第三話 トラブルの予感

 どうしてもテンションの上がらないわたしのことなんかお構いなしに、クリコンの準備は着々と進んでいった。


 二部構成仕立てのコンサート。ポスターとチラシが出来上がって、案内状が生徒さんに郵送され、店内や近傍商業施設にポスターが貼られた。お店のサイトにもコンサート予定がアップされて、もう問い合わせやチケット購入の申し込みが来てる。店長の目論見通り前売りチケットが順調にさばけてて、この分なら足が出ることはなさそうだと明るいアナウンスが出た。スタッフとしては一安心。でもお金のこととは別の問題が出てきて、そっちの方は不安がいっぱいだ。


 クロスパッションフォーというユニット。確かに実力はある。店長からもらった彼らの自主製作CDを聞く限り、メンバーそれぞれの技量はとてもハイレベルだ。アンサンブルも息が合っていて、アドリブもこなせる。女性ボーカルの浜草さんが書いてる曲や詞も、世界観がきちんと構築されていてすごいと思う。メジャーな芸プロが、CP4の売り込みに応じて仮契約に踏み切ったのもよく分かる。

 それなのに、なぜ『仮』のままなの? なぜ会社から積極的にプロモートしてもらえないの? わたしは、それがずっと気になっていた。そして、リハの立会いで出かけたチーフの串田さんが冴えない表情で戻ってきたのを見て、なんとなく理由を察した。このバンド、きっと訳ありなんだろう。


「串田さん、お疲れ様ですー。リハ、どうでした?」


 丸めた進行管理表をレジカウンターにぽんと放った串田さんが、思い切りでかい溜息をついた。


「はああああっ!」


 何かあったんだな。

 諦めたようにわたしの方を向いた串田さんは、事務的にすぱっと話を切り出した。


「ねえ、佐竹さん」

「はい?」

「次回のリハは、うちの定休日と重なってる。でも、スタッフはリハに全員集合ね。店長が、順次振り替えるから休出よろしくってさ」

「うわ。なんでまた」

「あれじゃ、ねえ」


 スタッフの中でも一番温厚で滅多に怒らない串田さんが、珍しくいらいらしてる。


「ボーカルの浜草さんが、とにかくルーズなのよ。全然時間を守らない。すっごくいい加減」

「げえええっ!」

「佐竹さんに無理を言って、ぎちぎちに予約が入ってるスタジオベルエアの大スタ取ってもらったのに、リハの開始時間に来てないの」

「なんすか、それえっ!」


 ぶちぶちぶちぶちぶちっ! 血管が切れそうになった。いや、切れたかも。三か月も前から予約取ってた人の前で土下座しまくって、ベルエアのナベさんに何度も泣きついて、無理っくり空けてもらったんだよ? それを……あんのやろおおおおおおおおおっ!


 もしその女がわたしの真ん前にいたら、速攻で顔面にハイキックをぶち込んでいただろう。だてに少林寺は習ってないぞ! わたしの超不穏な闘気に怯えたのか、串田さんがじりっと下がった。


「彼女が来たのは、確保した時間の終了五分前よ。一曲やって終わり。いくら腕のいい人ばかり集まってるって言っても、演奏だけのことじゃ済まないでしょ。進行管理する私たちのことなんか、これっぽっちも考えてないってことよね」

「むっかつくぅ! 超態度でかいですね」

「そうなの。全員ていうわけじゃなくて、浜草さんがね。他の三人はちゃんと時間前に揃ってる。確かにユニットの看板は浜草さんのボーカルだけどさあ。あの傍若無人な振る舞いは論外よ」

「大スターってわけじゃないのに」

「そ。でも、ダメならまたアマに戻って好きにやればいい。そういうだらしなーい姿勢が漏れて見えちゃうの。店長も、そこまでは見抜けなかったんじゃない?」

「ううー」


 串田さんも相当キてるんだろう。怒りを押し殺しながら全員集合の理由を説明した。


「次のリハで、スタッフ全員でプレッシャーをかける。そうしないとなめられるからね」

「なんだかなあ」

「とにかく、チケット買ってくれたお客さんがいる以上、コンサートは成功させないとならない。無事に終わるのかしら。胃がぶっ壊れそう」


 お腹を押さえた串田さんが、よろよろと店長との打ち合わせに行った。


 そうか。それでか。成功願望が強すぎるのも問題だけど、石に食らいついてでも自分を売るんだっていう根性を見せないと、芸プロで押してもらえない。でも、ボーカルの子には強い向上心やアピールの姿勢がないんだろう。曲や歌いっぷりを見る限り自意識は十分強いと思うんだけど、それをしっかり売り込む気がない。わたしの実力をもってすれば認めるのが当たり前でしょみたいな、変なプライドだけ高いんだろなあ。

 はん、バカっちゃうか! だから芸プロも飼い殺しにしてるんだろさ。自力でドサ回りしなさい。手伝いはしてあげるけど、いつまでもアマ上がりの意識なら本契約はしないよってこと。彼らに本気でプロでやる覚悟が出来るまでは『仮』を取らないんだろう。


 あーあ。まあ、連中がどうなろうが知ったこっちゃないけどさ。クリコンに組み込んでしまったうちの店が連中のとばっちりを食っちゃうのは、あまりにヤバ過ぎる。コンサートの収支がどうのこうの以前に、うちの店の評判を下げちゃうからね。

 それにしても、あのしっかりした店長がどうしてそんな訳ありを引っ張ってきたんだろう? うーん、謎だわ。


 腹は立ったものの、まだわたしにとってはささいなトラブル。でも、トラブルの種子タネはわたしの予想をはるかに超え、ありえない形で膨らんでしまった。わたしの運命を変えてしまうほど大きく、ね。

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