第8話 宵闇堂(後編)
告白しよう。実は僕、こういうお人形さんが好きなのかもしれない。
いや、勘違いしないで欲しいのは決していやらしい意味ではないということだ。
なんていうかこう、純粋に可愛らしいと思うのだ。
例えば、同じクラスで友人の田所くんは美少女フィギュアを沢山持っている。
「萌え萌え」と煩く騒いでクラスでは失笑を買っていて、僕もスマホで撮られた彼ご自慢の美少女フィギュアコレクションを見せられながら、「やれやれ……田所くんってば欲望に正直だなぁ」なんて興味ないふりをしていたのだが……。
帰宅するや否やネットで美少女フィギュアを検索しまくったのはここだけの秘密にしておきたい。
特に黄昏先輩あたりにばれたら死ぬまでーーいや、死んでもからかわれるだろう。
万全を期して隠し通さなければ!
……えっと、話が逸れた。
つまりはだ、こう、なんていうか、そわそわわくわくしているのだ。
僕の目の前でちょこんと座る人形は、透き通るような瞳と陶磁器を思わせる白い肌をしている。
肌触りは……うむ、すべすべだ。うーん、プラスチックでできているのかな? それともソフトビ?
これはアンティークというよりも、普通のドールだと思う。
そういえばこの人形、あまり古いものではないと黄昏先輩は言っていた。
この様な高級人形は今でも一定の人気があって、根強いファンがいる。
少々値段は張るが、一定の根強いファンが居るらしい。
田所くんが持っていたフィギュアとはまた少し違ったジャンル、ということなのだろう。
人形を見つめる。
曰く付きとは言われているが、多少夜中に動き出しそうな雰囲気を持っているもののそこまで不気味という感じでもない。
だがこの人形を見つめていると少しばかり残念な気持ちになってくる。
見た目が相当によろしくないのだ。
容姿という訳ではない、薄汚れているという意味合いでだ。
髪もぼさぼさで、本来なら薄い青と白が美しいであろうフリルのドレスも埃で汚れ、鈍くよどんでいる。
ぞんざいに扱われたことがひと目で分かってしまうような有様だった。
ただ単純に汚れていて見た目から不気味に思われているだけじゃないのだろうか?
だとしたら僕のところに預けられた理由もわかる。
きっと黄昏先輩は僕をからかっていたのだ。
ほんとう、ひどい先輩だなぁ。
とは言え、このお人形の扱いが悪かったという事実は変わらない。
「前の持ち主はちゃんと扱っていたのか? こんなに綺麗な人形なのに、何を考えていたのやら……」
じぃっと人形の瞳を見つめながら、思わずそんなことを口から漏らす。
すると不思議なことに、目の前の人形が僕に助けを求めているような気持ちになってきた。
助けて、助けてと言っているのだ。
この僕に、かわいらしいお人形さんが。
「田所君、ごめんよ……」
心の底から田所君に謝罪の言葉を述べる。
あの日、「男の子はみんなお人形遊びが好き」と力説する彼の言葉に思わず否定してしまったことを思い出したからだ。
僕が間違っていたよ田所くん。あまりおおっぴらにはできないが、僕は今日から君をリスペクトしたいと思う。
……俄然僕はやる気になってきた。
調子に乗ってきたとも言う。
そう、この時の僕は完全に調子に乗っていたのだ。
悪い癖だ。だが直すつもりはいっさいない。
僕の意識は常に前を向いている。
だからこそ、まぁ、なんというか、あの様な面倒なことになったのだとも言えるのだが……。
気がつけば、僕は自慢のスマートフォンでブラウザアプリを開いていた。
こういう時こそネットの出番である。
僕は凝り性なのだ。一度やると決めたら絶対に。
預かりもの? 知ったことではない。僕がやりたいからやるのだ。
幸い本日は僕一人、お姫様をおもてなしするには十分な環境が整っている。
口うるさい母親も、最近仲が少々よろしくない妹も今日は出かけている。
父は哀れなことに休日出勤だ。
となれば今この瞬間、僕こそが一国一城の主なのである。
つまりはやりたい放題。
こうして僕はネットで調べたドールの手入れを試すべく、目の前のお人形さんの服に手をかけるのであった。
………
……
…
気がついたら朝だった。
そしてベッドで眠る僕の目の前には裸のお人形さん。
心なしか頬が赤く染まっているような気がしないでもない。
まて、なにがあった?
混乱する頭を振りながら昨日のことを思い出す。
そうだ、人形のお掃除をしたのだ。
あの後ネットで様々なことを調べたうえで、人形の掃除は深夜まで及んだ。
わざわざ田所くんの家にまで押し掛けて強奪したフィギュア用のクリーニングセットを使っての作業はそれはもう大変なもので、僕がこういった行為が初めてなこともあって上手くいかず少しばかり時間がかかってしまったのだ。
よし、ここまではいい。
時計の針が10時を指しているのも問題ない。昨日は土曜で、今日は日曜日。
学校は当然休みなので、ゆっくりと布団でまどろむ事ができる。
ここまではOKだ。
――それで、なんでお姫様は全裸なのだろうか?
僕が脱がしたのは確かに覚えているような気がするが……彼女の服は、そうだった、陰干ししていたのだ。
あまり作りのよくない既製品だったので、多少乱暴にあつかっても問題ないと、衣服用の中性洗剤で揉み洗いの上に日陰で干していたことを思い出す。
幸いにも、二階にある僕の部屋、そのベランダの外からは見えない部分に置いてあったため家族が帰宅した後もバレることはなかった。
もっとも、比較的プライベート空間に無理解な我が愛すべき家族が僕の部屋に突撃してこなかったのは幸運以外の何物でもないけれども……。
「うーん、家族に見られたら死ねる」
僕は家族の目を盗みながらこそこそと人形の服を取りにベランダへと繰り出すのであった。
*
さて、あれやこれやという間に一週間が過ぎた。
明日は黄昏先輩にお人形さんを返却する期限だ。
曰く付きのお人形と言われたが、残念と表現するべきか、はたまた幸運と表現するべきか、僕の身の回りで人形に起因する不可思議な現象は発生しなかった。
朝気が付いたら布団の隣で寝ていてギョッとしたことがあった位で、それもよくよく思い出してみれば夜中にトイレに起きて寝ぼけたまま、なんだか人形が寂しがっているように見えて布団に連れ込んだだけだ。
ある日のことだが、夜中にがたがたと何かが動く音がなり、ぎょっとしたこともある。
だがこれも考えてみれば僕の家にはもう一人同居人がいたせいで起こった出来事だろう。
猫のみーちゃんだ。
みーちゃんはとっても元気な夜行型なうえに、昼間寝て夜盛大に遊ぶという素晴らしくロックな生き方をしている猫で、僕もその姿勢をたびたびリスペクトしていた。
恐らく犯人はみーちゃんだろう。
どうやら彼女の本領は深夜において発揮されるらしい。
まったく、みーちゃんてば実にお元気さんだなぁ。
リビングでお昼寝中のみーちゃんを起こさない程度に撫でながら、僕はこの出来事に脳内で問題なしと判子を押す。
その後もまぁいろいろあった記憶があるが、よくよく考えるとなんら不思議な出来事ではなかった。
おそらく、世の心霊現象の大部分もこのような勘違いから来るのだろう。
怖い、怖いと思っているから何でも心霊現象に結びつけてしまうのだ。
そういう意味では、お人形は被害者かもしれない。
僕の家で心の傷が癒えてくれたのなら幸いだ。
「しかし君とももうすぐお別れかぁ、少し寂しいね」
奮戦の結果、多少は輝きを取り戻した金色の髪をなでながらお人形さんに語りかける。
なぜかその表情が寂しそうに見えたのは、僕の気のせいだろう。
こうして、少し不思議な、僕と人形の一週間は過ぎ去った。
* * *
「呪いの人形だったんだけどなぁ……」
約束の日、僕を見て開口一番そう言い出した黄昏先輩を僕は一生忘れないだろう。
この人……いまなんて言いやがったんだ?
「な、なんでそんなの僕に渡したんですか!?」
「いや、別に君に対して悪意があるわけじゃなかったからね。元々は大切に扱われていたものだったんだが、ぞんざいに扱われていたみたいでね。少し持ち主に乱暴しちゃったみたいなんだよ」
「だからなんで僕に渡すんですか!」
人形をじっくりと見聞しながら、まるで僕が悪いと言わんばかりにそう言い放つ黄昏先輩。
若干不機嫌な様相で、むしろなんで呪いの人形を押しつけられた僕が理不尽に文句を言わねばならぬのかと混乱してくる。
というかこの人はまだ僕をからかっているのではないだろうか?
別段おかしいことはなかったし、僕と人形の関係はとても良いものだった。
あっ、わかった。きっとお人形さんを勝手に綺麗にされたから不機嫌なんだ。
汚れているほうが古物っぽくて希少価値がでるとかだろうか?
だとしたらご愁傷様。田所くんをリスペクトした僕に人形を渡して、そのままなはずがないだろう。
「だって、ここや部室に置いておくと悪い影響を受けたり与えたりするからさ。誰かまったく関係の無い場所でしばらく落ち着かせたかったんだよ」
「他に頼れる友達とかいなかったんですか? 僕なんかよりもクラスの女友達とかの方が適任でしょう?」
「…………」
「…………」
無言の時間が過ぎたのであわてて咳払い。
この話題はやめやめ! 今重要なのは黄昏先輩がぼっちなことじゃなくて、僕が理不尽に呪いの人形を渡されたことだ。
罰の悪さを感じながら、黄昏先輩への文句を重ねる。
「えっと、話題を戻しましょう! 僕にそんな物を渡すなんてひどいです!」
「そうだな、私の交友関係の話は一旦置いておこう。さしあたってはこの人形の話だ」
「の、呪いの人形――なんですよね?」
「その通り、君は大丈夫だと思ったんだけど、それが……まさかこんなことになるとは。私も少し軽率だったかなって思ったよ」
「まさか、僕の身に呪いが……!?」
そういえば無性にあの人形のことが気がかりになっている。
今でも人形をさわりたくて仕方がない。
今朝なんて通帳の残高を確認して、その金額にため息をついていた。
もう
もしかして、僕が知らぬまに人形に魅入られてしまっているのではないだろうか?
「や、逆だよ。逆。君がその子を傷物にしたんじゃないか」
「……へ? いや、傷物も何も、傷なんて一つもつけてないですけど」
むしろ洗ってあげたし、自慢するわけじゃないけど連れ返ってきた時よりも美人さんになっている。
僕は白く輝く
「女の子を裸にひん剥いて、その柔肌を舐めまわすように見つめておきながら、知らぬ存ぜぬとは良い度胸じゃあないか」
「えっ!? えっ!?」
なぜばれた!
僕は不自然なまでに視線をキョロキョロと動かし、何かこの話題を逸らすものがないかと慌てて思考を回転させる。
だが現実はいつだって無情だ。
店の奥からニヤニヤとこちらを窺う雲ばあさんを見つけただけで、他に何も見つけることはできなかった。
あっ、きらきらと輝く
ずずい。
黄昏先輩が一歩近づいてくる。
指先を僕に突きつけ、まるでその罪を告発するかの様だ。
「しかもなにかい? 恥ずかしがるその子を無理やり自分のベッドの中に引きずり込んだそうじゃないか。なんて破廉恥なんだ、聞くだけで顔が真っ赤になってきそうだよ。なにかい、君は前世ではジゴロか何かだったのかい?」
「いや、えっと、ちが……」
ぜーんぶばれてらぁ……。
僕は降参する。
どうやら僕に手渡された人形は本当に曰くつきだったらしい。
人形は生きている……か。女子はすぐに男の秘密を友達にバラす、なんて話を聞いたが、まさか現実として自分の身に起こるとは。
「とりあえず、お姫様は悪い狼さんにお返ししておこう。このままじゃあ私が祟られてしまうからね」
「えっと……」
「お慕いしているそうだよ。良かったね、色男」
手元に華織ちゃんが戻ってくる。
「やぁおかえり
憮然とした態度の黄昏先輩は僕と視線があうとぷいと顔を背けてしまった。
僕は女性の機敏はわからないし、斜めになった機嫌を元にもどす方法なんてさらに難易度が高い。
先ほどニヤニヤと視線を向けてくる雲ばあさんでは些か不安が残るが、もうどうにでもなれと助けを求める。
「く、雲おばあさん! 何か言ってくださいよ! なんていうか、こう、誤解なんですよ!」
「あるべき所に流れたんだねぇ、この色男さん」
案の定の雲ばあさん。
そのまま、ひぇっひぇっひぇっ、と笑うと家の奥へと引っ込んでしまった。
わかっていた。こうなることはわかっていた。
あの人は黄昏先輩のおばあさんなんだ。
だったらこの場で仲裁なんてするわけもなく、慌てふためく哀れな男子をツマミにお茶でも飲むのが道理だろう。
いまだっておそらくお湯を沸かしに行ったのだ
窮地に陥った僕を見ながら飲むお茶はさぞかしうまかろうて……。
「な、なんで僕がこんなめに……」
嘆き落胆する。
……が、その腕でしっかりと華織ちゃんを抱きしめており、さらには今度の休日に彼女のお洋服を買う算段をたてている辺り、僕も以外と大物なのかもしれない。
まぁ良い。
これ以上この場所にいると黄昏先輩がさらに不機嫌になりそうだし、ここは一つ時間が解決するのを待つとしよう。
それまで華織ちゃんをもっと美人さんにするのだ!
ふと、僕に腕の中で華織ちゃんが動いたような気がして、チラリと様子を窺う。
気のせいか、それとも夕日の照り返しか。
人形の頬は、ほんのりと赤らんで見えた。
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