第十四話 草笛

 すごく心配していたステージフライトの症状はとりあえず出ないで済んだ。いよいよクライマックスの『草笛』だ。MCをやろうとした店長を手をかざして制し、スタンドからマイクを外して握った。


「みなさん。ここまで熱心に聞いてくださって、本当にありがとうございます」


 顔だけでなく、体を客席に正対させてお辞儀をする。


「クロスパッションフォーのオリジナル曲ラストは『草笛』です。この曲はとても素晴らしい曲。本来なら浜草さんの美声を一番味わっていただける聞かせどころなんですが、本日は残念ながら代役のわたしたちがお届けしなければなりません」


 客席をゆっくり見回す。草笛は特別な曲なの。CP4にとってだけではなく、わたしにとっても。そして今だけでなく、彼らとわたしのこれからにとっても。少しずつ、想いが溢れていく。


「草笛は、自由な解釈が出来る曲です。悲しい曲なのか、幻想的な曲なのか、救いのある曲なのか。聞いた人の中で一つ一つ違った光景が描かれる曲。わたしたちも、自分なりの光景を思い浮かべながら歌を紡ぎます。どうかわたしたちの作った世界を、後で浜草さんの歌と比べてみてください。同じ歌でありながら、別の光景が見えてくるはずです」


 すうっと大きく深呼吸して椅子から立ち、ステージの中央に歩み出る。


「わたしは、一度歌を捨てました。って言うか、歌えなくなりました。喉を潰したとか、病気したとか、そういうことじゃありません。心に傷が付いて、歌が出て来なくなったんです。だから……今日こうやってマイクを持って歌えているのは、わたしにとってまるで奇跡みたいなことなんです」


 し……ん。会場が水を打ったように静まり返った。


「わたしが自分で閉じ込めてしまった小さな歌姫を、ご来場のみなさんが呼び戻し、解き放ってくださいました。本当にありがとうございます。わたしに歌う機会を与えてくれたクロスパッションフォーのみなさんと店長、スタッフのみんなにも、心からありがとうの想いを込めて。草笛……」


 沢田さんのフルートの美しい音色が、本当の草笛のように会場を満たし始めた。草原をそよがせる風のように、大山さんのブラシと店長のアコギの爪弾きがさわさわと鳴る。

 孤独の悲哀を織り込んで、泣きを際立たせる浜草さんの歌唱。でも、わたしはそこに解放を盛り込もう。『君』が草笛を通して解き放てたもの。その中にきっとわたしの歌も入っているんだろうと。そんな風に……歌おう。



『君が手にした 一片の草が

 世界を溶かす 笛になるんだ

 どこまでも響く 澄んだ音色が

 何もかもを 透明にしてゆく


 草は震える 君の吐息で

 草は震える 君の心と共に

 そして音になる 

 全てを溶かし去る 切ない音に


 草笛響く 世界を溶かす

 なのに君だけ 取り残されてゆく

 草笛響き 世界が消えて

 君はぽつりと 立ちすくんでいる



 君の望んだ 独りの世界で

 草笛持った 君が泣いてる

 君は世界の 全てになった

 だけど世界は 空っぽだった


 草は震える 君の涙で

 草は震える 君の嘆きと共に

 そして音になる

 君を溶かし去る 切ない音に


 草笛響く 君を溶かして

 君は世界と 混ざり合ってゆく

 草笛響き 君が消えたら

 澄んだ音色が 世界になった』



 リハの時よりもゆったりと溜めて。抑揚を抑え気味にし、声をわざと細くした。千賀さんもリハの時のようなエモたっぷりにはしないで、どちらかと言えばささやくような歌い方に変えてきた。うん。その方が彼女の声の透明感が生きるね。

 一番、二番の歌詞を交互に歌った後、間奏でインストが美しい草原の景色を作り、草を薙ぐ風の流れのまま最後の締め。一、二番のリフレインのところを、少しずつ声量を上げてハモりながら歌い上げていく。


 リハの時と同じで、やっぱり涙が出た。でもそれは、わたしが曲の世界に引きずりこまれたからじゃない。


 わたしの中の小さな歌姫。閉じ込められていた籠から解き放たれて。でもまだ、本当に外に出てもいいんだろうかと周りをおずおず見回している。


 ごめんね。ちっぽけだったのはあなたじゃない。歌を閉じ込めてしまったわたしの心なの。

 ごめんね。今度こそ、何にも縛られずに歌ってね。自由に、楽しげに、果てしなく。のびのびと。


 だらだら涙を流しながら。それでもわたしの喉は世界を描き続けた。店長のギターのいとが、かすかな和音を放って静まるまで。


◇ ◇ ◇


 涙を吸い取ってくれない安物のサンタ服。その袖で無理やり涙を拭いて。わたしはゆっくりとお辞儀をした。さざめくような拍手の音が、ホールをじわりと満たしていく。ああ、まるで潮騒みたいだと。そう思った。


 椅子に戻ったわたしと入れ替わって、店長がステージ中央に出てきた。


「次の曲が、このコンサートラストの曲になります。みなさん誰もがご存知のクリスマスソング、聖しこの夜です。一緒に歌いましょう。でも、その前に」


 店長が振り向いて、わたしたちの起立を促す。


「クロスパッションフォーのメンバーを紹介します。フルート、オーボエ、クラリネット、リコーダーを自由自在に吹きこなす管楽器担当、沢田しげる!」


「カホン、ドラム、ジャンベ、コンガ……打楽器ってこんなにいろんな音を奏でることが出来たんだって、そう思われませんでしたか? 打楽器担当、大山まさし!」


「そして、今日は事故のアクシデントがあってここに来れませんでしたが、ボーカル浜草みわ。……の代役、佐竹美琴、千賀千香!」


「最後に私、ギター田手としゆきの代役、桑畑誠一でした」


 持っていたギターを抱きかかえるようにして、店長が深々とお辞儀をした。わたしたちも至らない歌を快く受け入れてくれたお客さんに心から感謝し、丁寧に頭を下げる。

 わあっ! ぱちぱちぱちぱちぱちっ! ホールいっぱいに歓声と拍手が響いた。うん。きっと、今日来てくれたお客さんにはいっぱい楽しんでもらえたよね。それでいいや。

 顔を上げた店長が会場をぐるっと見回した。


「本当は、クリスマスらしくキャンドルを灯して合唱したいところなんですが、ホール内は残念ながら火気厳禁なんですよねー」


 どっ! わはははははっ!


「入場の時に、プログラムと一緒にサイリウムをお渡してあります。真ん中を折り曲げるときれいに光り始めるはずです。どうか、それをキャンドルに見立ててください」


 席から立ち上がったお客さんが、あちこちでサイリウムを折る。暗いホール内に、とりどりの蛍光色の光が輝き出す。わたしたちも、サイリウムを両手に持ってスタンバイ。一気に華やかになった客席を見回しながら、わたしたちはステージの一番前に横一列に並んで、店長のギターに合わせて声を張り上げた。


「きよし この夜

 星は 光り

 救いの御子は み母の胸に

 眠りたもう ゆめやすく


 きよし この夜

 み告げ受けし

 羊飼いらは 御子のみ前に

 ぬかずきぬ かしこみて」


 かあん! からあん!

 からん! からあん!


 曲の最後に大山さんがハンドベルを鳴らして、クリスマスの荘厳なムードを盛り上げた。その音の余韻がまだ残っているうちに、店長がさっと手を差し上げた。


「本日は、クロスパッションフォーのコンサートにお越しいただき、本当にありがとうございました。この後、受付けの横でCDの即売を行います。いいなと思われたお客様は、この機会にぜひお買い求めください。これにて、マスダ楽器主催のクリスマスコンサートを終了いたします。長らくのご静聴、ご声援、本当にありがとうございました! どうぞお気を付けてお帰りください」


 ぱちぱちぱちぱちぱちっ!

 拍手といっぱい揺れるサイリウムの光。華やかなムードをたなびかせながら、無事コンサートが終了した。はあ。なんとか無事に終わったあ。よかったー。

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