第7話 宵闇堂(前編)

「はいはい。ようこそおいでになったねぇ」

「あっ、こんにちは……」

「礼儀正しい、良い子だねぇ」


 目の前には年老いたおばあさん。場所は昔ながらの町並みが色濃く残る風情ある下町の一角。

 まるでそこだけ昭和にタイムスリップしてしまったかのような店先で、僕はそのおばあさんの出迎えを受けていた。


 おかしい。

 僕は今日、初めて黄昏先輩の家にお呼ばれしたはずだ。

 何か頼みごとがあるとは先輩の言葉だったが、理由はどうあれ女子の家に呼ばれたことなんて小さいころ幼稚園で仲の良かった愛ちゃん以来なわけで、緊張と興奮、そしてかすかな期待を胸に秘めてやってきたのだったが。

 伝えられた住所は間違っていない。

 先輩の家は古物店? をやっているらしいのでここであっているはずだ。

 なのに店の引き戸を開けて元気よく挨拶してみればこの有様だ。

 せっかく先輩にこの前買った新しい服を見せてやろうと思ったのに、出鼻をくじかれた気分だった。


「竜胆君。時間通りピッタリきたね」


 先輩の祖母であろうおばあさんに黄昏先輩を呼んでもらおうとした時だった。

 店の奥よりカラカラとサンダルを鳴らしながら若干ラフな格好で先輩がやってきた。

 ラフな格好の先輩も良い。


「こんにちは先輩」

「やぁやぁ、私のお祖母ちゃんだ」

「雲ばあさんと呼んでおくれよ」


 僕の挨拶をひらひらと手を振り受け取ると、早速とばかりに紹介されたのは先ほど僕の挨拶を褒めてくれたおばあちゃんだ。

 ……いくつくらいだろうか?

 背は完全に曲がっており、落ち着いた色合いの和服を着こなしながら杖をつくその姿はまるで物語に出てくるおばあちゃんそのものだ。

 だがハキハキとした態度と、見た目とは裏腹に感じられる強い威圧感にも似た雰囲気が僕を奇妙な気持ちにさせる。

 きっとこの雲ばあさんも、黄昏先輩と一緒で一癖も二癖もある人物なのだろう。

 漠然と、そんな気がした。


「てっきり僕は黄昏さんが何らかの事情で年老いてしまったのかと思いました」

「そんな悲劇があってたまるか」

「面白い子だねぇ。飴ちゃん食べるかい?」

「ありがとうございます。僕、飴ちゃん大好きなんですよ」


 雲ばあさんから飴ちゃんをもらい、いつもどおり先輩へと軽口を放つ。

『焼肉定食』と書かれたセンスもへったくれもない謎のTシャツを着る黄昏先輩、そのヨレヨレした首元からうっすらと見える白いうなじに目を奪われそうになりながら、気取られまいと心を強く保つ。

 これだけでも今日ここに来たかいがあったというものだ。

 口の中で転がる飴も程よく甘く、本日は良い天気である。非常によろしい。

 黄昏先輩が絡むと僕はいつもこんな感じだ。終始この様に浮ついた気持ちでいるから、毎度迷惑を被るのだろう。

 ただ、この時はそんなことすっかりこっきり頭のなかから消え去っていたのだ。

 僕のいつもの悪い、けど直す気があまりない癖である。


「それで黄昏さん。僕は部活動と称して突然呼び出されたわけですけど。ここに何があるんですか? えっと、その……このお店ってそもそも何を扱っているんです?」


 お店の中はさほど広くはない。

 イメージするのなら小さな駄菓子屋だ。お菓子の代わりに見るからに怪しげなものが並べられていると考えればわかりやすいだろう。

 雑多なものでひしめき合っており、その様相はまるで黄昏先輩が我が物顔で居座るあの部室と同じ雰囲気だ。

 ……いや、あの部室こそがこの古物屋の模倣なのだろう。

 黄昏先輩の家はほそぼそと商売をやっていると以前聞いたことがあったが、ここまでほそぼそとしているとは僕も予想にはしなかったが。


「この店――ああ、宵闇堂って言うんだけどね。ここは表向きは古物店で全国津々浦々から送られる様々な珍品名品を取り扱っているんだ」


 珍品名品と先輩は言った。

 だが僕の二つある瞳には、明らかに面倒事を引き起こしそうな怪しげな品々が映るばかりだ。

 例えばあの無造作に置かれた錆びた包丁。

 値札が貼られているが、まるでこびりついた血の跡のような赤錆が、嫌な想像をこれでもかと掻き立てる。

 それだけではない。

 何かが刻まれた石。欠けた茶碗。厳重に鉄釘で打ち付けられた木の箱。古い面。

 語るのも面倒になるくらい、ここにはいろいろなものがあった。


「それで、僕はなんの用事でここに呼ばれたのですか?」

「ふふふ、何だと思う?」


 僕は早速帰りたくなった。

 と言うかすでに帰る理由を探して頭をフル回転させている。

 これほどまでに考えたのは怒らせると怖い数学の田中先生に急に当てられた時以来だろう。

 むしろあの時よりも今の方が真剣かもしれない。

 遅いくらいに遅いが、僕はようやく面倒事に巻き込まれようとしていることに気がついたのだ。


「ここにはね、色んなモノが集まるんだよ」


 不意に訪れたその声は、まるで僕の心に響いて染み渡るかのようだった。

 思わず雲ばあさんの言葉に耳を傾ける。


「色んなモノが集まって、あるべき場所へと流れていく――そうやって、先代もこの商いを続けて来たのさねぇ……」

「いわくつきって奴ですか」

「世の中にいわくの無い物なんてないんだよ。大なり小なり、そのモノには歴史が込められているのさ。

 ――それが人にとって悪さをするかしないか。それが問題なんだねぇ」


 ゾクリと、何かが背筋を撫でた感触があった。

 恐怖や不安というわけではない。どこか別の世界に踏み込んだ様な雰囲気だ。

 今まで見えていた雑多な品々が、今度は逆に僕をじぃっと観察して値踏みする。そんな不思議で奇妙な感触を覚えた。


 僕の心を包み込んでいたその不可思議な空間は唐突に前触れもなく霧散した。気が付くとニコニコと何が楽しいのやら、酷くご機嫌な先輩が店の奥から戻ってくるところだった。

 どうやら何かいわくつきのモノでも漁っていたらしい。

 案の定その手にはアンティークドールが収まっている。

 僕の心にある警鐘が、いっそう高く鳴り出した。


「そんな訳で、持ちだしたるはこの人形。ちょっぴりいわくのある物で、先週持ち込まれたんだけど、これを竜胆君に少しばかり預かって欲しいんだ」


 ……そら来た。案の定来たぞ。

 僕の予想通り、本日もまた無理難題を言いつけられ、面倒事に巻き込まれた事実を確信する。

 なんで僕が預かる必要があるんだ。何がそんな訳で、だ。

 いろいろと尋ねたいことは山程あるが、それを聞いたところで面倒臭がってあまり詳しくは教えてくれないだろう。

 黄昏先輩はそういう人なのだ。


「一週間ほどで良いかのぅ」

「その位あれば十分だと思うね」


 手にもつ人形を何やら見聞しながら、黄昏先輩と雲ばあさんは僕をそっちのけで話を進めていく。

 何やら盛り上がってどんどん具体的になる内容に危機感を覚え、慌てて二人の話に割って入る。


「ちょっと待ってください! 結局、その人形にはどういういわくがあるんですか?」

「……ふむ。竜胆君は人形に魂がこもるって言ったら驚くかい?」

「いいえ、別に。そういう怪談話はよく聞きますしね。まぁ大切にされた人形は持ち主に感謝するんじゃないでしょうか?」


 場当たり的な答えだったが、存外に間違っていないような気もする。

 大切にされた人形に想いがこもるというのは実際に好きな話だし、そうであって欲しいとも思う。

 もっとも、髪が伸びたりいつの間にか動きだしたりしたら困るが。


「人形はね。長い時を過ごすと魂を宿すようになるんだよ」


 優しい声音は、なぜかそうであると確信させるような不思議な力が含まれている。

 思わず頷き、雲ばあさんの意見に同意しそうになってしまうが、ふと重大な落とし穴を見つけてしまう。


「でもおかしいですよ。それなら世の中にある古い人形は全て魂を持っていることになるじゃないですか」

「持っているよ?」


 間を置かずに黄昏先輩が答えた。

 断言されたといっても過言ではない。むしろ何を当たり前のことを言っているのかと呆れられた向きもある。

 そんなことを言われても、僕が今までの人生で接してきた人形はどれもこれも魂なんて持っているようには見えなかったし、動いているところを確認したこともない。

 何を言おうかと戸惑っていると、僕の困惑を察してくれたのか言葉足らずな黄昏先輩に変わって雲ばあさんが助け舟を出してくれる。


「分を弁えているのさ」


 眉を顰めて首をかしげる僕に、雲ばあさんは「ふぇっふぇっふぇ」と思わせぶりに笑うと、ゆっくり幼子に諭すように続きを語ってくれた。


「人形だって自分が人間でないことをちゃあんとよくわかってる。どれだけ愛されても、どれだけ時間を重ねようとも、人間になれないことくらいはね」


 手に持つ人形――少し色あせた可愛らしい少女を模したドールの頭を撫でながら、滔々と。


「だからこの子達は口を閉ざすのさ。そうして大切なご主人様をそっと見守り続けるんだよ。いつか忘れ去られてしまっても、大切にされた日々を感謝しながら、ずっとずっとね。健気だと思わないかい?」


 ひょいと持ち上げられた人形。

 雲ばあさんは両手で持った人形を愉快に揺らしながら、『こんにちは!』なんて裏声で喋ってみせる。

 僕にはなぜかそれが本当に人形が喋ったように聞こえ、思わずこんにちはと返事をしてしまう。

 そんな僕の反応を見て、雲ばあさんはとても嬉しそうに笑っていた。


「出自の分からないアンティークドールだよ。作られた素材を見るにそう古いものでも無いらしい。どちらかというと最近の作品だね。調べればどんなメーカーか分かるだろうけど、あんまり意味はないと思うよ」


 気が付けば、いつの間にか僕の両手には件の人形が収まっていた。

 思ったよりもずっしりとした重量感があって、それがまるで本物の様に思える。

 ああ、この人形は生きているな。

 ぼんやりと、そんなことを考えていた。


「……で、どのようないわくがあるんですか?」


 ふと思い出し、問いなおす。

 けむに巻かれたような気持ちだったが、実際けむに巻かれたのだろう。

 嫌な予感はビンビンしている。この人形はどういったものなのだろうか?


「なぁに、ただ夜中に動き出すだけさ」


 雲ばあさんのあっけらかんとした物言いに、僕は急に冷静になった。

 人形を丁寧に近くの商品棚に座らせてやると、無言で両手を使ってバッテンを作る。

 二人はそんな僕の様子が目に入っていないようで、何やら会話に花を咲かせている。


「まぁ人形だって運動しないと身体がなまっちゃうし、気持ちは分かるね」

「はしゃぎたい年頃ってのは誰にだってあるものさ。それは人であれ人形であれ、黄昏ちゃんだってねぇ」

「おばあちゃん。私はもう高校生なんだから子供扱いはやめて欲しいんだけど」

「そうかいそうかい。ボーイフレンドも連れてくるんだし、もうあたしの知ってる小さな可愛い黄昏ちゃんじゃないんだねぇ」

「おばあちゃん!」

「ふぇっふぇっふぇ……」


「ご歓談中に悪いんですけど、僕はやるとは一言も言ってませんよ?」


 何やら盛り上がっている二人を制し、自らの意思をちゃんと伝える。

 両手は相変わらずバッテンを作ったままで、絶対に話を聞かないぞと自らの決意を表明している。

 僕はちゃんと主張ができる男なんだ。いくら黄昏先輩のお願いだからと言って、夜中に動き出す人形と一緒に過ごすなんて考えられない。


「え? なんでだい?」

「おやまぁ、こまったねぇ」

「むしろなんで二人とも僕がやると思ったんですか?」


 常識的に考えてほしい。

 夜中に動き出すとのいわくがあるアンティークドール。

 そんなのと一緒に過ごしたいと思う人間がいるのだろうか?

 常識とはずれまくった反応を見せる二人に、やっぱり血の繋がった祖母と孫だななんて感想を抱きながら、決して曲がらぬ金剛の決意を胸に秘める。


「給料出るぞ?」

「寸志だけどねぇ」

「詳しくお話を聞かせて下さい」


 金剛の決意はもろくも崩れ去った。

 常に金欠にあえぐ高校生にとってアルバイトの話は魅力だ。

 しかもアンティークドールをしばらく預かるだけでいいなんてこれほど割の良い話はないだろう。

 それに黄昏先輩もそこまで危ない件を僕に任せたりはしないだろうし、なんとかなるんじゃないかな? 僕は物事をポジティブに考えるのが得意なのだ。

 結局、この後に話はトントン拍子で進み、僕は可愛らしいフリフリのドレスを身にまとったアンティークドールを受け取って帰路に就く。


 いわくつきで夜中に動くとされるアンティークドール。

 なぜ僕が預からないといけないのかすっかり聞くのを忘れてしまったが、雲ばあさんが言っていた、"古い人形は全部生きている"という言葉が妙に心に引っかかった。

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