夢見の平原

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「あれ、何処だっけ此処……?」

 コータが気が付くと、彼が歩いているのは、びゅうびゅうと生臭い風の吹き抜ける、薄暗いトンネルの中だった。

 彼が踏みしめている道は、舗装されていない湿った土、見たことも無い苔や茸がそこいら中に生えていて、紫やオレンジの燐光を放っている。

 そしてトンネルの壁面は、おかしなもので出来ていた。

 それはいばらだった。コータが歩いているのは、その内側からボンヤリと緑色の燐光を明滅させた、どこまで続いているのかもわからない、奇妙ないばらで出来た洞の中なのだ。


「くそー出口は! 出口は!」

 コータが出口をさがして、あてども無くトンネルの奥へと進んでいくと、


「くすん……くすん……」

 どこからか、誰かのすすり泣く声が聞こえて来た。


「あ……!」

 コータは気づいた。

 薄暗いトンネルの路傍でうずくまり、長い黒髪を震わせながら貌を両手で覆って泣いていたのは、浅黄色のワンピースを身に纏った一人の少女だった。


「きみ、どうしたの、こんなところで……?」

 コータが怪訝に思って、少女にそう声をかけると、


「苦しいの。怖いの……」

 少女は貌を覆ったまま肩を震わせながら、コータに答えた。


「苦しい? 怖い? なんで?」

 どうしてよいかわからずに、ただそう繰り返すしかないコータに、


見える・・・からよ」

 か細い声で、少女が答えた。


「見えるって、いったいなにが……?」

 余計に訳がわからなくなって、コータが少女にそう尋ねると、


「この世の裏に在るモノ、底に在るモノ、まことなるモノ、抗えざるモノ、そして私を捕えて離さないモノ……!」

 少女が路傍からゆっくりと立ち上がって、コータの方を向いた。

 豊かな黒髪をなびかせた、整った貌立ちをした少女だった。

 だがその顔はかたくこわばり、その表情には何かが欠け、その眼は、何か此処に無いものをジッと凝視しているかの様だった。


「うう……」

 我知らず、コータは呻いた。

 少女の貌に、見覚えがあった気がする。

 彼女に、何かとても悲しくて辛い思い出があったような気がするのだが、良く思い出せない。

 コータは混乱した。

 ついこの前知り合ったような、いや、ずっと前から知っていたような……?


「『闇』よ……」

 コータを見上げてそう答えた、少女の瞳の中は虚ろ。その目から頬を伝うのは真っ赤な涙。


「一度それを見て・・しまったら、それに見られて・・・・しまったら……もう二度と元の世界には戻れない。もとの私にも戻れない……」

 譫言のようにそう呟く色を失った唇は、畏れで細かく震えていた。

 コータは、いたたまれなくなった。

 彼女を救いたかった。彼女を元気づけたかった。彼女に笑ってほしかった。


「大丈夫だよ……」

 少女の肩に手をかけて、彼はおずおずと彼女に言った。


「『そいつ』がどんな奴だか知らないけれど、君を捕まえたりさせないよ。俺が守るから。さあ、ここから出よう。みんな・・・のところに帰るんだ……」

 自分でも恥ずかしくなるくらい、勇ましい言葉が、思わず口を突いて出た。

 みんなのところ……『みんな』っていったい、だれだったっけ?

 それすら思い出せずに、コータが心中で自問していると、


「本当に?」

 少女が、縋るよな目でコータを見つめて、


「うれしいわ。コータさん……!」

 彼の名を呼び、彼の手を握った。


「うあ……!」

 コータは胸の動悸が早まって、顔が真っ赤になっていくのが自分でもわかった。

 その時だった。奇妙な事が起きた。


「ダメダ! 逃ガサナイゾ!」

 トンネルの中に甲高い、奇妙な声が響きわたって、


「えな……! オ前ハ私ノモノ……!  オ前ハ私ヘノ供物……! オ前ノ『力』ハ我ガ為ニアルノダ!」

 嘲笑うような声がそう告げると、トンネル全体がゾワゾワと蠕動を始めて、その地面から、その壁から、おかしなものが生えて来た。

 緑色の、棘持つ薔薇のかずらだった。


「オ前ノ『力』ヲ、オ前ノ好キニ使ウ事ハ許サン!」

 甲高い声が少女にそう言うなり、蔓は見る見るうちにエナの周囲を覆うと、その棘で少女の手足を傷つけ、その棘で彼女のワンピースを引き裂いて行く。


「いや……!」

 薔薇の蔓を必死で振り払いながら、少女が恐怖の叫びを上げた。


「エナ……!」

 コータは今、やっと、少女の名前を思い出して、


「逃げるぞ!」

 ガサガサガサ……。

 自分の腕が傷付き血塗れになるのも顧みずに、素手で蔓を引き裂いて、少女の手を引いて、全力でその場から駆け出したのだ。


 ハアハアハア……


 息を切らせて、二人は走る。


 ザワザワザワ……


 壁から、天井から、更に幾筋もの蔓が伸びてきて、少女を、コータを捕えようとする。


「どりゃあああ!」

 咄嗟にコータは、右手の『剣』で、襲いくる蔓を薙ぎ払った。


「え……?」

 コータは戸惑った。

 いつの間にか彼が右手に握っていたのは、眩く輝いた一振りの白銀の長剣だったのだ。

 そしてコータが気付けば、彼が身に纏っているのは、赤金と黄金の色に輝いた、雄々しい騎士の鎧だった。

 ボオオオ……剣に払われた荊が、奇怪な緑色の炎に包まれながら、見る間に千切れて、干からびていく。


「コータさん。私を守ってくれたのね、嬉しい……!」

 コータの腕に縋って、少女が彼に囁いた。


「エナ……」

 コータは少女を見て再び動転した。

 蔓に裂かれて傷ついたはずの少女の手足は、いつの間にか創一つない。

 引き裂かれたはずの浅黄のワンピースが、気付けばビロードで優美に仕立てられた真っ赤なドレスに変わっている。

 

「コータさん……もっと逃げよう、もっと『向こう』に。より遠くまで、さらなる『彼方』まで!」

 少女が、コータの手を強く握りながらそう叫ぶと。


「ああ、わかったエナ!」

 少女に応えてコータは、白銀の剣を振り、四方から襲い掛かる薔薇の蔓の腕を切り払う。

 ボオボオと白銀の剣から放たれた緑の炎が荊のトンネル全体を、舐めるように覆っていき……


 ハラリ。


 突然に、トンネル全体が、『剥がれた』。『晴れた』。


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「これは……!」

 コータは茫然として辺りを見回した。

 いつのまにか二人が走っていたのは、どこまでも広がる果しない平原だった。

 そこは、不思議な場所だった。

 頭上を見れば、陽も見えないのに雲ひとつ無く透き通るような蒼穹が清明と広がり、まるで目前に空が落ちて来そうな錯覚に陥る。

 どうどうと吹き抜く風がコータと少女の体を叩いた。

 風は見渡す限り続く草原を揺らしてはその貌を深緑に、若草にと絶え間なく変えて行く。

 草原のそこかしこに湛えられた巨大な水溜りは空を映して鏡のように輝き、コータには何時いつか何かの本で見た、外国の湖水地方を思わせた。

 それらの淵を通るときだけは、冷たい水面を渡るためだろうか、風は氷のようになってコータと少女の身体を打った。

 だが、何よりもコータの目を引いたのは、広大な野に点々と建つ、灰色の折れた石柱や崩れた壁の一部、草間から覗く石畳といった、何か巨大な石造建築の名残りと思われる、廃墟の一群だった。

 昔、此処に都市が在ったのだろうか……広い草原全てを覆って?


「エナ、此処は、一体何処なんだ……!」

 訳がわからずに、少女に尋ねるコータに、


「はじまりの無い場所。終わりのない場所。全ての人が夢に見る場所。原因も無い。結果も無い。罪も、罰も、因果も無い。行きましょう。此処なら、厭なモノ・・・・は何も追ってこない。ずうっとコータさんと一緒に居られるわ……」

 少女はウットリとした表情で、空を仰いでコータにそう言った。


 その時だった。

 ゴオオオ……突然、平原全体を震わせるような轟音が辺りに響いて、真っ青な空から、『何か』が降って来た。


「あれは……」

 コータは空を見上げて息を飲む。

 降りて来るのは、空全体を覆い尽くすような空中に浮いた鉄の塊。

 巨大な『宇宙戦艦』の、何千隻もの大艦隊だったのだ。


「そう。コータさんは『ああいうの』が好きなのね……」

 少女が、少し呆れたようにそう呟くと、


「でもいいわ、コータさん。私と一緒にアレと戦って。一緒にアレをやっつけて!」

 コータにそう言って微笑みかけてくる少女の背中から、ゴオゴオゴオ、真っ赤に燃え立つ大きな炎の翼が生えて来た。

 バサリ。少女が炎を羽ばたかせて宙に舞った。


「さあ、コータさんも飛んで・・・!」

 少女にそう言われてコータが気付けば、彼の背中に在るのもまた、純白の羽毛を靡かせた大きな『天使の翼』だった。


「ああ、わかった、エナ!」

 なぜだか少女の言う通り、空からやってくる『敵』と戦わなければいけない使命感を覚えて、コータも自分の翼を羽ばたかせて、飛んだ。


「こっちよ。こっちよ。コータさん」

 少女の導きで、コータが蒼穹を飛ぶ。


「ああ、わかった、エナ!」

 コータは白銀の長剣を構える。


 ガコン。戦艦の一隻が巨大な砲門をコータに向けて来た。

 コータは左手の盾を構えて攻撃に備える。

 敵は、すぐ目と鼻の先だ。


 だが、その時だった。


 ……   さん! ……コータさん! ……コータさん! ……コータさん! 


 遥か空の彼方から、そうコータを呼ぶ声が響いて来て、


 ザザアッ! コータの天使の翼が、羽毛の塊になって、バラバラと空中に四散してゆき、


「うおわあ!」

 堪らずに地面めがけて落下してゆくコータの、手が、足が、その身体全体が見る見る薄らいで、この場から消えて行く!


「なんでだよ~!」

 情けない声を上げるコータ。


「そうか……コータさんは『まだだめ』なんだね……」

 少女が寂しそうに呟くと、薄れゆくコータを見下ろして言った。


「でも大丈夫。またすぐに会えるわ。それにもう少しすれば、あなたもずっとずっと此処に……」

 少女が、悪戯っぽくコータに笑う。


「エナ……! エナ……!」

 少女に手を伸ばしながら、コータは地上に落ちてゆく。


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「エナ!」

 コータは目を覚ました。

 彼が寝かされていたのは、すっかり暗くなった学園の体育館。

 「保健室」に該当する区画の布団の上だった。


「『コータ』……さん。大丈夫? 随分うなされていたけど?」

 コータの傍らにいたのは、リュウジの姪。茉莉歌だった。


「茉莉歌……ちゃん……どうしたの? こんなところで?」

 覚えがめでたいとは言い難い自分の付き添いに、なぜリュウジの姪が?

 そう思って目をシバシバさせるコータに……


「あの……お願いがあって。コータさんにも、一緒に来てほしいの。リュウジおじさんの様子が、何かおかしくって……」

 茉莉歌は、頼みずらそうな表情で、コータにそう言ってきたのだ。


「リュウジが?」

 コータは、布団から起き上がった。

 傷ついた体は、誰かが手当てをしてくれたのだろう。

 包帯でグルグル巻きだったが、動くのに差しさわりは無い。

 痛みも既に引いていた。

 コータは立ち上がり、茉莉歌の先導で体育館の出口に歩き出した。

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