛を解かれて伸びやかに出るようになっていった。


 わたしは胸に両手を当てて、歌姫に謝る。


 ごめんね、歌姫。何年も縛り付けてしまって。わたしは、歌い方を忘れたんじゃない。歌うことが苦痛だったの。ずっと……ずっとね。何があったって歌は歌よ。それを口から出すことはいつでも出来るの。でも歌は勝手に形作られるわけじゃない。歌を作るのは喉じゃなくて、心なんだもの。その心をずっと失っていて、苦しかった。辛かった。

 わたしは、その苦しさや辛さをまだ乗り越えてない。重い過去の鎖は手足だけじゃなくて、歌も縛り付けている。でもね、もういいかな。自分を歌に押し込める生き方は……もういいかな。


 わたしの横で楽しそうに声を張り上げる千賀さんの姿が目に入った。

 そうね。千賀さんは、これから自分の全てを歌うことに注ぎ込んでいくんだろう。若さゆえに荒削りなところをせっせと磨いて、歌うことで自分を高めていく。でも、わたしは千賀さんと逆。自分の中にぱんぱんに詰め込んでいた、歌っていう呪縛を少しずつ解いて行こう。歌に背負わせるものをどんどん軽くして行こう。


 そうしたら。きっとわたしも軽くなれる。もっと自由になれる。もっと気持ち良く歌えるように……なるだろう。


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